661 過去より来たる悪意
大魔法による一閃の後で、高空まで打ち上げられたヴァルロスが落ちてくる。
やけにゆっくりとその動きが見えて。そしてそのまま、ヴァルロスは神殿の砕けた斜面の上へと落下した。
俺のダメージは……まず、魔力循環を高め過ぎた反動による、全身の軋むような痛み。
腕は折れているが、痛みを感じるということはまだマシな部類だろう。脇腹は、流星弾で切り裂かれたような傷が残っているが、腹膜までは達していないようだ。
自身の身体の状態を確かめて、ヴァルロスのところへと向かう。
身体から白煙を上げている奴には――まだ意識があった。俺を見るなり、その手を向けて瘴気を用いようとしたが、身体に亀裂が走るとその亀裂から光が噴き出す、といったような有様で。
そうして奴は手を降ろすと、静かに目を閉じる。
「俺、も……。仲間達も……負け、たか。瘴気を、上手く扱うことができない」
「魔人とは、全く逆の性質を持った魔法だったからな」
「そのようだ。もう、痛みすら感じない」
ヴァルロスの受けた傷は致命傷だ。だがそれでも、他の魔人達のようにすぐさま崩壊することはなかった。ヴァルロスが自ら変じた特異な立ち位置の魔人だからか。それとも、生命力を剣に換える、先程の術の性質故にか。
精霊達の力も増大しているのが分かる。直に再封印も成されるだろう。グレイス達も無事なようだが……一先ずは、まだヴァルロスから離れたところで待っていてもらおう。
そして――そこで地上からクラウディアと共に、フォルセトとシオン達が転移で飛んで来るのが見えた。
地上での戦況は……対魔人連合が平野での戦いに勝利し、一先ずの落ち着きを見せた。
フォルセト自身はヴァルロスと直接相対してしまうと冷静でいられないからと、シオン達を守るために地上班を申し出ていたが……。ヴァルロスに色々思うところもあったようだが、クラウディアが声をかけに行ったということなのだろう。
ヴァルロスが倒れているのを見ると、フォルセトが駆けつけてくる。
「ヴァルロス……あなたは……」
横たわるヴァルロスを見て、フォルセトは目を見開き、そしてかぶりを振る。
「……フォルセト、か。地上にいたお前がここに来たという事は……」
「そうですね。魔人達は大きな被害を受け、ベリオンドーラへ逃げ込みました。私達の、勝ちでしょう」
その言葉をヴァルロスはただ静かに聞く。
「……武人としては、ただひたすらに研鑽をつむ、あなたを尊敬していた時もありました」
ヴァルロスはフォルセトの言葉に、口元に笑みを浮かべた。自嘲するような。そんな雰囲気がどこかにある。
「俺はただ……現状を変えられる力を持ちながら、腐っていくのが嫌だった、だけだ。力を制御し切れずにナハルビアの者達を消して以来、あの連中の死を無駄にしないために……。光に背を向けたこの身に、何ができるかを、考えて、歩いた」
それで、力で魔人達を統べて、秩序を齎そうとすることを選んだ、か。
他種族とはいえ、人間達の圧制や混乱を見て、それを疎ましく思っていたのは事実なのだろう。統治から平和を齎すという理想に、恐らく嘘はあるまい。
ナハルビアで起こしてしまったことに後悔があるから、俺に対しても仲間になるように持ち掛けた。
ヴァルロスにとってはナハルビアの者達も、ハルバロニスを出た魔人達も同祖で。俺もまた、月の民の系譜であるから。
しかし……だからこそ、ヴァルロスとは手を取り合えるようで、重ならない。
俺が周りの人達を思うように。ヴァルロスは亡くなった者達を思っていたから。ナハルビアでのことを無駄にしないために、足を止めることだけは選ばないと、とっくにそう決めていたのだろう。
「何か、ここへ来るわ!」
その時だ。クラウディアの警戒したような声が響いた。
神殿の入口に目をやれば……光の柱と共に現れたのは、2人の魔人だった。ヴァルロスから戦場を任された覚醒魔人の1人と、その副官。
副官の顔にも見覚えがある。確か、ベリオンドーラに偵察に行った時、俺を最後まで追ってきた魔人であったはず。ヴァルロスに心酔している魔人の1人。
