69 灰と傷痕
「これは……報告のさせ方を、間違えたな」
地面に倒れているゼヴィオンに近付くと、奴はそんな事を言った。
何の話か分からず眉を顰めると、目を閉じて笑う。
「封印、などより、我等の障害となるのは貴公だと、そう言っている」
……扉の事などどうにでもできると言いたいわけか。
「月光神殿には何があるんだ?」
「さあ、な。俺の退屈を、癒してくれるものがあると。そう言っていた。下らん者どもを焼き払うばかりの無為な日々にはうんざりしていた。だから、俺も協力した」
そういえば……さっきも飽いていたとか言っていたな。あんな剣呑な能力を持っていたんだ。釣り合う相手なんか、いなかったのだろうが――。
その身体の内側から。傷口の端から。炎が噴き上がる。
「だが最後の最後で、愉しい――戦いができた」
そのまま――ゼヴィオンの全身が燃え上がる。炎の中から、そんな声が聞こえた。最後に残った灰も巻き上がる炎と共に風に攫われて。
最後の一握りまで空に散ったのを見届けて、目を細める。
……ゼヴィオンの退屈を癒す、か。奴の趣味嗜好から考えると、どう考えても人間にとっては危険な代物にしか思えないんだが、な。
「テオ!」
グレイスの声が聞こえた。
「痛っ……」
振り返ろうとして、顔を顰める結果となった。
戦いが終わってグレイスの声を聞いたから気が抜けたか。今更火傷のひりつく痛みを思い出したというか、蘇ってきたというか。軽く悶えているような有様だ。
一番痛むのは武技を皮一枚で避けた脇腹のものだろうか。まあ、どれも重篤なものではないから、あのクラスの魔人を倒した代償としては上出来なんだろうが。
「テオ……。こんなにあちこちお怪我を……」
「どれもそんなに重くはないから、大丈夫。治癒魔法を掛ければいいよ」
治癒魔法の光を手に宿すと、グレイスは慌てた様子で言う。
「だ、駄目ですっ! 応急用の治癒魔法では火傷が痕になってしまいます!」
「……分かった。じゃあ、帰ってアシュレイに頼もう。グレイスは? あの魔人は自分が死ねば、霧の影響も消えるみたいな事を言ってたけど、大丈夫?」
「はい。私は大丈夫です。ですが――」
遠くの空から、騎士達も戻ってきたのが見える。表情があまり浮かないところを見ると――。
「使い魔には逃げられた、か」
「……申し訳ありません。私もしばらく追いかけてはみたのですが。魔人を倒した時には見えなくなってしまっていて」
「まあ、仕方が無いさ」
飛竜の速度と視力で見つからないとなったら、これは無理だろう。というか、追走させないためにザルバッシュもあの霧を撒いていたのだろうし。上手くザルバッシュを撒いて追い掛けようとしても無駄だった可能性は高い。
あの背鰭が鮫だかイルカだか知らないが――まともな生き物ではないのだろう。あの手の海洋生物型使い魔に潜航されて本気で逃げられたら、捕捉も追跡も難しい。
ザルバッシュは報告が中途半端になったと言っていたが。果たしてどの程度の妨害になった事やら。
実際の被害としては――最小限に抑えられた、と思う。高空に誘うまでの過程で少々建物が壊れたりしたが……。
「素晴らしいものを見せてもらった」
と、地竜に跨って現れたのはミルドレッドとメルセディアだった。
「被害の方はどうですか?」
「今壊れた建物を部下達が見ているよ。もし怪我人がいたら搬送するように言ってあるが……まあ元々避難誘導は進めていたわけだし、大丈夫ではないかな? 壊れた設備についても君達に批判が及ばないよう、手を回させてもらうつもりだ」
「よろしくお願いします」
特に宿屋。壁を吹っ飛ばしたし。
「君達は今回、これ以上ないほどの功労者だからな。後の細々とした処理は任せておいてくれ。そのうち王城から声が掛かると思うが……今日のところは大丈夫だろう」
そういう事なら。後始末や王城への報告は騎士団に任せて、俺とグレイスは帰らせてもらう事にしようか。
「どうですか?」
アシュレイの心配そうな表情。シーラやイルムヒルトもあまり浮かない顔をしている。
