9:30am/第一演習室
「あー……悪い」
「ふぇ?!」
唐突に恭介に謝られて、若葉は混乱した。
悪いって何だ?
謝られる理由に心当たりがない若葉は意味もなくわたわたしている。
そんな若葉を見て、恭介はばつが悪そうに目を反らして告げた。
「この前のアレ、嘘だ」
この前のアレ。
具体的なことは何一つ言われなかったが、心当たりはある。
というより、最近若葉の頭の大半を占めていた悩みの種のことを言っているのだろう。
「…………は?」
思わず低い声が出た。
「嘘?」
久しぶりにしっかりと恭介の目を見て、真顔で聞き返した若葉に、恭介は遠慮がちではあるが確かに頷いた。
「何つーか、罰ゲームみたいなモンだ。お前がさっさとその場で断ったらそれで終わりだったんだが、予想外に返事がねーから収拾つかなくなっちまったんだよ」
「な、な、な……!」
若葉は怒りや悲しみや羞恥や、色んな感情がごちゃ混ぜになって上手く言葉にならなかった。
中学生か! とか、ここ数日の悩んだ時間を返せ! とかいろいろ言いたいことはあったが、恭介の言い分を聞いて真っ先に思ったことと言えば――
「もし私がOKしちゃってたらどうするつもりだったんですか!?」
「はぁ? そんなこと、万が一にでもあり得ねーだろ」
一ミリも疑うことなく言い切った恭介に、若葉は万が一の可能性を自分が考えていたことに気付きまた腹が立った。
「そんなのわかんないでしょう!? 現にその場で断らなかった時点で瀬戸さんの予想は外れてるんですよ!? 人の事何だと思ってるんですか!? 乙女心を弄ぶつもりだったんですか!?」
若葉のあまりの剣幕に、恭介は驚きが何より大きかったらしく、おぉ、や、悪い、を相槌のように繰り返している。
それがまた若葉の怒りをヒートアップさせたようで、全然わかってない! と地団駄まで踏み出した。
その様子を見て、恭介は若葉から見えないようにホッと表情を緩めた。
この様子なら、すぐにいつもの若葉に戻るだろう。
どうやら恭介の『嘘』という言葉を全く疑っていないようだ。
ちょっと考えればその『嘘』という言葉こそ嘘だと分かると思うのだが、今回ばかりは恭介もその若葉の単純な性格に感謝した。
元より伝えるつもりのなかった想いだ。
若葉を怒らせてしまったが、恭介としては、若葉が否定的な返事をせずに自分の想いに対して真剣に考えてくれたことだけで十分過ぎるくらいだった。
「わかったわかった。なら今日は特別だ。俺からは攻撃しないでやるよ。好きなだけ殴れ」
「……それって避けたりは」
「あ? するに決まってんじゃねーか」
「誠意が全く感じられない!!」
悔しいので怒ったような態度をとった若葉だったが、内心では嘘で良かったと安堵していた。
ずっと悩んでいたが、自分がどうしたいのか、どうしても答えが出なかったのだ。
少し嘘で残念という気持ちが頭を掠めたが、それに関しては全力で気付かないふりをした。
そのため口では不満を漏らしながらも、実際は悩みも解消したし破格のハンデまで貰えてラッキーくらいの気持ちだった。
結局若葉が恭介を殴ることは出来なかった。




