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02 遷花広間

 歩調が合わない。

 そんな状態のまま、どれだけ歩いただろうか。時間を確認しようにも、コートのポケットにはスマホが入っていなかった。上から叩いて制服のほうも確認してみたが、それらしい凹凸(おうとつ)はなかった。どこかで落したのか、あるいは忘れたのか――。


(そういえば、鞄もないや……)


 目覚めた時にはすでに手にしていなかったように思う。召喚前に落した線が濃厚だと予想を巡らせ、益体もない思考を重ね――そうやって意識を別のほうへ向けてはみるが、あまり意味はなかった。


 なにを考えたところで鎖鳥(さとり)の神経はすり減り続ける。

 繋いだ手の柔らかさが落ち着かず、歩きづらい現状が心を戸惑わせる。


 高校生活で身長的にも埋没していた鎖鳥にとって、自分よりも小さな相手――ましてや女の子に、手を引かれながら歩いている状況は奇妙の一言に尽きた。


 年下との交流もなかったし、そもそも誰かと並び歩いたことがない。

 強引に記憶を掘り起こしてみても、思い浮かぶのは、図書委員の仕事で教室から図書室へと向かう時のことくらいだ。同じ図書委員の女子に誘われるまま、一度とは言わず一緒に()()をすることはあった。


 ただ、彼女はいつもすたすたと一人で先を歩いていたので――それは『並び歩いた』数には入らないだろうと、鎖鳥は深く息を吐き捨てた。


(あんなの、同じ時間に同じ場所へ向かっていただけだ……)


 ゆえに、どうやって歩調を合わせようかと悩んだこともなかった。鎖鳥は不安定な足取りに耐えかねて、繋いだ手の先――半歩前を歩く少女に問う。


「どこまで行くの?」

「まずは『遷花広間(フラワーベッド)』を抜けて、この場を離れます。長居は避けるべきなので」

「迷宮……幻想図書館だっけ? 外まで出れば安全ってことなのかな。それで、ええと、その、いつまで、手を……? ――まさか迷宮を出るまでなんて言わないよね」

「迂闊に離れたりすれば隠蔽式の効果が途切れます。襲われないために必要(ベター)な選択だと思いますけど、なにか? また逃げようなんて思わないでくださいね。私、隠れるのは得意ですけど、追いかけるのは苦手なんです」


 話しながらも歩みを止めることはない。振り返らない少女の白銀髪を眺めながら、鎖鳥は迷宮と図書館の雰囲気が混在する迷路のような道を進んで行く。


 天井は高いはずなのに、闇が重くて息苦しい。


 道は似たような景色ばかりな上に、折れたり曲がったり上ったり下りたりするので、どこをどう進んでいるのか完全に分からなくなっていた。


「それと――、“外”には出られません」


 少女の呟きは先ほどの言葉を継いだのだと理解して、鎖鳥はオウム返しに問う。


「出られない?」

「ええ。でも大丈夫ですよ。館内には安全な場所もありますから。むしろ『召式円環陣(レイズドサークル)』に近いこの場所のほうが特殊なんです。それでも本来なら魔物の駆除はもっと徹底すべきなんですけどね。――この管理は雑すぎます」

「重要な場所なんだ?」

「鎖鳥さんのような『喚ばれた者(アストレイ)』を迎える場所ですからね。だから普通の神経で管理をしていたら、『召式円環陣』の近くに魔物が湧いているなんてこと、耐えられるはずがないんですけど……」


 愚痴にも似た呟きに変わるのを横に、鎖鳥は目覚めた場所のことが『レイズドサークル』で、自分のような異邦人は『アストレイ』と呼ばれるのだと頭の中で整理する。


「いろいろと詳しいようだけど、君は何者? ここの(あるじ)とかだったり?」

「まさか。私はただの『書術(ビブロクラフト)』使いですよ。彼女のような『魔法使い』にはなれません。ここの(オーナー)は言ってしまえば神様みたいなものですから。――さすがに少し大げさですが。ただ、いまとなっては姿を見せることもない偉人という意味では、あながち間違っていません」


 それはまるで顔を知っているかのような物言いだった。

 なるほど、と鎖鳥はひとつ頷いて、得心したとばかりに告げた。


「凄いね、神様と知り合いなんて。確かにそれなら異世界召喚なんて大仰な真似ができても不思議じゃない。君って神の御使い――天使とかそういう類の存在だったり?」

「こ、誇張表現って言いました……! わ、私は凄くありませんってばっ」


 半ば冗談のつもりだったが、そうは受け取ってもらえなかったらしく、憤慨した少女は顔だけ振り返って鎖鳥を睨んでくる。


(いや、怒っているというよりこれは――、照れている……のかな?)


