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立花教授から返信があったのは、私が初めてこぶじゃくしを見た日から二週間ほど経った日のことだった。
運よく、私の手紙は今まさに外国へ向けて出航しようとしている船に乗り込もうとしていた立花の手に渡されたと聞く。
立花からの手紙は簡潔で明確だった。
こちらへ来る日付。そして「この日に着く!」と走り書きされた一言のみ。
まさしく彼らしい手紙である。
そのころから、私は朝と夕方に頭痛に悩まされることが多くなっていた。頭痛だけではない。
疲れとは違う倦怠感がいつまでも抜けず、食欲が落ち、緩い便が出るようになった。
始めは単なる気のせいか、それとも疲れが出て風邪でもひいたのかと思っていたのだが、その症状が一週間経っても消えない時点で、医者としての知識がこれはおかしいと告げていた。
自分自身が病に遭遇したとき、医療関係者の反応は大きく二通りに分けられる。
一つ目は、自身の不調に誰より早く気付き、自分自身が持てる知識を総動員して積極的に治療にあたる者。
もう一つは、知識と経験があるがゆえに、自身の不調から目を逸らし、結果的に取り返しがつかなくなるまで放置してしまう者、だ。
私はどちらであったか。結論から言うと、後者だ。
しかし、厳密に言えば少し違っている。
私の不調は、こぶじゃくしによるものではない。それだけは断言できる。なぜなら、症状が明らかに違うからだ。
だからこそ、こぶじゃくしに罹っていると認めることを恐れているがゆえに、放置しているわけではなかった。
ではなぜ私は自身の不調に気付いていながら、何ら手を打たなかったのか。
それは、こぶじゃくしに罹っているわけではないということは、つまり、自分自身の中で最悪の事態では「ない」ということを意味していたからだ。
このころの私は連日こぶじゃくしの村に通い、治療にあたり、立花を出迎えるにあたって症例を纏めておく必要にも迫られていた。
要は、自分の治療などしている暇がなかったということだ。
もちろん、私の身にこぶじゃくしが感染していたのであれば、私はおそらく血相を変えて治療に専念したことだろう。
だが、こぶじゃくしではないのならば、と日々の仕事と患者への義務を優先させたのだ。
実際、倦怠感があるといっても動けないほどではなかったし、食欲がないと言っても全く食べられないわけではなかった。
頭痛は朝と夕方に限られ、昼間はなんとか今まで通り仕事にあたることができた。
帰りの馬上で居眠りをしてしまい、危うく落馬しかかったこともあったが、傍にいた篠目が落ちる前に起こしてくれたおかげで怪我ひとつなかった。
立花が来る。
その知らせが、疲労感に苛まれていた私の気力に熱を注いでくれた。彼は外国を飛び回って、様々な症例に挑んできた男だ。
彼のような研究者がここへ来てくれたならば、こぶじゃくしの治療にも先が見えるかもしれない。
私は早々に布団に潜り込みながら、今日一日こぶじゃくし村で治療にあたった患者たちの顔を思い浮かべた。
誰もが皆、自分に期待している。
諦観と言うべきか、達観と言うべきか。
こぶじゃくしと共に生きるしか道はないと悟っていた彼らが、やたら熱心に村へ通ってくる私という医者を目の当たりにして、微かな希望を持ち始めているのが、手に取るようにわかる。
頼られれば悪い気はしない。
むしろ、そういう生き方こそ私が求めていたものだ。
そして、もしできるならば、彼らの希望を明日へ、明後日へ、一週間後へ、一ヵ月後へと続けてやりたいと思う。
だが、今回ばかりは自分の力だけではどうしようもない。
こぶじゃくしを知って一ヶ月ばかり経つが、未だにそれがどういう経路で人間の体内に寄生するのか、それさえ分からない。
こぶじゃくしについて分かったことと言えば、非常に基本的なことと、それが妖怪の類ではないということくらいだ。
実に情けないことだが、今の私にできることと言えば、目に見えるこぶじゃくしを根気よく外科的に摘出し、臨月に満たない妊婦に陣痛が来ないよう、定期的に薬を投与するくらいなものだ。
