5 教訓
えーと。あんまり理解できないのでオスロの立場になって考えてみよう。
指を咥えて何もしないと……その場合、責任を追及されて失職、そして領主次第で投獄されるかも知れない。
証拠があったらやっぱり失職コースだが、不正だったら大逆転してオスロの手柄になる。
となると彼はケチをつけないと損となる……んだろうか?
「そもそも、サボってたんですか?」
「ああいえ、酒場の警備は万全でしたよ」
ああ。それは駄目だ。
ちゃんと魔物の駆除をしないから「餌」が豊富になってキラーアントも加速度的に増えたんだろうし。
皮肉を口にしたベリーネに、オスロが激昂した。
「馬鹿にするな小娘! 大体貴様のようなガキがキラーアントの群れと戦っただと!? 与太話も大概にするのだな!」
オスロはこっちが不正をしているという前提で物を言っている節がある。だからこそ口出ししてきたのか?
こうまで出たとこ勝負なのは、領主にバレるとそんなにヤバい実態があるのだろうか。……あるんだろうな。失職じゃ済まないというのならこの必死さも解る。
「つまり俺がキラーアントの群れを撃退できる実力を見せればいい、と? 今この場で第七階級魔法でも使ってみせようか?」
「な、七だと!?」
またディフェンスフィールドを使うと往来の邪魔になりそうだな。
使うとしたら何がいいだろうか。指先にマジックサークルを展開して、いつでも撃てる事をアピールをしてやると、オスロは一瞬呆然とした面持ちで目を丸くした後、気を取り直すかのように首を横に振った。
「いっ、いや! たとえ使えたとしてもあの森に群れが湧いたという証拠にはならん! 部下が戻ってくるまでこの街にいてもらう!」
「だから……それは何の権限があって?」
首を傾げるとオスロはこちらが子供だと思ってか、こんな事を言った。
「そ、それは……当然警備隊長としてだ!」
「善意の市民じゃなかったのかよ……?」
「……」
横からロビンの呆れたような突込みが入ると、オスロはようやく口を噤んだ。
ギルドの仕事はギルドの内部で処理するものだから、褒賞金を出すかどうか、そこに不正があったかどうかはギルドが調査して判断するわけだし。
兵士や警備隊がギルド絡みの事で動けるとしたら、現行犯でもない限り不正があったという報告を受けてからだろう。
「ちなみに、フォレストバードの方々は名前も顔も売れておりますので。仮に不正があって逃亡したとしても指名手配は簡単です。その場合ギルドの面子にかけて、生死問わずの捕縛となるでしょう。雇用者であるテオドール=ガートナー様は……どうやら身元のしっかりしたお方の様で。無理に逗留させなくても逃亡の心配はないと私は思いますがね」
……。これ、ベリーネは伯爵家の事、完全に気付いているな。
フォレストバードは俺が実家を嫌っているのを知っているので、家の事を伝えるはずがない。
ベリーネがはっきりそうだと言わないのは、俺がそう名乗ってはいないからか。仮に推測が間違っていても、言質を与えない言い回しをしている。
それでオスロも察したのか、俺の服装と隣に控えるグレイスの格好を交互に見やると、その顔色がどんどん悪くなっていった。
大体、オスロはこの期に及んで俺達をこの場に留め置いて何をしたかったんだ?
俺がマジックサークルを見せた事で蟻の撃退は可能だと思ったんだろう。だからそれでは証拠にならないと咄嗟に切り返してきたわけだ。
殺したり脅したりして口封じをするのは既に意味が無い。ギルドが状況を把握している以上、森に蟻の残骸があるかどうかしか、彼の立場には影響しないのだから。
……ああ。不正が無さそうなら部下が戻ってくるまでに口裏合わせして、自分も蟻退治に一枚噛んでいたとする事で保身を図りたいわけか。
それなら接触を図ってきた理由も納得が行く。でもギルドの目があるから強気な態度を崩せず、居丈高に命令してきたわけだ。
そうすると次の手としては態度を軟化させての懐柔か。ベリーネと俺を切り離してから、何か美味しそうな話を持ちかけてくるとか――。
「い、いや、すまんな。どうやら誤解があったようだ。落ち着いて話せばお互いの事が解る。厩舎の中で話をさせてくれんかね? なに、悪いようにはしないぞ。なあ、君」
と、猫撫で声になり、ベリーネの耳に届かないような小声で言ってくる。
解りやすいというか……この手の奴の行動を読める自分が嫌だ。馬鹿兄弟やキャスリンを身近で見過ぎたせいだな。
何でそんな事に協力してやらなきゃならないんだ。ただでさえ蟻の撃退と、これのせいで無駄な足止めを食らっているのに。
キラーアントの群れの発生となると、下手を打つと集落が一つ二つ潰れるぐらいの事態にはなる。これを明らかに職務怠慢で発生させていたとなると失職どころか投獄されてもおかしくない。未然に防いだからいいが、実際にそうなっていたら間違いなく処刑だろうし。
ええと。領主は冒険者が嫌いなんだっけ? それでこの結果じゃ、領主の顔に泥を塗ってるんじゃないのか?
