表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/20

12 幻想図書館

 鎖鳥は『労働奉仕区画(ワーカーズブロック)』での準備を終えて、住人たちの居住区画とは少し離れた位置にある『喚ばれた者(アストレイ)』用の専用居室(ルーム)で床に就いた。けれどすぐには寝付けず、目は冴えていた。


 割り当てられた個室は簡素ながら清潔で、寝台の寝心地も悪くはない。書片(フラグメント)を捕獲し続ける限りにおいて、得られる環境は厚遇されていた。

 上体を起こした鎖鳥は寝台の上で座り込み、冷たい鉄と人造石の壁を見るともなく見た。


(あの露商の人、今日はいなかったな……)


 膝を抱えた腕に頭を乗せる。壁では灯花の光が朧に揺れていた。


(明日はいるかな。……いるといいな。委員長用の蜜石も残り少ないし)


 痛むような気がした目を一度閉じて、一呼吸、それから窓の外を眺め見た。


「――――」


 そこに認めた姿に、鎖鳥はひとしきり悩んでから動き出した。

 建物の裏手。

 構造物に囲まれながらも少し開けた空間を、灯花が(オレンジ)に染めていた。


 部屋から認めた時と変わらない姿がそこに在る。普段ならばスキルの運用を試したりと動きまわる場所で、委員長は静かに瞑目していた。

 訪れるまでに踏んだ小砂利の音は明らかで、気づかれていないはずはなく、けれどかけるべき言葉を見つけられないまま、鎖鳥はその場所に立ち入っていた。


朽鍵(くちかぎ)か」


 向けられた委員長の顔つきはいつもと変わらない。

 自然と、鎖鳥の口からは言葉が出ていた。


「どうしたんですか、こんな時間に」

「考えることが多かったからな。少し頭を冷やしてた」


 夕食後に三人で話し合った内容を思い出して、鎖鳥は同意するように小さく顎を引く。

 捕獲した書片をフリムジーに渡した委員長は、その時のやり取りからキナのような対立者の存在を感じ取れたと鎖鳥たちに言った。手ずから動いている『司書長代行』が『管理司書区画(テーカーズブロック)』の手綱を握れていないのは明白で、ならば敵視する存在がいること自体に不思議はない。


(けど、だからって、敵の敵が信用できる味方とは限らない)


 いまのところキナのことは報告しないと決めている。けれど、帰れると言ったキナを信じて動いた結果、黒曜竜を相手に使い潰され、『召式円環陣(レイズドサークル)』で嘲笑われる――その可能性を払拭できないまま、鎖鳥たちの話し合いは終わっていた。


「俺が労働奉仕者(ワーカー)たちから聞いた話だと、帰れた『喚ばれた者』もいる()()()。手段が曖昧で都市伝説的な扱いだったけどな」


 言って零した委員長の笑いは苦い。


「なあ、朽鍵」


 不意に変わった声色に、鎖鳥は息を呑んだ。

 目が逸らせない。そうしてはいけないのだと思えて、迂闊に立ち入ったことを悔いた。

 委員長が静かに告げる。


「俺は帰りたい。家族の顔が見たい。いまごろ泣いてそうな妹にも謝らないといけない」


 口元を苦慮で歪ませる委員長に対して、鎖鳥はなにも言えなかった。


「フリムジーから渡された資料も残り少ない。考えたことはあるか? 書片を集め終わったらどうなるのか。用済みになった俺たちに、奴が優しくしてくれるなんて考えは――さすがに抱く気になれない。だから、時間はいつまでもあるわけじゃない」





 蝶が舞い逃げるような『幻想因子』の流れを追って、ひたすらに足を動かしていた。

 書架に囲まれた薄暗い通路に鎖鳥たち以外の気配はなく、それは魔物が跋扈する『遺棄指定区画』にしても少し異質に感じられた。不安からか、鎖鳥の隣で桜華が小さく呟いた。


「ここ、さっきも通った……よね?」

「そうだね。四度目かな。迷うのは織り込み済みだけど――委員長、どうします?」


 探索している間にも構造が変化しているらしいこの一帯からは、ただ脱出するだけでも時間がかかる。前を行く委員長に問いはしたが、引き返す頃合いだろうと鎖鳥は思った。


 連日繰り返した作業のような日々は単調ながらも順調だったが、いま狙っている書片・第72節には梃子摺らされている。鎖鳥の意識下に展開した『地図(マップ)』はこの一帯を埋めているというのに、ここ数日は迷うばかりで成果が挙がっていない。手詰まりを感じているのは共通の認識なのか、鎖鳥だけではなく桜華と委員長も表情は暗かった。