市井は相変わらずこぶじゃくしを恐れ、村へは決して同行しようとはせず、日々、診療所の業務に明け暮れていた。
また、彼は、私と篠目を避けるようになっていたが、気持ちは分からないでもないだけに、私も篠目も何も言わなかった。
こぶじゃくしは、おそらく人間から人間へは感染しない。これは私の見解だが、断言できるかと言われれば当然できない。
普通の接触では感染しなくとも、人間同士の濃厚な接触……はっきり言ってしまえば性行為によってのみ、人から人へ感染する寄生虫も存在することが知られている。
こぶじゃくしはどちらとも言えない。断言するのはまだ危険過ぎる。
だからこそ、市井が私や篠目と最低限の接触しかしないように気を使っていることに文句は言えないのだ。
しかしながら、理屈として納得することと、何も感じないことは当然ながら別物だ。
市井や、マツさんの私に対する態度。
まるで私自身が病原体であるかのような、その扱い。正直、不快に思う。
これだから迷信深い田舎の人間は、などと考えて、私は溜め息を零した。出身が都会であるということを引き合いに出しても、何の解決にもなりはしない。
確かに東京には、田舎には無いものがあふれている。変化も激しい。
そして私は、その東京に帰ることを心の底では望んでいた。
私は無意識に手を見下ろしていた。そこにコブはない。私は感染していない。
改めてそれを確認し、行灯の火を落として、床に入った。
*
彼は唐突にやって来た。
ある程度、予想はしていたことだが、手紙に書き付けてあった日付より、三日も早く姿を現した。
「久しぶりだ。なんだか元気が無さそうに見えるが、大丈夫か? それで、問題の症例について分かっていることを知りたい。カルテはどこだ? 摘出手術の結果は? 村人の平均年齢は? 男女比率は? 虫の観察結果のようなものはないのか? 薬剤に対する感受性はどうだ? 家畜に対する感染力は? 村の地形は?」
開口一番、立花は診療所の茶の間をぐるぐる落ちつかない様子で歩き回りながら、一気に捲くし立ててきた。
「まあ、落ち着け」とは、立花に言うだけ無駄な台詞だと、私は長年の付き合いで知っている。
真っ黒に日焼けした顔に、伸ばし放題の顎鬚、三点揃いのスーツ、シルクハット。
私が知る限り、彼はいつもこの格好をしている。
言うなれば、これが立花の制服だ。
おそらく英国紳士を手本にしているつもりなのだろうが、私の目には曲芸の道化師のように映った。
何より、後姿がいただけない。
その惨憺たる有り様と言えば、まさしく筆舌に尽くせぬ哀愁感が漂っていると言っても過言ではなかろう。
誠に残念なことだが、我々日本人は独逸人や英国人のように股下が長くない。
特に、立花という男はその傾向が強い。そんな立花が彼らと同じ服を着ているのだ。
何と言う生き物だったか。ペントラだったか、ペントマだったか、ペンギンだったか……。まあ、他人のことだ。そこをとやかく言うのは止めよう。
「まったく、運が良かった。うちのばあやが気を利かせて近所のガキに手紙を持たせてくれなかったら、私は今ごろ海の上だ。遥か彼方の大陸を目指してな」
立花は、まるで英国人のように懐から酒の缶を取り出して中身を煽りながら、幼児のように茶の間のあちこちを探索していた。
昼間から酒か、と呆れたものの、私は何も言わずに卓袱台の前に腰を下ろす。
生まれた年月は立花の方が早いのだが、どちらかと言えば、私は立ちっぱなしか、もしくは歩き回っているより、じっと座っていることに落ち着きを見出す年齢だ。
彼のように始終動き回っていることは、見ているだけで疲れてしまう。
「お前もどうだ?」
立花は強引に缶を突きつけてきた。
意外なことに、その缶からはラムやウィスキーなどに独特の臭いが全くしなかった。
缶を受け取ることはせずに、中身は何かと聞くと、今度は障子の模様を細かく確かめていた立花が「麦茶だ」と答えてきた。
「仕事をしている時は飲まない主義だからな。単なる水筒だ」
そうか、と私が言ったところで、マツさんが恭しく緑茶が入った湯のみを差し出してきた。
