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03 螺旋樹廊

「それにしても凄い数の本だよね」


 書壁と呼べるほどの書架が連なる通路は『遷花広間(フラワーベッド)』を抜けても続いていた。黒曜竜から逃げきり、静寂の戻った通路は闇が重い。膨大な書物たちに見下ろされていることに息苦しさを覚えた鎖鳥(さとり)は、前を行く白亞(はくあ)に話を振った。


「幻想図書館を造る材料は書架迷宮から切り出していますからね。自然の成り行きです」

「迷宮から?」

「核となる概念や属性、構成素材の適性や相性――多くのことを鑑みれば、近しい因子を利用しない手はないということです。迷宮内にその迷宮を材料とせずに自分の領域を造るだなんて行為は――そうですね、それこそ物語を綴るのに、綴るための言語を作るところから始めるようなものでしょうか」

「使えるものを使わずに手間ばかりかけても、それは本末転倒ってことかな」


 自分なりの理解をまとめた鎖鳥の呟きに、白亞は肯定するように頷いてみせる。


「迷宮に領域を造るということは本来、迷宮を攻略するということですからね。それを考えれば、書架迷宮に図書館というのは理に適っているんです。関係性が近しいほど術式の構築も効率が上がりますから」

「攻略……」

「昔の話です。いまの幻想図書館は、その領域を維持することすら危うい状態ですから」


 話していた白亞が扉の前で足を止めた。彫刻が施された両開きの扉だ。本を取り出すことなく囁くように『書術(ビブロクラフト)』を使った白亞が、おもむろに扉を引き開ける。


「あれ、『魔学書(コーデックス)』はいいの?」

「慣れれば開いて持つ必要はありませんから。初めに見せたのは鎖鳥さんが分かりやすいようにという私の親切心(パフォーマンス)です。感謝してくれて構いませんよ?」


 返すべき言葉に戸惑った鎖鳥は、扉の先へ進む白亞に小声で礼を告げた。続こうとした鎖鳥に彼女は振り返り、首を傾げて問う。


「いま、なにか言いましたか? すみません、聞き取れなくて」

「え、いや、えっと。……あ、ありがとって、言っただけだけど」


 二度、白亞の長い睫毛がまばたきに動いた。


「本当にお礼を言われるとは思いませんでした。真面目なんですね、鎖鳥さんは」


 口元に手を当てて彼女が笑いを零す。くすくすと肩を震わせる少女に、鎖鳥は顔が赤くなるのを感じた。

 礼を口にしただけでも気恥ずかしいのに、それを笑われるのは耐え難いものがある。


「ご、ごめんなさい。そんな顔をしないでください。こんなことでも真剣に考えてくれるのは、美徳だと私は思いますよ?」


 そう言う白亞の声は笑っていた。


「信用できない」

「すみませんってば」


 扉を閉め直す白亞を置いて、鎖鳥は先に続く空間へと踏み入った。

 書壁と光る花は相変わらずだったが、珍しく石造りの丸天井が見えていて、そこには西洋風の四阿(あずまや)といった風情があった。備え付けの椅子とテーブルを見る限り、お茶会くらいできてしまいそうだ。


 それでも、ここは通り抜けるための場所でしかないと示すように、扉のない出入り口が目の前に続いていた。アーチ状に切り取られたその先には、バルコニーのような手すりが見えている。さらにその向こうには闇が広がり、遠くには光のラインが幾重にも並んでいた。


(夜景――っぽいけど。なんだろ……)


 四阿もどきの空間から一歩出る。

 石造りの足場は闇に浮いているようで、広がる光景は――どこか妖精の住処を思わせた。


 吹き抜けの上下どちらにも、内周を描くような光の輪が連なっている。よく見ればそれは小さな光の集まりであり、手すりや柱を這う蔓草に咲く花たちなのだと理解できた。


「これは……、外……じゃなくて、建物の中、なのかな……」


 壁からせり出したバルコニーにも思える足場から、闇が続く周囲を確認する。


 足場からは書壁沿いに左右への道があり、どちらも内周を縁取るように緩やかなカーブを描いて続いている。石材の柱と手すりで造られた頑丈そうな道だ。白く光る花々はランプのように連なり、延々と遠くまで淡い輝きで装飾している。そうして闇に浮かび上がる全景――中央に大穴が空いた形状は、巨大な塔の内部にも見えた。


