78 ガートナー伯爵
「どうぞ上がってください」
と、父さんを家の中へ招き入れる。
父さんは相変わらず……と言いたいところだが、記憶にあるよりもやや痩せた気がする。ん。白髪も増えた?
俺が出ていってからキャスリン達の事で苦労しているのかな?
……案外俺が中央で好き勝手やっているから、かも知れないが。そうだとしたら少々悪い事をした気がする。だからと言って遠慮はしないけれど。
「中々良い家だな。支払いも高いのではないかな?」
「月100キリグです。大した事はありません」
「100、か。ふむ」
いきなり本題に入る事はせず、世間話からのようだ。
俺も気になっている部分を聞いておこう。
「ええと。バイロン達は?」
「どうしても、と言うからタームウィルズには来ているよ。お前の家の場所は伝えていないし、会いに行くとも伝えてはいないがね」
なんだ……来てるのか。まあ、夜間はカドケウスに警戒させておこう。
父さんを居間に通して他愛ない話をしていると、グレイスがお茶を運んできた。
「お久しぶりです、ヘンリー様」
グレイスは、静かに頭を下げる。
「うむ。2人とも変わりが無いようで何よりだ。そして、そちらのお嬢さん方は――」
父さんはアシュレイ達に目を向ける。
「初めまして、ガートナー伯爵。シルン男爵家当主、アシュレイ=ロディアス=シルンです」
「ガートナー伯爵家当主ヘンリー=ベルディム=ガートナーです」
アシュレイと父さんが自己紹介を済ませたところで、シーラとイルムヒルトの2人を、俺の方から紹介する。
「そしてその2人は僕の迷宮探索の仲間である、シーラとイルムヒルトです」
「はじめまして」
「いつもお世話になっております」
「う、うむ」
父さんは女所帯に目を白黒とさせている。まあ、こっちのペースにはなったか。
「……この辺は大分変わったようだがな。聞こえてくる噂も本当かどうか耳を疑うものばかりで困っている」
「例えば?」
「魔人を二度に渡り倒しただとか、そちらのレディ=アシュレイとも親密にお付き合いを頂いているとか。あー。騎士団の刷新に一役買っただとか、あのカーディフ家の没落に関わっているという噂も聞いたな。陛下とも心安いと聞いたが――いや、まさかな」
中々噂にしては正確だな。情報収集をしていたって事かな。
「まあ……大体本当の事です」
と、言うと頭痛をこらえるように父さんは首を横に振る。
「……何から突っ込んでいいか分からん。テオ。普段お前はどこで何をしているのだ?」
「魔法は必要なものを身に付けたので、後は迷宮で――」
「分かった。皆まで言うな」
父さんは手で俺を制するが、言いたい事は言わせてもらう。
というか、これだけははっきり言っておきたい。
「僕はここでやっていけるので、これ以上の援助は必要ないし戻る気もないと――」
「いやいや。だからそう急がず待てと言っている。そういう事ではないのだ。このうえお前を家に戻らせようだとか、言う事を聞かせようなどとすれば、私が恥をかくだけだ」
「……どういう事です?」
俺が止まると、父さんは小さく息を吐く。何だか、疲れているような感じを受けた。
「お前が反発するのは目に見えている。そうなれば、ガートナー伯爵は麒麟児を放逐する阿呆だと謗りを受けるだけ、という事だ。事実だから反論はできんが……。今は噂に便乗し、聞かれたらこう答えておるよ。優秀過ぎて後々騒動が起きかねないから独立させた、とな」
……なるほどね。
相続権が無いためにバイロンの後見人に収まっていても……例えば家臣が担ぎ出すような事になれば家を乗っ取られる可能性がある、などと、匂わせるわけか。
実際に家庭内で不和があった事も加味してのものだろう。その辺の事情は黙っていても多少は漏れるものだし、実際父が俺を外に出さなかったとしても、無詠唱で魔法を使える子供が、我慢する事を止めたとなれば。ふとした時に事故が起こってもおかしくはない。
……というか実際、カーディフの時は一度危なかったからな。
父さんも、俺がキャスリン達にどういう態度に出るか読み切れなかったからロゼッタを頼って家から出した部分はあるんだろうし。
離れた場所で面倒を見られればと思っていたのだろうけれど。その後が予想外だっただけだろう。
まあ、いずれにしてもその辺は噂になりこそすれ、建前として筋が通っていれば面と向かって突っ込んでくるような事もないだろうし、外枠としてはそれで合っていると言えなくもない。父さんが俺を外に出した理由が、少々違っているだけだ。
だがそうすると、いったい何の目的で俺に会いに来たのか。父さんの顔を見ると、苦笑して俺の疑問に答えてくれた。
「私が、ここに来たのは……ただ、お前の様子を見に来ただけだよ」
「それは――」
父親だから言う事を聞かせようなどと思っているのなら、色々考えもあったし、父さんであっても追い返すつもりでいたけれど。
「今更、だな。私は、リサが生きていた頃は家に呼べず、お前達が一番大変な時は近くにいなかった。家に呼んでからは――お前がされている仕打ちに気付けずにいたわけだ。正直、愛想を尽かされても仕方が無いと思っている」
別に。
愛想を尽かしたのは、父さんにではない。
伯爵領にである。何もかもどうなっても良いと思っている。
たとえ伯爵家と和解したって帰る理由にならないのは、そこだ。伯爵領の領民のために何1つする気になれず見切りをつけた俺が、伯爵家の一員としてあの土地に居たって、駄目だ。俺は多分腐るだけだし、下手をすればもっと悪い。互いにとって良い結果にならない。
じゃあ、父さんは? 俺は父さんを恨んでいるのか?
