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1.クーリエ・シュドゥ(5)

 僕にとっては初めての飛行場だったので、慣れているミモリが着陸を担当。

 雪解けの反射と、ナトリウム灯に彩られた滑走路に飛び込む。


 周囲には結構な数の飛行機が止まっていた。これから飛び立とうとする機体はない。

 こんな辺境にこんなに飛行機がいるのは、ここが剣山連峰の中継基地になっているからだそうだ。ここを拠点に、各集落に飛行機が散っていく。


「その割に僕、今までここに来たことなかったんだけど」


 疑問に思ったので訊いてみたら、


「うち、ほんとに小さい仕事しか回ってこないから……」


 ということらしい。

 何故か夕飯は僕が奢ることになった。


 手続きと引き継ぎを済ませて滑走路脇を歩く。雪がところどころに積み上げられた飛行場の空気は、針のように痛かった。オイルの匂いがかすかに漂うのは、多分格納庫からだろう。寒いときと暑いときとで、匂いにはわずかな違いがある気がする。煙草は控えた方がよさそうだ。


 飛行場を立ち去る直前、飛行機の前で仲間と談笑していた中年の飛行士が声を掛けてきた。髭を蓄えた小柄な男だ。


「ようミモリ、今日はここで泊まりか?」


 ミモリの知り合いらしい。気安い様子で声を掛けてくる。ミモリも笑いながら、


「暗くなっちゃったからね。メルケルのおっちゃん達も今夜はここ?」

「おう。だがなあ、ちょいとエンジンの音がおかしくてなあ。場合によっちゃ徹夜で修理かもなあ」

「あー。手伝おうか?」


 零細企業だから、ミモリも簡単な整備は出来る。というより、民間の飛行士はみんな、多少の整備は出来るものらしい。いつでも飛行場に整備士が常駐してるとは限らないのだそうだ。

 ちなみに僕は全く出来ない。


「いんや。お前さんも明日早いだろ。他の連中の手伝いなんざ考えんな。休め休め!」

「はあい。ま、手が必要になったら言ってよ」

「ああ。そういや、西部の戦場はピレネーが勝ったらしいな」

「あ、そうなんだ。昼下がりにそこに行く戦闘機と話したよ」

「まじか。ジンガか?」

「テンロウだった。黒いやつ」

「じゃあ今度擦れ違ったら中指立ててやれ。こっちの賭け金パアだったんだからなあ」

「知らないし。ていうか賭けるなよー」


 戦争賭博は禁止されているけど、徹底されてはいない。何でもそうだけど、法律で強く締め付ければ不満が起きるし、地下に潜られれば摘発はより困難になる。よほど問題のある行為でない限りは、たまの見せしめで十分治安が保てる、というのが、今の支配者たちの考え方らしい。それが正しいかどうかは知らない。ただ、罰則を強化すれば何もかも良くなる、と考える時代はもう終わったらしい。

 昔はそういうのが横行して、それが元で戦争が起きたり、動乱が起きたりしたものだけど、今はすっかりそういうことがなくなった。


 ミモリが話し込んでいる間、僕はずっと彼の飛行機を見ていた。双発の牽引式。重そうだけど航続距離は長そうだ。乗客を結構乗せられるタイプ。言わば空のバスだ。

 もっとも、窓が全部汚れているのを見る限り、載せているのは人間じゃなくてただの貨物だろう。大型の荷物を運ぶことを専門にした飛行士かもしれない。一二気筒の空冷エンジンは頼りになりそうだ。ただし、双発ということは整備の手間も二倍掛かるということでもある。液冷式の双発なんて、考えるだけでも面倒くさそうだ。尾翼と機体の間に、ワイア・アンテナが張られていた。


「シラユキ、いつまで見てんの。ご飯行くよ」

「あ、うん」


 いつの間にか話が終わっていたらしい。ミモリは飛行機から離れたところにいた。


「ちょっと待った、嬢ちゃん」


 追いかけようとしたところで、髭の飛行士に呼び止められた。


「僕?」

「あ? 何だ、お前、坊主か?」

「神様は信じてないかな」


 髭の飛行士は首を傾げたが、


「まあどっちでもいいや。その髪だけどなあ、隠しとけ」

「髪?」


 反射的に前髪に触れる。ショートボブくらいの長さの髪を、邪魔にならないように後ろで縛っている。その色は抜け落ちたような白。僕が自分の名前がシラユキでもいいと思ったのは、ミモリがこの髪の色に似合う名前だと言ったからだ。


「そう、その髪。この辺りじゃなあ、若白髪は不吉だって言って嫌われんだよ。喧嘩は売られんと思うが、絡まれても面倒だ。隠しとけ」

「ふうん……」


 相槌を打って、とりあえずさっきまで機内で被っていた飛行帽を取り出して、髪を仕舞い込む。


「こんな感じで?」

「ああ。人前では脱がんほうがいいな」

「了解。ありがとう」


 特に逆らう理由も拘りもない。僕は素直に礼を言った。もっとも、まだ実際に役に立ったわけではないから、お礼を言うのはおかしなことなのかもしれないけど。


 髭の飛行士と別れ、局に郵便物を預け終わってから、近くのレストランに入る。意外と盛況なのは、郵便飛行士達のたまり場だからだろうか。

 荒っぽく猥雑な喧騒の中に踏み込む。誰も僕らのほうを見たりはしない。そのことからも、ここに地元の人間が少ないことが見て取れた。

 運搬の中継地点というだけあって、食料は豊富にあるらしい。品書きには結構豪勢なメニューが並んでいた。


 来慣れているという言葉は本当らしく、ミモリはすぐにチキン・ステーキとチーズ・エッグ、ライスを頼んだ。僕は鴨のスープだけにしておく。ついでに二人でビールを注文。もう今日は寝るだけだからだ。

