10 煤朱鷺桜華
光の吹雪く頭上にそれはいた。
「多いな――離れすぎるなよ」
暗闇から降ってきた蝙蝠のような魔物たちが結晶桜の間を飛び交う。
(初見でこの数。まずは守りを――)
鎖鳥は危機を肩代わりする障壁を桜華と委員長に張っていく。『魔学書』の作る回路を流れる『幻想因子』の負荷に身体が軋む。
(――っ。でもいまは痛みよりも)
慣れない高度な術式に回路のほうが耐えられないことが問題だった。安定化するまでの間、同じ術式は使えない。
(痛みと引き換えに守りを固めるなんて都合のいい真似、僕には無理だ。けど――)
術式の錬度を誇るには経験が足りていない。
回路の精度を誇るには世界を知れていない。
それでも――『書術』を形にできるだけの材料だけはあった。
次々に情景を想起しながら、鎖鳥は多種の術式を行使する。
障壁式。補助式。強化式。復調式。それぞれが違う背景を持った物語の断片から綴られる――抜粋され編纂された術式。それらを使い分けながら、鎖鳥は支援型としての役割を果たしていく。
「――――――――」
響いたのはガラスを破砕するような音。障壁式の破壊を招いたのは、暗闇蝙蝠が発生させる黒い渦球だった。やや突出した場所にいる桜華を狙って渦を巻く黒い球体が発生し始め、触れた床を削り取りながら、人を飲み込む大きさまで肥大化する。
「――――っ」
「大丈夫、次の壁は間に合うから!」
いまの鎖鳥が一度の術式で張れる障壁の数は二枚。巻き込まれた桜華の無事を確認しながら、次の術式へと意識を集中させる。
「煤朱鷺! この黒いのは俺たちのいた場所を狙ってるだけだ。好きに暴れろ。お前なら動き続けていれば当たらない」
「り、了解――です!」
その手に持った栞に刃状の光を構築させた桜華が、【散華衝動】の力で暗闇蝙蝠への暴虐を開始した。斬るだけではなく、散弾を撃ち出すように無数の光刃片を飛ばし、対空処理すらしながら敵の数を減らし始める。
(でも――形勢は悪い)
暗闇蝙蝠の数が多すぎて、少し減らしたところで渦球の密度に変化がない。桜華が精彩を欠かずに動き続けられる時間だって限られる。委員長の牽制で鎖鳥への攻撃が薄いからこそ、障壁を温存してまわせているというだけだ。
(きた道を戻る? ――あの狭い通路を? 狙われても逃げやすいこの場所だから避けられてるのに? 他に逃げ込める場所でもあれば――)
「朽鍵。地形チェック。戻るより近い『緊急退避区画』があればそっちに行くことも視野に入れとくぞ!」
無数の暗闇蝙蝠の注意を引きながら状況を把握できているのか、鎖鳥と同じ見解らしい委員長の指示が飛んだ。用意は始めていただけに結果が出るのは早かった。
「――駄目です。戻れるなら戻ったほうが早い距離にしか!」
「そうか。となれば、倒す算段を付けたほうが建設的だな」
「そんなこと言っても――」
光吹雪の中を飛び交う暗闇蝙蝠の群れを見て、「――この数を?」まだ撤退戦を完遂させるほうが鎖鳥には容易に思えた。
一体一体は連続して渦球を放ったりはしないのに、それぞれが連携するように間断なく空間を削り取り続けている。
(まるで統率でもされてるみたいに――あ、みたいじゃないのかな。本当に統率してる個体がいる?)