 そこには口調からくる大人びた印象はなくなっていて、無垢にも思える無防備さが白皙の頬を赤く飾っていた。――それを目に映した鎖鳥は、唐突に湧いた衝動に抗えなかった。

 思わず口からこぼれる、からかいの言葉。


「謙遜しなくても。僕からすればどう見ても凄い魔法使いなんだしさ」

「だ、だから違いますって!」


 振り返るだけでは足りなかったらしく、少女は立ち止まってまで否定する。

 ふぬぬぬ――と睨む顔は赤く、幼さが増して見えた。


「違っていてもいいよ。僕が君を凄いと思っていることには変わりがないから」

「な――――」


 さらに顔を赤く染め、少女が動きを止めた。

 そして徐々に震え出す。目元に薄っすら光る線があった。


「ああもう! 勝手に言っていてくださいっ。知りません!」


 言い捨てた少女の背が遠ざかる。手は解放されていた。

 鎖鳥は自分の手を眺め、次にまた少女の背を見やる。

 呼び止めようと思ったが、名前を知らないことに気づき――声を飲み込んだ。

 慌てて追いかける。


 あまりの情緒不安定さに鎖鳥は少し驚いたが、彼女と認識している現状に乖離があるのだろうから、それも当然だと思った。少女の抱える問題は、思っているより逼迫しているのかもしれなかった。


(異世界召喚の定番なら、勇者と魔王――世界の危機ってところだろうけど)


 書物を燃やすという目的と、その想像が繋がる気がしない。

 少女の小さな背中を見ながら思うのは、もっと彼女のなにかに関わるような事柄なのではないかということくらいだった。


 頭上に続く闇の重さは相変わらずで、白い少女はそれを背負いながら歩いている。

 さすがに彼女も鎖鳥を置いていく気はないらしく、追いつくことは簡単だった。


「言い過ぎたよ、ごめん。謝る」

「別に謝らなくても結構です」

「いや、でも、魔法が凄いと思ってるのは本当なんだって」


 少女の肩が少し震えたが、脊髄反射的な否定の言葉は返ってこなかった。

 代わりに、前を見たまま静かに告げてくる。


「魔法ではなくて術式です」


 拗ねたように口を尖らせて、少女は続けた。


「『書術』によって起こす現象は多様で名称も多岐に渡ります。『書術』以外の形式で起こす現象も同様です。そしてそれらをひと括りにする場合は魔法とは呼ばず、術式――と、そう呼びます」


 心を落ち着ける呪文のように、律儀な解説が少女の口から紡がれる。


「術式は世界に満ちる『幻想因子』に働きかけることで、文字通り幻想と呼べるだけの現象を引き起こします。その粋を凝らした場所こそが幻想図書館であり、『幻想因子』を集めるために書架迷宮内に造られた『魔法使い』の()()です。そして、その集積した『幻想因子』を純化した際の不純物を処理している場所が――」