 ただもしそうなのだとしたら――。


「広すぎる……」


 いままで歩いてきた書架空間が、仮に他の場所にも同様に続いているのだとすれば。

 構造物の全体像は、鎖鳥の知る建物の常識を遥かに超えていることになる。

 そこは幻想的であっても――図書館と呼べる構造物の範囲を逸脱していた。


「あまり見ては駄目ですよ、鎖鳥さん」


 白亞が小走りに駆け寄ってくる。


「この『螺旋樹廊(ヘリカルホロウ)』がいかに術式に守られていようと、闇の底を覗き込むのは賢明とは言えません。私たちの目的地はもう少し上の階層です。行きましょうか」


 促された鎖鳥は頷くほかなかった。

 花々の装飾めいた明かりを頼りに、白亞の小さな背中を追って上へと向かう。


「ここも本ばかりなんだね。――ええと、これも領域を効率的に維持するため?」

「その理解で間違っていません。この樹廊は書架迷宮に寄りすぎていますから、安定と安全を確保するために、この辺りの――」


 白亞は前を向いて歩きながら、手の振りで書壁と『螺旋樹廊』の上下を指し示す。


「書物の配置、書架の配置、それ自体が大規模な術式として機能しています。魔を以て魔を制す――とでも言うべきでしょうか。迷宮内に住むのに必要なこととはいえ、これ自体もまた危険な術式です。下手に動かさないでくださいね」


 淡々と授業を進めるような口調だったが、振るわれる細やかな手指の動きは『いいですか? これテストに出ますから』と言っているようにも見えた。


「動かすとどうなるの?」


 尋ねながら進めた鎖鳥の足先に、なにかが触れた。

 一冊の本だ。左の書壁を見れば、書架の一部に空きがある。


「術式に綻びが生まれます。書架自体にも防壁式や復元式が組み込まれていますから、少々の害意や欠損なら問題はありませんけどね。それに書架の管理を担う司書たちもいます」

「なるほどね」


 鎖鳥は本を書架の隙間へと挿し入れることにした。戻すべき場所が見えているのに放置しておくのは、図書委員として据わりが悪い。


「それにしても凝った装丁だよね」

「絶対に触らないでくださいね。危ないですから」

「え」


 拾い上げた本に目を落していた鎖鳥は動きを止めた。


「な――、なにしてるんですか! 駄目ですって!」


 数歩先で振り返った白亞の目が見開かれる。


「捨ててください! 早く!」


 叫ぶ彼女が駆け寄るその前に――本からは闇が溢れ、持っていた鎖鳥の指へと触れた。

 瞬間、指先に熱さを感じた。

 それが痛みだとようやく理解したあたりで、唐突に本が叩き落とされる。


「馬鹿ですか馬鹿なんですか馬鹿なんですね! もう! ほら早く手を見せて」


 見れば右手の五指が()()()()いた。

 痛みにうずくまる鎖鳥の手を取り、白亞は呪文のように幾節かの言葉を口にした。


「抜粋編纂――、『戻せないものがあると私は知っている。だからこそ触れずに置いておくのだ』『嘆くより前に決断を。午後には失うと知ったのだから』『砕けた杯。濡れない床。そうしてようやく、初めから中身などなかったのだと気づかされる』【compile(つまる)/convert(ところ)】――、虚実真偽を定めるは己が(まなこ)だけ」


 血に濡れていた指が光に包まれる。

 鎖鳥にとって耐え難いほど長く感じる数秒が過ぎ――光が消えると、怪我の痕跡はなくなっていた。

 自由に動く五指を確かめて、走った痛みに顔をしかめる。


「……――っ。ごめん、ありがとう。もうしない」

「懲りないなら見捨てるところですよ。痛みは消さないので反省してください」

「至れり尽くせりだね。配慮が行き届いてる。――心配させてごめん。いろいろと認識が甘かったみたいだ」


 それは心からの言葉だった。鎖鳥は自身の不甲斐なさに歯噛みする。


「べ、別に鎖鳥さんを心配したわけではないですってば! 目的を果たすために邪魔になる不安材料を取り除こうとしているだけで――ああもう、ほら、歩いてください。時間ないんですから」


