8:00am/第三研究室
「コーヒー飲めるか?」
「あ、はい。ありがとうございます」
秋也はいつものように朝のコーヒーを入れ、ついでに雲雀の分も入れて彼女の前に置いた。
因みに仮に準太が居たとしても、秋也は準太の分のコーヒーを入れてあげたりはしない。
「悪いな。たまたま今日は家に帰ってたんだ。結構待ってたか?」
「え?」
「ん?」
話すのを躊躇っている様子の雲雀に秋也が話しかけると、きょとりと不思議そうな顔をされ、つられて秋也も首を傾げる。
「あ、えっと、こんな早い時間に申し訳ありません」
「いや、いつもはもっと早い時間でも普通にいるから気にしなくていいぞ」
「そうなんですか?」
「え? ……あ、そういうことか」
どことなく会話が噛み合わない原因に秋也が漸く気がついた。
「俺はだいたいは家に帰らないで第三研究室に泊まってんだよ。あいつらはフツーに知ってるからついそのノリで話してたわ」
秋也には珍しく照れたように笑う姿を見て、雲雀も最初より幾分か緊張が解れたようでクスクスと楽しそうに笑った。
「そんなに帰らないんですか?」
「んーそうでもないぞ? 今回はちょっと長かったけどたかが半年だ」
「……それは十分長いと思うわ」
雲雀は思わず呆れたような声を出してしまったが、秋也はそれを気にした様子はなく、本当に不思議そうに首を傾げている。
「そうか? ってか昨日も元々は準太との話がなかったら帰る気はなかったんだが」
「そういえば。七尾さん大丈夫なんですか?」
秋也の言葉を聞いて、雲雀は準太が子供達の間で流行っている感染症にかかったと言っていたなと思い出した。
通常であればこの部屋にいるはずの準太のことなど、名前が出るまで雲雀の頭の片隅にもなかった。
「あいつは不運には慣れてるから心配ない。まあニ、三日は来れないだろうが、実家に帰ってることだし大丈夫だろ。というか、準太の体調より準太が回復するまでのこの部屋の作業員不足の方が深刻だな」
中々に酷い言い草だが、雲雀も特に気にすることなく、確かに、と秋也の言葉にあっさりと同意した。
「他からヘルプを呼んでは?」
雲雀の提案に、秋也は眉間に皺を寄せて難しい顔をした。
「使えるやつが……じゃなかった、来たがるやつがいないからな」
秋也の返事に、雲雀は以前一華から聞いたとある話を思い出した。
「黒崎さんが他の研究室追い出されたって噂、本当だったんですか?」
「正確には俺が追い出されたんじゃなくて、向こうが逃げ出した、だがな」
「……理由を聞いても?」
「見解の不一致だな。開発に危険はつきものだ。それなのにちょっとした爆発や異臭ぐらいでお前とはやっていけないと来たもんだ」
秋也は肩をすくめて愚痴を溢した。
話を聞くだけなのでその程度はわからないが、何故か雲雀は逃げ出した彼らが正しかったような気がしてならない。
そこまで考えたところで、雲雀はふとあることに気がついた。
「私がここに来てから爆発や異臭騒ぎなんて聞いたことないと思うのですが」
「そりゃそうさ。爆発や異臭騒ぎがあったのは六年前までだからな」
さらりと実際に騒ぎになっていたとを認めたことは置いておくとして、六年前というとちょうど準太が入った頃だ。
そのことに気づいた雲雀の表情を見て、秋也はニヤリと満足そうに頷いた。
「あいつは文句無しに優秀だよ。まぁ俺がいくら言っても本人は頑なに信じないがな」
そう言いながら秋也は渋い顔をしたが、それを聞いて雲雀は苦笑した。
とびきりの天才にそう言われても、はいそうですか、と素直に受け取れる人などそうそういない。
ましてや準太は秋也を尊敬しすぎてどこか神格化している気がある。
秋也は本当にそう思って言っているのだろうが、準太からすれば冗談か、ともすれば嫌味かと思っていることだろう。
「まぁでも、彼が入る前の話をしたら少しは信じてくれるんじゃありません?」
「成る程。次はその手でいこう」
雲雀の提案に、秋也は嬉しそうに笑った。
話がピタリと途切れ、一瞬の沈黙。僅かに雲雀の顔が憂いを帯びた。
「西條も、優秀な対策課員だと俺は思うぞ」
突然何の前触れもなく核心を突かれ、雲雀は反応することが出来なかった。
それは雲雀がここに来た原因であり、なかなか切り出せなかった本題であった。
先日の緑鬼に春陽と若葉が拐われた一件から、雲雀の中にずっとチリチリと燻っている感情がある。