私は小さく礼を言ったが、その言葉がマツさんの耳に届くころには、彼女の体はとっくの昔に台所へと引き上げてしまっていた。
私はひとりで苦笑した。
老齢ながら、まるで「くの一」のような素早い身のこなしである。
篠目に向かって、しょっちゅう「あそこが痛い」「ここが痛い」などと言っている気がするが、こぶじゃくしの村へ通っている私がいると、そういった痛みはどこかへ飛んでいくらしい。
「相変わらず、医学博士として大学の研究費を毟り取りながら各国を回っているそうじゃないか」
私は、今度は柱の木目を観察している立花に聞いた。
すると、立花は細か過ぎるほど細かい金額をつらつらと並べ立てながら、自分が大学から得ている研究費用がいかに些細なものであるかということを、とくとくと語り出した。
「まったく、そんな金額では満足に旅することもできん。私は自費で旅をしている」
立花は心底うんざりした様子で言いながら、何が楽しいのか、今度は畳の継ぎ目の様子をじっくりと観察し始めた。
「いっそのこと、死後は財産を研究室に残すと遺書を残して、旅先でくだばったらどうだ? 喜ぶ連中はたくさんいるだろう?」
私のちょっとした棘のある言葉は、見事に立花の耳を素通りしたらしい。彼は、それについて一言も言わなかった。
「それで、例の症例についてだ」
立花はようやく、卓袱台の傍に腰を下ろした。私は溜め息を零す。
「お前は本当に変わらないなあ。お前の話を聞いていたら、本が一冊書けてしまいそうな気がするよ。まあ、お前の冒険談を、わざわざ金を払ってまで見聞きしようとは思わないけどね」
「私は、文章を書くのは苦手だ。そういう仕事があるなら、別の誰かに任せる」
そうか、と私が言うと、彼はマツさんが出してくれた湯のみにじっと目を凝らし始めた。
今、立花の興味は湯のみに向かっている。
こういう時の彼には何を言っても無駄だ。
誰のどんな言葉も、右の耳から入って左の耳から抜けてしまう。真剣な目つきで湯のみの模様を観察している立花の興味がこちらに戻ってくるまで、私は辛抱強く待った。
「それで? 新種の寄生虫は?」
誰かに肩を叩かれたように、あるいは、立花の頭の中で誰かが鐘を鳴らしたように、立花は突然、こちらに興味を戻した。
私は緑茶を一口含んでから、口を開いた。
患者一人ひとりにつき、れっきとしたカルテを製作してある。
カルテと、そして必要に応じて篠目に取らせた記述をところどころ持ち出しながら、こぶじゃくしについて、分かっていることをすべて話した。
もちろん、声を潜めることも忘れなかった。
ここは外国ではない。私たちが話している言語を、ほとんどの人間が理解できる。
それに何より、壁が薄い。
我々日本人の不思議なところは、その防犯意識の低さだ、と外国へ行って思った。
独逸では、町中の一般家庭でさえ強固なレンガ造り、あるいは石造りであり、城ともなれば巨石の投擲にさえ耐えうる設計のものもある。
日本はと言うと、門扉に警備がいるところもあるが、たいていはちょっとした道具を使えば簡単に乗り越えられるような低い外壁に、家の中は障子に襖が主流だ。
なんと「紙」である。
それこそ、指をプスリと突っ込めば、簡単に中の様子が見て取れるし、話し声などダダ漏れだ。
日本を出るまでは不思議でも何でもなかったが、外国へ出てみると我が国のおかしなところが目に付くようになるものである。
「まことに興味深い症例だ。コブとは……ふむ、こぶじゃくしか」
基本的に他人の話を聞くことをしない立花だが、こぶじゃくしの症例には興味があるのか、私の声がきちんと頭の中に届いているようだった。
すべての話を聞き終わった立花は、顎鬚を撫でながら患者のカルテをじっと眺めていたまま、しばらく黙り込んでいた。
立花をよく知る私のような者にしてみれば、彼が黙り込んだままじっとしているという現象は、空から魚が降ってくるほど有り得ないことだった。
「まずは診てみよう。話はそれからだ」
立花がカルテを返してきたので、私は軽く息をつき、からからに乾いた湯のみを手の中で弄んだ。
今日のところは、これで終いだ。
「それはそうだ。ここに患者はいないのだから、我々にできることは何もない」
