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10:00am/第二医務室

 世界が終末に近づく頃、深淵の彼方から恐ろしい古の魔物が現れた。

 それらは次第に勢力を増し、小さき者達は恐怖に震え、唯々彼らの標的とならんことを祈った。

 それから幾年の時が流れ、小さき者達の中から怯えるだけの日々から脱却すべく立ち上がったものがいた。

 彼は古の魔物、鬼と呼ばれるものたちと闘うために、対鬼属対策特別組織、通称『鬼退治』を発足した――




 少し離れに位置するそこは、沢山の人が働く建物の中にあるにもかかわらず、そこだけ切り取られたような穏やかな時間が流れていた。

 第二医務室と書かれたその部屋に軽やかなノックの音が響いて、この部屋の主である五十鈴渚(いすずなぎさ)は眉間にシワを寄せた。

 時刻は朝の十時過ぎ。怪我人が担ぎこまれるには些か早すぎると思ったからだ。


「なぎちゃんおはよー」

「おはようございます、お邪魔します」

 しかし予想に反して入ってきたのはどう見ても健康そのものの二人の青年であり、渚はほっと胸を撫で下ろした。


「なんだ、神谷と藤咲か。急病人かと思って焦ったじゃないか」

「あははーごめんね? 健康だからちょっとお茶していってもいい?」

「ここは怪我人の来るとこだぞ?」

「あ、じゃあ健康じゃないからお茶していってもいい?」

 どうせまだ誰も来ないでしょ? という男、神谷千紘(かみやちひろ)は全く気にする様子もなく、マイペースにソファーへと腰かけた。

 一方もう一人の男、藤咲春陽(ふじさきはるひ)はどうしていいか分からないといった感じで、部屋の入り口に立ったままソワソワとしている。

「藤咲も入っておいで。実際のところ神谷の言う通りヒマだと思ってたところだ。話し相手ができて嬉しいくらいだよ」

 渚が苦笑しながらそう声をかけると、春陽は嬉しそうにはにかんで、じゃあお邪魔します、と言ってちょこんとソファーに腰掛けた。

 その様子は渚に円らな瞳の小動物を思わせた。

「何この子めっちゃ可愛い。お願いだから藤咲は神谷を見習わないで、そのままでいてくれな」

「可愛いはちょっと……一応僕もう十八歳になる男なんで」

 真顔でそう告げる渚に春陽は若干引き気味だ。

「まだ十八、だろ? 三十二歳のオバサンにしてみれば十分可愛い対象だよ」

 春陽の態度にもそんなことお構いなしといった感じで、渚は可愛い可愛いと春陽の頭をぐりぐり撫で回した。


「むー……なぎちゃん、俺を見習うなって酷くない?」

 その様子を向かいのソファーに座って眺めていた千紘が、ジト目で抗議の声を上げた。

 男として可愛いと思われたくはないが、本人を目の前にして見習うなとは失礼な話だと訴えたいらしい。複雑な男心だ。

 そんな千紘の抗議の声に、渚はパチリと瞬いた。

「あぁ、言い方が悪かったね。さっきのはただ藤咲のこの可愛さを失って欲しくないっていう意味での発言であって、断じて神谷を否定した訳じゃないんだ。不快にさせてすまない。神谷は神谷で私は大好きだよ」

