番外121 海鳥と魔術師
魔物ペンギンか……。体長は普通とは違うが凶暴そうではないしな。
んー。少し接触してみるか。
「ちょっと近付いてみる。マリー、翻訳の魔道具持ってる?」
「ええ。でも、話しかける、の?」
若干困惑気味なローズマリーである。魔法の鞄から翻訳の魔道具を受け取り、それを装着して水中呼吸の魔法を用いる。
「言霊なら何かしら感情ぐらいは伝わるし、理解出来るかなと思ってさ。使い魔じゃないから、五感リンクでやり取りができるわけじゃないし」
「なるほど。良い案ね」
「主殿なら精霊の気配も強い。きっと大丈夫だろう」
ローズマリーが頷き、マクスウェルが核を明滅させた。
「テオ、お気をつけて」
「危険そうな魔物ではないようだけれど、海の中だものね」
「ん。行ってくる。シリウス号はそのまま進んで構わない。速度を落とすと、あっちの興が削がれるかも知れないし」
みんなに言って甲板から海に飛び込む。
幾つかの水魔法を使ってシリウス号と海鳥と、それに俺と。並走するように進む。
エメラルドグリーンに透き通る美しい海の中を、結構な速度で軽快に突き進む。
ペンギンは俺が飛び込んだことにすぐに気付いたらしかった。奇妙な鳴き声を上げて、距離を縮めたり少し遠ざかったり、水の中でくるりと回ったりと、何やら随分楽しそうに泳いでいた。
ユーモラスなイメージがあるが、水の中を高速で泳ぐその姿は、何とも機能美と躍動感に溢れている。水中での活動に特化している、というのがよく分かる。
こっちも驚かせないように軽く手を振ったり、距離を詰めたり遠ざかったり、或いは海面から飛び出してみせたりと、遊びに付き合う、というように海の中を泳ぎ回る。
ここからどうしようかと、思っていたら、向こうから段々と距離を詰めてきた。もう、手を伸ばせば届くような距離だ。
「あー。初めまして、こんにちは、かな」
翻訳魔法を用いながら語り掛けてみる。ペンギンは少し驚いたように首を後ろに動かすが、一声上げて俺の周囲を回るように泳ぐ。
その声から妙に嬉しそうな感情が伝わってくる。向こうも挨拶をしてきている、ような気がした。
まあ結構高い知性を持っていると予想していたが。鳥の魔物だし、鳴き声によるコミュニケーションは得意な方だろう。だから言霊での接触を試みてみたわけだが……魔物相手でもきちんと通用しているようだ。
しかしまあ、本当に人懐っこいな。危険が無いと理解したからか、ますます楽しそうに泳ぎ回っているのだが。こう警戒心が薄いと、逆に心配になってしまうというか。
ヴェルドガル王国や月神殿、それに冒険者ギルドとしては友好的な魔物とはその関係を維持するように努めているから……仮に生息域がこの近辺ならば、報告して討伐や狩りなどの対象にしないように通達しておく必要が出てくる。
「このあたりに住んでるのかな? 他の仲間は?」
暫く海の中で戯れた後でそんなふうに、尋ねてみる。尋ねたその瞬間、ペンギンが意気消沈したのが分かった。
頭を垂れて速度が緩くなったのでこちらも合わせて速度を落とし、シリウス号にも一旦停船するようにカドケウスの通信機で連絡を入れる。
「ひょっとして、仲間とはぐれた、とか?」
ペンギンは短い声を断続的に上げるようにして答えた。多分、その声には肯定の意味がある。嘴とフリッパーで身振り手振りしながら俺に何かを伝えようと声を上げた。
魔力を使って氷を出したり、遠くにいる魚の群れを示してパタパタとフリッパーを動かしたり。
「……ええと。もっとずっと寒い所で暮らしていた?」
ある程度会話が成り立つようなので、確認の意味を込めて尋ねると肯定の鳴き声を上げる。
なるほど。これなら充分に意思疎通できる。
「魚を追いかけていたら、別の魔物に襲われて、逃げている内に仲間とははぐれた……かな?」
大きな魔物の住む危険な海域にうっかり迷い込んでしまったらしく。散り散りになって、自分はそこを突っ切る方向に逃げてしまった、と。
要するに……元々住んでいた場所には戻るに戻れず、あちこち彷徨っている内に自分がどこにいるのか分からなくなってしまったわけだ。
はぐれてしまっても食事はしなければならないしな。豊かな狩場を求めている内にこっちの海に来てしまったとか、背景を推測するならそういう感じかも知れない。