「どうする――か。今日もなにも進展がない。それらしい『幻想因子』の流れを見かける以上、書片がどこかに潜んでいるのは間違いないんだ。迷いながらでも探すしかない。まだ切り上げるには――」


 振り返らずそこまで続けた委員長は、不意に言葉を切った。


「――――?」


 桜華が小首を傾げて待つ前で、委員長がゆっくりと向き直る。


「戻るか。いまのままだと見つかりようがないって手応えも、ある意味で収穫だ」

「見つけられる気しませんもんね」


 どこかほっとしたように微苦笑して、桜華も委員長の言葉に追従した。

 委員長の判断に鎖鳥は頷いて、周辺の情報を拾い直すと、帰る道筋を幾通りか意識下の『地図』に反映させる。委員長が『記述形成(デバイスクリエイト)』の(くさび)で構造変化しない箇所を作っていなければ、時間がかかるどころの騒ぎではなかった――と鎖鳥はひとり嘆息した。


「あの。楔をたどってもまだ距離があるので、少し休憩したほうがいいかなって」

「もっともな提案だ」「あたしも賛成(さんせー)。疲れちゃった」


 委員長が人好きのする笑みで頷き、桜華が気の抜けた息を吐いて瓦礫に座った。

 口の中で酷く甘い蜜石を転がしながら、静かに疲れが抜けるのを待つ。飢えも渇きも消える甘さに、けれど鎖鳥は渋面を作った。


 以前より入手の手間は増えている。甘くない蜜石も手に入りそうにない。汚れた廃材の転がる『労働奉仕区画』の路地に、鎖鳥はもう足を運んでいない。角を曲がった先の路地に誰もいないことを確かめ続けるのは、無意味なことだと思えたからだ。


「どうかしたの? 疲れちゃった系?」

「ああ、うん、そうかも。ありがと、煤朱鷺(すすとき)さん」


 言って、鎖鳥は曖昧に笑う。照れたように手を振って返す桜華から視線を外し、弁解を言い募る声を聞きながら周囲の闇を見た。


「だからね、別に気になったとかそういうのじゃ、なく、て――? あれ、いま」


 灯花が照らしきれない書架の隙間で、一瞬、闇が揺れた。


「なにが動いたな」


 腰を上げた委員長に、鎖鳥も隙間を注視しながら頷いて見せる。


(魔物――? そんな反応はないけど、警戒はしたほうが――)


 その思考が中断されるのは早かった。隙間から小さな影が飛び出してきたからだ。

 深く考える暇もない。


「ひゃ――!?」


 跳びかかられた桜華が声を上げた。


「煤朱鷺さん! い、いま引き剥がすから!」

「煤朱鷺、あまり動くなよ。そのまましとめ――」

「待って! 待って二人とも!」


 急襲の対処に動く鎖鳥と委員長を、必死な声で桜華が止める。


「だ、大丈夫! これ、この子、敵じゃない。落ち着いて。平気。大丈夫だから!」


 小さな黒い()()を胸元で守るように抱く桜華の様子は、どう見ても魔物に襲われた類のものではなかった。


「それって――」


 黒い四足の毛玉。

 小さく「にゃあ」と鳴いたかと思えば、頭を桜華に擦り付け、再び「みゃあ」と鳴く。見覚えのある姿かたちは逆に新鮮だった。


「――小猫?」

「っぽい。どうしたんだろう、この子」


 黒い小猫に敵意は感じられず、様子をうかがった桜華相手に必死な鳴き声を上げ始める。


「みゃあ? みゃあ! みゃっ!」

「なにか訴えてるけど……。この子、お腹でも空いてるのかなぁ」

「んなーう、にゃうふみゃあ……」


 小猫を抱きながら相好を崩した桜華を眺め、鎖鳥は首を捻る。鳴き声がどこか否定するような響きに聞こえたからだ。委員長も口元に手を当て、小猫を見定めるように視線を送る。


