2:30pm/南区保育園
「カメレオンなんて、僕初めて聞きました」
千紘の講義が一段落したところで園児達はお昼寝の時間となり、今は皆仲良く夢の中だ。
一方先生達はもしもの場合に備えて情報共有しておく必要があるため、園長室にて園長先生から事情を説明してもらっている。
「過去に二度しか目撃例がないからね。それに駆除できたのは一度だけだし。一般の人はほとんど知らないと思うよ」
春陽の少しばつの悪そうな態度に、千紘は大丈夫だよ、と笑って答えた。
「そもそも鬼についてって正確性を求めて情報規制されてることが多いから、ついこの間入ったばっかりのはるちゃんには知りようがなかったんだよ。だからはるちゃんが知らないのは当たり前! これからいろいろ覚えていけばいーの」
「うー……わかりました。フツツカモノですが、これからご指導よろしくお願いします」
「うわっ、はるちゃんが真面目すぎる! そんな畏まらないで!」
神妙な顔でそう告げた春陽だったが、千紘に茶化されてしまい思わず顔をしかめてしまった。
「神谷さんは、どうしてこの仕事をしようと思ったんですか?」
気を取り直して、春陽は前から一度聞いてみたいと思っていたことを、ちょうどいい機会だからと尋ねてみた。
すると千紘はきょとんとした後、少し考えてから答えた。
「シュウのため、かなぁ」
「え?」
春陽が聞き返すと、千紘はやはり考えながら言葉を選ぶように話を続けた。
「俺の家族ね、十歳の時に皆死んじゃったんだ」
千紘の突然の告白に、春陽は息を飲んだ。
「うちは神社だったんだけど、この組織が出来る前は『神の使い』を使役出来る神社の人達が鬼の駆除をやってたのは知ってる?」
「あ、それは聞いたことがあります。神社の人間の中でもごく一部の人しか使役出来ない神の使いは鬼に匹敵する強さを持っていて、当時はそれが唯一の鬼に対抗出来る手段だったって」
神の使いはその名の通り神から使わされた生き物と考えられており、この世には存在しない。使役者の呼び掛けにのみ応じ、何処からともなく現れる。
春陽の言葉に千紘は頷いた。
「うちの家族は幸か不幸かそのごく一部の人間でね、父さんも母さんも兄ちゃんも姉さんも、よく鬼の駆除を頼まれてたんだ。俺はまだ小さかったから、十六歳までは見習いってことで駆除はさせてもらえなかったんだけど……ある日突然大量の青鬼が出てね、俺の家族は皆その駆除に駆り出された。けど数がとんでもなく多くて、何とか駆除は出来たんだけど相討ちだったんだって。小さい子どもに見せられないくらい悲惨だったみたい」
だから俺は皆の最期は知らないんだよね、と言った千紘の顔は俯いていた為に見えなかったが、春陽には泣いているように見えた。
千紘のことだから、もてるからとか収入がいいからとかもっと軽い理由かと思っていた春陽は何と言って良いかわからず、黙って聞いていることしかできなかった。
「その時は本当に悲しくて、辛くて、鬼が憎くて仕方なかった」
そう言った千紘の声は震えてはいなかったが、いつもの千紘のものとはかけ離れた絞り出すように紡がれたその声に、それを聞いた春陽の胸も苦しくなった。
「……ここにいるのは、復讐のため、ですか?」
春陽がようやくそう尋ねると、千紘は苦笑した。
「違うよ。残念ながら俺ははるちゃんが思ってるより遥かに弱虫なの。鬼は憎いけど、それ以上に家族を殺した鬼という生き物が恐い。恐くて、恐くて仕方がない」
「それなのに、この仕事をしてるんですか?」
春陽は千紘の行動は矛盾していると思った。恐いというなら、こんな仕事をしようとも思わないのではないだろうか。
そこで、ふと春陽は千紘が言った、シュウのため、という言葉を思い出した。
