713 聖女の思い
シリウス号はやがてガートナー伯爵領に到着する。何時も通り、母さんの家に程近い湖畔にシリウス号を停泊させる形を取った。
春先の母さんの家の周辺は……あちこちで花が咲いていて綺麗なものだ。人里では騒ぎにならないようにとあまりシリウス号や馬車の中から顔を出さなかったヴィンクルも、興味深そうに甲板から周囲を覗いていた。
「このへんは街の外だから……用事が済んだら外で遊んでても大丈夫だと思うよ。人目に付きたくないなら、誰か来たら教えるってこともできると思うし」
バロールを打ち上げて上空からライフディテクションを用いてやれば問題はあるまい。ヴィンクルは俺の言葉に、小さく声を上げて答えた。
というわけでみんなでタラップを降りる。
母さんの家の周りは……ハロルドとシンシアが普段からの手入れをしっかりしてくれている。冬場の枯れ葉も道から除けられて、花の咲いている場所も丁寧に整えられているのが窺えた。2人は留守中の事を気にしていたが、特に問題は無さそうだ。
ガートナー伯爵領……というより、母さんの家にも一泊するので、家の中の掃除や手入れもしなければならないが……折角父さんとダリルも一緒にいるわけだし、最初に母さんの墓前を見舞ってくるというのが良いだろう。
だが、その前に。今回の旅行にこそ同行は遠慮していたが、母さんの墓参りはしたいと七家の長老達も言っていたので、タームウィルズまで転移魔法で迎えに行かないといけない。
通信機で連絡を入れると、みんな月神殿前に集まって待っているとのことである。どうやらお待ちかね、といったところか。クラウディアにそのことを伝えると、静かに頷いた。
「それじゃあ、迎えに行ってくるわ」
と、クラウディアはマジックサークルを展開。転移魔法で飛んで、やや間を置いてからまた光の柱が立ち昇り、お祖父さん、ヴァレンティナ、シャルロッテと七家の長老達共々戻ってくる。
「おお、ここがパトリシアの……」
「確かに、フォレスタニアや、学連の近くにある森に似ておりますな」
「うむ。あの家も、パトリシアらしい」
というわけで、一気に人が増えて賑やかになった。みんな母さんの身内のようなものだしな。母さんの家を見て、驚いたような納得したような表情を浮かべている。
「こんにちは」
「ああ。テオドール卿。呼んで頂けて嬉しく思いますぞ」
と、声をかけると長老達は上機嫌な様子で、挨拶と共にハグしてくる。
境界公にはなったが……このあたり、長老達にとっては俺の立ち位置は不動のもののようで、俺も苦笑しながらハグに応じる。
「それじゃあ……早速ではありますが母さんのところへ参りましょうか」
花束やお供え用の物品を持ってみんなで森の中を行く。木立の中を少し進むと――日当たりの良い花畑の真ん中に母さんの墓所があった。
春の日差しの中で、柔らかい色の花々が咲き誇っている。
「わあ……」
「やっぱり……春だと綺麗ですね」
アシュレイが小さく声をあげ、グレイスが微笑む。
「これは見事な……」
「元々母さんが気に入っていた場所ですからね。墓守の2人も、丁寧に手入れしてくれていますし」
「いえ、そんな……これが仕事ですから」
墓参りの為に、花の位置を丁寧に植え替えて道を作ってある。
このあたりの仕事はハロルドとシンシアの2人がやってくれたものだ。2人は留守中のことを気にしていたし謙遜もしているが……普段から手入れをしているからか墓所の周りは花畑などを抜きにしても綺麗なものであった。みんなの反応も芳しいものだ。
風に飛ばされた花びらやら葉っぱが墓石に乗っていたりしたので、それを払ったりすればもう掃除は完了、といった具合である。
花束を墓前に置き、小さなドクロの置き物をあまり目立たない場所にちょこんと座らせるように置いた。マスコット的なデフォルメを施した置き物なので、モチーフがドクロでも禍々しいという感じはないが……これで母さんが喜んでくれるかどうか。
そうしてお供えを終えたところで、みんなで墓前に祈りを捧げる。麗らかな陽射しの中で、目を閉じて黙祷する。
