652 海の彼方より
「ベリオンドーラの魔人達が我が国に向かって移動しているとの連絡が入った! 各々、持ち場について襲来に備えよ!」
伝声管で響く発令所からの声と共に、俄かに砦内の動きが慌ただしくなる。
ベリオンドーラ到着まではまだ間があれど、到着までに諸々の迎撃準備を整えなければならない。俺達と討魔騎士団は、まずシリウス号へ。
砦の近くで停泊して待機する予定だ。アウリアやステファニア姫も連れ、みんなでシリウス号の艦橋へ移動して、そこから状況確認を行っていく。
タームウィルズ側にも動きがあった。
王城セオレム、シリウス号の艦橋、砦の発令所、それから神殿や冒険者ギルドなど……色々なところに監視用のゴーレムを配置して、双方向で様子が分かるようになっている。
ティアーズから得られた術式を元に作った、飛行型ゴーレムの視覚と聴覚を利用すれば、さながらドローンのような視点からの監視と状況把握が可能である。セオレムや砦にいくつか配置しているのはそのタイプだ。
「――まだ決して慌てたり急ぐような必要はありません。訓練通りに落ち着いて兵士の皆さんの指示に従い、王城セオレムへの避難を始めて下さい。王城セオレムは住民全員を収容し、長期間の籠城をすることが可能です。家を出る前に火の元の始末を――」
そんな放送がタームウィルズの街中に響いている。スピーカー型の魔道具から発せられる声だが――そのアナウンスとは別に美しい歌声と音色が流れていた。
王城で待機している呪歌呪曲隊――ドミニクとユスティア達の、歌声と演奏によるものだ。呪歌や呪曲で混乱や恐慌状態が巻き起こるのを防ぐためのもの。心を落ち着けるような、澄んだ歌声と静かな旋律。これも予定通りだ。
避難訓練を何度か行っている事や呪歌、呪曲の効果も相まって、タームウィルズの住民達はかなり落ち着いた様子で火の元の始末等を進めている様子である。こうやって、落ち着いて避難できる状況を作り出すためのベリオンドーラへの監視網でもある。
怪我人、病人、老人等々、自力で動くことが難しい者がいる世帯については既に把握済みである。兵士達がそういう世帯を訪問して避難の補助や移送に当たっている。
「ああ。前に聞いてた通り王城にも広い鍛冶場を作ったってぇわけだ」
「はい。ですので南区の工房に立て籠もらずとも、籠城のための武器防具は問題無くセオレムにて鍛えて頂くことが可能です」
――南区の工房にも王城からの使いが行って、ドワーフの職人達に色々と説明をしていた。
ドワーフ達は南区の工房で武器を鍛える者がいなくなったら、誰が籠城の時に矢や盾を作るのかという疑問を口にしていたのだ。必要とあらば自分達がハンマーと斧で応戦しつつ工房に立て籠もる、ぐらいの意気込みであったのだが……。それならば王城の中で生産可能な設備を拡張してしまえばいい。
そんなわけでビオラとエルハーム姫監修。製作は俺が担当して鍛冶設備を作らせて貰っている。
「よーし! 聞いたか野郎共! 今すぐ必要なもん持って王城へ移動だ!」
「分かりやした、親方!」
戸口のところから工房の中へと親方が怒鳴るように言うと、威勢の良い返事が返ってくる。
そうと決まってしまえばドワーフ達の動きは迅速で、使い慣れた鍛冶道具や鍛えている途中の武器防具、金属素材等々の荷物をどっしりと抱えて移動を始めた。
南区の工房にはハーピーの男衆も混ざっていたりして、彼らもがっつりと荷物を抱えて移動中である。
ドワーフと鳥人達は何やら冗談を言って笑い合っていたりと、結構馴染んでいるようにも見える。職人同士色々交流して打ち解けたのだろう。
南区は問題ない。では――西区は?
