11 胡桃樹白亞
立体積層的に構築された『労働奉仕区画』は広大で、その大部分が使われずに放置されている。下層から中層にかけては労働奉仕者たちの手が入っているが、上層ともなれば寂れ具合も甚だしい。そこは最早廃墟同然で、『遺棄指定区画』と見紛うほどだった。
その不確かな足元を「吊るし灯花」で照らしながら進んでいた鎖鳥は、歩いてきた道を一度振り返った。
上層に向かうに連れて書壁に這う灯花もその数を減らしている。手持ちの明かりがなければ不便なほどに、道は暗い。
(いまが夜なのも一因かな)
周囲の灯花それ自体の光も弱まっている。
寝静まっているかのような暗がりで、微かに羽ばたく音が聞こえた。
努めて気にせず、鎖鳥は再び歩き出す。目的地は決まっていた。
昼間は消耗を鑑みて、書片・第42節には手を出さず帰還した。疲労はまだ残っていたがさほどではなく、『幻想因子』を取り込んだ『虚想存在』の恩恵を実感させられる。
(人ではない領域、か)
片足を突っ込んでいる自覚はあるが、焦燥はない。
(たぶん、忘れてる。――でも、そのほうが都合はいい)
鎖鳥は白織りのマフラーに口元をうずめ、錆だらけの階段に足をかけた。
構造物の内部だというのに道は坂のように急で、据えられた手すり柵は飴細工のように歪んでいる。階段道の途中で、今度は体を傾けなければ通れない路地に入り込み、葉蔦の絡んだ梯子を登った。
いつか誰かが暮らしていた名残だけが存在していた。すべて朽ちかけで、いまは住処にする者がいないことは明らかだった。そうして黙々と進んでいるうちに、背後から感じていた視線が消えた。
「はあ……」
零した吐息で、鎖鳥は自身が思いのほか気を張っていたことを知る。
「大丈夫って、分かってはいるんだけど」
上層を訪れたのは今日だけに限らない。対処方法も理解できていた。
鎖鳥を見ていた序列・六――フリムジーの『目』とも呼ばれる梟型の『六式魔』の監視は雑だったが、まいてしまっては意味がない。
それでは強引に監視を逃れたという事実が問題として残ってしまう。監視者に『朽鍵鎖鳥に妙な動きはなかったのでこれ以上の監視は不要』と判断させなければ都合が悪い。鎖鳥にその技術はないが、通った道には仕込んであった。
「ほんと、凄い……」
『書術』の扱いに慣れるほど、仕込んである術式がどれほどのものか実感できるようになっていく。鎖鳥はその誤認式の存在を知りながらも、知覚できずに歩くことしかできていない。たとえ『六式魔』の影梟がどれだけ血眼なろうと、術式の影響下にあることを見破れない気がした。
蔦と錆の壁が途切れ、歩き続けていた視界が不意に開ける。
目的地の展望広場だった。眼下には柱状に立つ無数の『労働奉仕区画』――その下層が広がっていた。闇に沈みながらも灯花がそこかしこに咲いている。薄汚れた街並みも、ここからでは暗がりに紛れて目に届かない。
(これだけの大きさなのに、建物の中……なんだよね)
この展望広場とて最上階ではなかった。歪な構造物はまだ続いている。
(空に届きそうだ。――いや、もしかして本当に届いているのかも)
そこに存在する黒空が、ただの重苦しい黒塗りの“蓋”だという知識はあった。
(目を凝らしたって見えやしないけど……。そこに在るっていうのなら、届いていたって不思議じゃない)
遠く不確かになった下層へと視線を戻すと、灯花の集まっている一画が目に付いた。位置関係から、それが『団扇横丁』だと理解するまでにそう時間はかからなかった。次行ったときはなにを食べようか――そんなことを考え始めたあたりで、
「お待たせしました、鎖鳥さん」
その声は聞こえた。
「ん、僕もいまきたところ。時間通りだよ」
視界端に浮遊表示させた基準時を知らせる時計は、約束した時間から数分程度しかオーバーしていない。監視の目があることを考えれば、完全に誤差の範囲だと鎖鳥は思った。自分が遅れる可能性も充分あり得たのだからなおさらだ。
「なにか見えるんですか?」
鎖鳥の隣に彼女は歩み寄る。
白い。
と、鎖鳥はそう思った。相変わらずだ、とも。
胡桃樹白亞の髪色は白銀で、肌も透き通るような病的な白。頬の赤みすら薄いのは生気のなさを感じさせるが、足取りはしっかりしていて姿勢も正しい。清廉な印象を受けるが、この中身が存外凶暴だということを鎖鳥はもう知っている。