「こんな場所にいるんだ。普通の猫だとは思えないな」

「みゃあ!」


 委員長の言葉に、小猫が得意げにも聞こえる声で鳴いた。


「言葉が分かる――なんてことも、あり得なくはないのか」

「みゃあ!」


 桜華の抱く小猫と難しい顔で委員長が見つめ合う。


「えと、あの、委員長。なんだか顔が本気っぽいですよ?」

「当然だろう。俺は真剣だからな」


 桜華が困った顔で鎖鳥を見た。

 返答に窮した鎖鳥は肩をすくめるほかなく、委員長は変わらない声音で問いを口にする。


「そうだな……、俺の言葉が分かるなら、三回鳴いてみてくれ」


 抱かれた小猫に向かって三人の視線が集まり、固唾を呑む沈黙が訪れた。

 じらすようにゆっくりと、小猫はまばたきを繰り返す。

 それはまるで「なぜそんなことを聞くのだろう」と戸惑っているようで、じっと見続ける委員長を相手に小猫は「しかたないなあ」と呆れでもしたように口元をひくつかせる。

 その様子はやはり言葉を理解しているように見えて――。


「みゃあ、みゃあ、みゃあ」


 肯定するように三回響いた鳴き声に、鎖鳥と桜華を思わず顔を見合わせた。





「この子、迷子なんでしょうか?」

「こんな場所に立ち入るのは俺たちくらいかと思ったが……。誰かみたいに近道でもしようとしたのかもな」


 その言葉に桜華が不満顔でひと睨みするが、委員長は気にした風もなく小猫との会話へと戻った。黒い小猫は言葉は理解できても話せない。情報を引き出す作業はいくらかの根気を必要としたが、鎖鳥たちから離れようとしないことから問いかけの着想は得やすかった。


「僕たちと一緒にこの区画から出たいとか?」

「みゃあ!」


 鎖鳥の呟きに肯定のひと鳴きが返ってくる。


「わ、正解? 凄いね朽鍵くん」

「みゃあ!」


 問いかけに対して肯定(イエス)なら一回、否定(ノー)なら二回鳴くようにと初めに委員長が取り決めていた。意図が通じたと理解したらしい小猫は、続けて懇願するように何度も鳴き始める。


「うわあ、なんか切実そう……」

「朽鍵、言うな。余計にそう聞こえてくる。それと、そんな目でこっちを見るな、煤朱鷺」

「だ、だって、迷ったら心細いに決まってるじゃないですか。委員長! この子、置いて行くなんて言わないですよね!?」


 返るのは委員長のため息だったが、それだけだった。「好きにしろ」と告げられた桜華は「やったあ!」と小猫を掲げ上げる。


「……いいんですか?」


 苦笑して離れた委員長に、鎖鳥は小声で問いかけた。


「警戒はするさ」

「ですよね。無害っぽくはありますけど」

「書片に繋がる手がかりにでもなれば重畳ではあるからな」


 言った言葉を信じていない口振りで委員長は歩き出した。


(藁にも縋る――的な……?)


 浮かれた桜華に出発の声をかける委員長を見ながら、鎖鳥はそんなことを考えた。





 帰途に就いた鎖鳥たちは『螺旋樹廊(ヘリカルホロウ)』近くの『遺棄指定区画』で足を止めた。


「なんてこと! ああ、なんてことだ! キミたちがそいつを見つけてくれたのか!」


 機械魔女のキナがそう言いながら現れたからだ。


「ふみゃあ……!」


 唐突な歓喜の声に桜華の腕の中から黒い小猫が飛び出していく。

 あまりのことに口を開けて見ているだけしかできない鎖鳥たちの前で、キナと小猫が滑稽と評せるくらい感動の再会を満喫し始める。


 小猫を抱き止めたキナはその場で感情のままくるくると踊りまわり、演劇のような口調で大仰に再会の喜びを口にする。「本当に本当に心配したんだぞ!」「ふみぃああぁぁ」感極まったとばかりに小猫が鳴き、そうしてようやく問える程度に鎖鳥の頭が動き出した。


「えっと、なにがなんなの? なんなわけ?」

「こいつはワタシの使い魔なのさ。ずっと迷子になっていたんだ。それをキミたちが連れ帰ってきてくれた。感謝しよう。ああでもそれにしても!」


 小猫を抱き寄せて、キナは何度も頬擦りする。


「ふみぃ……」

「そうかそうか『書架の迷い路』に。見つからないはずだ。そして抜け出せないはずだ」

「まよいじ? って言うのね、あの場所」


 桜華の呟きに、キナはしたりと頷いてみせる。


「ああ、そうだよ。入れば二度と出られない――なんてのは、出所が不明の妄言に過ぎないけれど、厄介な場所であることは確かだからね。折々に書架がその並びを変えるのにはキミたちも手を焼いているのでは?」