こちらも避難は順調なようだ。孤児院の子供達が、サンドラ院長の指示に従って中庭で点呼を取り――移動を開始するところだった。
「良かった。護衛の兵士もいるから安心だわ」
「ん。ドロシーもこれから避難するみたい」
と、モニターを見ていたイルムヒルトとシーラが言う。
先々代盗賊ギルド長の娘、ドロシーも移動中だ。周囲を固めているのはイザベラの側近か。見覚えのある顔がある。
その近くの路地から顔を出したのは黒装束に身を包んだイザベラ達だ。イザベラは――空を飛んでいるゴーレムに向かって一瞬視線を送って、不敵に笑ったように見えた。こっちは任せておけ、というわけだ。
東区はと言えば……迷宮村の住人やタームウィルズ側に移動したフローリア。それから植物園から避難してきた妖精達、ノーブルリーフが並んでいて、色々賑やかなことになっている。
点呼を取っているのはセシリアとミハエラ。オフィーリアとロミーナ、それからカミラとラスノーテの姿もある。ふむ。これなら大丈夫だろう。
避難中の植物園の世話、発酵物の世話などは、新しく作った南瓜頭のゴーレムが継続してくれるので、こちらも一先ずは大丈夫として。
完全に非戦闘員の迷宮村の住人達は、魔道具の腕輪をつけて迷宮村に移動している。カーバンクル達もあまり人目に晒すわけにもいかないところがあるので、迷宮村で待機中だ。
「避難のほうは順調なようですね」
「どうやらそのようですな。こちらも各々、持ち場への配置が完了しました」
モニター越しに発令所からサイモンの返答が聞こえる。
よし。迎撃態勢も避難状況も万全だ。後は――ベリオンドーラの接近を待つばかりである。
一度準備が整ってしまえば……シリウス号や砦に関しては割と静かなものだ。
慌ただしい空気から……その時を待つピリピリとした緊張感と、確固たる戦意が満ちる空間に変化していた。
刻一刻と時間が過ぎていく。避難も順調。混乱もなく粛々と状況が進んでいく。街中にいる者はもうすでに騎士と兵士、そして冒険者に魔術師達ばかりだ。魔物の侵攻が予測されるルートに罠を仕掛けたりと、色々と忙しそうにしているのは盗賊ギルドの精鋭達だろう。
「儂はこのまま、精霊達を使って監視の目が届かない部分を補うというのがよかろうな」
「そうだな。ま、こっちは任せておけ。こういう大人数の指揮は俺の領分だ」
「うむ。では、儂はこちらの事に集中させてもらうぞ」
オズワルドとモニター越しにやりとりをしていたアウリアであったが……こめかみのあたりに手をやって、小さく声を漏らした。
「精霊達の報告が来ておるな。段々と……近付いてきておる」
そういってアウリアは立ち上がり、艦橋のテーブルの上に広げられていた地図を見やる。
「方角的には――どちらかというと、砦寄り……かのう。このまま進んで来れば――海岸のこのあたりから侵攻してくる、ということになろう」
ベリオンドーラの進行方向は直線的であるらしい。そのまま地図をなぞり、どのあたりに上陸するのかと見て行けば――砦側に向かってくるようにも、タームウィルズに向かっているようにも見える、微妙な位置取りだった。
「恐らくは、罠を警戒しているのでしょうね」
「どちらにも進める位置取りで、揺さぶりをかけるつもりかも知れないわ」
クラウディアとローズマリーが敵の動きを見て、その意図を予測する。
揺さぶりか。確かに。こちらの監視の目があると予想して、半端な方向へ移動し、出方を見る。或いは――ザラディの能力でおおよその危険度を把握してから動く。
向こうは瘴珠の位置を把握していたとしても、そこに何があるかを知らない。慎重に動くのはまあ、分かる。
「だけど、ザラディ本人ならいざ知らず、ベリオンドーラ全体に関わる予測の精度じゃ――」
読み切れない。連中がどちらに動いても俺達はそれに合わせて動くからだ。
ザラディが近い未来で起こり得る可能性の中から危険を感知し、大まかな危険度で回避すべきかどうかを判定しているというのなら……俺達がベリオンドーラに向かって仕掛ける可能性は「確実」だ。偶発的な可能性ではなく、意志と計画に裏打ちされた必然である。