私がそう言って席を立とうとすると、立花も一緒に席を立った。
彼が再び茶の間の中を落ち着かない様子で歩き回り始めたのを見て、私は黙って腰を下ろす。
彼の頭の中に渦巻いている言葉が、こぶじゃくしに関係するものであることを願いながら。
「我が国における風土病と言えば、宮城県黄牛村の肝吸虫。別名、肝ジストマ。山梨県甲府盆地一帯に発生している日本住血吸虫症だ。宮城県のそれは、土地の名をとって黄牛病と呼ばれる。日本住血吸虫症は、つい最近まで単に地方病と呼ばれていたが、桂田富士郎、三神三郎によって虫体が発見され、日本住血吸虫と呼ばれるようになった」
そして立花は、まず肝吸虫症について語り始めた。
主な初期症状は倦怠感、下痢。進行すれば肝臓の中で虫卵が固まり、胆石となることもある。
末期では肝硬変となり、予後は不良。この寄生虫症は、僅か八十戸たらずの小さな村で、十年間に五十名以上に登る死者を出した。
鈴木安右衛門なる者が死後の腑分け(解剖)を申し出て、その体内から多数の寄生虫が発見されたことなどを語った。
この時点で一刻(二時間)が経過していたのだが、立花は一向に口を閉じる気配がないまま、日本住血吸虫症についての説明に突入した。
この寄生虫に罹ると、初期症状として倦怠感、食欲不振、腹部違和感などが挙げられる。
その後、粘血便、腹痛などの消化器症状、貧血を伴う急性腎炎などの症状が現れ、最終的には自分で身動きできなくなるほど腹水がたまり、肝不全や消化管出血などで死亡する。
明治十九年、軍医・石井良斎による徴兵検査によって、この疾患に由来する発育不良者が多数確認され、軍部へと報告された。
富国強兵の世、兵役に適さない発育不良者の多発は、極めて重要な問題と見なされたが、病気の原因などは長らく不明のままであった。
しかし、杉山なかという女性が自ら献体を申し出て、医師らは肝臓の表面に多数の白い斑点と門脈の肥大、そして多数の結塞部位が認めることができた。
日本住血吸虫症の解明へ、ようやく一歩が踏み出せたというわけだ。
ちなみに、私自身もこの地方病に関して多少なりとも知っている。
最古の記録は天正十年(一五八二年)で、武田家家臣の小幡豊後守昌盛が、この疾患が原因で武田勝頼に暇乞いを申し出たことが、かの有名な甲陽軍艦に記されていたと記憶している。
元禄(江戸時代)のころには、民間療法薬も販売されていたはずだ。
そして、この時点で再び一刻(二時間)が経過していた。
ついさっき肝吸虫の話をしていたと思えば、今度は日本住血吸虫の話になり、最新の医療器具の話をしていたかと思えば途端に、腑分けの話になる。
立花の話に付き合わされていた私は、心も体も再起不能になるほど疲弊していた。
何より、風土病という一点においてのみ、共通しているが、実際のところ肝吸虫も日本住血吸虫も、こぶじゃくしとは、ほとんど関係ないという事実が、私の疲労をより一層、加速させていたのだった。
しかし、立花はここで話を終えるような親切な男ではない。
「三年ほど前に、中東の国へ行ったことがある。の国だ。そこで、体中にコブができる寄生虫症に出会った」
思いがけない立花の言葉に、私は思わず身を乗り出していた。
そんな私の様子には目もくれず、立花はひたすら土壁の成分を検証し始めていた。
色合いの配分か、あるいは砂の偏り具合か。私には、立花がなぜ土壁に興味を示すのか、さっぱり理解できなかったが、今度こそ参考になる事例かと、疲労しきった心と体に鞭をうち、立花の話に聞き入った。
「残念ながら、この寄生虫症は、我々が今、問題にしているこぶじゃくしとは全く別物だ」
やはり関係ないのか、と私は一気に項垂れた。
「私が診て来たその寄生虫症はと言って、あちらの国では古くから知られている。サナダさんの仲間だ」
「サナダさん……。知り合いのように言わないでくれ」
私が呆れたように言うと、立花はなぜか真剣な顔を向けてきた。
ここまでくると、最早いろいろなことがどうでもいいような、そんな投げやりな気分であった。