救出に向かうメンバーを決める際、その場に雲雀もいた。
にも関わらず、雲雀はメンバーに入らなかった。
恭介と一華が選ばれたのは分かる。二人は誰よりも拐われた二人のことを心配していたし、対策課所属で文句無しに実力もある。
秋也が選ばれたのも、まあ納得した。研究課所属であるが、それ故に鬼について詳しく、かつ効果的な武器を扱える。
しかし一華の相棒として千紘が選ばれたとき、何故、と思った。
自分は対策課所属であるし、はっきり言ってトレーニングさえ禁止されているような男より弱いとは思わない。
後で聞いた話だが、その時は過激派が目撃されていたから、雲雀では危険だと判断されたという。
雲雀はそれを聞いて、お前は神谷より劣るんだと言われたような気がしてならなかった。
「私は元々親の希望でここに入ったんです。所属を対策課に決めたのは、他の課は私に務まらないと思ったから。研究課員になれるほど頭は良くないし、広報課員になれるほどコミュニケーションも得意じゃない。運動神経と武器の扱いなら少しは自信があったから……つまりは消去法です」
雲雀は自嘲するように笑った。
その様子を見て、秋也は顎に手を当てて少し考えてから口を開いた。
「別にいいんじゃないか? 人間の選択の多くはそんなもんだろ」
「私もこれまではそれで構わないと思ってました。けど先日の若葉達が拐われた時に……」
そこで雲雀は言葉を切った。
この先に続くのは彼の友人への醜い嫉妬であり、侮辱である。言葉にするのが酷く躊躇われた。
「ヒロが選ばれたのが納得出来ない?」
言えなかった言葉をまたしてもあっさり言い当てられてしまい、雲雀は気まずそうに目を反らした。
しかし秋也の声にはからかうような色や気分を害したような色は特に含まれていない。
雲雀の気持ちとして口にして、単純な事実として受け止めたといった感じだ。
「誤解してるみたいだが、ヒロは強いぞ」
「……わかってます。八尾さんはそういうのはきちんと見てる人だから。だから私じゃなく神谷さんを選んだってこともちゃんと……」
「いや、そうじゃなくて」
秋也が雲雀の言葉を遮った。
しかし何が違うというのだろうか?
雲雀は訝しげに秋也の顔を見た。
「ヒロは強い。時と場合によっちゃ、瀬戸でも勝てないよ」
「それは流石に……」
慰める為に言ったにしても、流石に言い過ぎだろうと雲雀は苦笑した。
しかし雲雀の予想に反して秋也は笑顔ではあるが、冗談を言ったわけではないらしい。
「失礼だとは思いますが、信じられません」
キッパリと言い切った雲雀に、秋也はその笑みを困ったものに変えた。
「自分を信じるのは大事だが、相手を侮ると痛い目をみるぞ?」
そう言われて、雲雀は渋々だが自分の考えを少し改めてみることにした。
秋也だけでなく忠久も認めているわけだから強いのは確かなはずだ。
ただ秋也の言うように恭介より強いというのは、雲雀には素直には納得出来そうにない。
雲雀が葛藤しているらしいことが手に取るようにわかった秋也は、再び雲雀に助け船を出した。
「八年前の青鬼の大群の事件、覚えてるか?」
秋也の突然の問いかけに雲雀は一瞬反応が遅れたが、すぐに思い当たって頷いた。
「あの東の農業用地に十数頭の青鬼が出た事件ですか? 一歩間違えば大惨事になるところだったのを、ここの職員が素早く対応したお陰で被害は全く出なかったって」
一時期結構話題になってましたよね? と雲雀が答えると、秋也が頷いた後、悪戯を思いついた子供のような顔をした。
「その当時の報告書が資料保管庫に残ってる。あいつのことが信じられないっていうんなら、それを読んでみたらいい」
どうやら秋也の口振りから察するに、その事件に千紘も関わっていたらしい。
態々それを確認させずとも秋也が教えてくれればいいのでは、と雲雀は一瞬思ったが、すぐにそういえば今しがた秋也の話が信じられないと言ったからのこの会話だということを思い出した。
素直にそうします、と言って資料保管庫に向かった雲雀の背中をにこやかに見送りながら、はて彼女は何の用事で自分を訪ねてきたのだろう、と秋也は首を傾げた。
けれど部屋の前で出会った時より幾分元気になったように見えたため、まあいいか、と軽く流して、それよりも深刻な問題である人員不足について手を打つべく準備を始めた。




