67 炎熱の魔人
「……どう?」
地上に降り立ってグレイスに感想を尋ねると、彼女は使用感を確かめるように爪先で軽く地面を叩いて相好を崩した。
「良いと思います。これなら戦えるかと」
「……お役に立てたようで嬉しいよ」
と、アルフレッドは大きな欠伸を1つ。あの後王城に取って返してアルフレッドに用事があるなどと呼び出させてもらった。
アルフレッドがアルバート王子だと、知らない事になっているからこそできる話ではあるのだが、アルバート王子自身も王国のためにという名目なら願ったり叶ったりらしく、急な話ではあったが快く協力してくれた。
用意してもらったのはマジックシールドの術式を刻んだ魔石を2つ。基本的な魔法である事や、その用途から、護身用としては割と有り触れた代物ではある。
元々ノウハウのある物品なだけに用意する事そのものは簡単だったが、足裏に展開して空中での足がかりとする為に、靴に固定したり術式にも軽い調整をしたりと……結局夜を徹して作業する事になった。
する事になった、と言っても……負担がかかっていたのは主にアルフレッドなので、そこは申し訳なく思うが。こちらはきっちり仮眠を取らせてもらっているし。
さて。勿論これだけでは空中で直線的な動きしかできないからまだ足りないのだが、そこはそれ。他にも考えがある。
やや突貫工事なのは否めないが……グレイスの反射神経なら問題なく扱えるし、リネットを基準に考えれば十二分に戦えるだろうというのが、先程軽く空中で模擬戦をしてみた感想だ。
「テオドール様。お迎えが来ました」
アシュレイが俺達を呼びに来た。
丁度良い頃合いのようだ。工房から外に出ると、飛竜を従えた騎士が頭を下げて挨拶してくる。
「お迎えに上がりました」
「分かりました。こちらも準備はできています」
促されるまま飛竜の背に乗って空に舞い上がる。
「……じゃあ、気を付けて。武運を祈っているよ」
「いってらっしゃいませ!」
「ああ。行ってくる」
地上からアルフレッドやアシュレイ達が笑みを浮かべて手を振っていた。
さて。これで相手が魔人じゃなくてただの冒険者だった、などとなったら肩透かしも良いところだが。
空中で4人の飛竜隊と合流する。その中にはチェスターの姿もあった。
メルセディアとミルドレッドは地竜乗りなので今回は避難誘導の役だ。ミルドレッドは飛竜も乗れるそうだが――騎士団全体の指揮を執る役割なので前線には出られないようだ。
ただ、その表情などは明らかに不満そうだった。こちらが不甲斐ないところを見せると猛烈な勢いで乱入してきそうな雰囲気はあるな。
飛竜の背には騎士以外の者の姿もあった。月神殿の巫女だ。女神の祝福を掛ける事で瘴気対策を立てるわけである。
循環で対策できる俺と違って、魔人と戦うのであれば普通は必須となるだろう。
巫女が祈るような仕草を見せると、1人1人の身体が仄明るく輝く金色の燐光を纏っていく。
そのまま西区の港湾近くまで急行する。
「あの宿だ」
チェスターが指差した、木造の安宿に向かって急降下していく。実際に宿の中まで踏み込むのは俺やグレイスの役割だ。飛竜から降りた状態で魔人に太刀打ちできなければ話にならないし――俺達は相手の姿を一度、目にしているからな。
飛竜の背から降りて宿の中に入る。1階部分が酒場になっているという、よくある作りの宿である。階段から2階の廊下に上がればそこに並んでいる扉が客室だ。
カウンターから朝食の仕込みをしていたらしい宿の亭主は、一瞬呆気にとられたような表情を浮かべた後で、胡散臭そうにこちらを見てくる。
「なんだ、あんたら?」
俺もグレイスも瘴気対策で巫女から祝福を受けて燐光を纏っていたりするからな。何事かと思うのは分かるが。
「失礼。この宿にジェリオとザルバッシュという2人組は宿泊しておいでですか?」
