541 渓谷の戦い
「音の広がり方が何だか違う感じがする。行き止まりじゃないと思う」
と、セラフィナがカドケウスに向かって話しかけてきた。
となると……目の前に広がる行き止まり自体が、霧の見せる幻覚だろう。
幻影のバリエーションとしては大型の魔物に見せかけて攻撃を無駄撃ちさせたり冒険者を撤退させたり。或いは地形そのものをカモフラージュして迷わせたりもするというわけだ。中々、幻影1つ取っても手が込んでいるというか。
だが、幻影に関して言うなら、セラフィナが音の反射で割合呆気なく見破ることができる。
「何か……色々いそう」
「気を付けて。霧の向こうに滝があるみたいで、温度差が見えにくい場所があるの」
シーラとイルムヒルトの警告の声。ラヴィーネやベリウスも行き止まりを見て小さく唸り声を上げているあたり……警戒が必要な場所ということか。
幻霧渓谷は時々岸壁から滝のように水が流れ出しており、渓谷の一部が川になっていたりすることがある。現在進んでいる場所も岸壁のあちこちから水が流れ出て小川が続いていたが……そうなると、突き当たりに見えている池も幻影ということになるだろう。
「分かった。合図をしたら風魔法で散らすよ」
そう言うと、みんなも頷いた。では……。
ゆっくりと片手を挙げて、振り下ろす。風を叩き込んで霧を散らしたその瞬間――行き止まりであったはずの岸壁や池も消え失せ、その向こうに広々とした渓谷が姿を現した。
同時に霧の向こうから飛び出してきたのは、ネイルヴァルチャーと呼ばれる比較的大型の猛禽の魔物であった。飛び道具の類は持たないが、鋭い鉤爪と嘴、そして体格に見合った膂力を持っており、急降下して力任せに攻撃を仕掛けてくるという、力押しの手合いである。
正面から猛禽が迫ってくる。それに呼吸を合わせるように下方――霧の向こうの茂みの中に潜んでいたカノンビーンズの砲弾が俺に向かって発射されていた。
地形把握をしていないところへの奇襲ということで、味方の援護は僅かに遅れるだろう。
だが――。
「行け」
肩口から飛んだバロールが、ネイルヴァルチャー目掛けて飛翔する。光の尾を引きながら複雑に絡み合うように鳥と魔弾は有利な位置を取り合うが、勝負は一瞬で付いた。鋭角な挙動で弾道を変えたバロールが、ネイルヴァルチャーを背中から撃ち抜いたのだ。
打ち込まれた豆の砲弾はと言えば――敢えてぎりぎりを掠めさせるような回避運動をリンドブルムに取らせつつ、ウロボロスに展開させた凝縮魔力の網で受け止めている。水魔法のクッションを同時に展開して砲弾の威力を弱めてやれば、しばらく回転していたがあっさりと威力を殺して受け止めることができた。
それを見たカノンビーンズは沽券に関わるとでも言うように茂みの中から顔を覗かせて前のめりになると、続けざまに砲弾を撃ち放ってくる。
そう。一発受け止めるとむきになる傾向があるようで。リンドブルムは停止してから引きつけての急加速を繰り返し、飛来する砲弾を避けながら、俺にキャッチしやすいポジションを取らせてくれる。受け止めた砲弾はレビテーションで浮かせて滞空させながら、最後の一発を受け止めたところで茂み目掛けてソリッドハンマーを叩き込む。
「来る!」
言いながらシーラが飛び出していく。続いてグレイスとイグニス、ベリウスも空中を疾駆していった。そう。霧の向こうから魔物の集団が迫ってくるのだ。幻影を見破ったら奇襲を仕掛けて足止めする魔物と、そこに突っ込む本隊という二段構えだろう。
飛行部隊と地上部隊の混成だ。地上部隊にはカノンビーンズの姿も見えるな。
乱戦になってしまえば豆が無駄になってしまうところはあるが、まあ……ここは可能な限り撃たせる前に潰す方向で動いてみるか。
「ディフェンスフィールドを展開します!」
アシュレイが防御陣地を構築。水場が近いからアシュレイにとって有利に働く場所だ。ラヴィーネが咆哮と共に障害物となる氷の壁をいくつも生み出し、数を頼みに攻めることができない状況を作り出す。一本道でこちらが隘路。上下からならともかく、左右に展開して包囲するのは難しい。
対空防御と言わんばかりにマルレーンのソーサーとローズマリーのマジックスレイブが防御陣地の周囲を舞い、陣地の前にデュラハンとピエトロの分身達が隊列を組む。
後衛の迎撃体勢は完璧。ならば気兼ねなく暴れられる。
地上部隊はカノンビーンズ、それにスモークマッシュと呼ばれるキノコの魔物に、ハイオーク率いるオークの一団という混成部隊。
頭上にはネイルヴァルチャー、フラッシュクロウというカラスの魔物、フライエイプというコウモリの翼を持った猿の魔物。
それに――地上戦と空中戦を兼ねるソリッドゴートか。残念ながらスプリントバードはいないが、中々の大群だな。
「地上部隊は俺が潰す!」