そして砦側も罠。タームウィルズ側も罠。どちらに向かおうが連中にとって警戒すべきものが同じである以上、中途半端な位置取りが挟撃を受けやすくなるために最も危険度が増す。
砦に控えているのは各国精鋭とシリウス号と討魔騎士団。最も機動力の高い部隊だ。つまり結局のところ……瘴珠のことを抜きにしても、砦を無視すること自体が連中にとっての危険度を高める要因になるのである。
奴らが話し合って方針を固める――つまり可能性を狭めれば、その危険度の違いにも、ザラディが気付くだろう。その上で作戦を修正してくるはずだ。
では、罠と分かっているのなら……連中はどうする? 罠が仕掛けられているからと、一旦退いて探りを入れているような時間的余裕はない。だとすれば――。
「バロール」
肩に掴まっていたバロールが目蓋を瞬かせて返事をする。
「バロールを送るのですか?」
「ああ。このまま、シリウス号の真上にね」
グレイスの質問にそう答えると、彼女は微笑んで頷いた。単独でベリオンドーラに近付かせるような迂闊なことはするべきではないだろう。
「上から見れば遠くまで見えるから……光魔法も使わせれば望遠で、この座標から動かずにベリオンドーラも確認できると思う」
バロールをシリウス号から打ち上げるために甲板へと向かう。
「気を付けて下さいね」
アシュレイがマルレーンと一緒にバロールの頭を軽く撫でる。バロールは目蓋を何度か瞬かせて返事をした後、光の弾丸となって真っ直ぐ上空へと飛んでいった。
水平線の向こうより、遥か彼方まで見える高さへと。そこまで達したところで、水蒸気を身に纏って雲に偽装する。
「周囲の雲が邪魔なようなら、少々風の精霊に協力してもらうぞ」
「では、よろしくお願いします」
アウリアがマジックサークルを展開して目を閉じると――風の精霊が放たれ、北西の空に広がる雲が千切れていく。
雲間が晴れるまでの間にみんなで艦橋へと戻り、それから五感リンクに集中する。
雲間の向こう。遥か遠く――。海の向こうにベリオンドーラの威容が見えた。黒い城を乗せた月の船。そのあちらこちらに魔物達を所狭しと乗せて。
進行方向、速度の正確なところを割り出し、カドケウスによって地図の上に反映。同時にマルレーンからランタンを借りて、バロールの視界で見えている光景を幻影として再現していく。
「魔物の数が――前より多いように思えますね」
エリオットが言った。
「時間の許す限り、可能なだけ増やしてきた、ということでしょう」
「ううむ。主殿が我を作ったのと同様に、というわけか」
ヘルヴォルテが言うと、マクスウェルも核を明滅させる。
「それはまあ……予想の範疇ではあるかな」
こちらが時間の許す限り準備をしていたのと同様、向こうもやるべきことをやってきたわけだ。
そして魔物達の動きに変化があるのも見て取れた。空に隊列を成す魔物達――。あれは部隊編成をしているのか? 南に向かう部隊と、東に向かう部隊と……。つまりはタームウィルズと砦の双方に部隊を差し向けようという腹らしい。
編成されている部隊の中に、魔人の姿は極端に少ない……ように見えるな。現時点ではその大半が飛行型の魔物で構成されている。内訳も前回見た魔物と変わらないが――城の中には別種の魔物が控えていると見ておくべきだろう。
……未知数の危険度を測るにはどうしたらいいか? その答えの1つがこれだ。正体不明の蜂の巣ならば、捨て駒につつかせて様子を見てみればいい。
そして俺達が把握している範囲の戦力なら、手の内を晒しても惜しくはないというわけだ。
その上、二面同時攻撃だ。こちらの攪乱を狙いつつも、瘴珠の置かれている場所に何があって、そしてどの程度の戦力が潜んでいるのかを見るための威力偵察、といったところだろう。
捨て駒での威力偵察。但し、この二つの部隊を率いている魔人には、帰還して報告するという任務を成し得るだけの能力が求められる。その点は侮るべきではあるまい。
上等だ。魔人達とベリオンドーラを迎え撃つ前に、まずは偵察部隊との前哨戦だな。