だが。現れたその姿に、横たわっているヴァルロスも目を丸くした。
2人とも、何があったのか、全身傷だらけで血まみれ、満身創痍といった有様であった。
……何が、あった? あの指揮官の魔人は、撤退戦を指示して殿を務めたが、あんな手傷は負わずにベリオンドーラへ逃げ込んだはずだ。であるならその全身の傷は、ベリオンドーラへ逃げ込んでから受けた傷、ということになる。
副官に支えられた覚醒魔人が、声を上げる。目に血が入っているのか、周囲の状況が見えていないようだ。
「ヴァ、ヴァルロス、殿……! ヴァルロス殿ッ! 申し訳も、ございません……ッ。我等は、人間達との戦いに破れ、ベリオンドーラへと逃げ込み……。し、しかし、しかし、奴が……ヴァルロス殿が敗れたと、そう言って、突然、皆を……皆を……!」
「城の壁が、床が――。針山のように襲い掛かって来て……。あれは、化物……」
副官も苦しげにうめき声を漏らし、もう動けないとばかりに、そこに指揮官と共に崩れ落ちてしまう。
城が襲い掛かってきたと。そんな真似が、できる者がいるとしたら――。
「ミュストラ……。奴が……」
ヴァルロスは、俺と同じ相手を思い浮かべたらしい。
「テオドール! もう1人! 来るわ!」
クラウディアが叫ぶ。月光神殿の入口に、光の柱が立ち昇る。
そして――そこに現れたのは笑う魔人、ミュストラであった。その手には、最後の瘴珠がある。
「アシュレイ様! すぐにテオドール様の治療を!」
「はいっ!」
グレイスが構え、アシュレイが俺に走り寄ってくる。クラウディアは魔力を集中させて、いつでも転移が可能なように備えているようだ。
ミュストラはこちらの混乱を、楽しむかのように笑っていた。
治療の邪魔をするわけでもない。誰かに攻撃を仕掛けてくるわけでもない。
戦いの直後で弱っている俺達を、仕留めに来たという、わけではないと?
「ミュストラ、貴様……裏切ったか」
「裏切る? それは違います。私はあなたには協力していましたし、あなたに語った言葉にも嘘はありません。しかし、肝心のあなたが負けてしまってはね。私には、遺志を継ぐなどという義理もありませんから」
ヴァルロスの言葉に、ミュストラは笑みを消して静かに答えた。
ミュストラの手に浮かぶ瘴珠は……盟主の魂と繋がっている。それを通してヴァルロスの敗北を知り、魔人達の敗北を悟り。そして、動いた。
「城に集まった魔人達も、邪魔になることは分かっていましたから。ベリオンドーラは必要ですから、今の内に、早めに消えて頂いたに過ぎません」
「お前の……目的は何だ」
ウロボロスを構えて問う。ミュストラは冷たい笑みを深めた。俺の問いには答えず、ゆっくりと神殿の外壁に沿って歩きながら、手の中にある瘴珠を弄ぶようにして口を開く。
「目的……ね。それを話す前に、1つ昔話をしましょうか。遥か大昔にね。地上に住まう愚かな王が、力を求めて地獄の釜の蓋を開けてしまったのです。この大地……ルーンガルドの意識に触れ、それを自由に操ろうとし、世界に災厄を巻き起こした。原初の精霊――星の力の暴走。それが……魔力嵐の正体です」
……魔力嵐、だと。その言葉に、クラウディアも目を丸くしている。
それは盟主が現れるよりも前の時代。クラウディアさえ知らない事実を知っている、こいつは。こいつは――。
「そこで1人の姫君が、世界を救うために地上へと降りたのです。しかし……ここで月の民に1つの誤算が。魔力嵐を収めるために魔力を集める月の船の力は……原初の精霊の怒りの一面さえも呑み込んでしまったのですよ。原初の精霊より分かたれた一部は――迷宮の内にある、最も強大な器へと宿ることとなる」
それは……。
「月の民から与えられた使命と、星の苦しみから来る憎悪を抱えるそれは、目覚めて行動を開始した途端に、制御不能となってしまいました。――これが、私が地上に降りて色々調べ、推測した上で辿り着いた結論になります」
そう言って。ミュストラはこちらに向き直り、両手を広げて見せた。
ラストガーディアンの事を言っているのは間違いない。
ミュストラの手にする瘴珠を包み込むように、マジックサークルが閃く。
