673 女王との会談
「クラウディア様。お手を」
「ええ」
オーレリア女王は立ち上がるとクラウディアの前まで行き、その手を取る。
目を閉じるオーレリア女王とクラウディア。
穏やかな魔力の輝きが部屋の中を照らす。オーレリア女王は暫くそうしていたが、やがて目を開いて言った。
「私よりも――月の王族として純粋な魔力。地上に渡った月の王族もいるけれど、最後の船で渡った者達でもこれほどの反応にはならないわ。結界の門を開く術式を知っている事といい、貴き姫君に間違いはないようね。色々なお話も……本当だと信じるわ」
オーレリア女王は静かに頷いてクラウディアから離れる。
確認作業、というわけだ。月の王族に連なる者が地上から来たことと、それがクラウディア本人であることとはまた別の話だしな。
「その……貴き姫君という呼称は、やはり慣れないわね。私は迷宮にいただけで、月の窮状を支えた女王に敬われる程のものではないもの」
「いいえ。こうしてイシュトルムの脅威を受けて、月にご帰還なさって下さるからこそ、貴き姫君の呼称は相応しいでしょう。実は……私は昔から貴き姫君に憧れていたし、今も感動しているわ。こうして女王として在り続けて来れたのも、そのようにありたいという心の支えがあればこそだもの」
そう言ってオーレリア女王はにっこりと微笑んだ。なるほど……。オーレリア女王の実年齢は分からないが、クラウディアに自分の境遇を重ねて奮起していたところがあるわけだ。
オーレリア女王は表情を真剣なものに戻すと、俺達に向き直る。
「真偽の程は確かめさせて貰ったわ。脅威が差し迫っている時ではあるけれど、その話をする前に、まず話をしておきたい方達がいるのだけれど……。地上へ追放された方々の末裔と、そのハルバロニスを出奔した魔人の末裔達。彼らに会わせて欲しいのです。どうしても、話をしておきたいわ」
「僕達に異存はありません」
管理担当官も俺達だけを、というのは面会相手が女王だから慎重にならざるを得なかったのだろうしな。
クラウディアが間違いなく「貴き姫君」であると確認できれば、オーレリア女王も管理担当官も動きやすくなるというわけだ。
「では、ここまでお通ししましょう」
ハンネスが頷いて、部屋を退出していった。
それから程無くして、フォルセトとシオン達。それからテスディロスとウィンベルグが女王の居室にやってくる。
オーレリア女王が名乗り、フォルセト達がそれぞれ自己紹介を済ませる。フォルセトも、テスディロス達も、些か緊張した面持ちである。
「話は聞かせて貰いました」
俺達と、管理官が見守る中で、オーレリア女王は静かに言う。
「まず、フォルセト卿。私はあなた方に、はっきりと伝えておかねばなりません。確かに、追放された経緯はあれど、その子孫であるあなた方にまで咎が及ぶなどということはあってはならないことです。況や、こうして貴き姫君と共に戦ってきたあなた方の手には名誉こそあれど、罪など一片もない。それを月の女王としての立場から、ここに宣言します」
フォルセトは少し目を見開き、そして恭しく臣下の礼を取る。
「名誉とは……。勿体ないお言葉です。ハルバロニスの者達も、今のお言葉を聞けば皆喜びましょう」
月の王家からの懲罰という点で言うなら、彼らを閉じ込めていた月からの結界が解かれた時点で赦されていたのだろうけれど、それを伝える方法はイシュトルムが復活して暴れた時点で、既に無かっただろうからな。追放された時点では、まだ地上に降りるための船も残っていたようだが……。
オーレリア女王はフォルセト達に頷き、それからテスディロス達に向き直る。
「そして、テスディロスとウィンベルグ。あなた方がここにいる経緯も耳にしております」
オーレリア女王は、緊張した面持ちのテスディロス達に、静かに続ける。
「私は、あなた方の志を称賛すべきものと受け取っています。生まれ持った業に抗うは難儀な道なれど、だからこそ成し遂げる価値があるものでしょう。その道を己が身で示し、後に続く者への希望と、そしてそれがあなた方自身への誇りと名誉となることを望みます」
「そのお言葉を胸に刻み、この命尽きるまで志を全うしたく存じます」
そう言って2人が臣下の礼を取った。それを見届けた者達から拍手が起こる。
「このことは……記録に残さねばなりますまいな」
と、ハンネスが言う。ああ。色々と記録も残しているわけだ。
月に現存している色々な資料は機会があれば見せてもらいたいな。
オーレリア女王は臣下の礼を取っている面々に楽にするように言うと、俺達を見て言葉を続ける。
「共闘の申し出や交換条件のお話も、こちらからお願いしたいほどです。まあ……まずは楽にして、それからイシュトルムに対抗するための話を続けるとしましょうか」
というわけで、改めてオーレリア女王との話となった。
「気になってはいたのだけれど……あなたも月の王家に近しい魔力を持っているのね」
と、オーレリア女王が尋ねてくる。ああ。俺自身のことについてはそこまで詳しく話していないからな。
「月から降りてきた七賢者が建国した国がベリオンドーラ。その後身となった魔法王国がシルヴァトリアで……七賢者の家系の末裔が僕の母、という事になります」
「なるほど、道理で。では、その――オリハルコンの杖は?」
「砂漠の……バハルザード王国の国王からの恩賞を、元々持っていた杖に組み込んだものです。バハルザード王国の伝承では、空から降ってきたものだと」
そう答えると、オーレリア女王は天を仰ぐように目を閉じる。