「……そういう質問には答えられねえな」
……中々しっかりとした職業倫理を持っているようだが。
「その2人は重犯罪に関わっている可能性が。宿の外を見ていただければお分かりいただけるかと」
とりあえず嘘は言っていない。亭主が窓から外を見た後、怪訝そうな表情を浮かべる。
「上です」
「上?」
「窓から顔を出して、上空を見てください」
と言われて、亭主は宿の真上を見上げ、それから驚愕の表情でこちらを見てきた。
飛竜隊が宿の上空を旋回していたら何事かと思うだろうな。
「彼らに話を聞いてきますか?」
「いや、分かったよ。……ああ。その2人は確かにウチに泊まっちゃいるが……」
亭主は溜息を吐いて、宿泊している部屋を教えてくれたうえに、鍵も貸してくれた。
「あんまり無茶しないでくれると助かるんだがな?」
「相手次第ですよ。危険なのでカウンターで待っていてください」
所感を正直に口にすると亭主の表情が仏頂面になった。
いや。本当に。人死には出ないようにしたいが、それ以上の事は保証しかねる。
亭主は捕物で暴れて備品が壊れるなどというのを心配しているのだろうが、そういう問題ではない。魔人が暴れ出したら更地になってもおかしくないのだから、こちらとしてもそれなりの魔法を用意しなければならないわけで。
扉の前に立ち、グレイスと視線を合わせると頷く。
「行くよ」
鍵を捻って、一息に部屋の中に踏み込む。
「……ほう」
そんな、感心したような声。
広くもない部屋の中には、窓枠に腰かけてこちらを見やる……男が一人。
燃えるような赤い目の男だった。確かに――前にジャスパーに同行しているのを見た。
こいつがジェリオか、それともザルバッシュか。
「……少年。前に、一度顔を合わせているな? 貴公が魔人殺しであると話を聞いた時は、さすがに耳を疑ったぞ」
赤目の男は笑みを浮かべ、悠然と窓枠から降りて、こちらに向き直る。
この反応は――突入されるのを予想していた、という感じだな。
「もう1人はどこに行った?」
「ザルバッシュか? あいつなら、封印についての報告をさせているところだ」
「報告?」
「そんな話はどうでも良い。それにしても、良い頃合いで嗅ぎ付けてくれたものだ。報告も行えたし、こうして見つかってしまっては、仕方が無い事だな?」
ジェリオは肩を震わせて笑う。隠すつもりもない、か。全身から瘴気が立ち昇り、ジェリオの笑みが深くなる。
「つまりだ。もう馳走を前に我慢をしなくてもいい、という事だ。分かるか、少年?」
「知るか」
魔人を前に我慢する気がないのはこちらも同じだ。向こうの出方を見る必要もない。準備していた魔法を、挨拶代わりにぶっ放していた。
第7階級風魔法、レゾナンスマイン。指向性を持つ複数の振動弾を同時に展開させ、指定した座標で衝撃波を激突させる事で物体内部から破壊を引き起こす……という魔法だ。つまり、炸裂する座標の一点が直撃すれば、魔人とてただでは済まない。
当然、初手から頭部狙いで殺しに行っている。
だが――振動弾が空間に展開した瞬間、ジェリオが歯を剥き出して笑ったのを見た。顔前で腕を交差させて、頭を後ろに逸らす事で、破壊の座標から逃れている。
凄まじい爆発音と共に、ジェリオの身体が後ろに吹っ飛ばされた。レゾナンスマインによる余剰の衝撃波と、ジェリオの身体の激突により、宿の壁がぶち破られてその身体が2階から中空に飛び出す。
躊躇無く、俺は魔法で作った壁の穴から外へと追う。
こいつ――今のを見切ったのか。
僅か、額から一筋垂れた血を腕で拭うと、ジェリオは空中に浮かんだまま、ますます笑みを深める。
「避け、損ねた? 前に一度見た事のある魔法だったが――そうか。本物は、これほどまでに展開の早い魔法であったか……。素晴らしい――素晴らしい、素晴らしい。気に入ったぞ少年!」
右腕に赤黒い瘴気が集中し、剣のように伸びる。迷うことなく、突っかけた。