「そして、瘴珠へと盟主が長年に渡って染み込ませた怒りや絶望は、それに同調する性質を持つ。瘴珠と盟主の魂を利用し、精霊の宿る器を呼び起こし、これを使役してやろう、というわけです」
ミュストラの言葉に応えるように――迷宮を揺るがすような地震が起こった。
誰かの叫び。それは盟主ベリスティオの声だ。苦悶に悶えるような声と共に、ミュストラの手にする瘴珠へと盟主ベリスティオの魂が戻っていく。
怒れる精霊と。魔人化した月の民と。その性質は、或いは似通っているのかも知れない。
「さあ――。星の魔獣よ。目覚めの時です」
月光神殿の門の向こう。精霊王が本来守るはずの広場に、巨大なマジックサークルが広がる。その中から巨大な竜が姿を現した。
白く輝く鱗、憤怒を宿したかのような赤い瞳。物理的な重さすら感じる、膨大な魔力の圧力と共に、竜――ラストガーディアンが咆哮し、月光神殿と霊樹を揺るがす。
「ふむ……。私も本調子ではないから、制御が今1つのようですね。これが終わったら……しばらく休養してから動くとしましょうか」
「お前は――そんなものを使って、何をするつもりだ」
ヴァルロスが問う。
「そうですね。目的。私の目的ですか。差し当たっては――世界の終焉、でしょうかね。月の民のためにと、この身を変じたはずが、民衆にすら忌むべきものとこの手を払われ、死ねぬ身故に牢獄へと閉じ込められた。本来同調するはずであろう荒ぶる御霊さえ、怒りを迷宮へと切り離して知らぬ振りだ。魔物達は星の意思の代行を担うはずが、誰も彼も笑って汚らわしい地上の民と手を繋ぐ。この世界の……何もかもが許せないのですよ」
そう言って笑うミュストラの目には――狂気の色が宿っていた。
「……イシュトルム」
最初に魔人化を唱え、咎人達がハルバロニスに追放される契機を作った男。俺の言葉を肯定するように奴は笑みを深めたが――。
「魔人殺し。あなたは――もっと違う名で私のことを知っているはずでしょう? あなたのお母君が、私の作り出した分体に封印の術を撃ち込み、それが私の魂の一部にまで食い込んできたが故に。お陰で私という本体が目覚めて動かねばならなくなったのですからね。ああ――。その面影。お母君にそっくりだ」
「お前、お前は――」
分、体? 死睡の、王……?
俺の反応を見て、ミュストラが笑う。奴の背後に控えるラストガーディアンの口の中に、眩い白光が宿った。
「――消えなさい」
そして。凄まじい破壊力の吐息がその口から放たれて。
月光神殿にあるもの、何もかもを薙ぎ払った。
「――テオドール!」
何もかもが光に呑まれた、と思った。今いる場所は――シリウス号の、艦橋だ。
「間に、合った」
真っ青な顔をしたクラウディアが、大きく息を吐く。
ああ……。クラウディアの、転移魔法か。ミュストラが新手としてやって来たその瞬間から、用意していた、ということなのだろう。
停止していた思考が動き出す。ミュストラ……いや、イシュトルムの言った事は衝撃だったが、その事を考える前に、するべきことがある。あるはずだ。
周りにいるみんなの姿を確認する。
いる。みんないる。パーティーメンバー。ヘルヴォルテ。フォルセトやシオン達。使い魔達にピエトロ、リンドブルム……バロールにカドケウス。ウロボロスにマクスウェル。誰一人として欠けることなく。
まず、そのことに安堵の溜息を吐く。
「助かった。ありがとう、クラウディア」
「いいえ。普段から想定外の事態には転移を使う、と取り決めているものね」
方針を一貫して普段から訓練しているから動けたのだと、クラウディアは笑う。
「でも、私も慌てていたから……効果範囲だけで。選別している余裕までは無かったわ」
クラウディアがそう言うと、みんなの視線が彼らに集まる。ヴァルロスと、満身創痍の魔人達2人も、一緒に転移魔法で連れてきてしまったらしい。
ああ。月光神殿のガーディアン……翼の生えた蛇や、神殿に仕掛けたハイダーまできちんといるな。何やら、いきなり転移してきたからか、ガーディアンなどは艦橋に元々いたみんな共々、目を瞬かせているが。
