62 囮と人質
「……済まないな。帰還まで付き合ってもらって」
「いえ、全員無事で何よりという事で」
迷宮入口の石碑前に戻ってくる。
メルセディア以下、探索班は全員無事だ。こちらもイルムヒルトが動揺していないか気になるところなので撤収してきている。
扉はやはり、押しても引いても開かない。そもそもあの扉を開ける手段を俺は知らないし。
上級魔法を叩き付けてぶち破るという手も考えたが……そもそも、そういう手が通用するかどうか解らないし、あっさり扉を破壊できたとしても、その向こう側にあの女の子がいたらと思うと、迂闊な事もできないだろう。
「真っ暗な中でそこかしこで木が揺れてるんだからさ。……ほんとあれきついって」
「キノコもしばらく食いたくねえ……」
兵士達はその場に座り込んで、安堵したように溜息をついた。
「お前達。休憩は許すが人目があるのだから、だらけた姿は見せるな」
メルセディアにやんわりとたしなめられて、兵士達は慌てて居住まいを正した。
……探索班の兵士達の信頼は得られたようだな。自分のポケットマネーを俺達への依頼料にすると言い出したのだから、兵士達の頭は上がらないだろう。
帰還まで同行するという内容で、報酬は100キリグと提案したが。まあ……護衛依頼としては破格の安さだと思う。安すぎるなどと言われても迷宮内の事だしな。
命がかかっている状況で足元を見るなんてのは好みじゃない。さりとて只働きはよろしくないという事でその値段だ。
「重ね重ね済まないな。依頼料は必ず、明日にでも持ってこよう」
「別に急がなくても良いですけどね」
「そういうわけにもいかないさ。ただ――今日は王城に報告に行かなければならん。必ずテオドール殿の名を発見者として伝えよう」
扉を見つけたのは同時だったけどな。
そもそも封印された扉を見つけるのは単なる前提条件で、そこから先に色々あるのだろうから、手柄も何もないと思うけど。
「報告に行くなら、もう少し待ってくれません?」
「……何か?」
「どうせなら手間が省ける方が良いでしょう」
怪訝そうな面持ちのメルセディアを連れて、冒険者ギルドのロビーへ向かう。
いつものようにカウンターの向こうに座るヘザーが笑みを浮かべて挨拶してくる。
「こんにちは、テオドールさん。みなさんも」
「こんにちは、ヘザーさん。紙があったら一枚買い取りたいのですが」
「紙、ですか? 何でもいいんですか?」
「ええ」
首を傾げるヘザーはそれでもカウンターの下から紙束を出してくる。
「覚え書き用の切れ端で良ければ。勿論こんなのでお金なんて取りませんよ」
「助かります。墨も貸してもらえると有り難いのですが」
「どうぞ」
ヘザーから紙とインクを受け取り、物陰に行ってカドケウスにレリーフを鏡写しにした形を取らせ、その表面にインクを塗って判子を押すように押し付ける。裏返すと、綺麗にあの扉のレリーフと同じ物が残る。
物陰から出ていき、待たせていたメルセディアにレリーフの写しを手渡す。
「とりあえず、これを持っていってください」
「これは……」
メルセディアは紙を受け取ると深々と頭を下げてギルドを出ていった。
「騎士団の方も大変ですね」
ヘザーは苦笑して目の前の書類を片付ける仕事に戻る。特に事情を聞いてこないのはメルセディアの一件から、騎士団が詮索してほしくないと理解しているからだろう。
「不思議よねぇ。もし私と面識があるなら、もっと大きくなっているはずでしょう?」
家に戻って少々休憩した後で今日見た物について意見を聞いてみると、イルムヒルトは首を傾げた。
「……見た目の通りの子供っていう事も無いと思うけどね」
迷宮側の住人であるならば見た目が人間の子供の姿をしていても……はっきり言えば何でもありだろう。
「どっちにしても、あんな風に逃げられるのなら捕まえるのは難しい」
「敵、という感じでも無かったですからね。捕まえてどうするのかという部分はありますが」
「味方とも限らないけどね」
そもそもどういう目的で動いているのかが分からないから判断しようがない所がある。
あの扉の前まで俺達を誘導したようにも見えるし、シーラやイルムヒルトの探知能力に引っかかってしまって泡を食って逃げ出した、とも見えなくもない。
「どちらにしても、今は保留せざるを得ない、と」
シーラが言う。
「まあ……そうだね。イルムは、大丈夫?」
「私? うん。私は大丈夫よ。元々あまり細かい事を気にしない性質だもの」
問われたイルムヒルトはいつものように笑みを浮かべる。
「……ありがとね、テオドール君」
「礼を言われるような事なんて、何もできていないと思うけれど」
「ううん。手がかりはちゃんと増えているし、前に進めている気がするの」
彼女は首を横に振った。
「だから本当に、私の事は気にしないでね」
と言って、グレイスの淹れてくれた紅茶が入ったティーカップを傾けるイルムヒルト。
「……それにしても」
横で話を聞いていたシーラが口を開く。
「この家は涼しくて、良い。帰る以前に外に出るのが億劫になる」
何を言うのかと思えば。
桶の中に作った氷柱の前が、最近の彼女の定位置だ。
風魔法を使って部屋の中の空気を対流させているので、氷の近くにいると結構涼が取れる。
イルムヒルトは、外では見る事のできないシーラの油断のある様子に小さく笑った。
「お二人もお夕飯、一緒に食べていかれますか?」
と、台所に立っているアシュレイが笑みを浮かべて尋ねてくる。
「んんん……。盗賊ギルドに支払いがある」
言葉と共にシーラの耳が垂れる。表情はいつもの通りだが、結構残念そうだ。まあ、な。アシュレイの料理も美味しいし。