 手は休むことなく困惑する春陽を撫で続けたまま、渚は千紘の方を向いてにっこりと綺麗に微笑んだ。


 予想の斜め上をいく男前な返答を返されて、千紘は一瞬言葉に詰まってしまう。

「……相変わらずイケメンー」

 僅かに赤くなった顔を誤魔化しつつ辛うじて千紘が呆れながらそう言うと、渚は、そう言えばお茶をしに来たんだったね、と言って楽しそうに給湯室に消えた。


「……何て言うか、とっても自由な人ですね」

 渚に撫で回されてボサボサになった頭を手櫛で整えながら春陽が若干疲れた顔で呟くと、面白い人だろ? と言って千紘はけらけらと笑った。



「コーヒーで良かった?」

 しばらくすると三人分のコーヒーを持って渚が戻ってきた。

 それに対し千紘はありがとー、と笑顔で受け取り、春陽は渚を働かせてしまったことに気づいて、慌てて頭を下げてすみませんと謝った。

「いいのいいの、ここでは君らは客なんだから気にしない! それで? 今は倉持から逃げてる最中、かな?」

 渚のあまりに的確な発言に、春陽は目を丸くして驚き、千紘はにやっと笑った。

「昨日の南区の保育園での勉強会、大好評だったらしいじゃない。流石広報課のホープだね」

 渚に褒められて、千紘は子供のように嬉しそうに笑った。



 千紘達の所属するこの場所は『対鬼属対策特別組織』といい、その名の通り対鬼属の対策のために創られた組織である。

 その活動は、鬼属と呼ばれる人に害をなす生物の駆除、研究が主である。

 渚の言う広報課とは組織の宣伝、認知を主な目的とした課で、千紘と春陽はそこに所属している。

 春陽は今年入ったばかりの新人で、千紘は今年で八年目になる、春陽の教育係兼相棒だ。

 広報課は基本二人一組で行動する決まりになっている。

 それはお互いに協力し、また連帯責任により抑制しあう為の他に、宣伝以外の業務の際の安全の為でもある。

 一方渚は医務室にいることからも分かる通り医療課所属だ。



「まぁその時にちょーっとみつるくんの台本をアレンジしちゃったからねー。今頃総務課(みつるくんのとこ)にも情報がいってる頃かなーって」

 とりあえず逃走中であります! と千紘はビシッと敬礼してみせた。

「どこがちょっとだ、原型なんて欠片も残ってなかったじゃないか。深淵の彼方とか小さき者とか、そんな遊び心倉持にあるわけないし、鬼退治なんて通称も初めて聞いたぞ?」

「確かにそうだ」

 渚の呆れたような指摘にも、千紘は楽しそうに笑うだけで悪びれる様子は欠片もない。


「あ、あの?」

 そんな千紘と渚のやりとりに、春陽が困惑した声をあげた。

「五十鈴さん、昨日居らしてたんですか? 全然気がつかなかったです」

 春陽が戸惑うのも無理はない。

 渚は切れ長の涼しげな目元に高い鼻、形の良い唇の中性的な美人で、さらに腰まである癖のないさらさらの黒髪に、女性にしては長身の175㎝でスラッとしたモデルのような体型をしている。

 端的に言って目立つのだ。

 しかし春陽は昨日渚の姿を見た記憶はなかった。


「ああ、私は話を聞いただけだよ。手紙をもらってね」

「手紙?」

「そう、可愛い私のストーカーからね」

「ストーカーは失礼じゃ……」

 渚が物騒な言葉を口にしたが、全く怯える様子はなかったので春陽は冗談かと思ってそう言いかけたが、千紘の引きった顔と、可愛くないでしょ、という台詞でそれが冗談ではないのだと悟った。


「え? 本物?」

 春陽の戸惑いは、渚に何でもないことのように肯定された。

「その子が私を大好き過ぎて四六時中監視してくるから、上から危ないからって外の仕事は禁止されちゃってね。それで内勤になったんだけど、その子が私の監視ができないもんだから、代わりに外で仕事してる組織の人達の様子を事細かに観察して、私に毎日手紙で報告してくるようになったんだ。皆には申し訳ないとは思ってるんだが、どうしようもできなくてね。とりあえず害はないから今のところ放置ってことになってるんだ。まぁお陰で今や誰よりも皆の外での仕事に詳しいよ」

 少し申し訳なさそうではあるが、あっけらかんとそう告げる渚に春陽は唖然とした。これはそんな何でもないことのようにする話だろうか?


 春陽が分からないだけで渚が強がっているだけという可能性も考えたが、千紘の様子からしてそういうわけではなさそうだ。

「あの、そういう手紙って受け取って大丈夫なんですか? 危ないものとか変なものとか入ってたりとか……」

 春陽はとりあえず一番気になったことを聞いてみた。

「大丈夫、そんなことする子じゃないよ。それに総務と研究の人たちが一通りチェックはしてくれてるからね」

 ストーカーな時点で信用出来ないんじゃ、とか、そういう問題なんだろうか、とか春陽はいろいろ考えたが、千紘が諦めた目をして首を振ったのを見て考えることを止めた。

 本人は気にして無さそうであるし、これ以上考えるとあの場に()()()がいたことや、その他気付きたくないことまで気づいてしまいそうだと思ったからだ。


「……世の中にはいろんな人がいるんですね」

「ほんとにねぇ。あ、でもこの子はまだまともな方かな」

「え?」

「もっと過激な子とか話が通じない子とかに比べたら全然」

「え?」

「なぎちゃん、絶対に一人で勝手に外に出ちゃ駄目だよ」

 千紘の忠告に、流石にもう懲りたよ、と言って笑う渚を見て、こんな自由でおおらかな渚にそこまで言わせるなんて一体何があったのか春陽は少し気になったが、なんだか聞かない方が幸せな気がしたので黙っておいた。

 世の中には本当にいろんな人がいて、いろんな世界があるんだな、ということを改めて知り、春陽はまた少し大人になったような気がした。

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