ウロボロスと瘴気の剣がぶつかり合い、唸りをあげながら火花を散らす。
そうしている間にもジェリオの全身の皮膚が黒金の鎧のように隆起し、変質していく。ジェリオのその姿。本性は、人型をした黒い竜といった風情。目だけが、燃えるような赤。
空中を右に左に駆けながら、ウロボロスと瘴気剣が目まぐるしく交差する。朝の陽の光の中で、花でも散らすように、魔力と瘴気が生み出すスパークが、引っ切り無しに爆ぜた。
「これ、が……魔人」
騎士の呆然とした声。
空中での高速戦闘だ。味方を巻き込む恐れがあるからグレイスも割って入れない。
というか、そういう局面に誘導している。
こいつ。こいつの瘴気は相当な危険物だ。
ぶつかり合う度に顔を顰めるほどの熱気を感じる。奴の背後の景色が、熱で歪んでいるのだ。
もしあれで斬られたら……祝福を受けていようが、手も無く炎上するだろう。瘴気による侵食ではなく、熱で燃やされるからだ。奴の持つ固有の術か、或いは特性か。
そして、この瘴気剣は恐らく普通の武器では受けられない。常時武技で対応するか、俺のように魔力を通した武器などで対抗するかしかない。
つまり――俺以外にこいつと戦える奴がいない。
「グレイス! それにみんなはザルバッシュを頼んだ!」
「し、しかし!」
騎士達は戸惑いの声を上げる。この場を俺に預けていいかどうか迷っているのだろう。
「奴は海だ! 港のどこかにいる! 上手くすれば報告ってのも中断させられるかもな!」
「ほう?」
ジェリオの感心したような声。打ち合いながら、考える。
報告させている、とこいつは言った。使い走りにするぐらいなのだから、恐らくこいつの方が格上なのだろう。ならば、グレイスと騎士達にザルバッシュを任せた方が良い。
「何故そう思う!?」
笑いながら、ジェリオの目が輝きを増す。嫌な予感を感じて空中を蹴って離脱すると、さっきまでいた空間に爆発が起こった。
魔眼だ。
しかも随分直接的というか、攻撃的だ。普通魔眼というのは石化だとか魅了だろうに。
空中に不規則な軌道を描いて駆け抜けると、背後で何度も爆発が起こる。連射、というほどではないが、かなり気軽に使えるようだ。
目が光ってから、爆発するまでやや間がある。今のところ、避けるのはそれほど難しくはない。
先読みするように爆発を起こさないところを見ると、目標を目で捉えて集中する必要があるのか、それともできるのだが敢えて伏せているか。
「リネットも港に拠点を持っていたからな! 報告するなら海からが一番目立たないだろうよ!」
遠距離への直接的通信手段はない。個人が秘密裏に情報をやり取りしようというのなら、使い魔を伝書鳩のように用いるのが一番だ。用意できるなら、の話だが。
魔人達の使い魔が鳥ならわざわざ宿から出ていく必要がない。陸は外壁で囲まれているので門以外に出口が無い。つまり、海だ。
「テオ――!」
「こいつは、俺が潰す。大丈夫。そっちも見てるから」
「……分かりました!」
グレイスが空中を蹴って港の方へ飛んでいき、騎士もそれに追随した。奴は動かない。俺に向かって立て続けに爆発を起こし、それをどう避けるかを楽しんでいる風だ。
俺も――楽しくなってきているからお互い様ではあるが。
奴はそのまま、グレイスと騎士達を見逃すつもりのようだ。願っても無い。光魔法第3階級。ミラージュボディを展開する。
「面白いな、少年!」
所謂分身の術である。実体はないし、離れた所に虚像を写し出す程度の幻惑効果しかないが、奴の魔眼対策としてはこれで十分だ。
再び空中を蹴って奴の懐まで飛び込み、再び瘴気剣と竜杖を激突させる。
ウロボロスまでもが嬉しそうに唸り声を上げた。
「我が名はゼヴィオン! 炎熱のゼヴィオンだ! 少年! 貴公の名を聞いておこうか!」
「テオドールだ!」




