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06 召喚契約

「――そうですか。やはり、あれの仕業だったんですね」


 戻ってきた白亞に鎖鳥がキナとの遭遇を報告すると、彼女は思案顔で俯いた。


「隠蔽式は確認してきましたが、手直しの必要がないくらいに安定していたので、初めから私の感覚のほうを騙していたのでしょうね。納得しましたが、不愉快です。また厄介なことを考えてなければいいけど……」

「また? やっぱり、面倒な相手って印象は正解なのかな」

「すみません。鎖鳥さんが襲われたのは、不用意に離れた私の不手際です。まさか、いまになって動くなんて――」


 暗く沈んだ白亞は唇を噛んで視線を落とし、言葉を詰まらせたまま目を伏せた。

 改めて見れば、周囲の惨状は痛々しい。ひび割れ砕けた石床には樹絡人形の残骸が散らばっていて、穏やかな邂逅ではなかったことは明らかだった。

 それでも鎖鳥は苦笑い混じりに肩を竦めてみせる。


「そんな気に病むことはないって。平気だよ。嫌がらせくらいなら僕でも対処できる。それにキナは割りと()()()相手だし」


 少しわざとらしいくらい強がってみせた鎖鳥の前で、白亞が微かに口元を緩めた。


「……羨ましいです」

「え?」

「――いいえ。なんでもないです」


 慌てて顔を背けた白亞は、自身の手指を絡めたまま、矢継ぎ早に口を開く。


「でも、鎖鳥さん。いくら言葉が通じるとはいっても、あれに対して真摯に接する必要はありません。司書の一人ではあるので力はありますが、いまは謹慎処分中なので権限は制限されていますし、あまり無茶な真似はできないはず――です」

「取り合う必要はないってこと?」

「あれは、からかうのが趣味のようなところがありますから。鎖鳥さんは気にせずにいてください。関われば煩わされるだけで、時間の無駄です。いまはそれよりも『薄っぺら』のことを考えないと」


 それは機械魔女のキナも口にしていた相手のことで、『螺旋樹廊(ヘリカルホロウ)』で見た影の獣――『六式魔(ヘキサハイド)』の主でもある存在。


「僕たちの“敵”だよね」


 直接見たことはなかったが、それでも理解できていることはある。けれど、


「――私の、です」


 自戒を含むような白亞の訂正が、一拍遅れて紡がれた。

 彼女の白さは灯り花に照らされているはずで、触れられる距離にいる。

 それなのに。その姿は――闇に()まれるほど朧だ。

 だから鎖鳥は否定する。


「違いはないよ。君の“敵”なら、それは僕の“敵”だから」

「どうしてそんな風に――。私が言うのもおかしな話ですけれど、この事態をもっと拒んだりしないんですか? いくら『虚想存在(アムネジア)』の認識があるからといっても、鎖鳥さんが受け入れられるかは別問題のはずです」


「君の都合に沿うように在ろうとしてるだけだよ。それが不服?」

「そんなことはありません。不服じゃないです。鎖鳥さんが『書術(ビブロクラフト)』を扱えるようになる速度も想像以上で、いろいろと本当に凄いなって思って。でも……、だからって……」