「サナダ虫は日本人にとっては最も馴染み深い寄生虫だ。真田紐によく似ているその姿から、サナダ虫と名付けられた。この寄生虫についてはまだ研究段階であるが、腹の中で十メートルを越えようが、五メートル級が三匹も潜んでいようが、我が国のサナダ虫は劇的な病変を起こしたりはしない。ただし、サナダ虫にかかると栄養失調になる。食っても食っても腹の中の虫が栄養を横取りしてしまうからだ。よって、栄養面で恵まれた環境にある人間にとっては、無害。だが、貧困の中にある者にとっては有害となる」
「なるほど」
私とて医者の端くれだ。
サナダ虫についてそれくらいのことは知っているが、敢えてここは口を挟まずにおいた。
立花にとっては、私が聞いていようがいまいが、あまり関係ないのだろうが、何か言うだけの気力が残っていなかったのだ。
「ところが、有鉤条虫はそうはいかない。これはかなり厄介な虫だ。有鉤条虫は中東から亜細亜の様々な国にかけて生息する。これは、かなり厄介な虫だ」
厄介な虫、をやたら強調する立花に頷き、続きを促すと、立花は湯のみを一気にあおった。
そして中身が空だと気付くなり、さっさと卓袱台の端に湯のみを押しやり、自分の懐から麦茶の缶を取り出した。
「有鉤条虫は、人間の腸内に寄生している。体長は三メートルから五メートル。生の牛肉から感染するや、我が国のに比べれば、やや小ぶりなサナダ虫だと言える。共通点は、腸内に寄生すること、宿主である人間から栄養分を吸い取り、一日に十数センチも成長しながら数百個単位で卵を産み続けること。ただし、有鉤条虫の場合、この時点ではまだ、この症例は有鉤条虫症と言われる」
立花はおもむろに取り出した手帳に「有鉤条虫症」という文字を書き付けた。本人の見た目にそぐわず、掛け軸に書いても見栄えがするような美しい文字だった。
「感染源はなんだ? 分かっているのか?」
手帳を卓袱台に乗せるなり、本人はまた茶の間の中を歩き回り始めた。
「有鉤条虫症であるうちは、そこまで問題はない。我が国の裂頭条虫や無鉤条虫と同じように、寄生されている人間が、虫に栄養を取られて栄養失調になる程度のことだ。ところが、この虫の困ったところは、親虫が産んだ卵が、腹の中で孵る。つまり自家感染するということだ」
私は、自分の質問が完全に立花の頭の中を素通りしたことを悟った。
相手に聞かれたことよりも、自分が喋りたいことを喋る立花を相手にしていると、こういうことは日常茶飯事だ。
彼と話していると、まともに会話が成立しないため、こちらは何ともいえない居心地の悪さを覚えるはめになる。
しかし、立花は一向に気にしない。
ところで、我々が知っているサナダ虫の卵は、人間の腹の中では孵らない。彼らは複雑な生き様を持つ生命体なのだ。
それこそ、生活史だけを見れば、彼らは我々人間よりもかなり複雑な住環境の変化を必要とするとさえ言える。
まず、卵が便と共に水の中へ流れ出ること。これが第一条件だ。川の中に卵が流れ出ない限り、サナダ虫の卵は、決して孵化しないのである。
そして、そこでミジンコに食されなければならない。次にそのミジンコをサケやマスなどが食し、そのサケを生のまま人間が食すことにより、サナダ虫は人間の体内に侵入することができる。
そしてようやく成虫へなるために成長を始めることができるのだ。
腹の中で卵から孵り、そのまま成長するサナダ虫など、聞いたことも無かった。
どうでもいい、と聞き流しつつも、私はこの寄生虫症については興味をおぼえていた。
「親虫は腸の奥深くに寄生している。そこで卵を産み、その卵は便と一緒に排出される。しかし、便秘などが原因で腹の中に便が溜まっていると、そこでそのまま卵が孵って、幼虫どもが腸管を食い破り、体中を這い回り始めるのだ。はっきり言えば、体中が虫だらけになるということだ」
私は小さく頷いた。
「内臓に寄生するものもいるし、体表面部にボコボコと出てくるものもいる。この時点で、この症例はと言われるようになる。寄生虫症の場合、親虫に罹るより幼虫に罹った方が危険だという典型的な例のひとつだ」
立花は荒い足取りでこちらに歩み寄ってきて、手帳を拾い上げると、そこにさっとペンを走らせた。
私は、彼が足袋を履いていることに気付いた。洋装に足袋の組み合わせを見たのは、僭越ながらこれが初めてであった。