「ここから見える『労働奉仕区画』は綺麗で嫌いじゃないなって」
転落防止柵の連なる展望広場の端。灯花が描き出す下層の姿は、普段歩きまわっている場所とは別物に思えた。
「以前はもっと華やかでした。いまはまるで――、身を寄せ合っているみたい」
灯花の集まりをそう見立てた白亞の表情が儚く翳る。
「そういえば楽しそうにしてる人はあまり見たことない、かも」
「『薄っぺら』が労働奉仕者を使い捨てていますから……、それでだと思います」
鎖鳥は白亞の暗い声音を聞いて、問い返していいのか迷いながら視線を向けた。
「奴は労働従事者に蜜石の精製作業を課していますが、これに不向きな種族の人たちは苦しい暮らしを余儀なくされています。もっと適性のある作業はあるのですけどね。ほかの司書とも折り合いの悪い『薄っぺら』にとっては、その割り当てを考えることすら面倒なのかもしれません。書片集めに傾倒したうえ、私を追いかけて――。そんなことをしなければ、もっと余裕が生まれるはずなのに。暮らせないほど困窮した相手に奴がなにを迫ると思います?」
その嘲りは、なぜか彼女自身に向けられているように見えた。
「そんな適性もない相手に、『薄っぺら』は『遺棄指定区画』の探索を強要します。帰ってこられる人なんて一握りなのに。この書架迷宮で生き続けていたのは、そんな終わりのためなんかじゃないはずなのに」
どうしてか懺悔のように聞こえる語りに、鎖鳥は返す言葉が見つからない。
白亞は唇を噛みながら、下層に広がる灯花の海をその瞳に映し続けていた。
その顔を見ていられなくて、鎖鳥は考えもまとまらないまま口を開く。
「悪いのは、フリムジーの奴だよ」
それは確かで、鎖鳥にとって偽りのない思いだった。
「白亞がそんな顔をすることない」
「――優しい嘘は、苦手です」
「別に、気を遣ったわけじゃない」
「でも」
伏せ気味の目。否定。拒絶。その態度に少しだけ憤りを覚えた。
「これなら信じられる?」
白亞の手を取り、鎖鳥は自分の胸元に触れさせる。
「な、なにを――」
「白亞は悪くない。フリムジーが最低で最悪な奴だってだけ」
偽装式は疼かない。熱を発することはない。
なにかを偽った言葉ではないのだから、それも当然だった。
「あ、あの、鎖鳥さん」
戸惑い気味に、白亞は言う。
「発動した時の熱を隠す仕掛けがある偽装式なので、触っても分からない……、です」
「え」
彼女の細い手をつかんだまま、鎖鳥は動きを止めた。止めるしかなかった。ついでに思考も一時凍結される。格好が付かない。
そんな鎖鳥に、白亞は申し訳なさそうな顔をする。
「あの、えと、なんか、すみません……」
「あー……、で、でも! それを知らなかった僕が触れさせたってことは、つまり偽装式が働かない自信があったってことで、だからその、熱が分からなかったことは大した問題じゃないよ、うん」
言い訳を重ね続けるさまを見て、くすりと白亞が笑った。
「そうですね。ごめんなさい、嘘だなんて言ってしまって」
「分かってくれたなら、別にいいよ」
そこで彼女の手に触れていることを妙に意識してしまい、鎖鳥は慌てて手を放した。それを誤魔化すように、空いた手で自分の斑髪をくしゃりと撫で梳きながら視線を外す。
「そ、それより。報告するよ報告。書片のこと」
「ん、はい。ええと、第42節の捕獲には失敗したみたいですね」
「うん。でも、助かったよ。白亞が教えてくれたことが役に立った」
白亞の口調に責め咎める含みはなく、事実を確認する事務的な態度だった。
許容されている立ち位置が、甘く引っかくように鎖鳥の心を削る。意識しなければ掠れてしまいそうな声を心持ち張って、失敗した経緯を語った。
「それで気になることがあって。どうして『魔学書』に書片のことが書かれているのかなって」
「不思議はありませんよ。同じことについて書かれてある本なんて、いくらでもありますよね? それと似たようなものです。――あれは書かれた物語の一部ですから」
「――『物語は魔法を帯びる』? 書片ってなんなのさ。あれも『魔学書』なの?」
「少し、違いますね。あれは力の欠片。幻想の破片――あるいは夢の残骸、でしょうか。それでも『薄っぺら』にとっては拾い集める価値のある光り物のようですけれど」
