76 巫女頭ペネロープ
「あっ、テオドールさん。おはようございます。待っていましたよ」
マジックポーションを買い取ってもらおうと冒険者ギルドで手続きをしていると、奥から出てきたヘザーが、挨拶もそこそこに言ってくる。
「おはようございます。何かありました?」
「テオドールさんがお見えになったら、神殿の方に来ていただきたいと伝言を預かっています」
「ああ、分かりました」
神殿から、か。十中八九封印の扉絡みの話だと思うけれど。
「それにしても……」
と、ヘザーは売却のためにカウンターに並べたポーションの小瓶を見やり、苦笑する。
「また、随分と持ち込みましたね」
「しばらく作り溜めしてましたから」
持ち込んだマジックポーションは計85本だ。
製作する側としてはギルドに買い取ってもらえば1本12キリグぐらいの儲けになると試算している。俺としては作製の工程にあまり負担を感じていないので、迷宮に潜るついでに得られる副収入としてはなかなか美味しいと言えよう。原材料に魔石が含まれていないのが利益率を上げている。
とはいえ採集の手間賃などパーティーへの支払分などがあったりするのでそのまま個人の収入になるわけではないが。
とりあえずみんなの懐も結構潤うので、なかなか良い事尽くめではあるかな。俺は俺で、入用になるかもと、あまり無駄な出費をしないように心がけているところはあるが。
「それではこちらが今回の買い取り価格になります」
ヘザーから銀貨と銅貨の入った袋を受け取る。
さて、と。用事は済ませたし荷物も片付いた。迷宮に潜る前に、まずは月神殿へ向かって話を聞いておく必要があるだろう。
迷宮に向かう時と同じように神殿に立ち入る。迷宮入口に通じる中央部の縦穴には向かわず、神殿奥の来訪者用の祭壇へと歩いていって、神官に声をかけてみた。
「すみません。テオドール=ガートナーと申します。神殿から呼び出しがあったのですが」
「ふむ。少々お待ちを」
神官は頷くと祭壇の脇にある戸口から奥に入っていった。
祭壇の後ろに作られた月の女神シュアスの石像は、いつものように迷宮奥に向かう冒険者達を、静かな表情で見送っている。
こちらの世界――BFO内ではルーンガルドと呼ばれていたが――は、多神教である。
祀られている神にもよるが、あまり民を抑圧する方向には向かわず、一般に対してはどこも割合戒律が緩い感じだ。与えられる加護や司る分野によって適宜拝み分けをしても平気だとかいう緩さ。
信仰する側も神と精霊が混同したりして、あまり気にしていなかったりするし。まあ、神官や巫女となると、その辺は結構厳密にはなってくるそうだが。
月の女神シュアスは太陽神エルテクスと同様、主神クラスの扱いで信仰している者も多いが……これも戒律の緩い神の代表格と言ってもいい。一般人からは身近な神として親しまれている。
「お待たせしました。こちらへどうぞ」
先程の神官が戻ってきて、俺達を神殿の奥へと通してくれた。
黒くて光沢のある質感の石造りの細い通路を通り、長い階段を登る。
登り切ると、そこにはやはり祭壇の間があった。下の大きな祭壇と違って随分とこじんまりとしているが、そこにも女神の像がある。
日の光が入ってこない、窓の無い部屋。篝火で照らされた室内。何かしらの魔法が掛かっているのか、ひんやりとした空気が満ちている。
そして、そこに居並ぶ巫女達。正面に三日月を模した錫杖を持つ、腰より長い髪の美女。
「よくぞいらっしゃいました。私は巫女頭のペネロープと申します」
と、静かに言って頭を下げてきたのはその、正面にいた美女であった。
巫女頭ペネロープ。マルレーン姫を可愛がっているという話だから……まあ、悪人ではないとは思う。
「テオドール=ガートナーです」
こちらも名乗ると、ペネロープは穏やかに笑う。
「勇名は聞き及んでおりますよ。どうぞ、こちらへ」
ペネロープは俺達を連れて、更に奥の部屋に通してくれる。
巫女達は神殿奥で暮らしているそうだ。となるとこの辺りの施設が居住空間なのだろう。
ペネロープが差し出してきたのは、いつだったかメルヴィン王に渡したはずのレリーフの写しだ。
「王城からもお話は伺っておりますよ。早速星の動きに詳しい者達に声をかけ、神殿の天文台や過去の記録から観測と計算を行わせました」
もう1枚。紙を差し出してくる。
「結論から言わせていただければ、惑星の動きに連動している、という考えは合っていると思います」
「ええと。一致しましたか?」
「ええ。平面図を立体に直すのに手間取りましたが、図形の中にも情報がしっかり書かれていましたので」
レリーフはカドケウスに完全コピーさせたからな。細部まで再現しているからこそだとは思うが。
「恐らく今年の冬に、宵闇の森にある扉の封印は解けるとの報告を受けています。そうでなければ200年以上は先の話になるでしょう。詳しい事はこちらの紙に記してありますので、目を通しておいていただければ」
200年、というのは……。
長い公転周期の星の動きなどを考えていくと、そういう事になってしまうわけか?