「皮膚の下で虫がコブを作ってるせいで、体中がコブだらけでボコボコになっているように見える。ところが、見た目に反して、虫が体表面部か、もしくは内臓表面にいる時点では、まだまだ深刻な問題にはならない。この有鉤嚢虫症がいよいよ問題となってくるのは、体中を這い回る虫が、脳内に寄生を始めたときだ」
私はごくりと唾を飲み下した。
「生きたまま脳みそを虫に食われるんだ。癲癇のような発作が出たり、奇妙な言動や行動が増えたり、あるいは視野が欠けるなどと言っていた連中もいる。打つ手は無い。脳内に寄生している虫を取り除くのは、西洋の技術を持ってしても不可能だ。我が国においては、回虫でもサナダ虫でもいい。虫に罹れば、という薬草を煮て飲む。昔ながらの治療法だ。だが、この有鉤嚢虫症の場合、下手に虫下しを投与すると、虫と一緒に患者が死んでしまうと知られている。それがこの寄生虫の厄介なところだ」
海人草、という言葉を聞いた瞬間、私は例えようもない懐かしさを覚えていた。
私自身、海人草を飲んだ覚えがある。子供時代の話だ。
かなり苦くて、独特の臭いがあり、その臭いは今も強烈に鼻腔の奥に住み着いている。
鼻をつまんで無理に飲み下すと、しばらくして腹の奥がむずむずしてくる。
慌てて便所に駆け込み排便すれば、肛門からぶらりと垂れ下がる紐のようなものに出くわす。
自分でそれを掴み、引っこ抜いたときのあの何ともいえない感触。未だに忘れられない。
学校で海人草を飲んだ日には、たいてい教室中が大騒ぎになる。
中には口から回虫を吐き出す者もいた。
教卓の横に置かれた駕籠の中に、次から次へと積み上げられていく回虫たちの死骸は、今となっては懐かしい光景である。
立花は再び空の湯飲みに手を伸ばす。そして再び麦茶の缶を煽った。
そして今度は、隅に置いてある小ぶりな箪笥に引き寄せられるように寄っていく。
彼はさっそく引き出しを開け始めた。
「まだまだ寄生虫症については分かっていないことが多い。完全なるその生態の解明においては、症例の見当というよりも、彼らの世界を詳細に観察できるほどの技術の発展を待たねばなるまい。しかし、有鉤嚢虫症は、自家感染することから、おそらく薬を使って親虫の体を破壊すると、幼虫が大量に出てきて有鉤嚢虫症を引き起こすのではないかと私は推測している。だから、この寄生虫症には薬を使った治療は危険なのだ」
そうなのか、と言おうとした時にはもう立花は次の言葉を喋り始めていた。
「脳内に幼虫が寄生していると分かっている場合は、もっと注意が必要なようだ。視野が欠けると訴えている患者がいた。体中にコブができていて、有鉤嚢虫症に罹っていることは明らかだった。その男は痩せていた。痩せていたが、上背はあった。自分の年齢は忘れたと言っていた。我々のように、いちいち数えてはいないそうだ」
誰だったか。
立花は、講義に来るのが犬であろうが、ガチョウであろうが、一向に気にしないと言っていた者がいた。
教室に溢れるガチョウに向かって講義する立花を想像し、その時は笑い転げたものだが、こうして相槌さえ打たせてもらえないまま立花の話を聞いていると、つくづくその言葉が現実味を帯びてくる。
「その男に虫下しを飲ませると、それから一刻もしないうちに劇的な神経症状を見せ、死亡した。これがどういうことか、詳細に説明できる者はいない。そもそも、寄生虫感染そのものがおかしな話なのだ。最新の研究においては、人体は外部から侵入してくる病原体に対して、防衛機能を持ち合わせているということが分かっている。おまけに、有鉤条虫は豚の生肉から感染するのだ。口から入った肉は、消化液で消化される。胃を逃れても、肝臓がある。だからこそ天文学的な数字の卵を産むのだろうが、それにしても虫がなぜ人体の防衛機能をかいぐぐることができるのか、私は不思議で仕方が無い」
一方的に話をする人間というのは、否応なしに私を「生徒」の立場を位置づける。
おまけに、こちらが話すこと、聞いたことはことこどく無視され、彼が喋りたいことを延々と聞かされるのだ。
