576 黒き魔城
「当時のリサ様の暮らしが……何となく思い浮かぶような気がします」
グレイスは、母さんの部屋を見て――目を細めてそんなふうに零した。
「ロゼッタ先生も同じようなものをリサ様から送られたと」
アシュレイが、髑髏の小物を見て小さく笑う。
母さんの部屋の様子を、グレイスとアシュレイ、それに母さんのことを知っていたステファニア姫には見てもらってはどうかと、ジークムント老と話をしたのだ。
まあ、結局みんなで見ることになってしまったが……人数は多くてもそっと静かに見るだけではあった。少しの間、みんなで母さんの部屋を静かに眺め、当時の様子に思いを巡らしたりしてからサロンに戻る。
「まあ……何というか。儂の書斎の、髑髏をあしらった文鎮の話はしたと思うがの。あれの何がパトリシアの琴線に触れたのやらさっぱりでな。幼い頃からあの文鎮を持ち出して抱えて寝台で眠ったりしとった」
と、ジークムント老は困ったように頬を掻いたが、懐かしそうに笑う。
あー……うん。普通の子供にとってのぬいぐるみみたいなものだろうか。まあ、どんなモチーフを好きになるかは人それぞれということで。
そんなジークムント老や長老達の思い出話を聞いたりして、その日の夜は過ぎていったのであった。
そうして明日に備えるために風呂に入り、みんなで時間をかけて循環錬気を行いながら早めに床について――シルヴァトリアの夜が明けた。
朝。窓から差し込んで来る柔らかい陽の光に目を開く。
「ん……。おはよう。よく眠れた?」
「はい。循環錬気にも時間をかけたので、寝入りも良かったですし、体調も万全です」
俺が目を覚ませば、何時ものようにグレイスは先に起きていた。隣で眠っているマルレーンの寝顔を微笑ましいものを見るように眺めていたりしていたが、声をかけると笑みを浮かべてそんなふうに答える。
「んん、良い朝ね。確かに、よく眠れたわ」
ローズマリーが軽く伸びをしてから答える。
声の大きさを抑えていても話し声が聞こえたのか、アシュレイやクラウディアも薄く目を開いた。少し遅れて、マルレーンも目を覚ましたようである。
いよいよベリオンドーラ行きでもあるし、昨晩は早めに眠ったというのもある。目を覚ましやすい状態ではあったのかも知れない。
体調は、すこぶる良い。
循環錬気に時間を使うと、次の日の寝覚めがはっきりとしていて、その日の調子が良いというのは確かだ。四肢の隅々まで力が充実している感覚。思考もクリアで魔力も研ぎ澄まされている感覚がある。
では――気合を入れていくとするか。
「――くれぐれも気を付けるのだぞ。敵の拠点。魔人共の巣窟だとするなら、何があっても不思議ではない」
「はい。油断はしません」
そうして、朝食を済ませ、討魔騎士団と合流して広場に集合する。中々良い天気だな。澄んだ冷たい空気も思考をクリアにしてくれる。
物資を積み込み、忘れていることがないか確認と点検を行い、人員を点呼し。諸々出発の準備を整えてから、見送りにやってきたエベルバート王達や長老達と挨拶を交わす。
「怪我をしないようにな、テオドール君。君は我等にとっては……そう、特別な存在なのだ。七家の悲願でもあり、パトリシアの忘れ形見でもあり、そして記憶を取り戻してくれた恩人でもある。君についていけるだけの力が、我等に戻っていないのが歯がゆくて仕方がないが……」
長老達からは遠慮なく抱きしめられ、背中をぽんぽんと叩かれて、そんなふうに言われた。
「気に病まないで下さい。沢山、力を貸していただいておりますので」
そう答えるとエミールは俺から離れ、少しだけ寂しそうに笑って頷いた。
七家の面々はザディアスの一件で、かなりの長期間、監禁に近い生活を強いられていたからな。体力や体術に結構なブランクを抱えてしまっている。
再会した時――抱きしめられた時点で前に会った時より、かなり鍛えているというのは分かったが……それでも魔人相手では足手纏いになってしまうと判断してバックアップに徹することに決めたのだろう。
その判断は、理解できるし尊重する。魔法の腕と知識だけでは魔人に届かないと、連中のことをよく分かっているからこそだ。苦渋の選択なのだろうけれど、だからこそ俺もその分頑張ろうという気力が湧いてくる。
「それでは、行ってきます。確かに皆さんの分まで任されました」
そう言って、にやっと笑ってみせると、長老達は少し目を丸くしたが笑みを返して頷いてきた。タラップを登って、見送りに来たみんなに一礼する。
「人員の点呼、物資の点検、全て完了しております」
エリオットの言葉に頷き、近くに座って控えていたアルファを見て言う。
「それじゃあ、行こうか。シリウス号、浮上」
俺の言葉に従い、ゆっくりと船体が浮上していく。甲板から見送りに来たみんなに手を振って遠ざかっていく。
手を振る皆と、歓声を送ってくれるシルヴァトリアの人々。調和の取れたヴィネスドーラの整然とした街並みと、壮麗な王城。そして――聳え立つ学連の塔。それらを段々と遠くに見ながら俺達はヴィネスドーラを後にしたのであった。
――ヴィネスドーラから北へ北へと、シリウス号は進路を取る。
艦橋のテーブルの上に地図を広げて方位磁石を見る。同時にカドケウスを地図に変形させて、現在位置を正確に割り出し、場所を把握していく。
