表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/37

1.クーリエ・シュドゥ(2)

 紙と木と、それとインクの甘ったるいにおいのする郵便局で、手続きを何ということもなく済ませると、次の荷物がすぐに手渡される。中身はもちろん手紙と、それとわずかな小包。大きな荷物は専門の会社がやる。僕らのような小会社は、軽い荷物を出来るだけ速く運ぶのが仕事だ。風に乗れば旧式のフレガータでも結構な速度が出るし、何より軽くて小さいから、どんな飛行場にも降りられる。なので、僕らの仕事は基本的には山間の小さな村や集落への配達ばかりだ。


 今し方終えた仕事もその一つ。剣山連峰の山間に位置する集落をいくつか周り、集めてきた手紙をこの街の郵便局に届ける。そしてここで受け取った手紙を持ってまた連峰越えだ。ねぐらの飛行場に戻るのは、明後日くらいになるだろう。


 届けた手紙はたぶん、それぞれ効率的に分配されて、他の飛行士や地上の郵便配達員に任されて方々に散っていくんだろう。そこから先に僕らが関わることは、ない。


 出発時刻まで時間を余らせられたので、休息が取れる。

 飛行場の詰め所に寝ていた整備士をたたき起こして機体を任せて、街中のコーヒー・ショップに向かった。


 三日月パンとコーヒーを前にして、ブリーフィング。地図とコンパス、定規、エンピツと消しパテで打ち合わせる。面倒だけど大事なことらしい。傍らには鉱石ラジオ。今日の天気は問題なさそうだった。ただし、風は少し強い。


 ここでは僕は完全に後輩。ミモリは郵便飛行士として飛び始めて三年くらいになるはずだから、それなりに慣れているのだろう。てきぱきと、既に無数の書き込みがある地図を指差す。


「午後は風が強いから、ここから直進して山岳部を目指すともろに向かい風受けるね。迂回していこう。ただそうなると……」


 ちらり、とラジオを一瞥。「――目撃された船団の確認を取るため、調査団が派遣されております。同空域の立ち入りはしばらく制限されます。繰り返し――」

 低くよく通る声のアナウンスが流れている。


「……制限空域を避けていくと、ポイントEからの遠回りになるね。戦場指定区の横を飛ぶか。ま、よっぽど距離離れてるから大丈夫だろうけど、一応、ここではあたしが操縦するね」

「うん」


 早々に食事を済ませた僕は、相槌を打ちながら煙草に火を点ける。


「あとはまあ、コンパス確認しながら飛んでいこう。地図とかはもう覚えた?」

「たぶん」

「それ、王蝶アグリアス?」

「いや、黒猫バステトう?」


 僕の持っている煙草のことだ。黒猫は、一番きつくて、いっとう体に悪いやつ。


「いい。あたし、あれしか喫わないから」

「王蝶って、すごく軽いやつだよね、あれ」

「肺活量、落としたくないのよ」

「なるほど」

「シラユキはそういうの考えない?」

「僕、そっち方面は無縁だから」

「いいよね」

「そうかな」


 いまいち実感が持てず、灰皿に煙草を置く。コーヒーをひとくち。

 鼻からすっと息を抜く。


 視線を落とした地図にはこの国の知識主体たる大陸書会の署名がある。西大陸の全てを網羅したといっていいその図面には、大陸を二つに分ける連峰が一際大きく刻まれている。その山々の大半は共和国の領土で、そこの住人も共和国人となる。


 が、そもそも大陸全土が広すぎるせいもあって、そこに住まう人々の多くは自分たちを共和国リパブリックの国民であると名乗る前に、各自治体の名前を挙げて自らの所属と言う。つまり、大きすぎる区分けがもう何の意味も持っていないということ。地図に引かれた国境だって曖昧だ。


 これだけ広いと自国の統治そのものが放任的にならざるを得ず、それゆえに、国民意識の育たなかった共和国と連合王国ウニオンは、隣り合う地形であるにも関わらず大きな戦争をほとんど経験せずに今日まで過ごしてきた。