連携する習性を群れ全体が持っている可能性もあったが、核となる統率固体が存在するならば話は楽になる。鎖鳥はそう判断して、視界に浮遊表示させた『地図』を拡大させて注視した。
「これっぽい――かな」
確信まではない。けれど意識して見れば、群れの中で違和感を覚える動きをする個体が存在していた。
「案があれば言え。試す」
暗闇蝙蝠をあしらっていた委員長が、『解裂風壁』などで構成された【記述形成】の自動拳銃で激しく銃撃してから、鎖鳥のもとへ駆け込んで言った。逆巻く風壁を生んだ牽制が、言葉を交わす空隙を作っていた。
「え、っと……」
鎖鳥は遠慮して言い淀みそうになる心を蹴り付ける。不確定で自信がなくても、曖昧な言葉を羅列している時間的余裕はなかった。
「姿は同じですけど、違う動きをしている奴がいます。狙えば統率を乱せるかも」
「分かった。どいつだ? 大体の方向でいい」
「あの辺り――右寄りの奴です」
指差してみるが、吹雪く光の先を飛び交う暗闇蝙蝠たちは区別し難い。展開した術式による視覚情報補正を共有できれば話は早かったが――。
「確かに違うな」
「分かっちゃうんですね……」
その必要もないと知って、鎖鳥は辟易混じりに嘆息した。
それでも、その一息で意識を切り替える。気を取り直して後方支援に集中する。そんな鎖鳥の前方で――委員長が狙い済ました銃撃を統率個体に向けて放っていた。
蒼の文字列――『冷縛棘散』が弾け散る。
無数の蒼茨を模る文字たちが手を伸ばすように統率個体へと迫り――逃げ場を奪った。
触れた蒼が冷々と光り、統率個体の動きが鈍る。追応するように群れの連携も乱れ始めていた。
「朽鍵の読み通りだな。――とはいえ、押し切るには厄介か」
連携という精度が失われた分、不規則な渦球が委員長の周囲を抉り削る。外れた狙いがいままで安全だった鎖鳥をも掠めるが、避けることに専念さえすれば余裕はあった。
「この隙に一度退いて――」
「大丈夫! まだ――いけるから!」
「な――」
拒絶は前方。統率個体へと向かって踏み出す桜華からだった。
「だめだって! ここで無理する必要なんて――」
鎖鳥には無謀な真似にしか見えず、けれど桜華は静止を振り切って駆けた。
強引に攻めに出た桜華の前に渦球が迫る。
それを至近で避けて、奔った栞の刃が光吹雪を切り裂き――統率個体を両断した。
「――ほら、平気だったでしょ。っと」
動きの止まったところを周囲の暗闇蝙蝠たちが渦球で襲うが、危なげのない足運びで桜華はそれらから逃れる。無数の渦球が床を削る音だけが結晶桜の並木に響いた。
削れただけの足場は動きを阻害しても、それだけで敗北を呼び込める材料にはなりはしない。だから、そこから先はただの掃討戦――になるはずだった。
「え――」
暗闇蝙蝠へ向けて踏み出した桜華の足場が落ちる。決壊するように床が崩れ、鎖鳥の前で奈落が口を開けていく。
「煤朱鷺さん!」
届くはずもない手を伸ばした。
長々と『書術』を諳んじている時間なんてない。
「――――――っ」
崩落に桜華の姿が飲み込まれ、瓦礫が奈落へと落ちてゆく。
◇
瓦礫が響かせた水飛沫の音をきっかけに、鎖鳥の頭はまわり始めた。
(障壁式があれば多少の瓦礫は問題にならない。落ちるとき煤朱鷺さんには術式が残ってた。落ちた先が水なら致命的な状況には遠い。けど――)
奈落から熱気が煙り上がり、濃密な『幻想因子』が可視化でもしているかのような白靄の先には『響鳴』も届かない。『遺棄指定区画』にあっても普通ではない現象だった。
それでも、この程度で死ぬようには『喚ばれた者』はできていない。そんな人としての領域には留まっていない。だから――。
(大丈夫――そのはず、そうに決まってる。じゃなきゃ……)
悪く考えれば、動けなくなってしまいそうだった。なにもできなかった後悔に浸っていたくなる。けれど、悲嘆に暮れたところで意味はないと鎖鳥は思った。