 指先がまだ痛む。まぶたの裏に傷口のイメージが張りついて離れない。

 削げた皮膚。血塗れた骨。吹き出る赤は自分が流れ出しているような錯覚を――。

 吐き気に口元を押さえ、浅い呼吸を繰り返しながら気持ちを落ち着けた。

 取り乱して泣き言を繰り返す暇はない。


(僕はこの()()のことを知らなさすぎる……)


 もしも白亞に置いていかれでもしたら――その先の想像を鎖鳥は拒絶する。

 考えたくもなかった。

 彼女が鎖鳥の力を必要としていると言ったように――。


(僕にも、……この子の力が必要だ)


 闇が差す『螺旋樹廊』の中、白い少女の背を追って、鎖鳥は痛みに耐えて歩き出す。





 変化の乏しい『螺旋樹廊』を鎖鳥は進み続ける。緩やかに曲がる回廊を歩き、時折現れる階段を何度も上った。通り過ぎた扉の数は多すぎて覚えていない。 


 手すりの先に広がる暗闇を見上げても天井は見えず、それは黒空(くろぞら)(ふた)をされているようだった。けれど、そこに光る花を星と見紛うことはない。


(規則的すぎるし、それに色だって――)


 比べようとして、なぜか頭の中でイメージが明瞭にならなかった。

 見慣れていたはずの星空が思い出せない。


(あれ……、夜空って何色だっけ……)


 星の色。夜の色。それを指し示す言葉は浮かんできても、目の前に広がる黒空を上書きできるだけのイメージが固まらない。()()()()()()()()()()


 鎖鳥はもどかしさを覚えたが、また空を見ればいいだけだと気持ちを切り替える。


「早く外に出たいな」


 独りごちた鎖鳥の前で、不意に白亞が足を止めた。

 声にしたかも不確かな呟きだったが、彼女には聞こえたらしい。周囲に物音はなく、耳に届くのも当然かと鎖鳥は納得した。


「どうかしたの?」

「いえ……」


 顔だけ振り向いた白亞はどこか思い詰めているようにも見え、けれどなにも言わない。


「――ああ、出られないんだっけ?」


 努めて軽く聞こえるように問うが、重く閉ざされた彼女の口が開く様子はなかった。


(でも見つめはする――と。なんなんだろ……)


 戸惑う鎖鳥がさらになにか言おうと口を開きかけた時、白亞は自身の口元に指を当てて「静かに」と訴えた。その表情はすでに緊張の色に塗り変わっている。


「“敵”がきます。やり過ごしますので、息を殺して動かないで」


 黙って頷く鎖鳥の袖を引き、白亞は書架でできた壁際へと動く。


「抜粋編纂――、『嘆きの声は通り抜ける風』『――構うなよ。奴は臆病すぎる』『妖精の話し声というのは、貴方が思っているよりも騒がしい。ほら、草木の音に混じって聞こえるだろう?』【compile(そっと)/convert(淑やかに)】――、沈黙せよ」


 強烈な光はなかったが、光る線が文字列のようなものを描くのは相変わらずだった。身を隠す術式なのだろうと想像はできたが――。


(逆に目立ったりしないのかな、これ)


 しないからゆえの選択だろうと考えを改めている間に、術式は完成していた。

 再び袖を引っ張られた。

 白亞が声を出さずに口の形だけを変えてなにかを訴える。

 すぐに『寄って』とか『近くに』とかその辺りであることは察しがついた。


 言われるままに動くとほとんど密着するような姿勢になり、鎖鳥は気まずさで指先ひとつ動かせない。彼女の白銀髪が顔のすぐ近くにあり、息を吸うのも吐くのも無駄に緊張を誘った。

