80 伯爵夫人キャスリン
「実家とは色々あるんだよ」
アルフレッドの用事――空中戦用装備の使用感を伝え終えたところでそんな風に説明したら「分かった」と頷いてくれた。
一応、ガートナー伯爵家の家紋入りの馬車だったからな。アルフレッドに何も説明しないというわけにもいかない。
そんなアルフレッドとは、テーブルを挟んで適当に作った碁盤で五目並べをやって時間を潰して遊んでいるところである。
紙飛行機同様、ローテクな遊びなら片手間に作れるから、マリアンの暇潰しに良いかと用意してみた物だ。囲碁は自分で考えたと言い張るにはちょっと出来過ぎている感じだと思ったので五目並べである。
だが、どちらかと言うとマリアンよりアルフレッドの方が食いついた感じであるが。
マリアンはと言えばアルフレッドより俺の手の方が気になるらしく、俺の隣から覗き込んで、ときおり石の動きに小さく頷いている。マリアンはマリアンで、かなり賢いので結構強い。
「ガートナー伯爵は名君だって評判が良いけど。内情はどこもやっぱり大変なんだねえ」
アルフレッドはそんな事を言いつつ黒石を置いてティーカップを傾けている。その「どこも」というのには、自分の所も含まれているんだろうな。妙な含蓄があった。
あと涼しげな顔をして石を置いているが。俺の手を止めたうえでこっそり縦と斜めの石を繋げて3,4のコンボを作ろうと布石を置いているのは頂けない。
ここを見逃すと次の手でアルフレッドの勝ちなので、きっちり間を塞いで手を潰しておく。
「5年前のあれで、父は色々忙しかったから。伯爵夫人がそれを見て家の事は任せろって父に言ったんだよ。まあ、それで」
それであの体たらくだったんだけどな。
いや、キャスリンにとっては思った通りに事が運んでいたんだから、体たらくと言うのは少し違うか。
「……まあ、分かるよ。キャスリン夫人……ブロデリック侯爵家のご令嬢だっけ」
「元、ね」
「ブロデリック侯爵家ねぇ。良い噂は聞かないなぁ。権勢を誇るためと、道楽が過ぎて台所事情は火の車。伯爵家の援助と交易で一時は持ち直したらしいけど、最近また雲行きが怪しいらしい」
アルフレッドは……さすがにその辺の事情に詳しいな。自分の身を守るために貴族社会の情報収集には余念がないんだろう。
俺はキャスリンの実家の事はそこまで詳しく知らない。知ってもどうしようもなかったという部分があるし、どうにでもできるようになってからは、知りたくも無かった、というのが本音なので。
キャスリン=ガートナーになる前は……ブロデリック侯爵家の末娘である。
侯爵家から、まだ嫡男であった頃の父さんの所に嫁いできたのは、俺が生まれるより随分前の話だ。
「伯爵家の援助、か」
「まあ、そういう事だね。詳しい背景に関しては僕も知らないが」
要するに、政略結婚だな。格上の侯爵家から格下の伯爵家へ。
躓いた侯爵家と、それに助け船を出してコネを得た伯爵家と見るべきか。それとも伯爵家に圧力をかけながらの縁談を持ちかけ、それにより持ち直した侯爵家と見るべきか。
この辺の話をどちらが持ちかけたのかは分からないが……取り纏めたのは祖父の代の話である。
キャスリンはその際、気心の知れた者に身の回りの世話をさせたいと、実家から何人か使用人を引き連れて伯爵家に来ただとか、以前使用人が噂をしているのを聞いた事がある。
その派閥が段々と広がって……現状に繋がっているんだろう。新しく入ってきた使用人はかなり離職率が高かったしな。逆に、長く続く使用人はみんなキャスリン側に付いたり、見て見ぬ振りをしたりといった具合。
そういう環境をキャスリンが長年かけて作っていたのは間違いない。バイロンとダリルの家庭教師だってキャスリンが選んできたわけだし。
父さんは家庭以外の事は一線を引いて触れさせなかったが……まあ、家柄の事もあり、家庭内ではキャスリンの内情に踏み込みにくい部分はあったとは思う。
俺の口からあの連中の事を語ればどうしたって俺寄りの話になってしまうが、そんな性格なものだから貴族家の出身でない母さんと、その子供なんて、視界に入れるのも嫌だったようには見えた。
父さんの前で俺を相手にする時は、淡々としていたものの、正論だけ述べていたんだから、自分が後ろ暗い事をしているという自覚はあっただろうし、父さんに対して取り繕ってもいたんだろうけれど。
アルフレッドとそんな話をしながら五目並べをしていると、グレイスが言った。
「お取込み中申し訳ありません。この杖はどなたの物ですか?」
グレイスが持ってきたのは黒塗りの杖だ。魔法杖ではなく、普段使いのステッキといった風情のものである。
「んー。僕のではないね」
アルフレッドが言う。当然ながらマリアンのものでもなく、首を横に振る。
「父のじゃないかな。さっきの騒動が騒動だから、忘れていったんだと思う」
「やはりヘンリー様の物ですか。でしたら、後で私が届けてきます」
「いや。良いよ。俺が直接行く」
「……良いのですか?」
「どうせ、バイロンがこっちに来た時点で同じだから」
もう毒を食らわば皿までというか。
一応アフターケアをしておかないと、今日色々気を回したのが無駄になってしまう。