「なにを迷うことがあるのさ」

「それは……。だって、あなたは――私の都合に巻き込まれているだけなのに」


 灯り花の光が一瞬揺らめいて。

 束の間、少女と鎖鳥を隔たるように闇がその色濃さを増した。


「僕は――君に必要とされることを望んでいるんだよ。それが僕の都合で、だから君が思い悩むことなんてない。必要ないって言われるほうが、その、うん。――困るかも」


 口を噤んで聞いていた白亞は、自責するように唇を噛んで瞑目する。


「駄目、ですね。私は本当に。ごめんなさい、鎖鳥さん。あなたは私の身勝手に力を貸してくれているのに。余計なことばかり言って、迷って、それどころかなにも――」

「謝ることなんて。でも、そうだ。それは少し違う――かもしれない。そうだよ、違ってる。力を貸しているわけじゃない」


 不思議そうにまばたきする少女に向かって、鎖鳥は告げる。


「だって、これは僕が僕のために――君を利用しているだけなんだから」

「な――」


 奇異なものでも見たように、白亞は口を開けたまま硬直(フリーズ)した。


「な、なに名案みたいな顔で言っているんですかっ。私のほうがあなたを利用しているんですよ!?」

「そうだよ。だからそのままでいい」


 なんでもないことのように告げて、鎖鳥は笑ってみせる。


「白亞は白亞のために、僕を利用してくれればそれで」

「それは、その、お互い様――と、そう言いたいんですか」

「協定、盟約、なんでもいいけど。召喚なんて事態を鑑みて、契約なんて言えば通りがいいかもね。互いに利用しあう『召喚契約』――なんて、それっぽいんじゃない?」


「――やっぱり変わってますよ、鎖鳥さんは」

「凡庸だってば。僕の言葉なんて虚構劇(フィクション)からの借り物ばかりなんだからさ」

「そんなことありません。だって、いま私が抱いた感情は、言葉の表層に左右されていません。鎖鳥さんが言ってくれたから届くんですよ」

「そ、そういうものかな……?」

「はい。そういうものです。鎖鳥さん、ありがとうございます」


 真っ直ぐに見てくる新緑の瞳を見つめ返し続けるわけにもいかず、鎖鳥は白織りのマフラーに口元をうずめると曖昧に話題を変えた。


「そ、そういえば――正直なところ、『薄っぺら』がどんな奴なのか分かってなくて」


 それを聞いた白亞は、嫌なことを思い出したかのように顔を曇らせる。


「酷く短気なのに粘着質で、常に周囲を見下しているような相手です。思い通りに事が運ばないと当り散らすので、鎖鳥さんがこうしていること自体が問題になります。私が干渉していることはイレギュラーでしょうから」

「だから誤魔化す必要がある……?」

「はい。ですから、そうですね。鎖鳥さん、とりあえず脱いでもらえますか? いまのうちに済ませておきたいことがあるんです」

「――え?」


 聞き間違いではないことを脳内で繰り返し何度も確認しながら、鎖鳥は白亞をまじまじと見つめ返した。


(いま、なんて――? 脱ぐ? なにを? 服を? 済ませる? なにを?)


 その豹変を訝しむように彼女は小首を傾げ、浮かんだ疑問符を解消しようと思考を巡らせているのか黙りこくる。一呼吸、二呼吸――と少し。白亞は自身の発言がどう聞こえるっものだったのかに思い至ったのか、顔を赤くしながら声を荒立てた。


「へ、変な目で見ないでくださいっ。蹴り転がされたいんですか!」

「み、見てないって! いまのは違う。ただ意味が――そうだよ、意味が飲み込めなかっただけだから。だから違うんだって。――その、おかしなことは考えてない。他意はなかった。本当だってば。嘘じゃない」

「そそそそう言われると余計に嘘っぽいですっ」


 慌てふためく白亞は目を泳がせて、あわあわしながら珍しく思考停止した顔をする。


「よ、よく喋る鎖鳥さん自体がもう嘘っぽいのににに……!」

「お、落ち着こう? 説明してくれれば分かるから。大丈夫だから」

「せ、説明……? そうです、そうですよね。必然性を知れば合理的な発言だと理解できるはずです。わ、わた――私におかしなところはなかったと、証明してみせますっ」


 取り乱したことを取り繕うように決然と。

 けれど無駄に修飾を多用しながら雑然と、白亞は理由を語り始めた。

 本筋だけをたどれば――曰く、『薄っぺら』を誤魔化すための偽装式を鎖鳥の胸元に直接描き込む必要があり、それゆえに上着を脱ぐよう告げるのは必然であった――と。


「ですから、まったくこれっぽっちも変じゃないです。以上証明終了完璧です!」


 誤解は解けましたねと言わんばかりの満足顔だった。


「お、お疲れ様」

「さあ脱いでください!」

「う、うん……」


 最早意味不明なほど語り過ぎて紅潮した白亞が、遠慮なく鎖鳥に迫る。


(なんだこれなんだこれなんだこれ――!?)


 言われるまま上を脱いだ鎖鳥の胸に、白亞は小瓶に入った正体不明の赤い液体を使って紋章のような図形を描いてゆく。指で。直に。


(い、意味が解らない。――いや判るけどっ)


 顔を近づけて作業する少女の整いきらない吐息が吹きかかる。鎖鳥はその様子を眺めるのも気恥ずかしく感じ、適当に上を眺めながら終わるのを待った。けれど白亞の指使いは慎重で、即座に描き終わる様子はない。


「そ、そういえば」

「喋られると書きづらいです」


 耐えかねて沈黙を破った鎖鳥を、白亞は不満そうに遮った。

 指の腹や爪の先を器用に使い分けて繊細に描き続けていた手を止めて、口を尖らせる。


「無理だって言うなら、これでも食べておとなしくしていてください」

「……飴?」


 白亞が懐から取り出してみせたのは、琥珀色をした小さな塊が詰まった小瓶だった。


「あやされた子供の気分だよね、これ」

「否定はしません。ですが、それだけのつもりではないですよ。それほど時間は経っていないとはいえ、いろいろありましたから。疲れていないはずないですよね。この蜜石(みついし)を口に含めばたちどころに――というやつです。それに空腹も満たされます。一応言っておきますけど、気休めではないですよ? ここでの主食は蜜石ですから」


 鎖鳥は渡された小瓶を灯り花の光で透かして確かめる。


「これ、石なの……?」

「舐めていれば溶けて消えますよ。平気です」


 渋面でためらう鎖鳥を諭すように、白亞が講釈の口火を切った。それと同時に偽装式を描く作業も再開される。


 白い指先の繊細な動きにいろいろな意味で耐え抗っていると、甘いはずの蜜石の味すら鎖鳥にはぼやけて感じられた。『魔法使い』の領域である幻想図書館における食料完全自給とその弊害についての一考――それに付随した領域内構造体における『虚想存在』の寄与率と『幻想因子』との関係性についての解説が、近く控えていた期末テストの勉強並みに頭に入ってこない。