 踏み入ったのは、次第に明るさを増していた道の先。


「ここ――『遷花広間(フラワーベッド)』です」


 開けた空間がそこには在った。

 それは鎖鳥の見てきた書架空間とは一線を画し、その名のとおり花畑を思わせた。


 光を零す花々が敷き詰められている。吹雪くように花弁が舞っている。


 見仰ぐ黒空に向かって光片のような花弁たちが散ってゆく様は、たとえそれが術式による不純物の処理なのだとしても――『幻想』という表現こそが似合っていた。


 満ちる静謐が肌を撫で、突き刺すほど()()()()光景が身震いを誘う。


「私は凄くありません。『召式円環陣』という『魔法』を動かすための術式――召喚式を扱えるだけです。ただ少し『書術』に詳しいだけの、半端な存在ですよ」


 一歩進み出た少女が振り返り、自嘲するように儚く笑った。


「ここを抜けたら、もう簡単には戻れません。鎖鳥さん――、帰りたいですか?」

「まるで、そう思うのが普通みたいな言い方だ。――僕は違う。帰りたいとは思わない」


 不安の色で滲むようにも見えた新緑の瞳が、鎖鳥の言葉に少しの間だけ伏せられる。


「変わっていますね、鎖鳥さんは」

「凡庸だよ、僕は」


 告げあって交わした視線は、どこか互いに距離を測っているようにも感じた。


(ああ……、そっか。僕がこの子のことをなにも知らないように、この子も僕のことをなにも知らないんだ。それなのに、たぶん、決めなければいけないことがある)


 闇の中、先があるかも分からない道へと踏み出すように。


(そんなの、怖くて当たり前だ。――それなのに、僕ばかり寄りかかっていた)


 ただ蒙昧に凄いとだけ相手を賛美して。

 なにも見ずなにも考えず、すべてを押し付けていた。

 彼女を褒め称えた心の裏に、重荷から逃げたいだけの思考停止すらある気がした。


「――――」


 なにかが言いたくて、けれど言葉にはならない。

 鎖鳥の肩口に刺さる光の枝矢が効力を失ったのか、闇へと霧散してゆく。


「あのさ」


 短く声にする。

 劇的には変われないゆえに、平凡すぎる普通の言葉。

 退屈な人間なのは自覚済み。だからせめてと、鎖鳥は少女から目を逸らさず口にした。


「いまさらだけど、まだ名前を聞いていなかったよね。――教えてもらえるかな」

「――ん、そうでしたね。名乗っていませんでした、すみません」


 佇まいを正した白銀髪の少女が、咲き乱れる光の中で一礼した。


「私は胡桃樹白亞(くるみぎはくあ)


 流れ揺れる髪が花片の煌きを映して返す。


「白亞――で構いません。どうぞよろしくお願いしますね、朽鍵(くちかぎ)鎖鳥さん」

「ありがとう。こちらこそよろしく」


 ようやく彼女との距離が少し知れた気がして、鎖鳥は笑みを浮かべて返せた。


「では、ここを抜けるのに必要な術式を使いますね」


 告げて紡がれ始める詠うような白亞の声音。


「抜粋編纂――」


 けれどなぜか唐突に――、その姿が二重写しに見えた。

 音が遠ざかる。皮膚感覚が曖昧になる。

 まるで酔っているかのような――。


「『聞こえないとは言わせないぞ、古き友』『故無き理の棘が苛む痛みは心を蝕んだ』『どちらの? 選ぶ必要は無い。たどり着く場所は共に奈落なのだから』」

 ――()()を自分以外のなにかと同時に見ている()()()