「そうだよねぇ、俺もそう思う。……俺が皆いなくなって途方にくれてた時に、シュウがね、言ってくれたんだ。俺はお前と、お前の家族とも、家族みたいなもんだと思ってるって。シュウの両親は世界的に有名な研究者で家にいないことが多くて、両親がいない時はお隣さんだったうちに預けられてたから確かに俺もそんな感覚だったんだけど。けどそうして言葉にしてくれたことがその時の俺には泣けるくらい嬉しかったんだ。ひとりぼっちじゃないって思えたから。だからシュウがここで働くって言った時、今度は俺がここでシュウの助けになりたいと思ったんだよ」
そう言って千紘は嬉しそうに笑った。
千紘は自分のことを弱いと言ったが、今の話を聞いて、春陽は千紘のことをとても強い人だと思った。
「暗い話はおしまい! ほら、次ははるちゃんの番だよ」
先ほどまでのシリアスな雰囲気から一変、瞬く間にいつものゆるい雰囲気に戻って、千紘が春陽に尋ねた。
それに春陽は安心したが、自分がこの仕事に就いた理由が千紘の話を聞いた後では酷く幼稚なものに思えて、答えるのが少し恥ずかしくなった。
答えたくない、と言う言葉をなんとか呑み込んで、渋々春陽は口を開いた。
「あの、笑わないでくださいね? ……九歳のとき、僕の小学校に鬼が出たんです。僕と一華ちゃんは同じ小学校だったんですけど、その頃から一華ちゃんは面倒見がよくて。グラウンドで怖くて動けなくなっちゃった子達を一生懸命誘導してたんですけど、気付いたら一華ちゃん自身が逃げ遅れちゃってたんです」
「あらら。けど、らしいねぇ」
千紘の頭には小さな一華が更に小さな子達を必死に助けようとがんばる姿が容易に頭に浮かんで、微笑ましい気持ちになった。
「ですよね。けどその時結構ホントに危なくて。近くで見てたからそれに気付いた僕は、思わず何も考えずに飛び出しちゃったんですよ」
無鉄砲ですよねー、と春陽は幼い自分に呆れたように笑った。
「当然九歳の子供が鬼に敵うわけもなくて、飛び出したはいいけど一華ちゃんを後ろに庇うだけで精一杯だったんです」
「それでよく生きてたね」
はるちゃん相変わらず強運ー、と感心して千紘が言うと、春陽も、僕もそう思います、と言って苦笑した。
「鬼はすぐ目の前まで迫ってきていて、もうダメだって思った瞬間、この組織の方が目の前の鬼を吹っ飛ばしたんです。あまりのことに何が起きたかは全くわかんなかったんですけど、大丈夫か? 姉ちゃん守って偉かったな。って言って頭を撫でてくれたのがものすごく格好よくて。まるで本物のヒーローみたいに見えたんです。それで僕もそのお兄さんみたいになりたいって思って。そしたら一華ちゃんのことも今度こそ守ってあげられるって思ったんですよね」
春陽は始めこそ渋々話していたが、話しているうちにその頃のことを思い出したのだろう、今や瞳をキラキラと輝かせて嬉しそうに語っている。
「なんだ、いい話じゃない。にしても、ヒーローねぇ? そのお兄さんまだココにいるの? 再会出来た?」
お兄さん、ということは、当時は若かったのだろう。
春陽が九歳の時、ということは九年前。千紘が組織に入る一年前ということになる。
千紘は今の対策課の面々の顔を思い浮かべて、そんな人物は居ただろうかと失礼なことを考えた。
「それが分からないんですよね」
千紘の問いかけに、春陽は至極残念そうに答えた。
「僕、最初は瀬戸さんかと思ってたんです。けど瀬戸さんって神谷さんと同い年なんですよね?」
組織に入ることが出来るのは十八歳以上の為、千紘と同い年の恭介は当時十七歳であった筈だ。
会いたいんですけどねー、と残念そうに告げる春陽に対して、千紘は何かに気づいたようで、平静を装っているがその口元はにやけている。
「神谷さん?」
千紘が黙りこんでしまったのを不思議に思い春陽が尋ねると、千紘はにやけるのを誤魔化すようににっこりと笑った。
「そのお兄さん、また会えるといいね」
「! はい!」
春陽は何も気づかずに嬉しそうに笑ったが、千紘のその顔には、新しいオモチャを見つけた、とはっきりと書いてあり、春陽と違う質の悪い笑顔を浮かべた。