最初からそのつもりがあって彼の講義を聞いているとは言えど、こちらは曲がりなりにも帝国大学の医学部を卒業し、独逸留学まで経た経歴がある。気に障らないかと聞かれれば、当然、彼の話し方は気に障る。
「ここからはあくまで私自身の考えであるが、いわば彼らは人体の防御機能をうまく騙せるだけの特殊なホルモンか、あるいはそれに似た分泌物を出し続けているのではないか。それならば、仮に虫下しの作用で虫が死んだ際に、人体の防御機能が途端に虫という異物を認識し、それを敵と見なして攻撃し始める可能性が……」
それからしばらく、立花は一人で根拠のない妄想じみた仮定を延々と語り続けていた。
立花の周囲に壁を作っておけばいい、と、ウンザリした顔でかつての同窓生が言った。
彼は壁に向かって話をしていても一向に気にしないだろうし……できれば、犬かガチョウを聞き手として入れてやればいいかもしれない……。
なぜガチョウなのかは、よく分からない。我々のように彼の周囲にいる人間は、壁があるおかげで立花の存在を気にしなくてもいい、という按配だ。
その結果、多くの者が立花との間に壁を作った。立花はああいう男なので、自分が周囲から倦厭されているということさえ気付いていなかった。
しかし、第三者の目として見なくとも、どう見ても立花は周囲から孤立していた。
「腑分け(解剖)はしてみたのか? どうだった? 我が国では無理だが、海外であれば許可も下りるんだろう?」
自分の世界に入り込んでしまっている立花を無理やり引き戻せば、彼に「お前、いつからそこにいたんだ?」という顔をされた。
しかしながら、私としては仮定の話よりも現実の話が聞きたかった。
体中にコブができるという寄生虫症患者の体内がどうなっているのか、私は純粋な興味、あるいは好奇心をかき立てられていた。
立花は、有鉤条虫の幼虫が寄生した内臓の様子を語った。
彼の描写は非常に分かりにくかったのだが、その話を総合すると「生肉にカビが生えたような」という表現が最も近いと私は思った。
健康な内臓であれば、当然それ本来の色合いをしている。
そこへ、白い斑点のように見える幼虫が、びっしりと寄生しているということから、他に適当な表現は、残念ながら思いつかなかった。
「特に、脳みそを食われていた患者は、脳みそが言葉通りの虫食い状態になっていた。ところどころ、丸くて黒い穴が開いていて、形は随分と崩れていた」
立花の簡潔な説明を聞きながら、私は無意識に茶の間の端に保管されている「おかき」の缶に目を向けていた。
新鮮な脳みそというのは、薄い灰色をしている。そこから時間が経つに連れて黄味を帯びてくるわけだが、「ところどころに黒く丸く開いた穴」という言葉から、私は豆が入ったおかきを連想してしまっていた。
それにしても、本来ならば腸内に寄生していなければならないサナダ虫が、体を這い登って脳にまで達したというのが、私には信じ難い話だった。
もしこれが立花ではなく、医療関係者でも何でもない外国人の口から聞いた話であったなら、私は間違いなく怪談話の類として受け取ることだろう。
「感染源は、豚肉と言っていたか」
聞けば、今度はちゃんと立花の耳に届いたらしい。彼は素早く頷いた。
「ああそうだ。有鉤条虫の感染源は、生の豚肉だ」
生の豚肉、と小さな声で反芻しながら、私は頭の中で豚の姿を思い浮かべていた。
桃色の体に、愚鈍そうな顔。子供のころ一度だけ豚小屋というものを見たことがあったが、思いがけず匂いが少なくて驚いた。
中には人懐っこいものいて、私の足の周りをうろついては、話しかけるように鼻を鳴らしていた。
その行動は、私の中で「可愛い」と呼べる部類に位置していて、食べられないことはないが、未だに豚肉を食べることに抵抗がある。
私の中で危険な寄生虫と豚という存在がどうにも結びつかずにいたのだが、立花は容赦なく話を続けた。
「世界には豚をトイレの代わりに使ってる国が多数ある。東京の都市部では、生ゴミの処理は豚の仕事だ。豚は雑食性の動物だ。よって、何でも食べる。もっとはっきり言うと、人間の排泄物を餌代わりにして飼われているということだ」
私はその時、どういう顔をしていたのだろうか。