(僕は『大丈夫か?』なんて心配されたいわけじゃない。僕なんかより煤朱鷺さんのことだ。いま助けを必要としているのは、間違いなく煤朱鷺さんなんだから)
白靄の先には『索敵』も利いていない。魔物でも潜んでいれば厄介で、それでなくても桜華が十全である保証もない。急ぐ必要があった。
「委員長――」
「この蝙蝠は俺が引き付ける。朽鍵は狙われないように身を隠せ。無理はするな。煤朱鷺のことは俺がどうにかする」
揺らがない委員長の明瞭な声音が響く。
「当然のように言うんだから……」
決して残り少ないとは言えない数の暗闇蝙蝠を前にして、桜華を見捨てるという考えは毛頭なく、すべてに一人で対処する宣言だった。
(でもそれは――僕は邪魔なだけってことだ)
足手まとい。お荷物。不必要。無価値。湧き出す悲観的な感情から目を背け、鎖鳥は隠蔽式を諳んじる。奈落を端から覗き込み、白靄の先を望む。
「少しだけど、明るい……?」
微かに薄紅を帯びた光。
「あ――」
白靄の一部を染める光に、【散華衝動】の切り裂くような鮮烈な輝きはない。温かく包み込むようで、けれどむせ返るほど濃密な『幻想因子』の気配。それで思い出されるものがあった。
『儚くも雪割りを待たず少女の命は摘み取られた。裂かれた痛み。刺された痛み。凍えた臓腑からは熱が抜け落ちて。纏う薄紅のドレスは光を帯びて湖水を染める。寄れば抱き奪われる誘蛾の光。屍の熾火は折り重なりて』
鎖鳥が持つ『魔学書』を解釈する一助にと、白亞が語り聞かせてくれた話の一節。旅人が見た薄紅の光がなんであるのかを語ったものだった。その光に誘われて屍となった旅人の末路を考えれば、予備知識のない桜華は酷く危険に思えた。
見れば、委員長は暗闇蝙蝠たちを引き付け、桜並木から離れ始めていた。どこかでまいてくる算段なのだと理解して、鎖鳥は呼び止めようとした口を噤む。
(言えるわけない。『煤朱鷺さんが危ないかもしれないので急いでください』――? 僕は馬鹿か。そんなの分かりきってることだ。分かっているからこそ、委員長だって――)
暗闇蝙蝠を誘い込む手際は見事の一言に尽きてはいるが、その表情にいつにない焦燥が見て取れた。
自分に敵の対処ができれば。強襲型の突貫力、防護型の強靭さ、妨害型の干渉力、追撃型の搦め手、砲撃型の破壊力、狙撃型の周到さ――持ち得ないスキルを使った戦術ばかりが鎖鳥の頭に浮かんでは消えていく。
「どれも無意味だ……。ここには支援型の僕しかいないんだから……」
自嘲めいた呟きは誰にも届かず、けれど戦いの音が遠のいた桜の間を静かに震わせる。
聞こえた自分の声に吐き気がした。
(凡庸だから、取り柄がないから、なにもしないほうがいいだなんて。僕は委員長の言葉を言い訳にして、逃げようとしてるだけじゃないか。そんなの、気に入らない。そんな弱さはいらない。僕の知っていることを委員長は知らない。だから委員長の計算に縋ったりしたら駄目だ。これは僕がやるかやらないかだけのことで――だったら、動かないなんて選択肢はあり得ない)
鎖鳥は落下に備える術式を諳んじて、崩れかけの床を蹴り、奈落へと身を投じた。
煙る白靄を突き抜ける中、多重に展開した術式の重さに意識が眩む。
それでも探知系術式を駆使して情報を把握。一瞬だけだが桜華の存在を知覚できた。それ以上は色濃い『幻想因子』が術式を阻害した。暴走した術式が放電するように弾け、腕の上を裂くように奔る。痛みに顔を歪めながら、鎖鳥は地下空間に広がる水面へと落ちた。
(――――っ!? これってお湯!? ――温泉!?)
揺らめく暖色の光に染まった水は温かい。
「――っは」
ともすれば沈みそうな身体を引き上げ、水面に顔を出す。独特の臭いはないので別物ではあるのだろうが、周囲に広がった煙る地底湖は地下温泉の風情だった。危機的状況でなければ、くつろげてしまえそうなくらいに。
熱源は奥にある桜色の結晶のようだった。それは唯一の光源でもあった。
(水晶の原石みたい――ってことは、書片? もしかしてこれが第42節……?)
