11:00am/第三研究室
秋也は悩んでいた。
――仕事をするべきか否か。
現在は業務時間内であり、秋也は至って健康であり、本来ならば当然するべきである。
しかし問題は、現在普段作業全般を行っている準太が不在であり、秋也は『奇跡の』と揶揄されるほど不器用であり、繊細な作業はするなと準太から強く言われているということだ。
するべきか否かと今秋也が悩んでいる仕事というのがその繊細な作業に当たる部分なのだが、それをしないと次の工程に進めないのだ。
一旦その仕事を置いておいて別の仕事を進めてもいいのだが、わりと急ぎの仕事であるし、秋也自身もその結果が気になる。
「……やるか」
頭の中で青い顔をして激しく首を横に振る準太を無視して、秋也は必要な道具を準備し始めた。
準太が入る前までは自分でやっていたのだ。
知識はあるのだから、出来ない訳ではない。ただちょっと不器用な為、失敗して煙が出たり爆発したりすることもあったかもしれないだけで。
そもそも秋也は作業が好きだった。
ただ自分が不器用という自覚はあるし、準太がやった方が早くて確実だということも分かっている。
その為準太が来てからは大人しく作業は準太に任せていたのだが、その準太がいないのだから仕方ない。
自己管理出来なかった準太が悪い、と結論を出して、秋也は機嫌良く装置の電源を入れた。
――コン、コン、コン
秋也が薬品棚の鍵を取り出した時、控え目なノックの音が響いた。
普段そんなことをする人物が訪ねてくることはなく、秋也は首を傾げつつも薬品棚の鍵を元の場所に戻してからどうぞ、と応えた。
しかし一向に扉が開く気配はなく、聞き間違いか? と思いつつ、確認するため中から扉を開けた。
目線の高さに人が居らず、やはり聞き間違いだっただろうかと一瞬思ったが、視界の下の方でふわふわしたものが動いた気がして視線を下に向けて驚いた。
秋也の目の前には、五歳くらいの少女が立っていて秋也をじっと見上げていた。
ふわふわの茶色味がかった黒髪に大きな瞳の可愛らしい少女だが、どこか子供らしくない子供だなと秋也は思った。その顔に表情がないためだろう。
その表情ともう一つ、秋也が気になったのはその『瞳』だ。
少女の瞳は吸い込まれそうなほど真っ黒で、まるで作り物のように見える。
「お嬢さん、この部屋に何かご用かな?」
秋也がじっと固まったままの少女に訪ねると、少女はことりと首を傾げた。
「ここに『シュウ』さんって人がいると聞いたの」
この歳のころの子供としては落ち着いた声で紡がれた言葉に秋也は違和感を感じた。
「誰に?」
「秘密って言われてるから答えられないの」
少女は少し困ったように答えた。
秋也のことをシュウなんて呼び方をする人間はほとんどいない。
最も目の前の少女が秋也の名前を人伝に聞いて、彼女の中で呼びやすいように変換した可能性もあるのだが。
「それじゃ仕方がないな。お嬢さんの言う『シュウ』のことかは分からないが、俺は秋也って名前だよ」
秋也が少し悪戯っぽくそう答えると、目の前の少女はパッと嬉しそうな顔をした。
そういう顔をすると、ちゃんと年相応の女の子だ。
「なら貴方のことね。だって慎弥くんがここにシュウって人は一人しかいないって言ってたの」
にこにこと嬉しそうに話す少女の口から出た名前に秋也は驚いた。
「お嬢さん、お名前を聞いてもいいかな?」
「うん。私の名前は二階堂凜って言います」
少女、凜の名前を聞いて、秋也は自分の推測が正しいか確かめる為に再度質問した。
「二階堂……慎弥さんは、凜ちゃんのお父さん?」
「家族だよ!」
凜は嬉しそうに、秋也の問いに肯定とも否定とも取れる返事をした。
「ところで、凜ちゃんは俺に用事があるってことでいいのかな?」
凜の目線に合うように正面にしゃがみこんで秋也が訪ねると、凜はうーん、と何とも微妙な返事をした。
「用事はないの。ただ、会ってみたくなったから……ごめんなさい」
一気にしゅんとしてしまった凜に、秋也は優しく笑ってぽんぽんとその頭を撫でた。
叱られると思っていたらしい凜は秋也の行動が予想外だったようで、大きな瞳を丸くしている。
「本当に誰に何の話を聞いたんだか気になるとこだが」
苦笑しながら言う秋也に、凜は何か言わなければと口をパクパクと動かしたが、結局何を言えばいいのかわからなかったらしく言葉は出てこなかった。
困った顔をする凜に、返事を期待していたわけではない秋也はいい、いいと言いながら凜の頭をもう一度撫でてから手を離した。
「秘密は守らないとな。まあ忙しいときは構ってやれないが、俺は大抵ここにいるから。会いたくなったらいつでもおいで」
「! うん! ありがとう! じゃあシュウくん、またね!」
いつでも来ていいと言われたことが余程嬉しかったのか、凜は満面の笑みでまた、を強調しながら、秋也に手を振って帰っていった。
一体誰に自分のことを聞いたのか、父親なのかと尋ねた時、なぜ家族と答えたのか、本当にただ会いに来ただけだったのか――
色々と気になることはあるが、情報が少な過ぎる。
秋也は溜め息をついて一旦考えるのを止め、凜が来る前にしていた作業を再開した。
その日、久しぶりに第三研究室から爆発音が響いた。




