74 異界大使と第2王女
「では――もう1つの話に移ろうか」
メルヴィン王にとっては今の話が山場だったのだろう。幾分か柔らかい雰囲気になった。
「良い話、という方ですか?」
「うむ。封印の扉の発見、魔人ゼヴィオン、魔人ザルバッシュの撃退について、功に報いねばなるまい」
つまり褒賞の話か。
グレイスを同行させるようにと言ってきた理由は、つまりこれなのだろう。
「テオドール。そなたは前に、余に言った気持ちに変わりはないのだな?」
「冒険者稼業のままでという事なら、そうですね」
「グレイスであったか。そちは?」
「私は――テオドール様のお側にお仕えできればそれで」
即答に近い。グレイスの返答には迷いが無い。
メルヴィン王は瞑目した後、苦笑というか自嘲気味の表情を浮かべて、言う。
「ふむ……。足枷になるようなものでは困るという事か。余としても、先ほどのような依頼をした以上、それは有り難い話ではあるのだが、な」
爵位と領地を与えるとなると領地経営だとか宮仕えの義務だとかが発生するわけで。
迷宮に潜っていれば力を蓄えられるのだし、対魔人戦の戦力として当てにしている以上、他の雑事にかかずらってしまうような事態はメルヴィン王としても回避したいのだろうとは思う。
「リカード。このような場合にはどうするのが良いかな?」
「名誉職を与えるだけというのも……王が実のところは軽んじている、などと邪推されてしまうやも知れませぬ」
「うむ。その通りだ。ミルドレッド。お主は?」
「依頼の遂行にあたり、臨機応変に対処に当たれるような実利があるべきかと」
「その上で、他の貴族とは利害がぶつからず、無用な揉め事を呼び込まないようなものが望ましいと思うのだが、どうかな?」
「ですな」
「いや、全く」
と、メルヴィン王と2人の重鎮は妙に作り物めいた笑みで笑い合う。
……ええと。
「立てた功績の大きさから鑑みて、既存の魔術師の名誉職や称号、爵位に比肩するものでなければなりますまい」
「そこに幾つかの権限を付け加え、単なる名誉職とは一線を画する事を明確とする、と」
「その通りだ。そしてそれは、迷宮に関するものが望ましい。つまり――新しい役職や称号の創設とその叙勲ということになろう」
メルヴィン王はにやりと悪戯っぽく笑ってこちらを見てくる。
うーん。今相談してますみたいなやり取りをしてはいるが、最初からシナリオというか、この話の流れを考えてあったようにしか見えない。
「というわけで、だ。余の正式な名代として迷宮を探索している事を位置付けさせて称号を贈らせてもらおう。異界大使……などというのはどうかな。余の代行という事になるであろう」
――ええと。
タームウィルズ大迷宮の実際の運用については冒険者ギルドに委任されているが、これを資源と位置づけ、最終的に誰が管理するものなのかと言えば、境界都市にある以上は国王の管理下という事になるだろう。法的には、の話だが。
実質的に管理の及ばない下層――実在するか怪しい異界についても、名目上はそうだ。
その異界に対する大使……そして名代という事は――つまりこの場合、魔人と戦うという王家からの依頼を遂行するために必要と判断したら、どこそこに入ってもいいかとか、何々をしてもいいかとか、一々王国やギルドの許可を仰がなくていいという意味なのだろう。
これで、迷宮の全容を王家が把握しているのなら異界管理者などという名目になったのだろうが。
管理側は俺や王家じゃなくて、あの迷宮で見た少女や、その背後にある者だろうしな。メルヴィン王の、迷宮への理解度はかなり高いと見ていいだろう。
まあ、大使なんて言ってはいるが、要するに迷宮内では現場の判断で俺の好き勝手にやっていいよ、とお墨付きをもらった感じであろうか。
元々魔人に対するのに必要とあらばそうするつもりだったにしても、最初から保証してもらっているというのは有り難い話だ。
実際は王や騎士団長、宮廷魔術師といった重鎮、月神殿、冒険者ギルドなどとは連携していく事になるだろうが、現場でそういったお偉いさんと同等の権限を持っているというのは――破格の待遇ではあるんだろうな。
爵位でなく役職名でもなく、称号と言ったのは――身分に敏感な貴族の反感を抑えるとか、公に設けられた役職ではないとする事で、組織の枠組みからは外して独立性を確保するとか、そういう狙いがありそうだ。
「そなたを普通の子供の括りで見るのは、余はもう止める事にしたのでな。ジャスパーであったか。彼奴を捕えた時の話も、ゼヴィオンと戦った時の話も聞いた。現場での判断も並々ならぬものがある、と思っておる。よって、足枷になるものを排除する方向で考えた」