「集めさせないほうがいいのかな」
「そんなことをすれば鎖鳥さんの立場が危うくなりますよ? いまは従いながら力を付けるべきです。鎖鳥さんならそれができます」
「煤朱鷺さんも似たようなこと言ってたけど……。僕がいま以上に強くなれるかなんて――。『魔学書』だって全部読めないのに」
言い吐いてから、鎖鳥は白亞の眉根が寄せられていることに気が付いた。
「ごめん」
不愉快になるのも当然だと思えた。寄りかかるような物言いは、互いに利用しあう『召喚契約』に似合わず、白亞を裏切るだけの行為にしかならない。そう考え至り、鎖鳥は失言を悔いた。
「ど、どうしたんですか、急に」
表情を崩してわたわたし始めた白亞に険悪な気配は微塵もなく、見間違いだったのかとさえ思う落差に鎖鳥の緊張の糸は完全に切れていた。
「いや、だってその、怖――難しい顔してたから」
「そ、そんな顔していましたか? き、気のせいですって。大丈夫です。慌てる必要はないですよ。鎖鳥さんなら『書術』で必ずもっと強くなれますから。心配ありません。悩む時間がもったいないくらいです」
「そ、そこまではさすがに買いかぶりすぎだって。僕なんて委員長や煤朱鷺さんに比べたら凡庸すぎるのに」
「そんなことありませんよ? だって――」
白亞は不思議そうに首を傾げ、当然だと言わんばかりに口元を緩めて見せた。
「私が利用しようと決めて、私が利用している相手ですから。鎖鳥さんがいなかったら、きっと私は――。だから助かっているんですよ、本当に。ありがとうございます」
「そんな――」
向けられた白亞の眼差しを直視できず、鎖鳥は視線を落とした。
「お礼を言うのは僕のほうだ。なにかしてもらってばかりで、落ち着かない」
「その負い目は私の自作自演でしかないと思うのですけれどね。ここに喚んだのは私なんですから。それでも落ち着かないと言うのでしたら――バランスを取りましょうか」
「バランス?」
「はい。対価として鎖鳥さんの一部を――そうですね、そのマフラーをください」
「……これ? ただのマフラーだけど……」
「いいえ。鎖鳥さんの一部ですよ。あなたを規定するもののひとつです。もしかしたら忘れているかもしれませんけどね。でもきっと、ないと地味に困ってしまう類のものです」
「い、嫌がらせがしたいだけって聞こえるんだけど」
「そんなことありませんよ? 鎖鳥さんが理解していなくても、そのマフラーには対価となり得るだけの価値があるんです。それとも爪でも剥がすほうがお好みですか? 私は苦手なので困ってしまうのですけれど」
「僕だって得意じゃないよ。ほら――これでいい?」
外した白織りのマフラーを白亞の首に巻きながら、鎖鳥は苦笑する。とてもバランスが取れたようには思えず、けれど微笑む白亞は満足そうだった。
◇
入念に下準備してしまえば、書片・第42節と万全の状態で相対するのは容易だった。
冷壁式で防護を固めた桜華が、群晶原石から生み出される薄紅の影たちを切り伏せる。浅瀬で踊る血色のドレスたちは無尽蔵だったが、その起点となる群晶原石の自由を委員長が【記述形成】で奪っていった。
近寄ってからは寒気を感じさせていた群晶原石の光が、薄まり溶けて失われ始める。機を見て鎖鳥が捕獲式を起動させれば、そこで捕獲は完了していた。
白靄を生んでいたほどの『幻想因子』は散り消え、地下空間が急速に冷えてゆく。昇降用ロープを使って上に出ると、そこには枯れた立ち木たちだけが並んでいた。
「ここの桜は書片の影響で咲いていたんですね」
桜華が濡れた朱銀髪をかき上げながら言うと、ロープを引き上げ終えた委員長が作業の手を止めずに応えた。
「色と結晶という点では似通っていたしな。道理だ。しかしそうなると、埋まっていた屍体があればこその美しさだったことになるな」
「そ、その言い方はちょっと……」
げんなり顔で肩を落とした桜華は続けてぼやく。
「確かにあの赤い影は幽霊とかゾンビとかっぽくて、少し気持ち悪かったですけど」
「煤朱鷺さんは一番前に出て戦うから余計だよね」
「なになに朽鍵くん。分かってくれるの?」
「えと、まあ、それなりには。でも薄気味悪いアレが咲かせていたからって、あの桜が綺麗だったことは変わらない気がする。落ち着かないのは、きっと、認められないからだよ」