 無論、皆無ではない。国境付近で戦争じみた武力闘争が起きたことは一度や二度ではない。

 けれど、どこかの自治体が諍いを起こしても、それ以外のコミュニティにまで感情が波及しないのだ。帰属意識が薄い。

 そのためどちらの自治体も、税も兵も戦時徴発なんて望むべくもない。あっという間に物資の補給が滞り、なし崩しに諍いは終息してしまう。


 国家間の争いなんて、せいぜいそんなものだ。

 企業の起こす戦争に比べれば可愛いもの。石を投げ合う程度。


 代わりに企業戦争は規模が違った。

 何せ資本が違う。企業内部の意思統一も違う。使用する武装もまた違う。だからミモリの時代の戦争といえば、企業間戦争のことを指すのだろう。


 それでも、戦争には違いない。


 たくさんの飛行機が墜ちた。


 たくさんの船を沈めた。


 いっぱい機銃を撃った。


 僕の躰が覚えている。


 あの強烈なターンの重圧、


 鼓膜を振るわせる、二十気筒エンジンの咆哮、


 びりびりと震えるポリカーボネイト、


 ストールの、全てから解放される浮遊感、


 キャノピィの破片が頬を切り裂く痛み、


 叩きつける烈風、

 血の味、

 塩辛い、

 自分の躰から流れる液体、


 僕は血で固まった右目に触れた。

 残った目でジャイロ式照準器を睨みつける。


 ガンクロスのど真ん中、最後の一機を捉えて離さない。


 右へブレイク。


 逃がさない。

 フック気味にカーヴ。


 ぴったり背後。

 水面すれすれだ。前を行く敵機が飛沫を上げる。高度を落としすぎて焦ったのか、僅かに機首が上がる。


 機速が落ちた。

 ほら、もう終わりだ。


 僕は機銃のトリガを引いて――……


「シラユキ」


 そして、


 焦げたコーヒーの匂いが蘇る。

 口の中にはパンくずとバターの風味。


 血の臭いなんてまるでない。

 煙草の辛さ、コーヒーの苦み。


「シラユキ。戻ってこい。おーい」

「……ああ、うん、大丈夫。うん」


 うめく。

 僕はいったい、何を考えていたのだろう?


 煙草を口にする。

 思ったより短くなっていた。


「また、考え事?」

「まあ、うん」

「多いよね、シラユキ。そういうのさ」

「そうかな」

「うん。気づいたらぼーっとしてる。どこか遠いところを見てる。そんな感じ」

「そうかもしれない」

「大丈夫? 飛べる?」

「問題ないよ」

「ならいいけど。飛行中にそういうことってないんだよね。不思議と」

「集中してるからじゃないかな」


 よく分からないけど。


「じゃあ今の話、集中してなかったわけだ」

「まあ、操縦ほどには」

「認めたよこいつ……」


 半眼でこちらを睨んでくるミモリを尻目にコーヒーを口に運ぶ。

 ミモリのテーブルには三日月パンの他にも白身魚のパテと茹でたブロッコリーが並んでいる。彼女もそれをひとくち囓り、


「でも、まだ何も思い出せない?」

「断片的には。でもどれも抽象的かな。なんていうか、躰が感じたことだけが不意に蘇るような、そんな感じ」

「記憶かあ……」

「別に。生活に支障はないし、気にしないよ」

「でも、名前とか大事だし」

「いい。シラユキって響きは気に入ってる」

「それもシラユキが自分で口にした名前だよ。シラユキ本人の名前じゃないかもしれない」

「名前はそんなに大事なものじゃないよ」

「そうかなあ」

「結婚したら名前が変わるやつだっている。それまで使っていた名前が使い物にならなくなることなんていくらでもあるよ。役所に申請したら自分の名前だって変えられるんでしょ?」

「知らないけど、そうなの?」

「さあ。でも、そんなだから名前なんてたいしたものじゃないよ」

「そうかなあ」

「それはいいけど、僕が他に注意するところってある?」

「へ?」

「航路とか、天候とか」

「ああ……うーん、シラユキもだいぶ慣れてきたみたいだし、特にはないんじゃないかな。ていうか、操縦そのものはあたしより遙かに上手いし。それに、実際飛んでみないと分からないからね、結局」

「まあね。でも、腕だけじゃ飛べない。最近になってやっと分かったよ。天候とか地形とか、個人経営の飛行士は全部自分で調べないといけないんだね」

「まあ、航空管理局ビュロがラジオで流してるのを聞いてるだけなんだけどね。さて、それじゃ、食べたら出発しようか」


 再び、剣山連峰に向けて出発。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