「【compile(どうか)/convert(いまだけは)】――、邪魔をしないで」


 よく視えているし、よく聴こえている。

 一字一句(たが)うことなく繰り返せる。その()()が鎖鳥を困惑させた。


「どうかしました?」


 術式を完成させたらしい光が収まり、白亞が不可解そうに鎖鳥をうかがい見る。

 その彼女の背後で――黒い霧が渦巻いていた。

 光る花々では到底払えない色濃い黒霧が、瞬時に形を成してゆく。


「――――!」


 生まれたのは――、黒い竜。

 頭にねじれた二本角。痩せた甲蟲のような体躯。鎌のような四肢。槍のような尾。伏せるような姿勢なのに曲がった背中の高さが三メートル近い。


 その黒い竜の鼻先が、白亞へと迫っていた。


 すべては瞬間のことだ。

 詳細を観察している暇はなく、けれど黒曜石のような牙は垣間見えた。

 届けば一瞬で見るに耐えない姿になるであろうことは想像できる。

 叫ぶことももどかしかった。注意を促したところで間にあわないように思えた。


 鎖鳥は咄嗟に白亞の手を握る。

 彼女の指は小さく細く、だけれど確かな体温を持っていて。

 それを強く引き――、かばうように抱き寄せながら倒れ込む。


 無駄な抵抗だと考える余裕はなかった。無意味な足掻きをしたのは思考が乱れていたからだろうと結論付けて、鎖鳥は次の瞬間に訪れるであろう死を待った。


 けれど――。

 いつまで待っても死は訪れず、腕の中の少女が呟いた。


「あの」


 いつの間にか閉じていた目を開ければ、溢れる花の光に彩られた――戸惑う白亞の顔が間近にあった。揺れ零れる光が、言葉を紡ぐ彼女の唇を照らす。


「この子、いまは襲ってきたりしません。あなたのほうが余程危ないです」


 言われて鎖鳥は自分の所業を鑑みる。

 帰結は即座。結論――、突然女の子を抱き寄せて押し倒した不埒者。


「ご、ごめんっ」


 鎖鳥は慌てて白亞から離れて上体を起こしたが、なぜか彼女は花々の上に倒れたまま動こうとしなかった。気まずさから逃れようと、原因となった黒い影へと目を向ける。


「でも、ええと、この子……?」


 鎖鳥は顔を引きつらせながら、動かない黒い竜を見上げた。


「黒曜竜『千影(せんえい)』。書片(フラグメント)・第94節です」


 聞き慣れない言葉を鎖鳥は口の中で繰り返すが、白亞がそれらの詳細を教えてくれる様子はなかった。仰向けのままの難しい顔をした彼女は、深刻な声で告げ始める。


「あの」

「なに?」

「凄く困りました」

「どうしたのさ?」

「術式が解けそうです」

「――うん?」


「集中が途切れてしまって。このままだと千影に襲われます。術式の暴走と表現しても差し支えない状態ですが、こうなると影響を受けながらも行き場をなくした『幻想因子』が術者へと呪いのように返ります。対応可能な範囲内ではありますが、しばらくは処理に追われて手一杯です。まともに動けません」


 律儀に解説しながらも顔色が悪い白亞は、傍らで膝をついて話を聞く鎖鳥を睨んだ。


「言いたくはないですけれど、鎖鳥さんのせいですからね。――逃げましょう」

「あとで謝らせて。――ええと、引き返せば平気?」


 いまきた道ならこの場から距離もない。狭い場所へ逃げ込むのも簡単なように思えた。


「駄目です。再チャレンジする余裕なんてありません」

「ここを抜けろって? 起き上がれないんだよね?」


 広間には他にも幾本も道が通じていたが、そのどれもがこの場から遠い。いまきた道が本道で、他は支道といった雰囲気だ。


「あの。これは合理的な判断に基づく提案なのですが。――その、つ、つかまるくらいなら……できます、よ?」


 顔を逸らしながら白亞が告げてくる。


「ふ、普段から私は姿を隠していますから、だからその――いまも『にぶんのいち』くらいにはなっています。運搬可能な程度には――っふあ!?」


 また解説が長くなりそうだったので、鎖鳥は途中で白亞を抱き上げた。

 思いのほか軽かったので、横抱きにしたまま走り出す。黒曜竜の陰でいつまでも話しているなんて耐えられるはずがない。


 黒曜竜の長い首が動き出すような胡乱な気配を背に、鎖鳥は『遷花広間』を駆けた。

 踏み荒らしている花々が可哀想だったが、床の上に這う蔓草は天然の罠と化していたので遠慮はしていられない。こんなにも速く自分は走れたのかと思いながら、鎖鳥は叫ぶ。


「どれ!?」


 道のことだ。


「あれですあれ!」


 鎖鳥にしがみついた白亞が答える。

 無理やり向けられた鎖鳥の首は痛かったが、目的地は理解した。

 あとは真っ直ぐ走るだけだった。





 空の黒と光の白が花片によって交じり合っていて、目に優しくない。

 暗くて明るい世界の中で、光が散る音を聞き、動き出した竜の足音を聞く。

 広間を震わせる咆哮に背中を押され――走る。


 鼓動が早鐘だ。

 原因なんていくらでも挙げられる。けれど深く考えてなどいられない。

 女の子を抱きかかえて竜から逃げるだなんて、凡庸さからかけ離れすぎている。


 こんなのもう、笑うしかない。

 腕に抱いた相手にドン引きされようと構うものか。


 だっていま、

 世界に刻まれてゆく出来事が、

 退屈な自分にはあまりに不似合いすぎて、

 だけれど――、だからこそ――、どうしようもなく胸に迫るのだから。

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