排泄物を川に流すことが出来ない都市部では、排泄物は道に垂れ流しか、あるいはそういう仕事の者が回収して回らなければならないことになる。
しかし、豚を飼っていれば、豚が勝手に処分してくれる。
その上、人間はその豚を食料とすることも可能であるし、何より豚は成長が早く、出産率も高い。
非常に効率的な家畜なのだ……という意味のことを、立花は非常に回りくどく語った。
「それで、その豚を充分に火を通さずに食べると、豚の筋肉の中に潜んでる有鉤条虫の幼虫を人が食らってしまうことになる。この虫は人と豚の間を行ったり来たりしながら成長している虫だ。よって、他の動物には感染できないようだ」
そして立花は、障子の格子に張られた紙の模様をじっくりと観察し始めた。
「ついでにもうひとつ。有鉤条虫の卵は便と一緒に排泄されるわけだから、当然、尻の穴の周りにはかなりの確立で卵が付着していることになる。尻の穴を使って性行為する連中がいるだろう? そういうヤツらには、感染の危険が付き纏うということだ」
私は苦笑いした。
そういう趣味の者がいることは知っているが、私自身は全く興味が無かった。
「回教徒(イスラム教徒)は、戒律で豚肉を食べることと、同性愛を禁じられている。有鉤条虫症の感染リスクだけを念頭にするなら、その戒律には文句の付け所もない、と亜米利加人医師が言っていた。有鉤条虫の汚染地域は、たいてい回教徒が多いから」
そして立花は鼻をほじり始めた。
彼の指先から飛ばされた鼻くその行方を、私は無意識に目で追っていた。
「それで、こぶじゃくしについてだが、現時点での私の見解を述べさせてもらうと、幾つか有鉤条虫症と共通点が見受けられる。まず一つ。体表面部にコブを作るという点。次に、進行したこぶじゃくしの患者の中……つまり年配者の中には、精神障害に似た症状を引き起こすものがいるという点。視野が欠けるという典型的な症状もある。いくら貧しい村とは言え、四十代かそこらで痴呆の症状が出るとは考えにくい。全く関係ない病気の可能性もあるが、こぶじゃくしが脳内寄生した結果の精神障害だと考えるのが妥当ではないのか」
私はつい苦笑いを浮かべていた。
「患者の腹の中に、十メートル級のカエルでも潜んでいるとでも言うのか?」
立花はピクリとも笑わなかった。
「それは無い。サナダ虫が人間の体内で十メートルを超える巨体に成長することが可能なのは、もともと腸管寄生に適した体をしているからだ。カエルの体では、どう頑張っても人間の体には寄生できない」
私は真顔で「冗談だ」と言った。
立花は一瞬、その言葉の意味を考えてから、口元だけで「ははっ」と笑った。その顔を見ると、「どのあたりが冗談」なのか、真剣に考えていることが窺えた。
「しかし、腹の中に何かがいるという可能性は否定できない。調べてみよう」
立花はおもむろに私の方へ寄ってきた。
「まずはお前からだ」
突きつけられた指先に、私は思わず目を丸くしてしまっていた。
「こぶじゃくしは、既存の寄生虫症とは違う。未知の疫病に触れる時には、最低限、自分が感染しないように衛生面を徹底する必要がある。しかし、お前は体調不良を訴えている。言い訳は通じない。よって、お前自身が感染源になってしまっている可能性が否定できない。なぜなら、こぶじゃくしの村人は、赤子のうちにこの寄生虫に感染する。しかし、お前は大人だ。大人と赤子では、初期症状に違いが出ても何ら不思議はない。まずはお前がそのこぶじゃくしに罹っていないということを確かめよう。さあ、便所に行け」
立花が差し出してきたのは、マッチ箱によく似たお馴染みの検便用の箱だった。
「出せと言われて、すぐすぐに出せるものじゃないんだが」
私がしぶしぶながらも箱を受け取りつつ言えば、立花は仕方のないヤツだ、などと言いながら丸薬を二錠ほど出してきた。
私は溜め息をついた。
しかし、立花はこうと決めたら決して途中で考えを曲げない男だ。やれと言い出せば、相手が誰であろうと、途中で折れたりはしない。
そういう男だと、長年の付き合いで知っている。私は大人しく指示に従った。
結果は、もちろん陰性だった。