695 新たな門出
月の王と王妃の姿が見えなくなっても暫くの間はクラウディアもみんなも、動かずにいた。クラウディアの重ねた年月と迷宮の歩んだ道を思うと、名残惜しいと感じる、その気持ちは分かる。
やがて――口を開いたのはクラウディアだ。
「ありがとう、みんな。私はもう大丈夫よ」
そう言って微笑むと、マルレーンの髪を撫でたりして。
「それじゃあ、残っていることを終わらせておきましょうか」
「はい、ティエーラ様」
ティエーラの言葉に頷き、クラウディアは管理者との契約等々を進めていく。
既に管理者になったティエーラは必要な術式や知識を迷宮から得ている。コルティエーラの記憶と併せれば迷宮の実情も分かっている。そのためか、クラウディアと相談する姿やその内容は管理者になったばかりとは思えないぐらいだ。
2人の間にマジックサークルが展開し、そうして契約も結ばれた。
「これで良いわ」
「どういった契約なんですか?」
「私は……前任者としての経験から助言役という事になるのかしら」
「迷宮深層や中枢への出入り、迷宮の魔物に攻撃を受けないこと、迷宮内での転移等々、今までできていたことは大半ができますよ」
グレイスが尋ねると、クラウディアが肩書きを、ティエーラが具体的な内容を教えてくれた。
「それはテオドールもですね。迷宮に領地をということになったようですが、ヴェルドガル王家が契約してタームウィルズを作ったように、私と契約した上で制御部を用いれば、新たな区画を作ることができるはずです」
「んー……。どこか深層に通じるような既存の区画を通行できないようにって思っていたんだけど……どうなんだろう」
中枢への守りとなると、満月の迷宮や星球庭園が候補になるだろうか。エンデウィルズは領地らしい場所と言えるが中枢までが近過ぎるし、月光神殿の先にあることから、そこに到達される前に立ち入りを制限したいと考えている。
メルヴィン王は、迷宮の奥をとは言っていたが、具体的にどことはまだ指定していなかった。俺やクラウディア、ティエーラとの相談で決められるように、ということらしいが。
クラウディアも同意するように頷いた。
「新しい区画を作って、そこから満月の迷宮への入口を繋ぐ、というのは良いかも知れないわね」
「深層や中枢への入口を、俺が管理することに繋がる、と?」
「ええ。中枢からの経路はどこかで繋げないと魔力も隅々まで送れないから。私が迷宮に篭ることを決めてから、中枢への道はあんな形になっていってしまったけれど」
と、クラウディア。クラウディアの心情を迷宮が読み取って、外からの侵入を拒絶するような変化が起きたわけだ。だが今となっては……制御部が正常化したことで色々と思うように整えることができる。管理しやすく、侵入されにくいように再編する頃合い……なのかも知れない。
満月の迷宮は危険度が高く、冒険者が立ち入ることも事故以外では滅多にない場所だ。中枢に繋がる満月の迷宮の入口を新たな区画に移し、結界やガーディアンで守る、というのは、中枢や月光神殿を防衛する手段としては良い案と言えるだろう。
「分かった。その方向で考えようか」
俺の影響で新しく作られてしまうであろう区画も、そこから繋げば良いだろうか。迷宮核に繋がって作業をするほどとなると、割合すぐに迷宮にも変化が出ると言われて、変な区画が生成されたら困るなと、気を揉んでいるところがあるのだが。
まあ、そちらの生成される区画は未知数なので何とも言えない。
だが、満月の迷宮への入り口を作り、その防衛に適したもの……となると、こちらは意図的にデザインしていく形になるだろう。城か砦か、或いは迷路か。エンデウィルズのように、ある程度街としての体裁を整えてしまっても良いのかも知れない。領地だと主張しやすくなるし。
うーん。どうやら迷宮核を使っての迷宮の改造と再編は、今後も俺の仕事として進めていくことになりそうだが。