……うーん。冷静に見ると、上司に当たる相手が国王しかいない、ような。
「同様に、グレイスにも魔人ザルバッシュを打ち滅ぼした褒美を取らせる。異界大使直属の位置付けで騎士爵位を与えよう」
グレイスは目を閉じて、静かに頭を下げた。
騎士爵位、か。一代限りではあるが、これは貴族の末席扱いという事になる。こちらは、俺としては歓迎できる。グレイスの公式的な身分は、あった方が良いに決まっている。それが俺の直属であるというのなら、言う事は無い。
「シルンの娘。そなたの活躍にも期待しておるぞ」
「わ、私もですか?」
「うむ。学舎から話は聞き及んでおる。治癒魔法に頭角を現しておるとな。グレイス共々、よくテオドールを支えよ」
「非才なれど、全力を尽くします」
アシュレイが頷くと、メルヴィン王は満足そうに笑みを深めた。
「正式な発表と叙勲は後ほどという事になろう。今宵は存分に飲み食いしていってくれ」
と、メルヴィン王は酒杯を掲げて言う。いやはや。それにしても思い切った事をするものだ。
国王との晩餐が終わって、来た時と同じ使用人の案内を受けて帰ろうとしたところ、バルコニーの庭園に若い女が女官を連れて佇んでいた。
歳の頃は17ぐらい、だろうか? 整った顔立ちではあるのだろうが、切れ長の瞳がきつい印象を与える。
「あら……?」
女はこちらを認めると、羽扇を広げて表情を隠しながらこちらを値踏みするように見てきた。
豪奢なドレスを身に纏っているから身分が高いのは言うまでも無いのだろうが……場所が場所だ。
ここは王族の暮らす区画。最低でも公爵令嬢クラスと見ておくべきだろうが、可能性が高いのは王女の方だ。
第一王女か、第二王女かは解らないが、噂話や伝聞から印象を当てはめていくと、どちらかは想像がつくような気がする。
「お前ね。お父様の客、というのは。わたくしは、第二王女ローズマリーよ。以後、見知りおきなさい」
やっぱりローズマリーか。できるなら会わずに済ませたい相手だったな。
「直答を許すわ。お前の名前は……テオドールで合っていたかしら?」
「ええ」
「ふむ」
ローズマリーは俺の目の前までつかつかと歩いてくる。
「で、殿下……」
案内役の使用人が慌てたように声を掛けようとしたが、ローズマリーが薄笑みを浮かべて一瞥すると、使用人は言葉に詰まってしまった。
「随分な活躍をしているそうね」
ローズマリーはその表情を貼り付けたままで、羽扇を閉じると、俺の顎を持ち上げるように突き付けてくる。
そうやってしばらく俺の顔を見ていたが、ローズマリーはやがて楽しそうに笑った。
「……ねえ、お前。望むのなら、わたくしが飼ってあげてもいいわよ? その生意気そうな目が、中々気に入ったわ」
……飼ってあげてもいい、とは随分な物言いだ。
それは、政治的に取り込んで取り立ててやる、という意味で……合ってるよな?
聞きしに勝るというか。こんなのが姉なのだから、アルバート王子やマルレーン姫も大変だろう。噂を聞く限り権力闘争が趣味みたいだしな。
長兄と長女はまともだという話なのが救いだが……、ローズマリーみたいなのがいなければ、アルバート王子達ももう少し安穏としていられたんじゃないかと思う。
案内役の使用人が何か意を決したように顔を上げた。まあ、国王の客として呼ばれてきたわけだし。その帰り道にトラブルがあっては困るという事なんだろうが、別に援護は必要ない。
「ご期待には沿えません殿下。依頼を受けています故」
派閥に取り込む、というつもりならメルヴィン王の依頼と称号の話が出ている時点で無意味な話だ。
それ以前に、少し意に沿わなかったチェスターを切り捨てたあたり、あまり信用できる相手でもなさそうだし。
「ふうん?」
ローズマリーはつまらなそうに呟くと、羽扇を広げて表情を隠す。何かを思案しているようだったが、やがて小さく肩を竦めた。
「ま、いいわ。お父様の客人だものね。少々の無礼も、見逃してあげる」
その言葉に安堵したように胸を撫で下ろしたのは、俺ではなく使用人の方だ。まあ使用人達にとって、ローズマリーに意見するのは大変な決心を要する事、というのは理解した。
「――どいつもこいつも。迷宮迷宮、魔人魔人ばかりでつまらないわねぇ」
立ち去る際、そんな声と共に羽扇で掌を叩く音が背中から聞こえた。
まあ……チェスターやフェルナンドの代わりが欲しいのなら他所を当たってくれ。