「屍体桜を?」
「それを知っても綺麗だと思えている自分を、かな」
「そんなの……だって、騙されたようなものだし、しかたなくない?」
「だからって、否定したり拒絶したりするのはもったいないって――僕は思うかな」
鎖鳥の前で難しい顔をしたまま考え込んでしまった桜華を見て、委員長が苦笑していた。
書片は捕獲し、結晶桜は散り、最早この場に幻想的と呼べるだけの光景はない。
帰途につけば痕跡すらも視界からは消え、見慣れた『遺棄指定区画』の書壁だけが続く。
それでもたどり視れてしまう過去の情景から、自分自身を引き剥がすのは酷く困難なことにように思えた。それは群晶原石を漂う薄紅のように溶け合っていて、事象と心象の境界が曖昧になっている。
(まあ、難しく考えすぎたところで意味なんてないか)
八の字を寄せて唸っていた桜華が脳裏をよぎった鎖鳥は、微苦笑してから深く息を吐き出した。それが思いのほか通路に響き、前を歩いていた桜華が振り返る。先ほどまでではないにしろ、その眉根は寄せられていた。
「どうかした? 朽鍵くん」
「ど、どうもしない。なんでもないよ。煤朱鷺さんこそどうしたのさ」
不意に向けられた気遣いに鎖鳥は目を泳がせる。問い返された桜華も口を濁した。
「あ、あたし? あたしは別に。その――そう、気になっただけだし? 今日の朽鍵くんはなんかずっと違和感があって。だから、ちょっとね」
「なにか変かな……?」
「っていうか、うーん?」
上から下まで桜華に眺め見られる。気まずい審眼から鎖鳥が顔を背けると、半ば呆れ気味の委員長と目が合った。
「俺は原因分かってるぞ。煤朱鷺は観察力が足りないな。だから迷子にもなる」
「そ、それはいま関係なくないですか!?」
「朽鍵の唐突なため息だって、いつもしてる癖みたいなものだぞ?」
煽られ騒ぐ桜華を横に、鎖鳥も口を曲げて固まっていた。無自覚だった点を指摘され、気まずさが二乗される。
「も、もういいから。出口も近いし、早く帰ろう」
さらに真剣な顔で覗き込んでくる桜華から逃れるように鎖鳥は歩き出した。
「待って。待ってってば。もうちょっとで分かりそうだから!」
そこまで必死にならないでほしいと思いながら首を竦めるが、振り乱れた感情の針はなかなか元に戻らない。落ち着かない原因は鎖鳥にも理解できていた。
「あ――そっか。それだ。その首。マフラーしてない!」
どうだ言い当てたぞとばかりの満足顔にジト目で返すと、途端に桜華の顔が曇った。
「謝っておいたらどうだ、煤朱鷺。今日の朽鍵は怒らせないほうがいいと思うぞ」
「え、ええっ!? そ、そんなに……?」
「朽鍵はあの白いマフラーを結構気に入ってたみたいだからな。無くしたんだとしたら、煤朱鷺の態度は神経を逆撫でしてるだけってことになる」
「あ、あの委員長。僕はそこまで――」
勝手に転がる話を止めようと声を出すが、すでに桜華は「ひぅ……」と妙な声を零して思考が停止しているようだった。「す、煤朱鷺さん?」小さく声をかけてみるが反応はない。
それから少し、間があった。
片手をぎゅっと胸元で握り込んだ桜華が、呼吸を正してから鎖鳥に向き直る。
「あ、あの。朽鍵くん」
「う、うん」
「あのね。ご、ごめんなさい。ちょっとしつこかった、かも……」
「あ、いや、うん、大丈夫。怒ってるわけじゃないから、本当に」
桜華の殊勝な態度に鎖鳥は戸惑うばかりだった。委員長をひと睨みしてみるものの、肩を竦めてあっさりといなされてしまう。
半歩遅れて隣を歩く桜華は黙ったままで、鎖鳥を取り巻く空気は重い。
「ええと、それにほら、物を落としたりして無くすなんてよくあることなんじゃない?」
言って、周囲に落ちている探索具や片足だけ残されたブーツを眺めやる。
「まあ、僕はここで落としたわけじゃ――――ないけど」
不自然に間があいたのには理由があった。目に付いた背負い梯子に見覚えがあるように思えたからだ。使い込まれて古ぼけた木枠に炭で汚れたような背負縄。
「朽鍵くん?」
頭を振って歩調を戻す。
こんな場所に落ちているはずがない。それがあの露商の物であってはならない。
――暮らせないほど困窮した相手に奴がなにを迫ると思います?
