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2.アッサルト(2)

 早朝の空気は薄荷のようで痛い。

 僕達は曙光を反射する雪にうんざりとサングラスを掛けた。これでもあまり反射光を直視していると目を悪くするから、早朝はあまり好きじゃないな。


「でも、雲の上なんて行ったら駄目だよ」

「知ってる」


 ミモリの釘刺しに頷く。


 地形が分からなくなる雲上飛行は、いざエンジンが機嫌を悪くしてしまった時にとても危険なのだ。何しろ慌てて降下した先に山の絶壁が広がっていないとも限らない。

 雲の下に広がるのは死の永劫だ。いつだってそう。空だけが何もない。生も、死も。


 ちなみにこの辺りの山の頂は雲より高いので、基本的に谷間を飛ぶことになる。

 まだ雲は少ないけど、山の天気はいつの間にか変わっているものだ。


 手が悴んできたので、足下のヒータに近づけて暖める。これだけでもかなりのエネルギィを食うけど、流石に雪山上空を飛ぶにあたって、ヒータは必需品だろう。配線を無理矢理増設して取り付けたらしい。


 プロペラの音が渓谷に反響している。他の飛行機の音はもう聞こえない。あれだけ大量の飛行機があるのに、全部飛んでいく方向が違うっていうのも不思議なものだ。それだけ空が広いってことだろう。


 操縦桿は今、僕が握っている。雪山の鋭い空気にもだいぶ慣れてきた。プロペラが空気を、サクサクと音を立てて切っているような心地よささえ感じる。でも油断は禁物。フレガータみたいに脆い飛行機には、上から落ちてくる氷塊だって十分凶器になる。断崖からはある程度距離を取らないと、落雪に呑まれることもある。今は夏だから、落ちる分は落ちているらしいけど、それでも用心に越したことはない。


 人類を拒絶する万年雪の山々の間。


 僕達は飛行する。


 誰もいない世界。


 誰にも届かない翼。


 世界を支配したつもりになっている企業達が知る由もない、この白銀の世界。


 風に吹かれた雪が陽光に反射して、きらきらしく舞う。


 僕達は一時それに見惚れて寒さを忘れる。せわしさを忘れる。地上から絡みつくさまざまなものを忘れる。僕達だけが忘れる権利を持つ。それが一時的なものだと分かっていても、だからこそそれは尊いものだ。


 空の時間が僕の眼前に戻ってきた。


 どんどん機嫌が良くなって、僕は少しだけ高度を上げる。ミモリも特に注意しない。許容範囲だ。


 カーヴしている崖を抜ける。

 旋回の過程で翼を傾けて谷底を観測。

 雪融けの清水が、昏い谷間を静かに流れていた。


 フライト開始から三十分ほど。

 不意に僕は気づく、その異音に。


 僕らのプロペラと少しだけ違う波長が混じっている。

 こういうのは良くない。好きじゃない。


 僕はさらに高度を上げた。


「シラユキ、上がりすぎ――」

「ミモリ、ロールするよ」


 昨日、注意されたことは覚えているから、事前に言って上昇角を調整、トルクに任せてゆっくりローリング。谷間にいたままでは音が反射して、方向が分からないのだ。

 それに、空中において高度は絶対的なもの。ゼロを乗算するのと同じ。


 加えてローリングによって死角をなくす。昔からよくやる習性だ。

 別に習い癖のようなものだ。

 でも正体の分からない、他の飛行機が近くを飛んでいるという状況が、僕にはひどく気に入らないだけ。


 それだけなのだけど。


 すぐに思い出す。僕が乗っているこれは、ただの連絡機を改造した、郵便飛行機だということ。高度を取ったって何の意味もないじゃないか。まったく何てことだ。


 自分のミスに気づいたけど、得たものもあった。


 見つける。

 黒茶の点を、雪の中に。


 冬季迷彩だったら、きっと気づかなかっただろう。そのくらいに小さい。


 僕は即座にそのまま大きく上昇、背面飛行に移る。すぐに大きな円を描いて、やがて惑星が一回転して下降に入るのだ。ループ機動。


「ちょ、ちょっと、シラユキ」

「ミモリ、この辺の地形は慣れてる?」

「え、うん」

「合図したら操縦桿を預ける」

「え?」

「急降下。歯を食い縛れ」

「ちょっと……」

「喋るな!」


 最後に怒鳴りつけ、僕はループからダイブ。向こうはとっくにこっちに気づいてる。どう来るかな。僕がやることは何が何でも一つだ。急降下して再び山間に入らなければ。


「ちょっと、シラユキ、何を遊んで……」


 ダイブ。


 向こうは単純でシンプルな行動を取った。そりゃそうだろう。僕でもそうする。


 上昇、機首上げ、対面交差。

 つまりヘッド・オン。真正面から向かい合い、すれ違うのだ。


 武器のない飛行機相手に、正面から撃つほど楽な仕事はないだろう。


 僕は敵の機体を見る。向こうも見た。


 そう思った時にはラダーを蹴ってローリング。あまり無理をさせられない機体だ、これが精一杯。


 でもそのおかげで、致命傷を受けずに済んだ。

 どこかに弾丸が当たる音がしたけど、角度的にエンジンだけは無事なはずだ。


 空気を切り裂く鋭い音。


 風防のすぐ横を火線が通り過ぎていくのを見て、僕は再び降下を選ぶ。


 今の一撃で仕留められなかったのは幸運だった。運というものを僕は信じていないが、この時だけは信じたっていい。それくらいだ。


 原因は三つ。相手が下手だった。機体が古かった。そして二挺搭載されている機銃のうち、一挺が作動していなかった。これだけ重なって信じてあげなかったら、幸運の女神だって可哀想だろう。


「え、何、何。撃ってきた? え、何で?」


 ミモリが混乱している。僕は舌打ちして言う。


「敵」

「え?」

「撃ってきた。敵だ。あれは、戦闘機。郵便機じゃない」

「だ、だってこんな山中で空賊? 獲物が山に激突して」

「ただのトリガ・ハッピィかもしれない。機体だって随分いい加減。とにかくまともじゃない。空賊に追われた経験は?」


 僕はその経験を既にミモリから聞いていたけど、敢えて訊く。ミモリはバック・ミラー越しに一度頷き、


「ある……ある」


 もう一度頷いた。

 OK。少し落ち着いてきた証拠だ。

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