不正云々を人に言う前に、罪に問われるのは間違いなくオスロだ。庇うつもりは毛程も無いが、もし庇ったら火の粉が飛んでくるだろう。条件云々とか同情の余地の問題でさえない。
「……自分から辞任して領主に頭を下げた方が、少しはマシなんじゃないかな」
「貴様! オスロ殿が頭を下げているのに、何だその態度は!」
「おっ、おいお前……!?」
上司がアレなら部下は輪をかけて、であった。オスロの隣に居た男が俺に殴りかかってくる。オスロが驚いたように悲鳴を上げた。
即座に魔力循環を発動。身体能力を強化しつつ武技『水車投げ』で対応する。男の拳を逸らして腕を取り、重心を乗せていた側の足を身体で停止させてバランスを揺さぶる。そのまま勢いを利用して、空中を綺麗に一回転させて背中から――は、下手をすると死ぬので、尻から地面に叩き落とす。回転中もまだ呆然としているから受け身は取れないと判断したので。
「ごっ!?」
その分遠心力がついたようだ。地面に足を着く事もできず、まともに尻を強打した男は激痛で悶絶する。
通常、武技は発動に際してスタミナや気力を消費するのだが、循環状態である場合は、どちらでも魔力を消費する事となる。これもバトルメイジの特色の一つだが、スタミナ消費と魔力消費のどちらが良いのかは状況によるので、一概にメリットかデメリットかは言えないところだ。
「ガキが! 抵抗するな!」
もう一人の片割れが腰の剣を抜く。こっちもかよ……。というか、状況的に抜剣とか有り得ない。
ちらり、とオスロの顔を窺うと真っ青になって放心していた。そのぐらいの顛末が解るなら真面目に仕事していれば良かったのに。
「テオドール様」
グレイスが包みの中から魔法杖を取り出し、こちらに差し出してくる。
「ありがとう、グレイス」
グレイスが一歩下がるのを確認してから、使用感を確かめるために軽く振り回してみる。
杖の両端が軽快に風を切る音を響かせた。初心者の練習用って言ってたけど……うん。悪くないな。
強い魔力を通したら確かにすぐ壊れるだろうけれど、単なる武器として見た場合、癖が無くて扱いやすい。杖術に理解のある店主だっただけの事はある。さて。
「う……」
杖を槍のように構えると、男が固まった。こちらが魔術師というのを思い出したか。別に魔法杖は無くても魔法は使えるけどな。
「う、おおおおおおおおおっ!」
それでもか、それ故にか。
プレッシャーに耐えられなかったのだろう。或いは距離が近いから先手が打てるとでも思ったのかも知れない。
大声を上げながら剣を構えて突進してくる。だがリーチはこちらの方が長い。機先を制するように男の顎先を下から軽く跳ね上げる。たたらを踏んだところを足を刈って転げさせた。まだ剣を握っていたので拳を上から踏みつける。
「ぐあっ!?」
悲鳴を上げて今度こそ剣を取り落としたので、杖で弾いて道の端に除けた。
続けざま、術式を構築すべく倒れている男二人に杖の先端と掌を向けてマジックサークルを展開させる。
「ライトバインド」
第五階級の光魔法。男の周囲に光の輪が生まれて、それが細く絞られると連中の身体が結束されたように固まった。どっちが警備隊なのやら解りやしない。
「もう良いだろ?」
額に脂汗を浮かべてぶるぶると震えているオスロを見やる。
手を出してきたのはどちらが先か。そしてその理由。
証人はベリーネを筆頭に腐るほどいる。警備隊が起こした不祥事扱いになるような案件だ。蟻がどうしたとか、もう結論を待つまでも無いというか。
オスロはその場に膝を突いた。
「わ、私は、私はどうしたら……?」
「だから……領主に謝ればいいんじゃないか?」
別に馬鹿にしているわけでもなく、割と真面目にそう思う。
逃亡だとか責任逃れだとか、こいつには無理だろ。詰みだ。
「ふっ……はは。何故私が、そんな無様な事を」
独特な……壊れたような笑みを浮かべながら首を横に振る。それからゆっくりと視線を巡らせた。
その目の印象には……何となく見覚えというか、想起させられるものがある。今の俺ではなく、景久の記憶を呼び起こすものだ。
ベリーネを見やり、ルシアンとモニカを見やり。
その視線が最後にグレイスの方に向かい、オスロが腰の剣に手を掛けたところで。
逆手に握った魔法杖が、いつでも魔法が発動できる状態でオスロの首筋に触れていた。魔力を帯び、青白い光と唸るような音を放っている。
オスロは笑みを浮かべ、剣の柄を握ったままで固まっていた。
「剣から手を離して下がれ」
努めて感情を排して命令する。
それ以外の行動は許さない。躊躇するつもりも無い。
人質に取って逃亡でもするつもりだったか?
ベリーネは位置関係が悪く、ルシアンとモニカは冒険者だ。距離が近く戦闘要員に見えないグレイスなら、と思ったのだろうが。
簡単に人は死ぬし――殺せもする。傷一つないはずの脇腹に、刺された時のあの熱さが蘇る。あの熱を、まだ忘れてはいない。
オスロの俺を見上げる目には明らかな怯えがあった。視線が合った時に今のささくれ立った内心を吐露するように目を細めてやると、オスロの表情がくしゃりと歪む。
「う、……ひ……」
諦めがついたというより、牙をへし折った感じか。オスロは柄から手を離し、尻もちをついて後退る。それを確認してから俺も杖を収めた。
この後領主がどういった裁可を下すのかは……あまり興味がないな。彼らの問題だろうし。
それよりもグレイスの指輪が働いている際の、護身用の手段なり道具なりを考えなきゃいけない。どうするのが良いだろうか。
思案していると、杖からまた木が割れる音が聞こえた。
……どうやら流し込む魔力の加減を間違えたようだ。一時間も経たないうちに早速一本駄目にするとか。