ペンギンはまだ何か他にも言いたい事があるのか、身振り手振りを交えて鳴き声で訴えてくる。
「えっと……。仲間とはぐれてずっと1人で不安だったところに、優しそうな……精霊、の気配を持った何かがいた?」
妙に大きかったが、仲間の影にも似ていたから嬉しくなってつい追いかけてきた、と。意訳するなら、そういった感じだろうか。
精霊の部分など、伝えようとしているものの、イメージがところどころぼんやりとしているので想像で補っている部分があるが、反復して確認した感じではとりあえず大きくズレた内容ではないようだ。
それにしても、仲間のような影ね……。これはシリウス号の事かな? 流線型だし、翼を含めると、フリッパーを広げたペンギンに似ていなくもない、ような。
まあ……それは良いとしよう。事情は大体理解したが、はぐれた魔物ペンギンか。さて。どうしたものかな。
「――というわけなんだけど」
今は旅の途中。今すぐに何かができるというわけではない。
しかし、それを含めて説明した上で一緒に来てみるかと尋ねてみたところ、魔物ペンギンは随分嬉しそうな反応を見せた。
そんなわけで甲板まで同行し、みんなにも引き合わせて事情を説明してみることにした。海の中では海面から甲板まで一気に飛び上がれる程の敏捷性を持っているが、甲板上では左右に身体を揺らして緩慢な動作であるのもらしいと言えばらしい。まあ、魔物なのでやる気になれば地上でも水を纏ったり氷を作って機敏に動けるのだろうが。
「迷子になってしまったわけですか」
と、アシュレイがマルレーンと共に心配そうな表情を見せる。
「そうなるね。仲間の群れが近くにいるなら何も難しい事はなかったんだけど……」
当の本人はと言えば、一回り程大きい身体のコルリスのフォルムに親近感が湧いているのか、ひっしと抱き着いていたりする。
対するコルリスはと言えば……まあ、割と落ち着いている様子だ。抱き着いてくるペンギンの背中を慰めるようにポンポンと軽く叩いたりして、何ともシュールな光景ではあるが。
「何だか、燕尾服を着ているみたいな色合いですね」
そんな光景にグレイスが苦笑しながら言った。ああ。だから人鳥なんて呼び方もあったんだっけ。
「海での活動に特化してるんだよ。海の中だと上からでも下から見ても保護色になってるんだね」
そんなふうに解説するとみんなは興味深そうにペンギンを見やる。少し空気は弛緩したが、話はまだ終わっていないので、みんなにも今後の方針を確認しておきたい。
「どうも、もっと寒い所から来たらしい。事情を聞いた以上はそのまま放っておくのも寝覚めが悪い。旅の途中で色々用事があるところにもう1つ厄介事を抱えるのも、とは思うんだけどね」
そう言うとみんなは顔を見合わせて、それから真剣な表情で頷いてこちらに向き直る。
「私達には異論ありません」
「仲間のところに戻してあげられるなら、そうしてあげたいものね」
「ん。1人で残されるのは大変だし、寂しい」
グレイスが言うと、イルムヒルトとシーラも同意する。
「まあ、方針としては今までのものに沿う形よね」
「コルリスとも仲良くしてくれてるみたいだし、心配はいらなさそうね」
「そうね。意思疎通もできるのなら、船で大人しくしていてくれるでしょうし」
と、ローズマリーが羽扇で口元を隠して言い、ステファニアとクラウディアが穏やかに笑みを浮かべた。そうだな。元々コルリスは目立つのでシリウス号からは離れない予定であるし、コルリスと仲良くしてくれるなら色々と心配はいらない。
後は……なるべくペンギンにとって快適な環境を整えておく必要があるかな。簡易の水槽を用意したりだとか。寒い環境が好みであるならラヴィーネの用いている冷却用魔道具に予備があるし、必要ならそれを使ってもらおう。
ペンギンは他の使い魔や動物、魔法生物組とも挨拶をしていた。首を振ったり鳴き声を上げたり。あれが挨拶ということらしい。
そうこうしている間にもシリウス号はゆっくりと目的地に向かって進んでおり……進行方向に最初の目的地である島が見えてきていた。
まあ、はぐれペンギンへの対応は保護するのを決定事項として、本来の仕事もきっちりこなさないといけない。まずは島の環境、状況を探ることとしよう。
ここいらの近辺が安全かどうかの情報も、折角ペンギンと意思疎通できるのだし、聞けば分かるのではないだろうか。