イシュトルムの齎す被害を減らすことができたのも、奴の能力を看破するヒントも。そして、戦いの中での決め手になった術も。あの時の母さんと奴の戦いがあったからこそだ。
母さんの戦いは、何一つ無駄になどなっていない。俺はその後始末をしたに過ぎないと思っている。
だから――これだけは伝えたかった。ありがとう、母さん。
俺を、みんなを、守ってくれて。あの時からずっと。死睡の王の力を抑えていてくれて。
イシュトルムは、もういない。平和になって、結婚して。これからも色々あると思うけど、もう、俺もグレイスも、みんなも……大丈夫だから。
そう、心の中で呼びかける。
ふわりと。そよぐ風が俺達の間を吹き抜けていくその瞬間に。
頭を撫でられ、身体をそっと抱きしめられたような感覚があった。
「お……?」
「今、何か……」
「リサ……様?」
それは一瞬のことだ。みんなにも似たような感覚があったのか、周囲を不思議そうに見回していた。動物達にも何か感じられたらしい。ラヴィーネはあちこち見回しているし、コルリスも目を瞬かせていた。
辺りには――俺達以外誰もいない。母さんの姿は見えない。
だけれど、心の内側には暖かくて懐かしいような、不思議な感覚だけが残っていた。母さんの撫で方や抱き締め方だとか。俺やグレイスは知っている。憶えている。今のは間違いなく母さんからの挨拶だと、確信できるものがあった。
「――前にこの墓所に来た時……一瞬だけ母さんの幻影を見た、ような気がしていました。僕だけが見たのかと、その時は話をしませんでしたが。でも、それはきっと幻なんかじゃなくて、本当に見たんだと、今なら言えます」
「……そうか。パトリシアは……イシュトルムから解放されて、帰って来ておるのだな」
お祖父さんが目を閉じて言う。
「どうか……見守っていて下さい。封印の巫女の名に恥じぬよう、頑張りますから」
そう言ってシャルロッテが手を組んで祈りを捧げる。
「うむ。パトリシアらしいな」
「儂らは、辛い定めを背負わせてしまったのを謝りにきたというのになぁ……」
七家の長老達にも母さんは挨拶していったのだろう。長老達は驚きつつも笑い――そしてその目尻には、涙が光っていた。
「その……何というのかしら。お義母様から、歓迎されたような気がするわ。握手されたような感覚が――」
「ふふ。そうですね。楽しそうに微笑んでいらっしゃる……ような気がします」
ローズマリーが掌を開いたり閉じたりしながら些か戸惑ったように言うと、アシュレイもそんなふうに答えた。母さんの挨拶の仕方は俺とみんなとでは少し違ったようだが……みんながそう感じるのなら、きっとそうなのだろう。
「結婚の報告と挨拶に参りました。未熟ではありますが、精一杯妻として頑張っていく所存です」
ステファニアは改めて墓前に向かってスカートの裾を摘まんで挨拶をする。マルレーンもそれに倣うように挨拶していた。
「んー。母さんの家じゃなくて、墓所の近くでみんなで食事をするのもいいかもね。良い天気だし、母さんは賑やかなのも結構好きだからさ」
「ん。それじゃあ、船から食材や調理器具を取ってこないと」
「楽器も用意したほうが良いかしら」
シーラとイルムヒルトが言う。
「ああ。そうだな。じゃあ、色々取って来よう。伯爵とダリル殿は、お時間大丈夫ですか?」
「問題はありませんよ」
と、父さんは頷き、それから静かに言った。
「リサは……拍子抜けするほど相変わらずだな。姿を見せないのも、らしいと言えばらしい」
父さんの言う通りだ。これから先の俺達の行く末を、大丈夫だと信頼をしてくれているからこそ、イシュトルムを倒した時のようには姿を見せず、近くで見守るように存在だけを知らせてくれたのだろう。
七家の長老達の、母さんへの罪の意識も。そんなものは必要ないと笑い飛ばすように自分の気持ちだけを知らせてくれた。そして、もうきっとそれ以上のことはしない。あまり湿っぽい空気にならなかったのは……母さんらしい。
だからこっちも賑やかに、楽しく過ごして、母さんの心遣いに応えたいと思う。