ともかく、全員無事。魔人達は戦意を喪失しているように見えるというか、肉体的にも精神的にも戦える状態ではないらしい。
「……世界の終焉などとは、な。馬鹿げた、話だ」
ヴァルロスは、周囲を見渡してからそう吐き捨てた。そして俺を見て、片手を挙げる。
「……魔人殺し。お前に、渡すものがある」
……僅かな逡巡。その後で、ヴァルロスのその手を取った。
「お前は、魔人がその力を捨てるのなら……共存の道があると言ったな。あれは……例え話か?」
「……いや。可能だ。封印術で、種族的な特性ごと縛ってしまえばいい。もしかしたら、魔人化そのものを解くことだって」
だからと言って、魔人達が大人しく従うとも思えないのだけれど。俺の言葉にヴァルロスは目を閉じていたが、やがて口を開いた。
「ならば、持っていくがいい。俺にはもう、必要のないものだ」
握った手から――何かの力、知識。そういったものがこちらに流れてくるのを感じた。
――ヴァルロスの力の根幹を成すもの。ヴァルロスだけが知る、奴の魔力の動かし方のようなものとでも、言えば良いのか。
それを伝えている間にも、ヴァルロスの身体に亀裂が走っていく。
ヴァルロスにとっては、自分の力を使っているのと同じ。奴の身体を巡る正の魔力が、その身体を崩壊させていく。
「ヴァルロス。お前は……」
「どのみち、俺は長くない」
その言葉に、2人の魔人が詰め寄る。
「ヴァルロス殿……!」
「テスディロス、ウィンベルグ。お前達は、己の命を懸けて俺に従うと……そう言ったな。ならば、最後の命令だ。生きろ。そして、俺がいなくなった後もそう望むのならば……魔人達が平穏の中で生きるための道を探せ」
「ヴァルロス……」
フォルセトの声。ヴァルロスの口が、笑みを形作る。そして。
身体が形を失う。光と共に散っていく。
握った左手の中にさえ、何も残らない。
「……お前は……」
感傷に……浸っている、暇は無い。何も、問題は解決していない。
イシュトルムはどうするつもりなのか。休養を取るだとか、ベリオンドーラをまだ必要だと言っていた。そうなると、この平野に戻って来るのか。それとも迷宮深奥へ進むのか。
ベリオンドーラに用があって戻ってくるのなら、すぐさまこの場から避難したほうが良い。
ラストガーディアンを連れているはずだし、どちらにせよ戦力が必要になるのはタームウィルズ側だ。
何より、万全でなければラストガーディアンに対応し切れない。治療と回復が済み次第、迷宮に取って返す必要がある。
砦の部隊に撤退指示を出し、ポーションを飲んでアシュレイの治療を受けながら、あれこれと動いていると――。
「テオドール! あれ!」
シーラが声を上げた。
ベリオンドーラの上空に雷が走り、ラストガーディアンと、その手に乗ったイシュトルムが姿を現す。
……戻ってきたか。
将兵達も、その姿に衝撃を受けているようだ。
しかし――奴は平原を挟んで対峙するシリウス号や砦を、歯牙にもかけなかった。向けられている感情も、奴の回復を早める手助けになる、からか?
それとも、俺達を殺したと思っているから、対抗戦力足り得ないと考えているのか。
奴はラストガーディアンに、ベリオンドーラを縛める鎖を千切るように命じたらしい。
魔人の力とは違う。ラストガーディアンは精霊の力を宿す存在だ。あっさりと光の鎖を引きちぎり、そして自由になったベリオンドーラが、悠々とミュストラとラストガーディアンを乗せて動き出す。
――煌々と夜空に輝く、月へと向かって。
月の都には結界があって、月の王族の許可がなければ立ち入れないと言う話だったはずだが……或いはその結界すら、原初の精霊の力に頼れば無力化することができるのかも知れない。
月に、何かがあるのか。それとも、邪魔されずにそこで休養とやらを取ってから動くつもりなのか。いずれにしても、奴を自由にさせておくわけにはいかない。
左手に、視線を送る。
その掌の中に、熱のようなものがいつまでも残っている。
ああ、そうだな。解っている。あんな奴に横槍を入れさせて、そのままにしておくものか。