それはフリムジーから渡された資料にある特徴と一致していた。水晶の柱を思わせる薄紅の群晶原石。幾本もの柱が無秩序に広がり、壁の一角にひしめいていた。
(だとすれば、どうして『魔学書』に書片のことが書いて――いや、いまはそれよりも煤朱鷺さんを捜さないと。反応はあったんだから、ええと)
暗さと白靄で視界は悪かったが、方向は分かっている。桜華は地下空間の端にある岸――とは呼べない狭苦しい岩壁の窪みで倒れていた。ずぶ濡れの桜華。蒸すような熱がこもった地下空間では寒そうには見えないが、体力と気力は明らかに失われていた。彼女の意識は曖昧で、呼びかけてみても返事は心許ない。
鎖鳥は乱れた『幻想因子』に阻害されながらも術式を完成させ、桜華の消耗を復調式でいくらか拭った。障壁では防ぎきれずに受けた傷にも治癒式を施していく。
「く、朽鍵……くん?」
「そうだよ。だけどごめん、すぐには出られそうにない」
水面に空間上部からの水滴が断続的に落ちてきていた。その水音が響くだけの静かな地下空間で、重苦しくなりそうだった沈黙を払うように鎖鳥は口を開く。
「なにがあるか分からないから、いまは動かないほうがいい……と思う」
「朽鍵くんがそう言うならそうする。だってあたしがなにかを決めてなにかをすると、いつも裏目にでるから……」
それは先程のことも言っているのだろうかと鎖鳥は考える。
「確かに驚きはしたけど、煤朱鷺さんの実力なら分からないでもない判断だった――と思えるよ」
「なんでも肯定するんだね」
「別にそういうわけじゃ……」
「ごめん、悪い意味で言ったわけじゃなくて」
そこで会話は途切れ、再び沈黙が訪れる。今度それを払ったのは桜華だった。
「いまごろ皆は期末テスト中かな? あたしたちこんなところでなにしてるんだろ……」
「僕としてはテストよりこっちのほうがマシかな。息苦しさで言えば、向こうのほうがきついかも」
「どうして朽鍵くんはそんなに普通でいられるの?」
「普通?」
「いつ帰れるかも分からない。意味も分からず戦わされて、いつまで続くかも分からなくて。こんな酷い世界なのに、朽鍵くんは平気そうに見えるから……。ううん、ここにくる前よりずっと……その、なんだか楽しそうに見える」
「楽しそうって……」
「ご、ごめんっ。でも違うの? あたしは朽鍵くんが羨ましい。だってなんだか、その、強いと思う。それが羨ましい」
「強さなら、煤朱鷺さんや委員長のほうが――」
「そういう意味じゃないよ。そういう強さじゃなくて、ほかの違う感じ」
「よく分からない」
「あたしにはそう見えるってだけで、その、ごめん」
「謝ることはないよ。でも、そっか。強い、か……」
「なに?」
「いや、煤朱鷺さんに言われると変な感じだなって」
「どういう意味よ」
笑って誤魔化す鎖鳥に釣られてか、桜華も口元を微かに緩めて見せた。
◇
地下空間に響く音は限られる。水面に落ちる雫の音。自分が吐く息の音。隣で身じろぎする衣擦れの音。見上げたところで白靄の先に落ちてきた穴は見えず、声はない。
「なんか、のぼせてきたかも……」
両膝を抱えながら静かに顔を伏せていた桜華が呟いた。鎖鳥は薄明かりで読んでいた『魔学書』から、隣の赤い顔へと視線を移す。
「まさに言葉通りの蒸し風呂だからね。丁度ここに書いてある冬山に出る雪の魔神のくだりでも使えれば、いくらか涼めると思うんだけど――」
「平気。まだ『幻想因子』が濃すぎるし。術式が失敗でもしたら朽鍵くんが大変でしょ。本当に少しずつだけど薄れてきてるし、待てるよ」
「煤朱鷺さんがそう言うなら」
