カザエル王と精霊…。
ーカザエルのある一室でー
「これは珍しい。こちらにお帰りとは…。レサンタはいかがでしたか?」
問いかけの相手は、不貞腐れた表情でこちらをチラッと見たがそのまま机に突っ伏した。
疲れているのだと、自分の身体で確認できる故に肩に手をかける。
『やめろ!!お前のお情けなど欲しくないんだ。俺は王族にはもう、頼らないって決めたんだから!!』
怒鳴りながらも手を振り払わないところをみると、余程疲労感が強いのだろう。
身体から力が抜ける感覚に奥歯を噛みしめ耐えている間に、その疑問に本人が珍しく答えた。
『会ったんだ。産まれたんだよ、精霊の誕生だ。しかも、光の精霊だとすれば。』
言い淀む彼は珍しい。それほどショックだったのだろう。海の精霊と光の精霊。それは似たようで真反対の存在だ。
もし、ぶつかり合えば既にボロボロの我が半身である海の精霊は消滅するだろうからな。
『大丈夫だよ!それを見つけた奴に絶対にカザエルに連れてくるなって言ったから。な、頭良いだろう?』
頭が良いか…。
いつ頃からだろうか、彼が狂いだしたのは。
海から離れれば、その身を狂わす。
その定めを破ったのは、大水だったか、日照りだったかは記録には無い。
半身である先祖の王を助けたかったのだと聞いた事がある。何度もある困難に立ち向かえたのは、我がウルフィルがいたからだ。
『おい、いつも通りダンマリだな。長い間お前の相手をしてると気が滅入る。もう、行く!!』
窓からベランダへ出ようとした彼を手で掴むと「お願いです。たまには海へお戻り下さい。」一言、伝えた途端に起きた暴風に身体が吹き飛ばされる。
ドン!!!
壁に激突した私に真っ赤に怒りに燃えたカレが怒鳴る。
『人間の癖に、口出しするな!!この国にどれだけ…。もう、いい!!お前なんて知らない!!!』
ベランダから飛び立つ彼を無様に転がったまま眺めて暗澹たる思いに捉われる。
そうか、もう海へ戻れない程に。
「陛下!陛下、どうされましたか?どうぞ扉をお開け下さい!!」
側仕えの声に「要らぬ。下がれ!」と怒鳴れば「もし、もしご入用が御座いましたらいつなりとお声掛けください。」
幼少から側仕えのダンゼルの声は意気消沈していた。それだからこそ、この有り様は見せられぬのだ。
激突は、肋骨が何本かと額から血が流れていた。無論、心配は無用だ。王になったその時から、傷つかぬ身体と病まぬ身体を手に入れたからだ。
精霊の半身。それはまさに不死身の身体を手に入れる事と同義だった。
だが、それは諸刃の剣だったのだ。我が生命をそのまま精霊に捧げる。それこそが王の役割であったのだから。彼が弱れば、生命力そのものを捧げる。生贄だと前王が書き留めていた日記を読んだ衝撃は忘れられない。
ひたすら、精霊への感謝と尊敬を学び続けた日々が遠ざかるほどに、生命力を捧げる衝撃は強かった。身体中の激痛に転げ回り、食事も喉を通らない日々。それでも倒れせず痩せる事もない自分は化け物の仲間入りだと絶望した。己が生命力が尽きる日までこのままなのだと。それをまた我が子へと引き継ぐ。それがこのカザエルの王家の定め。
一子相伝の秘する定めなのだ。
だが、それもあと少しだと今夜確信した。
海から離れた海の精霊がその身を保てるはずもない。もちろん、我が生命一つで精霊を支えられるはずもない。
近頃、自分の身体にも異変が次々起きていた。何もしていないのに身体に次々出来る傷や痛みや吐き気など挙げればきりが無い。、しかも、意識さえも混濁する事も多いのだ…。王だというのに。
アイツの事件がまさにソレだった(己が狂い始めたとハッキリ自覚した瞬間だった…)
意識が混濁した状態から目覚めたら目の前に得意満面のムーケンがいたのだ。
しかも、奴はラドルフが謀反を起こし処刑しようとしたら逃亡したと言うのだ(無論、王として承知の事だと言われたのだ)あまりのショックに思わず身体から覇気が漏れ、奴がそれにより気絶したのは不味かった。(それ以来奴は近づかないのだけは良かったが。)
ぼんやりする意識の時間が増えるにつけ王宮は混乱を始めた。どうやらソレを利用してドルタからの客人当たりが何やら企んでいるらしいのだ。
フッ、無駄な事を。
我が半身の加護を失ったこの国を奴如きが背負える筈もないのに。
「影、そこにいるか?」
痛みが堪えられる程度になり声をかけると背後に音もなく一人の男が座っていた。
「ラドルフはどうか?また、盗賊は如何した?」
「ラドルフ様は無事ザルグフの手から逃れました。それにはどうも水の精霊様のお力添えがあった模様です。
また、海の精霊様の巻かれている毒が原因の盗賊の頭はまだ、捕らえられません。申し訳ございません。」
その間にも影の手を借りてベットに横になる。自分の状態=精霊様の状態だ。
間に合わなくなるかもしれない。
「弟に伝えよ。彼女の連れを王宮までおびき寄せよと。奴らを囮にして本物を捕まえねば…。」
意識が途切れる。
痛みから逃れられる睡眠は、今の自分の唯一の休息地だった。
彼女は、本物だろうか。
言い伝えは彼女こそが、と告げているが。
僅かな希望は、意識が途切れる瞬間に見えた。
明るい女性が微笑む姿は、恐らく精霊様の記憶。
お待ちしております…どうか。
祈りの様な思いが浮かび、そのまま意識が完全に途切れた。
その数分後、側仕えがそっと入室して彼を甲斐甲斐しく世話をしていた。痩せ細ったその腕に寝巻きを通しながら吐息ひとつ漏らさず彼はそのまま去った。
去り際にジッと見つめて頭を丁寧に下げて…。
***
「出してくれ!!
罪人である自分が隠れている訳にはいかないのだ。トラヴィス殿が排斥されれば、我が君の周りにはあまりに人が居なくなる。
頼む、ここから出してくれ!!」
叫ぶ男に答える声はあまりに小さい。
「無駄な事だ。この場所を知ってる者など無い。お前は切り札なのだ。
我らが教皇様が再びこの世界の主人となるための大切な…。」
男の問いに答えた声は密やかで、叫んでいる男にも無論聞こえない。
しかし、呟く彼も知らない。
その声を聞いていた者がいた事を。
密やかに。