そもそもの話をするなら。父さんは不在だっただけで……母さんを見殺しにしたわけではない。
キャスリン達にされていた事は。
知らなかったから何もできなかった。知った後は解決しようとした。
母さんが戦いに向かった時……父さんが知っていたら。その場にいたら解決しようとしたんだろうか?
……そんなもしもの話に、興味は無いし、意味もない。
なら俺を手元に置くより、後嗣であるバイロンを選んだことは?
それは貴族家の当主なら仕方が無い、のだと理解はする。
何より、俺自身がそれを望んだんだから。そこに不満を言う気は一切ない。
いや、違う。過去の俺の境遇なんか、別にどうでもいい。
そうじゃなくて、父さんは母さんの事をどう思っていたかを考えるべきだ。
確か……そうだ。母さんが亡くなった事を知った後。
墓の前で俺に背中を見せていたけれど。あの時、確かに父さんは――。
そうだ。思い出したよ。
俺は大きく息を吸って、目を閉じる。それからこちらをじっと見ている父さんへ真っ直ぐに視線を合わせて、言った。
「……多分、父さんの事は、恨んでません。会いに来るだけなら、それはそれで構いません」
「そう、か」
「そうです」
父さんは椅子に深く腰掛け直して、そこでようやくティーカップに口を付けた。
「お前から頼りにされていないのは、仕方が無いな。自業自得だ」
と、寂しそうに苦笑する。
「全く頼りにしていないというわけじゃないんです。家を出る時も、色々融通していただきましたから」
「あれは……無かったとしても、大丈夫だったのではないのかな。その後の話を聞くにつけそう思うよ。今こうして、お前と話をしていられるのは、そのお陰ではあるのだろうが」
と、父さんはいつぞや、ロゼッタに言われたのと同じような事を言う。
「どちらかというと、グレイスを解放してくれたからですかね」
「リサから預かったのだ。本人がテオに付いていきたいという以上、その気持ちを無下にはできんよ」
グレイスは俺に向かって微笑むと頭を下げた。
「……改めて。レディ=アシュレイ」
「はい。ロード=ヘンリー。ご挨拶が遅れてしまった事、誠に申し訳なく思っております」
「……何分、テオドールと我が家の関係は綱渡りのようなところがありましたからな。仕方がありますまい」
父さんは苦笑した。
アシュレイは……俺が将来どうなるか分からないと言っていたし、実家とも不仲だと知っていたから色々行動を遠慮していたようだ。一方で俺としては伝えるタイミングは実家に対してはぐうの音も出ないほどの功績を立てて、絶対に介入を招かないようにしてから、という頭があった。
父さんは母さんが亡くなってからは農閑期にも伯爵領を出ようとしなかったし……このタイミングでやってくるのだったら、書状を先に認めておくべきだった、とは思うが。
「ガートナー伯爵家当主としては、既に何かを言う立場にはないのでしょうが。せめて父親としては祝福させていただきましょう」
「ありがとうございます」
アシュレイが深々とお辞儀をした、その時だ。シーラが反応して身構えた。
扉を開けて誰かが家の中に入ってくる。ノックさえない。
血走った眼で、室内を見渡す。俺と視線が合うと、そいつは俺を指差して怒鳴り声を上げた。
「テオドール! お前!」
……バイロン。
何でここにいる? というか何をしに来たんだ?
思わず父さんを見ると、知らない、とやや困惑したような表情で首を横に振った。