「あたしたち第72節を見つけられずに、もう何日目だっけ……?」

「迷いに迷ったからこそ、その小猫を見つけられたとも言えるな」


 桜華はがくりと肩を落としたが、委員長は値踏みするようにキナを見た。


「ふむん」


 ガラスの目玉の中で蒼焔を揺らし、キナは委員長の視線を受けてみせる。


「確かにね。偶然とはいえ、こうして連れ帰ってくれた裁量には応えるべきだとワタシも思っているよ。直接動く余裕なんてものはありはしないけど、そう――例えば、『迷わずに書片・第72節を見つける方法』なんてものを、キミたちに教えることは簡単だ」

「か、簡単って――あなた知ってるの!?」


 桜華が驚きに声を荒らげると、キナは鷹揚に頷いてみせた。


「知っているとも。律儀に迷っているということは、キミたちは随分と行儀がいいのだね。それは美徳だとは言えるかもしれないけれど、やや視野が狭いと言わざるを得ない」

「もったいぶらないで教えてよ。ねえ、どうすればいいの?」

「まあ落ち着きたまえ。『幻想因子』の流れは追えているんだろう? けれど、肝心なところで書壁が邪魔して追えなくなり、迷っているうちに遠ざかる――そんなところだとワタシは予想するけれど?」


 言い当てられた現状に、鎖鳥たちは口惜しさから押し黙るしかなかった。


「うむん。だとすれば、やはり単純な話さ。邪魔な書壁は()()()()()()()()()


 その答えの意味を飲み込むのに一拍、生じた驚愕を口にできるまでにさらに一拍。


「な――」「え――」「あ――」


 委員長、桜華、鎖鳥がそれぞれにキナの言葉を咀嚼する。


「こ、壊せるの?」


 率直な問いを桜華が口にして、委員長と鎖鳥は難しい顔のままキナの様子をうかがった。


「管理の手を離れた書壁だからね。施された術式は脆くなっている。いまのキミたちならば壊せない道理はないよ」

「そっか、そうなんだ。言われてみれば、切り壊せそうな気がする――かも?」

「相応の消耗はするだろうけれどね。それでも惜しんで迷うよりかはいいだろう?」


 桜華は両の拳を握って何度も頷き返した。

 ここ数日間の暗澹を払拭する明確な解を得て、鎖鳥たちの顔から疲れの色が薄れていく。


「道を塞ぐ書壁それ自体が突破口になるとはな。思い至らなかったことを悔やんでも仕方はないが……」

「迷わせてくる道ばかりなら、壊して通ってしまえばいい――なんて、豪快すぎですよ。委員長がそんな突飛な発想ばかりする人だったら、僕は心配で夜も眠れません」


 深く息を吐き出す委員長に、鎖鳥は軽口で応じてみせる。


「酷いなあ、クチカギくんは。それだとまるで、ワタシが繊細さの欠片も持ち合わせていないみたいじゃあないか」

「…………、違うって言うの?」

「ワタシの心臓はガラスでできているんだぞ。傷つきやすいんだぞ」

「…………それって、どこまで比喩なわけ?」


 胡乱な目で問う鎖鳥の前で、キナは「むむぅ」と不満に口を尖らせる。

 そんな奇妙な睨み合いは、おずおずと取り成すような小猫の鳴き声で終わった。


「それにしても、そうか、そうだね。『書架の迷い路』に取り込まれないだけの格はあるのか。キミたちはワタシが思っていたより随分と優秀らしい」


 キナはガラスの目玉を動かし、そこに燈る蒼焔を瞬かせる。


「やはり素養はあるのかな。時間もないことだし――、ふむん」


 抱いた小猫をひと撫で。


「よろしい。ワタシも本格的に協力してあげようじゃないか」

「それって」


 桜華が身を乗り出す。


「キミたちが『召式円環陣(レイズドサークル)』に近づけるよう手引きをしてあげるということさ」


 それを聞いた委員長が、やや唸るように息を吐いた。


「その言い方だと一緒に戦ってくれるわけではなさそうだな」

「そのとおり。ワタシにも都合というものがあるからね」


 剣呑に傾く空気を嫌ったのか、桜華が話の続きをキナに問いかける。


「でも、どうやって?」

「簡単なことさ。『薄っぺら』のいない隙を狙えばいい」

「そ、それができれば苦労しないような……」


 いまこうして『遺棄指定区画』を訪れている間は監視の目が届かないが、『螺旋樹廊』へと出れば(ふくろう)型の『六式魔(ヘキサハイド)』が離れずついてくる。『召式円環陣』がある下へと向かえば、即座にフリムジーへと伝わることは明らかだった。そうなれば、『召式円環陣』へと続く道を守る黒曜竜と戦うことすらままならない。