それにあちらの使用人に、グレイスに対して昔の調子でやられたら、問題が出てくる。バイロンの様子を見る限りグレイスの現在の肩書きを知っているかどうか分からない様子なので、俺が直接行ってきた方が良い。
「テオ君は出かけるのか。負け越しだけど、僕も十分息抜きできたし工房に戻ろうかな。ええっと」
アルフレッドはマリアンを見やる。
最近だとマリアンは工房だけでなく家で預かったりする事も多い。マリアンはみんなと仲良くなっているし、女所帯で腕の立つ面子ばかりなので、アルフレッドも安心感があるようで。
「どうする? 家で遊んでいる?」
と、俺が尋ねると、マリアンは嬉しそうに笑みを浮かべてこくこくと頷く。
「それじゃあ、有り難く厚意を受け取らせてもらうよ」
アルフレッドは苦笑して家を出ていった。
「マリアン様、今日は私がご本を読みましょうか?」
マリアンはアシュレイを見上げて嬉しそうに頷いている。まあ、マリアンの方は大丈夫だろう。俺も茶を飲みつつ頃合いを見て立ち上がる。
「ん。じゃあ、行ってくる。カドケウスはいないから、出歩くなら誰かと一緒にね」
「分かりました。……ええっと。危ない事は無いんですよね?」
「俺はね」
苦笑して答えると、グレイスも小さく苦笑して頷いた。グレイスの封印は解いておくべきだろう。
「そういう事だから、多少は警戒しておいて。今日は帰らない可能性もあるから。少なくとも、遅くはなる」
「任された」
「いってらっしゃい、テオドール君」
みんなに見送られて、家を出る。
さて、と。俺も気持ちを切り替えていこう。
向かう先は、タームウィルズ中央部付近。王城セオレムに印象の似た、石造りの庭園といった雰囲気の街並みを行く。
父さんの忘れ物には最初から気付いていたが、ガートナー伯爵別邸を訪ねる丁度いい口実になると思って黙っていたのだ。
まあ、忘れ物が無かったとしても、適当に父の持ち物として不自然でないものを町で買ってから、忘れ物じゃないかと言って訪れればいいと思っていただけの話なんだが。
カドケウスは今、父さんの影に潜ませて警戒……というか身辺警護させている。
というのも、バイロンの継承権を剥奪すると聞かされて、キャスリンがどう出るか分からないからだ。どうごねたってバイロンの状況が覆るわけもないのだが、俺さえ納得させればと、ゴリ押ししようとするかもしれない。
口喧嘩だとか俺の所に押し掛けてくる程度で済むのなら良いのだが、父さんにもしもの事があってからでは困る。
この事を事前に父さんに言わなかったのは……父さんが、家族であるならぎりぎりまで信じたいと思っているのが分かっているからだ。
何事もなくキャスリンが納得してくれるなら、それでいいと期待はしているが……父さんにカドケウスを付けている時点で信用はしてないんだけどな。
必要なのは父さんの身の安全だ。後は別に、必要不可欠ではない。
ともかく、あちらの状況に変化があれば、カドケウスの方から合図を送ってもらう事になっている。キャスリンを乗せた馬車が別邸に戻ってきたようだから、俺も動くタイミングだろう。
キャスリンはかなり追い込まれているような状況だ。動くならすぐだろうと思うし、俺が介入するのなら、別邸を正式に訪問していたというアリバイ作りをしなければならないので。
キャスリンの言いそうな事、やりそうな行動には予想が付く。俺は頃合いを見計らいながら別邸の門を叩いた。
「ごめんください。こちらはロード=ヘンリー様のお屋敷でしょうか?」
「はい。どちら様でしょうか?」
出てきた使用人は、見知らぬ顔であった。
「異界大使のテオドール=ガートナーと申します。ロード=ヘンリーが忘れ物をしたので、立ち寄らせてもらったのですが」
「テオドール……様? ヘンリー様のご子息の?」
「まあ、そうです」
「げ、現在、少々立て込んでおりまして……! その、しょ、少々お待ちを!」
称号まで名乗ったために門前払いをするわけにもいかないのか、使用人は慌てている様子だ。
一旦奥へ引っ込み、使用人と共に戻ってきた家令らしき人物も、知らない顔だった。
「少々お待たせしてしまうかも知れませんがよろしいでしょうか?」
「構いませんよ」
家令の後ろについて、屋敷の中へ入る。
通されたのは玄関ホールからすぐの応接室ではなく、反対方向の奥の部屋だ。応接室に父さんとキャスリンがいるのだから通せるわけがないが。
屋敷内で何人か使用人を見かけたが――そこに知己は1人もいない。
「……つかぬ事をお聞きしますが」
「はい?」
「伯爵領で見知った使用人が1人もいないのですが。ここの使用人は別邸で雇っている方達でしょうか? その、知っている顔があると安心しますので」
そう言うと、使用人は恐縮した様子で頭を下げてくる。
「誠に申し訳ありません、私共は伯爵領から同道させていただきましたが、テオドール様のご期待には、その――」
……不祥事か何かで、人事の刷新があった、と。
主人の不利益になりかねないような事を告げるわけにもいかず、言葉を濁している使用人に、笑みを向ける。
「いえ。言いにくい事であれば答えなくて構いませんよ」
「恐れ入ります」
使用人に関しては……父さんは既に手を打っていたようだ。かなり教育も行き届いているみたいだが……さて。