「んー。冷たくて気持ちいいけど。なんだか、くすぐったい……ような」
家に帰って、長椅子に腰かけて。
ロゼッタの監督の下、アシュレイに火傷用の治癒魔法を掛けてもらった。
俺がどんな怪我をしても良いようにと。2人で待機していたらしい。
「我慢なさい。その下で焼かれた部分を、元通りにしているのよ」
ロゼッタは苦笑しながら言う。
俺の身体のあちこちに水の膜のようなものが貼り付いている。
水の治癒魔法、ヒーリングシェル。壊死や火傷など、損傷した組織とそうでない組織がはっきりしない傷に有効、という事だ。
BFOでは持続回復、ぐらいの効果だったかな。あんまり必要性を感じなかったのでスルーしていたけれど、こんな、くすぐられるような感覚のある魔法だとは思わなかった。
「ただ、脇腹の傷は痕が残ってしまうわね。あ、勘違いしないでね。アシュレイの腕がどうこうじゃなくて。私がやっても同じよ?」
「頬の傷は――」
心配そうなアシュレイの声。
「んー。大丈夫だと思うけど」
ロゼッタが小首を傾げる。彼女の見立てを信頼しているのかアシュレイは胸を撫で下ろした。いやまあ、俺としては別に。どっちでもそんなに気にならないが。
「というか――炎熱のゼヴィオンって言ったのよね? それは確かなの?」
「ん。そう名乗ってましたね」
「そんな相手に……その程度の軽傷で済んでいるのが驚きだわ」
「知ってるんですか?」
「結構前に、グロウフォニカ王国で大暴れした魔人よ。倒されたわけでもないのに最近名前を聞かないと思ったら、まさか、こっちに来てるなんてね」
グロウフォニカ。西の隣国だ。
魔人と戦って相当な被害を出したとか何とか。ゼヴィオンの仕業だったか。確か、俺が生まれるより前の話じゃなかったかな。
リネットは普段からリネットと名乗っていたが。ゼヴィオンが偽名を使っていたのは悪名が売れに売れているからか。
ロゼッタは呆れたような顔をしているが……。いや。あいつと戦うなら、オールオアナッシングというか。
一撃をまともに貰ってしまったらそれで終わるか、そうならなくても戦闘の継続が不可能になると思うので、勝ったのであれば軽傷というのは理に適っているはずだ。火傷は必要経費という事で。
「ところで、明日からの予定は? また迷宮?」
ロゼッタは立ち上がると、そんな事を聞いてきた。
「んー。数日は休憩しますが」
「それを聞いて安心したわ」
ロゼッタの言葉に苦笑する。火傷は大丈夫だけどな。気分的に、というか。
今後の課題も出てきたしな。飛行術を全部自力でやろうとするのはどうも難しいようだが、個々に合わせた補助の道具があれば十分空中戦ができる、という事を考えると。
魔人の目的は迷宮にあるのだから、今後も魔人と戦う可能性は高い。間に合わせでなく、きちんとした空中戦用装備が必要になってくるだろう。今回の事でグレッグ派がガタガタになったから、抵抗勢力も弱まっているだろうし、良いタイミングかも知れない。
「ま、今日のところは無事なのが確認できたから、それで良いわ」
「私達も、一度西区を見てくる」
ロゼッタが笑みを浮かべて立ち上がると、シーラとイルムヒルトもそれに続く。
さて。対空装備のあれこれとか。魔人の事とか。
色々あるけれど、今日はもうゆっくり過ごすと決めた。
グレイスと視線が合うと、彼女は艶然と微笑みを浮かべる。
今回は反動が結構大きいようだ。ザルバッシュの戦法が戦法だったので、彼女を相当怒らせたようだからな。それに伴って吸血鬼側にかなり引っ張られていたみたいだし。
グレイスは大丈夫だと言っていたけれど。彼女にも循環錬気をして体調を見ておこうかな。
――ちなみに後日談として。
今回の主だった被害としては、人的損失は無かったそうだが、西区にあるシーラとイルムヒルトの塒の屋根に穴が空いていたそうだ。
……うーん。身内の場所にピンポイントで被害が出るとか。彼女達は寧ろ面白そうに笑いあっていたが。避難してもらっていて正解ではあったか。