「うん。でも退屈なのはつらいかも。その本――『魔学書』だっけ? 濡れても平気なんだね。いかにも魔法の品って感じ」
「読んでみる? 短編や掌編が多いから読みやすいと思うよ。最初から読める状態になってる中だと断頭台の話が――」
「……朽鍵くんが読んでよ」
「……うん? えっと、それは朗読してってこと?」
「だ、だめかな? あたし文章読んでると頭痛くなっちゃう系で……」
「いま僕は図書委員にあるまじき言葉を聞いた気がする」
「あたしは別に好きで図書委員になったわけじゃないし……。あ、でもお話は好きだよ。読まなきゃって思うとくらくらしてくるだけで、嫌いってわけじゃないの」
魔物の気配があるわけでもなく、多少の不調はあれど生命の危機は感じない。声に出して読むだけで彼女の気持ちがまぎれるならばと、鎖鳥は意を決した。
断頭台に送られる男の話から始まって、本を食べる書見台の話に樹洞で眠る蜥蜴の話。掌編や短編を読み終わり、少し長めの中編にまでページは進む。箒乗りの少女と黒翼の少女が空を翔け、山間の先にいる飛翔船を――。
「そんな風に飛べたらここから出るのも簡単なのにね。それでその続きはどうなるの?」
「ごめん、この先は僕もまだ読めない。もっと『書術』の扱いを覚えれば、この続きの階層も開けると思うんだけど……」
「そっか、残念。じゃあ、また今度でいいから続き聞かせてね」
「今度って――」
なぜそうも簡単に言い切れてしまうのかと、鎖鳥は顔を背けて唇を噛んだ。いまよりもっと成長するのが当然だという意識の差に戸惑いを覚える。
「あ……。嫌ならいいけど……」
「そういうわけじゃないよ」
「そ、そう? ――あ、そろそろ薄れてきたね」
乱れた『幻想因子』は薄れ、白靄も呼応するように晴れてきていた。術式を試して立体的な空間情報を把握した鎖鳥は、反応から確認できた委員長の無事を煤朱鷺に伝える。
「あの群れをなんとかしちゃうなんて……やっぱり委員長はどっか変」
「いやいやいや。煤朱鷺さん。単純に凄いんだから、そんな言い方は……」
桜華は不満そうに口を尖らせる。「そんな顔しないでよ……」鎖鳥は桜華の行き過ぎた認識を引き戻すために、限定された状況だった要因を考え探る。
「で、でも。さすがの委員長でも統率してた個体が残ってたらまずかったかも」
「だったら今日は朽鍵くんがMVPだね」
「ど、どうしてそうなるのさ。倒したのは煤朱鷺さん。助けてくれるのは委員長。僕はなにもできてなんかいないよ」
「それって本心?」
顔を寄せる桜華から鎖鳥は目を逸らす。
「あたしはやらかしちゃったし、助けにきてくれたのは朽鍵くん。ひとりだったらパニくってただろうから、もっと酷いことになってたかも。朽鍵くんがそばにいてくれたから、あたしはこ――退屈しなかったし」
なにを言うのをやめて取り繕ったのかは分からない。けれど、
「それに、倒せたのは朽鍵くんの支援があったからだから。今日だけの話じゃないよ? 朽鍵くんは朽鍵くんの良さを分かってないと思う」
その真っ直ぐな言葉に鎖鳥は頬が熱くなるのを感じた。
「煤朱鷺さん。その、あ、ありがと……」
「――――べ、別にそういうのじゃないし! 違うし! お礼とかいらないから!」
桜華は両膝を抱えた腕の中に顔を伏せ、「うー」あるいは「なー」と唸り出す。もそもそ揺れる朱銀の髪を薄紅の光が照らしていた。
委員長へと『響鳴』で連絡を入れながら、鎖鳥は横目で群晶原石を眺め見る。結晶の中では薄紅が水面を漂うように揺らめいていた。
ひるがえるドレスにも見えたそれが、どこか寂しげに輝いた気がした。