似ているだけの別物だと心中で断じて、鎖鳥は顔を上げた。
その視線の先。
鬼火のような揺らめきが暗がりに燈っていた。
けらけらと響いてくる笑い声に、委員長と桜華が身構える。鎖鳥も思考が追いつかないまま足を止めていた。
「誰だ」
「そう警戒しないでほしいな。キミたちには余裕があるなと思っただけなんだ」
委員長の誰何に軽薄な口調で応じながら、暗がりの彼女は歩み出る。
「魔物――というわけではなさそうだな」
「そのとおり。こう見えてワタシは司書でね。少しばかり雑務をしていたのさ」
それは覚えのある声。それは見知った姿。
暗がりに浮かび上がるガラスの目玉――その中で、蒼焔が踊っていた。
「キナと気軽に呼んでくれたまえ。ワタシも好きに呼ばせてもらうよ、委員長くん」
「司書――『管理司書区画』の関係者か。その物言いだと事情にも明るいみたいだな。『薄っぺら』の部下といったところか?」
「心外だね。司書のすべてが奴に隷属しているわけではないよ。ま、他人に無関心な輩が多いとは思うけれどね。『管理司書区画』なんて大層に掲げたところで、結局は人よりも書物が好きだった連中の吹き溜まりさ。ところでキミたち、帰る方法は見つかったのかい?」
「――まるで知っているような口ぶりだな」
「ああ、知っているとも」
饒舌な機械魔女は、その口元を得意気な弓なりへと変えた。
息を呑む委員長の気配が束の間の静寂を飾る。
以前キナが送還式という言葉を口にしていたことを、鎖鳥は思い出していた。
――この幻想図書館に喚ばれた者は概ね帰ろうとするものだし、そのための道ならば用意もされている。少しばかり陽炎の先といった感じではあるけれどね。
それを聞きながら、白亞にすら問わずにいた。
知ったところで話せないのならば意味がないからだろうかと考え、けれどそれを鎖鳥は否定する。白亞との関係性を隠しながらも、委員長たちには話さず、それでも帰れるように働きかけることはできたはずだと思えた。
(リスクを避けた? 違う。どうして僕は。なにを怖がって。なにを先送りにしていた?)
帰るための道筋を必死で手繰ろうとはしなかった。白亞から求められることを自己承認の材料とするのであれば、委員長と桜華の帰還に非協力的である必要性はない。自分が帰ることを選びさえしなければ、白亞との関係性は続くのだから。
(だとすれば、僕は帰らないと選ぶことを先送りにしていた? ――いや、『遷花広間』で白亞に帰りたいかと問われた時、僕はためらわずに否定した。なにも先送りになんてしていない)
すでに決断し終えているのだから、不安があるのだとすれば、それはキナによって白亞との関係性を示唆されることだろうと思えた。
けれどその兆しはなく、鎖鳥の前で機械魔女は淡々とその口を開いた。
「単純な話だよ。召喚式が行われた場所で送還式を行うだけだ。そう。つまりはキミたちが目覚めた場所――『召式円環陣』こそが目指すべき場所ということさ。となれば、これは当然の話だけれど――あの黒曜竜をどうにかしなきゃだけどね」
「それを信じろと?」
けらけらと笑うキナを前に、委員長は眉根を寄せていた。
「まあね。ただ『薄っぺら』に忠実な彼の門番を退けるには、キミらじゃあ実力不足だ」
「だろうな。いまはまだ」
「ふむん。素晴らしいね。けれど無意味だ。『薄っぺら』に知られれば、黒曜竜を退けたところで帰れはしない。それに、送還式の扱い方もキミたちは知らない」
序列・六。梟型の『六式魔』によって『螺旋樹廊』での動きは常に監視されている。キナの言を信じるのならば、『召式円環陣』に近づくことをフリムジーが見過ごすはずもない。
委員長は口惜しそうに歯噛みし、桜華は不愉快そうにキナを睨み付けた。
「あなたは――それを笑いにきたの?」
「まさか! ワタシとしてはキミたちに期待してるんだ。相応しいと見込めた時には喜んで助力するよ。『薄っぺら』の思い通りに話が進むのはワタシにとって都合が悪いからね」
ガラスの目玉の中で蒼焔を揺らし、キナはどこまで本気か分からない様子で笑った。
「キミたちは『薄っぺら』にワタシのことを報告してもいいし、報告しなくてもいい。好きにするといいさ。存分に迷うといい」