「――というわけで、つまりここでは料理なんて嗜好品、日常的には食べられません。慣れないと大変ですよ?」


 至近の胸元からうかがうように見上げられ、鎖鳥は「そ、そうだね」と言うほかなかった。


「さ、これで完成です」


 描かれた複雑な紋様は淡く輝いたかと思うと、染み込むようにその色を消してゆく。「たとえ検められてもバレはしませんよ」とは白亞の言で、ようやく解放された鎖鳥は服を着込むと全身を弛緩させた。


「これで鎖鳥さんが余計なことを言わない限り、勝手に『薄っぺら』のほうが勘違いするはずです。目立ったスキルを持たない代わりに、支援型(バックス)として『書術』を扱えるタイプは珍しくないですからね」

「支援型? それにスキルって――」

「ただの分類(カテゴライズ)ですよ。『虚想存在』が際立った力を顕在化させていない場合は、支援型として後方支援の役割に徹しさせるのが定石なんです」

「顕在化? 僕にはそれがないから、それで『書術』を?」

「それはええと――。その、あえて言うのなら、鎖鳥さんは『書術』に対する適性の高さが顕在化しているスキルでしょうか。地味な(パッシブ)効果に分類されてしまいそうですけれど……」


 言い訳するように小声になった白亞に、思わず鎖鳥は苦笑を零した。


「変に目立たないなら都合はいいよ」

「ぎ、偽装式も万全ですからね! それに『魔学書(コーデックス)』や書縛(ブック)ホルスターに関しても、そのあたりの品は拾っていても不思議はありませんし」

「そうなの?」

「誤魔化せる程度には可能性がありますからね。――その、()()()()()()の残したものが落ちていることは多いですから」


 この『遺棄指定区画(イリーガルブロック)』には骸骨剣士(スケルトン)以外にも数々の魔が溢れていることを鎖鳥は実際に対峙して知っていた。騒がしい小悪鬼(ゴブリン)、毛むくじゃらの邪妖鬼(トロール)、泣き叫ぶ灰幽女(バンシー)。その見境ない敵意と殺意を浴びて無事で済まなかった者がいることは想像に難くなかった。


「僕たち以外の『喚ばれた者(アストレイ)』、か」

「――()()?」


 鎖鳥の呟きを聞き咎めた白亞が眉をひそめた。


「キナが言ってた。僕の知り合いをここで見たってさ」

「そう……、ですか。思っていたより早いですが仕方ありません。鎖鳥さんの飲み込みが遅くなかったのは幸いですね。差し引きゼロといったところでしょうか。助かりました」

「ええと?」

「魔を狩る時間は終わり――ということです。『螺旋樹廊』へ戻らないと」


 有無を言わせず歩き出した白亞の背を鎖鳥は慌てて追った。


「委員長たちと――僕の知り合いと合流するってこと?」

「鎖鳥さんだけが、ですけどね」


 複雑に入り組んだ通路を進む足を止めることなく白亞は言った。


「今回の召喚式に私は干渉しましたが、事態の流れを『薄っぺら』から奪うほどの力はありません。『鎖鳥さんは術式の誤差で一人だけ時間がずれて喚ばれていた』――奴にはそう思ってもらわなければ、都合が悪いということです」

「んと、何度も召喚式は行われていて、今回は白亞が僕たちを喚んだけど、本来は『薄っぺら』が喚ぶ予定だった。だからそのとおりになっていると思わせないと、身を隠しているはずの白亞に危険が及ぶ。――ってことで理解できてる?」


「私だけではなくて、癇癪を起こした『薄っぺら』が鎖鳥さんたちに酷い仕打ちをする可能性も高いです。なので、巻き込んでいる私が言えたことではないのですけど、本当に気を付けてください」

「誤魔化すことに関しては偽装式もあるし、奴が短気なのだとしても、耐えるだけでいいなら僕は慣れているほうだから大丈夫だよ。心配ない」


 白亞が自責するように声音を翳らせるので、鎖鳥は柄にもなく格好を付けていた。見通せない事態への虚勢でしかない自覚はある。けれど、不思議と悪い気はしなかった。


 そのまま歩き詰めて、魔の巣食う『遺棄指定区画』から吹き抜けの『螺旋樹廊』へと出る。そこに広がる妖精の住処のような回廊を前にして、唐突に白亞の表情が変わった。


 鎖鳥の意識も即座に緊迫したものへと切り替わる。原因は明白だった。


「聞こえた?」

「人の声、ですね。なにかあったみたいです」


 見えない暗がりの奥で、騒ぎの音が次第に増している。

 それは『螺旋樹廊』の下方。『召式円環陣(レイズドサークル)』へと続く方向だった。

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