逆に言うなら、今年の冬を乗り切ればそれまで封印は大丈夫という事なんだろうけれど、その場合はきちんと後世に語り継ぐといった、所謂申し送りが必要になるわけだ。
「分かりました」
「私も月女神の巫女を束ねる者として、尽力させていただきます故。力になれる事がありましたら、何でも仰ってください」
「ありがとうございます。恐らく、当日は瘴気に対抗するために祝福を頂くものと思いますが」
俺は俺でそんな未来の事は気にせず、今年の冬に扉が開くものとして準備をしておくべきなんだろう。
楽観視して準備をしないわけにはいかないし、少々先の事とは言え、あまり悠長に構えていられる時間があるわけでもない。それまでにみんなを鍛えられるだけ鍛えておこう。
「――おや、マルレーン殿下。どうなされましたか?」
話が一段落したところで戸口を見やったペネロープが、優しげな微笑みを浮かべて言う。
俺もそちらに視線を向けると、そこにはマルレーン姫がいて。マリアンの時にそうしていたように、戸口から半分だけ顔を出してこちらを窺っている。
マルレーン姫と視線が合うと……嬉しそうに笑みを浮かべようとしたもののギリギリで思い留まったという感じの、微妙な反応を返してきた。
この反応はまあ……分からないでもない。
マルレーン姫である彼女と会うのは2度目、という事になるだろうか。
マリアンとしての彼女は――あれ以来、工房に侯爵家令嬢のオフィーリア共々、ちょくちょく顔を出すようになった。
アルフレッドの話から推測するに、マルレーン姫が街中に遊びに行っていると権力側からはそれだけ遠ざかるから、親戚――恐らくローズマリーの事だろう――も上機嫌なようなのだ。
マリアン自身も神殿や工房にいる方が楽しいようで。従って、マルレーン姫の時は神殿に。マリアンの時は工房にいる事が多くなるわけだ。
ただ、アルバート王子やオフィーリア同様、変装しているものだから……マルレーンとして俺に会った場合、どういう態度を取っていいか分からなくなってしまうのだろう。
この辺、アルフレッド達は割と卒がないのだけれど。マルレーン姫にはまだ小器用に気持ちを切り替えるのが難しいのかも知れない。
「お久しぶりです。マルレーン殿下。お元気でしたか?」
気付いていない事をアピールしつつ挨拶をすると、マルレーン姫はようやく嬉しそうな笑みを浮かべて頷いた。元気だ、という事らしい。
「そんな所にいらっしゃらないで、こちらへどうぞ」
ペネロープに誘われたが、マルレーン姫は笑みを浮かべたまま、小さく首を横に振って神殿の奥へ引っ込んでしまった。あまり長居するとバレてしまう、と思っているのかも知れない。
あの指輪に込められた変身魔法の術式は、視覚だけでなく嗅覚や聴覚なども騙せる高性能なものだが……全体的な雰囲気や所作までは偽りようがない。
何より、マルレーン姫とマリアンは、言葉を話さないという特徴がある。あれだけの接触なら恥ずかしがっていただけとも思えなくもないが。
ちらりとシーラを見やると、少し不思議そうな表情をしていた。うーん。彼女は感覚が鋭いからな。シーラに限らず、みんな事情がありそうなら口にしない、ぐらいの気遣いや慎重さを持っているから大丈夫だとは思うが……念のため、折を見ながら少しだけそれとなく話をしておこうか。
「テオドール様はマルレーン殿下と面識があるのですね?」
「ええ、前に王城で一度」
「そうでしたか。随分と姫様に好かれているようですね」
「そう見えますか?」
「はい。とても嬉しそうにしていらしましたよ」
ペネロープは目を細めた。
「姫様は、将来神殿に入りたいと仰っているのです。見習いとして、あの若さで修行をなさっておいでなのですよ」
「将来が楽しみ、といったところですか」
「そう、ですね。巫女としては、きっと大成なさるお方だと思います。ただ――私はあの方の居場所が他にあるのなら、それは神殿でなくても構わない、とも思うのですが」
と、そんな事を口にするペネロープには、どこか自嘲気味の色が混ざっていた。
つまり……彼女は本当にマルレーン姫の身や心情を案じているわけだ。優秀な巫女を得る事より、彼女が周囲の環境から神殿に追いやられてしまうのが不憫だと。
巫女頭の立場としてはあまりはっきりと公言はできないのだろうが、ペネロープはどうやら、かなり信頼できる人物のようだ。