「分かりました!」
高度を変えて地上部隊目掛けて最高速度で突撃する。
相手が砲撃を始めるよりも早く、突撃用シールドを展開させて地上部隊に突っ込み、同時にリンドブルムから離脱。敵地上部隊の真ん中に飛び込んで、ウロボロスの凝縮魔力を展開。大剣に変化させて周囲を一閃する。
こちらの動きに対応できないままに、魔物の一団が動きを止めた。刃圏にいた魔物は一閃を浴びている。圏内にいた魔物の殆どは無力化できているが、例によってカノンビーンズは活動停止しない。
そこにバロールが飛来して頭を正確に撃ち抜いていく。まだ、射線上に仲間がいる。カノンビーンズの判断が追い付かない内に倒せるだけ倒す。
それから――無力化ができていないのはスモークマッシュもだ。
奴は攻撃を加えると煙を吐いてそれを吸い込んだ者を一時的に麻痺させる能力を持っている。
丸いドーム状の頭を輪切りにされたスモークマッシュ達は慌てて両手で頭を押さえていたが、それが無駄な努力と見るや否や、こちらに向かって煙を浴びせて来た。
だが、それは承知の上。掌を翳し、握るようにして噴き出す煙を風魔法で押さえつける。
煙を一塊にしたまま、魔力大剣の間合いの外側にいたハイオーク達へとそれを浴びせかけるように解放してやる。
スモークマッシュの煙はたちまち効果を現した。ハイオーク諸共オークの集団が腰砕けになって崩れ落ちていく。そこを――戻ってきたリンドブルムが掻っ攫っていった。
ご丁寧に指揮官であるハイオークをきっちりと連れ去り、高速で飛翔して岩壁に叩き付ける。指示したわけではないのだが……相手のボスを見極めて行動するあたり、良い動きをするものだ。呼吸も止めて、煙も吸わないようにしているようだしな。
幻霧渓谷に出現する飛行型の魔物の中には、一種類注意が必要な奴が混ざっている。
フラッシュクロウだ。それほど力はないが、至近距離まで間合いを詰めると全身から強い光を放って目潰しをしてくるという、他の魔物と組んで力を発揮するタイプなのだ。
乱戦になると面倒ではある。なので優先的に遠距離から潰すという方針で動いている。
「そこね!」
イルムヒルトの光の矢が降り注ぎ、敵団の中から正確にフラッシュクロウ達を撃ち落としていく。
回避行動が間に合う個体もいるが、グレイスによる斧の投擲やシーラの水の刃、ベリウスの咆哮共鳴弾で優先的に潰されていく。
狙われていると悟ったのか、距離があるにも関わらず光を放って逃げようとする。しかし効かない。イルムヒルトは温度で察知している。光を放つ瞬間に動きを止める必要があるらしく、止まった的を撃ち抜くなどイルムヒルトにとっては造作もない。
フラッシュクロウが数を減らし、不安材料の無くなったところに――グレイス達が突っ込む。
双斧を、真珠剣を、戦鎚を、爪牙を。縦横に振るって、ヴァルチャーやエイプを見る間に叩き落していく。
この区画にいる飛行型の魔物は、空中からの降下と離脱という、ヒットアンドアウェイ戦法を得意とする連中だ。だがこちらの前衛は、きっちり空中で格闘戦、白兵戦をやってのけるのだ。空中に逃げても追える以上、まともにぶつかれば圧倒するのは当然とも言えた。
岸壁を足場にして立体的な挙動を以って後衛達目掛けて突っ込んでいくソリッドゴート達。しかしそれも無駄だ。
後衛の対応は弾幕の洗礼だった。跳躍した山羊の着地予測地点を面で攻撃。空中で軌道を変えられない山羊達は避けることもできずに岸壁から叩き落されていく。
マルレーンの幻術が岸壁の地形を変えて――目測を誤って踏み外し、落ちたところにはローズマリーのマジックスレイブが魔力糸でトラップを展開している。身動きが取れなくなったところを悠々とエクレールが雷撃で薙ぎ払っていった。
そうして――魔物の集団を退けて剥ぎ取りを終えてみれば……大猟も大猟だったと言えよう。
剥ぎ取り箇所としては……まずカノンビーンズは豆がそのまま食用として。
ソリッドゴートは角と毛皮、ヴァルチャーは爪と嘴。フラッシュクロウは羽毛、エイプは翼、スモークマッシュはその内側に溜め込んでいる粉末。オーク達は装備品、といったところか。
後はそれぞれ食肉に適していたりいなかったりだ。
食えない……というかあまり味が良くないとされているのがクロウとエイプで、他は問題なく食用になる。
そうして物資を迷宮外にクラウディアに転送してもらいつつ、石碑を見つけるまで探索を続けたのであった。
さて。まずはギルドに顔を出して換金してもらうか。豆も予定していたよりも量が集まった。色々と実験するには十分だろう。
帰ったらまずは発酵食品用の実験室を地下にでも作るか。アルフレッドから気温と湿度調整用の魔道具は借りてきているし。それができたら早速実験を進めていくとしよう。