「空から……。それがクラウディア様の婚約者である、あなたの手に渡ったことには、運命めいたものを感じるわ」
「地上に落ちたオリハルコンの宝玉かも知れませんね」
「仮にそうだとしても、そのオリハルコンはあなたを選んだ。曾祖父様の武器だったとするならば、尚更大切に使ってくれると私としても嬉しいわ」
イシュトルムと戦った月の王が……オーレリア女王の曾祖父か。
「オリハルコンは月からしか産出しない金属。精製でさえ多大な魔力と労力、時間を必要とし、その後の加工にも対話が必要という難儀な品ではあるけれど。それこそが月の民がこの地を管理し続けている理由でもあるの」
「そうね――。特別な工程を経て月の船の動力炉や、迷宮の中枢にも組み込まれていたりするし。加工されたオリハルコンは様々な性質や不可思議な力を宿す……というのは、テオドールも知っている通りよ」
オーレリア女王の言葉を、クラウディアが補足する。
そうやって精製し、特殊な加工を経た後でも迷宮のような機能を果たさせるためには、大量の魔力を更に必要とするという話だが。
魔力を変質させることのできるオリハルコンなら、確かに色々な物資を精製することも可能になるか。それだけにしっかりと管理しておくのが重要というのも理解できる話だ。
そういった設備を魔力嵐とイシュトルムの攻撃によって破壊され、オリハルコンを加工して物資を精製したくても魔力が足りない、という悪循環に陥ってしまったのが今の月の状態であるわけだ。
ベリオンドーラの月の船が、魔物を作れるというのも、動力炉のそれを転用しているわけだな。一方で魔力に乏しい今は、採掘は可能かも知れないが精製は難しいだろう。
「っと。少し脱線してしまったわね。イシュトルムについての話をしましょう」
オーレリア女王が少しかぶりを振ってから言う。
「いえ。今の話を聞いていて思ったのですが、イシュトルムが、オリハルコンを狙ってここに来たという可能性は?」
「有り得ない、とも言い切れないわね。原初の精霊の力で精製や加工をするのを、不可能とは言わないわ。けれど……そのためにラストガーディアンの力を浪費させるかしら?」
「確かに……オリハルコンが目的なら、迷宮を無視するというのも解せない話だしな」
確かに。あいつは世界の終焉がどうとか言っていたが。
仮にオリハルコンが目的だとしても、クラウディアをしてラストガーディアンでも浪費すると言うほどならば、そう簡単には着手するというわけにもいくまい。
「けれど、一応確認しておいた方がいいわ。破壊された動力炉や、物資精製設備に組み込まれていた、加工済みのオリハルコンの所在は?」
「把握できているものは、全て離宮に移されているわ。オリハルコンだけあっても修復ができていないので用を成してはいないのは如何ともしがたいのだけれど……」
「これも管理下にあるわけね。その点は安心できた、かしら」
と、ローズマリーが思案しながら言う。そうだな。しっかり管理されているなら奴の手に渡ることもないし……。となると、月に来た理由は……月の民への復讐、とか?
「黒い城の目撃情報もあったようですが」
「そうですな。旧都のある方角へ向かって進んでいく、黒い城の姿が目撃されております。管理官達も警戒しておりましてな」
旧都というのは……遺跡の方では無く、地下に移ってからの都のことだろう。イシュトルムは当時の奴の知る情報を足掛かりにまず動いている。
では、旧都や、奴の知る当時の設備、拠点がもぬけの殻となった場合……。次の手は――どうする?
「……探知か。それとも。……いや」
そうじゃないな。奴の口にした最終目的から、その実現方法を見出すべきだ。
「今のイシュトルムの手札と過去から推測できる月の状況で……月とルーンガルド、両方に大きな被害を齎すような方法があるとしたら……その推測は可能でしょうか?」
そう尋ねると、オーレリア女王は顎に手をやって目を閉じ――思案するような様子を見せる。
目的は、世界の終焉。そして、奴の手札と、場に出ている札は何か。
「イシュトルムの手札は、まずイシュトルム自身。それから最後の月の船と、その動力炉。生成された魔物達。それからルーンガルドの原初の精霊の怒りを宿す、ラストガーディアン……」
「そして月にあるものは、月の民と離宮。放棄された都市や拠点。手付かずの採掘場に、来たるべき日のために蓄積させている魔力……」
状況を整理するように、イシュトルムの手札と、今の月の状況を列挙していく。
その時だ。地鳴りのような振動が伝わってきた。最初は小さく。段々と大きく。
「……地震……? いえ、これは……」
「月の……精霊達がざわついている……?」
クラウディアとオーレリア女王が揃って目を丸くする。
程無くして地震は収まるが……。
精霊への影響……? もしかすると……原初の精霊を使って、か?
「精霊の怒りへの共鳴――?」
ルーンガルドの原初の精霊は、全世界規模の大災害を齎した。では、月そのものを司る精霊が、同じような反応を示した場合は?
「原初の精霊を使って、月に眠る精霊への共鳴を引き起こしたら、どうなる?」
「それは……月でも魔力嵐に匹敵するような、天変地異が起こるでしょうね」
「もし、それをルーンガルドの破滅にまで繋げるとしたら――?」
俺の言葉に……クラウディアとオーレリア女王が目を見開く。ぞくりとした予感が、背筋を走った。
「月を砕いて欠片を地上に降り注がせるか、巡る月の均衡を崩して……月そのものを、地上へ落とすか――」