その傍らで、作戦の確認を行っていく。
「見ての通り、ヴィネスドーラとベリオンドーラの位置関係はこことここ。ヴィネスドーラから見れば北西に位置する。だから、魔人達が監視の目を置くならこの方向はまず確実だ」
「……そうね。監視の目がどこに置いてあるかは分からないけれど、普通に使う道で向かったら察知される可能性が上がるわ」
「少しばかり時間を余分に使ってでも、安全な道を、ということですね」
ローズマリーが答え、アシュレイが頷く。
そう。光魔法の迷彩もあるが、それでもだ。道中発見される可能性は可能な限り低くしたい。ガルディニスのような、魔力感知の魔眼であるとか、その他特殊な探知能力を持っている輩がいないとは言い切れない。
そうやって想定はしても、結局調査は行わなければならないのが厄介ではあるのだが。
元々ベリオンドーラは、北方の辺境に突然花開いた魔法王国なのだ。
七賢者が盟主の封印を成し遂げ、そうしてその後、地上で生きていくために作った国。背景を知ってから考えれば……まあ辺境に国を作ったというのは理解できなくもない。
厳冬も魔法技術があれば乗り切れるし、他の王国と利害もぶつかり合うことがないからな。建国も国の運営も、邪魔されない。
だから、ベリオンドーラがあるのは、ほとんど北の最果てと言っていい。南方に国はあれど、ベリオンドーラ以北に国はない。
通常――というほど一般的な話ではないが――ベリオンドーラに向かおうと考えるのなら、先程話にあったようにシルヴァトリア王国から北西に進んでいくか、或いはベリオンドーラの西側まで海路を使い、陸地に上陸して内陸部へ東へ向かうかという、2つの選択肢になる。今の季節ならば、海路のほうが距離も地理も楽だろう。
だからこそ、俺達はこのどちらのルートも使わない。
みんなの視線を集めながら、地図を指で辿る。シリウス号を真っ直ぐ北上させ、余分に進んで西に向かい――経度を合わせて最後に南下することで接近するというわけだ。
「……警戒の目が一番薄いと想定されるのが北側、ということね。背中を突く、ということになるのかしら」
クラウディアが目を閉じて言う。
背後を突く、か。確かに。つまり俺達は廃都ベリオンドーラの北側から接近しようと考えている。まあ、シリウス号だからこそ取れるような行動ではあるな。
「北の廃都ベリオンドーラか。魔人との戦いによって、草木も生えない荒地になってしまったっていう話だよね」
「……恐ろしい話です」
アルフレッドとペネロープが眉を顰める。
「文献が正しければ荒地には草木すら生えず動物は近付かず――。廃城近辺の天候は特に荒れやすく、冬にあたっては猛烈な吹雪になることも珍しくないと。魔人達との戦いの爪痕が、精霊達に悪影響を与えているのではと、仮説が立てられておったな。事実、落城前は北の最果てと言えど、天候まで荒れたりというのは少なかったと言われておるのじゃがな」
ジークムント老が眉根を寄せた。
世間では……忌まわしい呪われた土地として語られ、普通ならば近付こうとも思われない場所ではある。
当然、瘴気の影響もあるだろう。魔物も凶暴化しやすいので、シルヴァトリア北西部の山脈から向こうは危険な土地だと言われている。
作戦を確認し、装備の点検や作戦従事に当たっての体調の確認など、諸々事前の準備を進め、白銀の世界をシリウス号が進む。
モニターから見える景色に異常はない。ライフディテクションに変わった反応もない。順調……と言えた。
「そろそろ術を用いてもいいでしょうか?」
「はい。よろしくお願いします」
頷くとフォルセトが静かに立ち上がり、ジークムント老、ヴァレンティナ、シャルロッテが彼女に続いて甲板に向かう。
ハルバロニスの隠蔽術を以って魔法的感知からシリウス号を守り、光魔法の迷彩で物理的に見えないようにする、というわけだ。
フォルセトが中心になってマジックサークルを展開。術を完成させると、ぼんやりとした輝きがシリウス号を包んでいく。
風魔法で包み、嗅覚と聴覚、温度からなる情報を遮断。魔法的探知からも遮断。
シーラやイルムヒルト、ラヴィーネやコルリスの感覚でも、俺の片眼鏡やガルディニスの魔眼でも探知はできない。
これで万全であるとは、言うつもりもないが。
ベリオンドーラへの接近に伴い、シリウス号も視界に入りにくいように高度を落としていく。やがて――モニターの遥か向こうにそれが見えてきた。幸運にというべきか。天候は崩れていない。遠くまで見通すことができた。
だからこそ、それを見ることが出来てしまった。
「あれが――壮麗であったと語られる、ベリオンドーラの城じゃと?」
モニターによって拡大されたそれに、ジークムント老が戸惑うような声を上げた。アドリアーナ姫やヴァレンティナ、シャルロッテも目を見開いている。
……城。城だ。見れば分かる。それ以外の何物の形にも見えない。月の民が由来だけあって、かなり大きな建築物ではある。そこも別に良い。
おかしいのは――色だ。ジークムント老の伝え聞くそれとは全く異なるのだろう。黒い尖塔を聳えさせる、禍々しい有様の城。
それが魔人の手に落ちた廃城ベリオンドーラの、今の姿であった。