とは言え、迷宮外部でも色々仕事や約束があるから、それに掛かり切りというわけにもいかない。
結婚への準備。月への魔力送信塔建造。公爵領の古城探索、侯爵領でのハーピー達の劇場建造に、ティエーラの神殿、魔人鎮魂の祠。新たな飛行船の開発と作製、植物園の拡張と月から持ち帰った農作物の栽培等々……。やるべき仕事が多々あったりするのだ。
これらは順番を考えつつ準備を整え、機会を見て進めていくつもりだ。
直近では月面で戦うために整えたシリウス号の装備を、音響砲など、もっと落ち着いたものにするという作業もある。完全な戦闘仕様の船であちこち乗り回すわけにもいかないからな。だが、まあ――。
「今日のところは帰ろうか」
今日ここにやって来た目的は、一先ず達成されている。一旦仕事は一区切りとしよう。
「そうね。テオドールも迷宮核内部で仕事や戦闘をして、疲れているでしょうし」
「んー、そこそこにはね」
ローズマリーの言葉に苦笑する。確かに精神体での戦いは勝手が違うし、特にウイルス相手は侵食があるので気を遣うところがあったからな。
「家に帰って、お祝いしたいところね」
「クラウディア様も解放されましたからね」
ステファニアが言うと、アシュレイが答える。
「迷宮村のみんなも、喜んでくれそう」
「ああ。そうね。みんなにも報告しなくちゃいけないわ」
上機嫌な様子のイルムヒルトに頷いて、クラウディアは嬉しそうに微笑むのであった。
迷宮から出ると……すっかり日が落ちていた。んー。迷宮核内部での作業に結構長い時間集中して没頭していたからか、時間感覚が若干おかしくなっているな。
そうして家に到着すると――迷宮村のみんなが玄関ホールに集まっていた。今日は使用人の仕事も休みだった顔触れもいるし、カーバンクル達も玄関ホールに詰めかけてきている。
「お帰りなさいませ」
と、挨拶をしてくるが……何というか、こちらの報告を待っている、という印象だ。
クラウディアに視線を向ける。俺が頷くと彼女も頷き返し、一歩前に出て言った。
「ただいま、みんな。これからは――みんな、あの腕輪は迷宮村でも付けなくても大丈夫よ。私やヘルヴォルテも迷宮から解放されて……これからは、みんなと同じ時間で歩んでいけるようになったわ」
クラウディアが言うと、迷宮村のみんなから歓声が上がった。
「おめでとうございます!」
「姫様、良かった!」
「ふふ、ありがとう」
「長い間、私共を守っていただき、ありがとうございました」
クラウディアやヘルヴォルテの周りにみんなが集まって、祝福の言葉を口にしたり礼を言ったりと、随分賑やかなことになっている。
ヘルヴォルテは迷宮村の住人達のテンションに少し戸惑ったように目蓋を瞬かせていたが、一人一人の言葉に頷きながら丁寧に応対していた。
俺やパーティーメンバーのみんなも、お礼を言われる。
姫様の事を頼みます、と。姫様を守ってくれてありがとう、と。
「転移魔法で助けられてたのは、俺達も一緒だからさ」
と、そんなふうに答える。
「うむ。良い雰囲気だ」
「うんうん」
マクスウェルが核を明滅させながら言うと、腕組みしたシーラとコルリスがこくこくと合わせるように頷く。
「料理を用意しております。メルヴィン陛下からお酒も預かっておりますよ」
と、セシリアが言う。また……手回しが良いことだ。
俺が仕事を終わらせて来ると信じていた、といった印象だ。メルヴィン王もそのつもりで酒を届けてくれたのだろう。
だが、クラウディアの新しい門出の祝いということなら、みんなで盛大に騒ぐのも悪くない。街もまだ祝勝ムードで通りなどが騒がしかったりするし、歌って踊っての騒ぎになっても問題無さそうだしな。
そうして――その夜の俺の屋敷からは迷宮村の住人達の喜びの声がいつまでも聞こえていたのであった。