 鴨のスープは予想通りというか、安っぽい味だった。高級料理店ほどの味は期待していなかったけれど、胡椒と塩とコンソメだけで味付けをしたことが丸わかり。


「何だろう。食べたことあるなあ、こんな味」


 思わず呟く。


「それって記憶?」

「うーん、多分。何だかこう、毎日こういうのを食べてたような……」

「ほんとに手掛かりにならないよね、シラユキの記憶って」

「僕もそう思う。まあ、どうでもいいしね」

「いいのかなあ……戸籍とかも爺ちゃんが地元の役所にねじ込んで何とかしたし……」

「感謝してる」


 それは事実だ。


「何か思い出したら言うよ、ミモリ」

「そうしてください」


 しばらく食事をする。僕は先に食べ終えて、二本目のビールを注文。あまり飲めるほうではないのだけど、こう寒いとアルコールの助けが少しは欲しくなるものだ。ワインも好きだけど、あれを飲むと僕は正体をなくす。ビールの濃度がちょうどいいんだ。混合燃料のようなもので、多分、比率の問題だろう。


 煙草に火を点ける。

 天井を見上げると、安っぽい電灯に食べ物とコーヒーの湯気と、紫煙がオイルみたいに混じって、極彩色。見ていると目を回しそうだ。


 変な感じ。プロペラなら、いくら見ていてもそうならないのに。


 いくらかの雑談をした。

 現在のフレガータの感想や、欲しい機能や性能。


 フレガータにフロートを取り付ける機構(今までこれがあることも知らなかった)はミモリの祖父が考案したものだ。僕は水上機の経験がないから分からないけど、実際に着水が可能らしい。といっても、最近、海のほうは何かと物騒だ。空賊が陸を追い出されて、各地の島々に散ってしまったらしい。


 夕食を終えて宿へ。

 シャワーを浴びる時は、何となく僕らは互いに外出して時間を潰すか、さっさと寝てしまうことにしている。


 ミモリがシャワーを使っている間、僕は切らした煙草を買いに行く。

 こんな田舎だと、煙草屋が閉まるのも早い。無人のディスペンサーは、よほど発達した都市にしかない。幸い、まだやっている店があったので、そこで黒猫を買い足す。基本的に単品。カートンで買っても荷物になるだけだ。


 店員の訝しげな視線。そこで僕は帽子を部屋に忘れていたことに気づく。若白髪は嫌われる? が、まあ、この枯れ枝のような老嬢に僕をどうこう出来るとは思えない。寄り道しなければ大丈夫だろう。


 雪の掻き分けられた道は、ひりつくような寒さ。ブーツの底が滑る。道の横に積み上げられた雪の上を歩いたほうが、かえって転ぶ心配が少なかった。ジャケットの襟を締め直す。


 宿の前に戻って、借りた部屋を見上げる。灯りは点いていない。ミモリはまだシャワー中らしい。飛行士は下手をすると数日風呂に入れない生活も珍しくないから、温水設備の整ったところでは綺麗にしておきたいのが本音。僕もそれは例外じゃなかった。


 窓の下で煙草の包装を破いて、箱を振る。一本咥えて、燧火で火を点けた。

 僅かな熱が鼻先を炙るのが、冷え切った肌には心地よい。


 しばらくそこで煙草を吹かす。


 山岳部の夜は早い。さすがに人通りも少ないと見えて、僕はのんびり煙草を喫えた。いるのは、宿前のレストラン――こっちは地元向けなのか、客が少ない――の入り口に腰掛けている浮浪者風の老人くらいだ。この寒さの中、浮浪者なんてやっていけるのだろうかとも思う。手には酒瓶。帽子を目深に被っているが、髭が伸び放題なのは見て取れた。


 気にすることなく、僕は煙草を消費。灯りの気配がして、頭上を振り仰ぐと、借りた部屋だった。煙草を捨てる場所に困って、その辺を見回していると、窓が開いてミモリが顔を出す。


「うわ、寒っ……」


 僕に気づいて、ミモリが白い息を振り払うように手を振る。


「シラユキ、ごめん、お待たせ。もういいよ」

「うん」


 結局灰皿を探すのは諦めて、煙草を側溝に捨てる。雪の上で音を立てて火が消えた。


 宿に入ろうと歩き出した時、老人が僕を見ているのに気づいた。


 僕は後ろを取られるのが嫌いだから、振り返って睨む。相手も帽子の縁から濁った目線を向けて来る。まだ射程外。やや後方、視界に収まる上方を占位されたようなものか。相手も機首を向けていないから撃てない。機首を向けてきたら、僕は即座にスプリット・Sで急降下。相手の腹下に潜り込み、その後すぐさま上昇して旋回戦に持ち込むだろう。


 警戒はほんの数秒。


「シラユキ?」

「うん、今行く」


 ミモリの声に促され、僕は宿に入っていく。

 老人はまだこっちを見ていた。

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