「奴が見ているしかできない『タイミング』というのはあるんだよ。それは奴が“外”に出ている間さ。この書架迷宮がなぜドレインレイスの幻想図書館と呼ばれるかは知っているかい?」

「知らない、けど……」


 迂遠になった話に桜華は不満顔で答える。

 したり、と機械魔女は笑って見せた。


「とある偉大で有名な魔法使い様が気まぐれに迷宮を攻略していた時期があったのさ。彼女の名はドレインレイス。攻略していた迷宮とはここ――書架迷宮。魔法使い様は熱心だった。広大な迷宮内に暮らせる場所を用意するほどにね。そしてそこに“外”から連れてきた者を住まわせると雑事を任せるようになった。その中には偉大なる秘術式に興味を持つ者は多かったけれど、その頂に届く者は誰一人いなかった。召喚式もその秘術のひとつさ。誰にも正確には使いこなせない。例外がいるとすれば――いや、それはいいか」

「全然分からないんだけど」


 露骨に刺々しい桜華に、これもまた露骨に長いため息でキナは応じた。


「つまりは、さ。司書長代行を名乗る『薄っぺら』の主は、それほどに隔絶した高みにいる存在なのさ。でも、この書架迷宮が幻想図書館と呼ばれるほどの攻略に至り、その名を冠したドレインレイスという魔法使い様は――ある日、攻略に飽きた。そして始めたときのように気まぐれでここを離れてしまったのさ。いまではずっと“外”にいるよ。残った者にすべてを任せてね。だから司書長の仕事は幻想図書館の管理と、書架迷宮の攻略を滞りなく進行すること。けれど、時には手に余る秘術式への対処が必要になることがある。召喚式が無闇に使えないのは、そのあたりに制限があるからさ。で、『薄っぺら』の奴は不在の司書長に代わって幻想図書館を任されているとはいえ、所詮は『代行』。――だから時折、魔法使い様のいる“外”まで出向かなきゃならない」


 ようやく見えてきた話に、桜華が態度を正した。


「それがその『タイミング』――?」

「そう。そしてね。この子はこれと決めた相手の居場所を知覚する力には長けているのさ」

「みゃあ!」


 キナは小猫を両手で持って見せつける。

 前足をホールドされた小猫の体がびろーんと伸びていた。

 キナと小猫は揃って得意そうな顔。


「その力は“外”にすら及ぶ。凄いだろう?」「みゃあ!」

「えーっと」


 鎖鳥は戸惑いながら聞いた話を反芻する。情報量は多かったが、要点は小猫がいればフリムジーの不在を知ることができるという部分だけだ。


「それってつまり、いまの話のほとんど関係なかったんじゃ……」

「なにを言う! コンテクストの共有がなければ一切の事物は崩壊しかねないんだぞっ」

「い、意味は分からないけど、あたしは大切な話だったって思うよ」


 キナの剣幕に一歩引いた鎖鳥の横から、桜華のフォローが入る。


「そう。それが肝要なのだよ。キミは分かっているね。クチカギくんは分かっていない。だめな奴だ。この子は任せられない。スストキくんだっけ? キミになら任せられる。どうぞ!」

「は、はい! って、え、えっ!?」


 唐突に小猫を渡された桜華が、助けを求めるように委員長と鎖鳥の間でしきりに首を動かした。けれど、そこに救いの手が差し伸べられることはない。


(ここで僕が動けば、キナは喜んで話を混ぜっ返すだろうし……ごめん、煤朱鷺さん)


 目で訴える桜華から逃れるように視線を外す鎖鳥の横で、委員長は本題に入った話の続きを急かすようにキナを注視し続ける。


「これもまた実に簡単な話だよ。ワタシの計算だと、そろそろ奴が“外”に出向く頃合いなのさ。その時がくればこの子が六度区切りで鳴くから、そうしたらキミたちは『召式円環陣』へと向かうだけでいい。細かいことはワタシが終わらせておこうじゃないか」


 そこまで言うと、キナはにたりと口元を歪め、


「まあ、()の黒曜竜と戦うのは頑張ってもらわないとだけどね」


 けらけらと笑いだす。

 だが不意にそれが途切れ、ガラスの目玉で蒼焔が揺れた。


「そういうわけだから、クチカギくん。キミもしっかりと()()したほうがいい」

「言われるまでもないよ」


 白亞のことを言っているのだと察した鎖鳥は、努めて平静を装いながら応じてみせた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