盗賊ギルドへの定期的な上納金の支払い、か。
ギルドへの上納金と言うとあまりイメージが良くないが、実際の形態としては会費みたいな感じだからな。滞納への対応が厳しかったり、退会するのが難しかったりするのがネックだが。
そんなわけで、シーラとイルムヒルトはしばらく家で過ごした後、日が暮れて涼しくなってきたので西区へ帰っていった。
――のだが。
夕飯の支度を始めてしばらくしたところで戸口を誰かが叩いたので出ていくと、シーラ達が戻ってきていた。
「……何かあった?」
何か忘れ物でもしたのかと思ったが、2人とも表情が硬いので、事情を聞く前にそのまま中に招き入れる。
「尾行されてる」
扉を閉めたところで申し訳なさそうにシーラは言うが……。
「別に巻き込まれたなんて思ってないよ」
「……ありがとう」
気にしているみたいだからはっきりと言っておこう。
2人に悪意がある奴が俺に対しては好意的かも知れないなんて楽観視は馬鹿げている。
仮にそうだったとしても仲間に手を出すなら、俺は敵と見做して動く。事情は脅威が無くなったと判断できてからゆっくりと拝聴すればいいのだし。
だからまあ、すぐ戻ってきたのは良い判断だ。
シーラとしては仮に人が途切れたところで襲われた場合、戦うというのはやや難しいと思ったのだろう。
別に、シーラやイルムヒルトの実力がどうこうというわけではなく。シーラからして見ればイルムヒルトがラミアの姿に戻って街中で大立ち回りというのは避けたいだろうからな。
「カドケウス」
猫の姿で寝そべっていたカドケウスが、不定形になって窓から出ていく。
カドケウスの視界をリンクさせて家の周りの状況を窺う。すると――ああ、いるな。
曲がり角の所に人員を1人ずつ配置して……我が家の前の通りからどちらに向かっていっても尾行できる態勢で待ち構えている。
「どうなさいます?」
「2人にはこのまま泊まってもらって、連中が諦めて帰るなり交代するなりしたところを尾行するっていうのが良いかな」
速攻で捕まえて尋問したいところではあるが、そうしたところで偽情報を流されないとも限らないし、第一尾行していたという、ただそれだけではまだ悪事とは言えないからな。対応が受け身になるのはやや面倒だが。
「私が――囮になるというのは?」
シーラは自分の胸に手を当てて言う。
「囮って言うと?」
「私が1人で出歩いて、連中の出方を窺う」
「シーラちゃん、それは危ないわ」
「でも、そっちの方が早い。私に用があるのか、イルムヒルトに用があるのかも、ある程度判別がつくし」
「なら、私が」
イルムヒルトの言葉にシーラは首を横に振る。
「こういうのの、専門は私。尾行に気付いている事に気付かせないとか、イルムヒルトには無理」
そう言って、俺の方に視線を向けてきた。尋ねられて、一考する。
確かにシーラの提案には……一理あるのは確かだ。だけど仲間を危険に晒すというのは、な。
囮役をさせるのなら、安全を確保したうえでやりたいところなんだが。
「……幾つか条件があるけれど」
それをシーラが受け入れるのなら、許可を出してもいい。
「……声を出すな。一緒に来てもらう」
屈み込んでいるシーラの背中に刃物を突き付けて、男が言った。
西区に入って、人通りが少なくなったところで尾行者達が動いた。
シーラが人が少ない道を選んで、落し物をしたように見せて、わざと足を停めていたから、というのもある。
シーラは相手の反応を見ただけなのだろうが、向こうはチャンスと見るや速攻で拉致しようとしてきた。
……仕掛けが早いな。拙速と言っても良いぐらいだが、何か急ぐ理由でもあるのだろうか。
彼女は大人しく両手を挙げて、男達に従う。腰に差していたダガーは安物だ。最初から取り上げられる事が前提で、ボアの牙製ダガーはこちらで預からせてもらっている。
やがて彼女が連れられていった先は、同じ西区の民家だった。
俺の姿は――夜空にある。かなりの高度を取って上空から追跡中だ。黒い衣服を着てきたので、下から見ても俺を発見するのは至難の業だろう。
グレイスは解放状態にして、自宅で待機中。アシュレイも完全武装、イルムヒルトも人化を解いて、いつ家に突入されても良いよう臨戦態勢を整えている。
とは言え、家には俺がいると向こうも思っているだろうし。尾行者の人数が少なかったので、拠点に対して実力行使に出るとは考えにくいが。
シーラは……カドケウスが衣服のようにくっ付いていて常時防御態勢に入っているので、あんな刃物では傷一つつける事はできない。
……感覚をリンクしてしまうとシーラの体型などが情報として見えてしまうというのが、この作戦のネックだ。……あまり考えないようにしよう。
建物の中に入っていってしまったので、目を閉じてカドケウスの方に感覚を移す。シーラは男達に連れられて、地下室に通されたところだった。
「捕まえてきたぜ」
「へえ。案外呆気なかったな。これであのガキも呼び出せるってわけだ」
そう言って得意げな笑みを浮かべたのは……ジャスパーだった。なるほど。俺に対しての人質、か。急いだ理由なども見当が付いてきたな。
俺に用があると言うのなら直接ぶっ潰しに行ってやるが……突入はきっちり部屋の中の状況を把握してからだな。
まず犯人一味として……ジャスパーの新しい冒険者仲間など、数名の男達がいる。……フェルナンドはいないようだが……他にも椅子にロープで縛られている者がいるようだ。
縛られているのは――メルセディアとその探索班の兵士達。それから――んん? チェスターだと?
他の連中はともかくとして。どうしてチェスターまで捕まっているのやら。