 抱きかかえた時の柔らかさも思い出してしまい、鎖鳥がそれをかき消すのに必死になっていると、次第に近づいてくるなにかの音が聞こえてきた。


 その異質な気配は頭を冷やすのに十分すぎた。

 影でできた猿のような巨獣。

 丸太のように太い腕をもったそれが、鎖鳥たちの目の前をゆっくりと歩いてゆく。

 よく見れば、目がひとつしかない。

 単眼の影姿は異様の一言だった。

 突然こちらを振り向くのではないかという不安を飲み込んで、息を殺す。

 鎖鳥はじっと通り過ぎるのを待った。


 拳で床を突くように四足歩行して去ってゆく影の巨猿を見送って、しばらく。白亞の体から力が抜けたのが分かった。続いて彼女は深く長く息を吐く。


「もう、平気です」


 言われて、鎖鳥も息を吐いた。

 二重の緊張から解放され、額にかいた嫌な汗を拭う。


「いまのが私の“敵”――、の手であり足であり目であり耳である存在。()の手駒である『六式魔(ヘキサハイド)』の序列・五です。使い魔のようなもの、と言えば分かりやすいですか?」


 再び歩き始めた白亞を鎖鳥は追った。


「使い魔、か。あんな化け物を従えてる奴と仲が悪いの?」

「奴は私を所有したいと考えています。そんなの、お断りですけど。でも私は逃げ隠れするくらいが関の山。それも自分だけで手一杯です。どう足掻いても、鎖鳥さんは遠からず見つかることになりますね」


「それが急いでいた理由?」

「そうなります。ですが、奴に見つかっても、私のことを黙っていれば平気ですよ。召喚式で喚ばれた人材は貴重ですから。ただ、あまりに使えないと、その限りではありません。奴の場合、無思慮に処分することだって――。ですから私の目的を果たすためにも、『喚ばれた者(アストレイ)』としての有用性を――、あなたには価値があるのだと示す必要があります」

「価値……?」


 白亞を追う足が鈍る。


「そんなの――」


 無理だと思った。

 誰にも期待されない自分に価値はなく、有用性は示せるはずがない、と。

 ただそれでも、続く言葉は声にしたくないと感じ――鎖鳥は口を噤む。


「戦える力がなければ、扱いは悪いです。でも、大丈夫。『書術』を教えるくらいの時間はありますから。鎖鳥さんなら、なにも問題ありません」

「な、なんの根拠があって――」

「私が喚びましたから。適性は間違いなくあります。力を得るのに不都合はありませんよ」


 なんの気負いも感じさせず告げる白亞に、鎖鳥は押し殺した声で言った。


「僕のことをなにも知らないから、そんなことが言えるんだよ」


 なにをするべきかなんて決まっているのに、澱んだ感情が邪魔をして進めなかった。

 吐き出したところで解決はしないと思いながらも、鎖鳥は続ける。


「誰かに認めてもらうのは簡単にはいかないし、やっても無駄なことだって多い。適性があったって、認められるほど強くなれるかなんて分からないじゃないか」

「それは――」


 前を歩いていた白亞が振り返る。


「『書術』を覚える気はあるということですよね。たとえ難しくて、無駄になることがあると知っていても、認めさせる気はあるということですよね」


 いつの間にか少し離れてしまっていた距離を詰めて、白亞は鎖鳥の前へと歩み寄る。


「鎖鳥さんが無理だと投げ出してしまわないのなら、なにも問題ありません」


 向かい合って立ち止まり、けれど鎖鳥は少女の顔を見られなかった。


「どうして、そんなことが言えるのさ……」

「どうしてでしょうね」


 瞑目するような一呼吸のあと、白亞は芯のある声音で静寂を震わせる。


「でも、信じています。私は鎖鳥さんに期待します。――だめですか?」


 静かに響き、問われた声に――鎖鳥は自然と顔を上げていた。

 瞬間、魅入られる。新緑の瞳から目を逸らせる気がしなかった。

 彼女のうかがうような視線は、身長差から自然と鎖鳥を覗き込む形になっている。


「――――っ」


 気恥ずかしさから返答に窮する様を見て、白亞はくすりと笑った。


「だめでも勝手にそう思いますけどね」


 その身をひるがえした少女の白銀髪が踊り、花の光を返して揺れる。

 反論は、できそうになかった。

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