532 温室と実験と
「ご無沙汰しております」
応接室へ向かってミシェルと顔を合わせると、彼女は笑みを浮かべてそう挨拶してきた。
鉢植えのノーブルリーフを何本か持って来ているようだ。ノーブルリーフ達も割合元気そうで、俺達を覚えている個体がいるのか、部屋に入ると挨拶でもするように葉っぱを振ってくるものがいた。青色のリボンを付けたノーブルリーフである。確か前回、水魔法で育てた場合はリボンで目印をつける、という話をしていたはずだ。
「こちらこそお久しぶりです」
「おはようございます、ミシェルさん」
と、俺達もミシェルに挨拶を返し、挨拶をしてきたノーブルリーフの頭を撫でてやる。青リボンのノーブルリーフは大人しく頭を撫でられるに任せていた。
マルレーンがにこにこと他の色分けされたノーブルリーフ達の頭を撫でたりしているが、他の面々も大人しいものだ。
青と水色、それから黄色のリボンを付けた個体。何かしら違いがあるのだろうが、それも後から分かるだろう。
どうやらミシェルはリボンを色分けしてノーブルリーフを区別しているようだ。こちらに対する反応から見るに、青色のリボンの場合はアシュレイが水魔法で育てて、ミシェルのところに出張している面々なのかも知れない。
こちらも話をすること、聞きたいことなどは色々あるが……まずは椅子に腰かけ茶を飲んで、近況を聞きつつといったところか。
「お元気そうで何よりです」
「ありがとうございます。温室での栽培もノーブルリーフ達の観察も、遣り甲斐のあるお仕事で、その……毎日が充実している感じでして」
ミシェルはそう言って、少しはにかんだように笑った。
「それは何よりです」
アシュレイが笑みを返すと、ミシェルが頷いた。
どちらかというとミシェルの方が世間話よりも温室周りの話をしたくて仕方がないという印象である。
まあ、それはそれで俺としても構わないから、挨拶もそこそこにという感じで話を進めていくとしよう。
「報告用の資料を作って下さったということですが」
「はい。これになります」
そう言ってミシェルは分厚い紙の束を出してくれた。
「拝見させて頂きます」
「はい、どうぞ」
「すごいですね。こんなに詳細に……」
資料の紙束を見て、アシュレイが目を丸くする。気恥ずかしそうに小さくなっているミシェルが心配そうに見守る中、資料に目を通させてもらう。
資料は大きく分けて2種類。ノーブルリーフ自体に関するものと、ノーブルリーフに手伝ってもらった場合とそうでない場合の作物の生育の違いについて調べたものだ。
環境や育て方による性格の違い、ノーブルリーフと作物の成長の違いといった、経過観察を、ほとんど毎日に渡って表を作って観察してあり、表とは別に気付いた点、所感や考察も書き連ねてあったりと、ミシェルのモチベーションの高さが窺える内容であった。
「これだけでも学術的な価値がありそうね」
と、ローズマリーが羽扇で口元を隠しながらも、感心したような口調で言った。
「い、いえ、そんな。これはそれほど難しい仕事ではありませんし。ノーブルリーフの発見や、温室がなければこんなふうには……」
「……いや。時間をかければできるというわけではありませんよ。資料を拝見させて頂いた感じでは、ノーブルリーフ達を大事にしてくれているようですし。ミシェルさんに頼んで良かった」
「あ、ありがとうございます」
ミシェルは恐縮しながら深々と頭を下げて来た。
適切な温度と湿度の管理、病気の防除等々、専門的知識が必要なこともそうだが、ノーブルリーフ達は別種族であるため、人間のための栽培の手伝いをしてもらうのならば、それはあくまで協力者という位置付けだと俺は思っている。ノーブルリーフ達にしてみれば自分達の安全と繁栄のための協力関係にある、とも言えるのだから。
そのへんをミシェルはしっかり理解してくれている。負担を強いるような実験はしていないし、ノーブルリーフの体調変化に関しても気を遣ってくれているのが資料の内容から窺える。今日連れて来たノーブルリーフ達もミシェルを信頼している様子だしな。
それに……その時間をかければというのが一番大変だったりする。モチベーションの維持をするには知的好奇心であったり目的意識であったり義務感であったりと色々あるだろうけれど。
「僕達としても、タームウィルズにミシェルさんにお見せしたいものがあるのですが……その前に温室とノーブルリーフ達の様子を見せてもらってもいいでしょうか。硝子や魔道具の点検などもしておきたいですし」
「はい、是非」
と、ミシェルは表情明るく笑みを浮かべるのであった。
というわけで、シルン男爵領内を馬車で移動し、温室を見に向かう。
温室内は……前回来た時とは違い、中々に賑やかな様子だ。ノーブルリーフの育成をしている区画と、作物を育てている区画に分かれている。
更に細かく見て行くと、ノーブルリーフはミシェルが魔法で作成した水を与えて発芽させた第2世代に水色のリボン、普通の水だけで育てた第2世代に黄色のリボンを付けて区別してある。
赤色のリボンを付けたものも僅かにいるが、あれは野良のイビルウィードから種を採取してきたもの、だそうだ。
アシュレイの育てたノーブルリーフは濃い青のリボンで、既に成体であるため、もっぱら作物の育成に従事している様子である。
「まず、水色の子達と黄色の子達の違いですが。黄色の子達は、最初は中々慣れてくれませんでした。赤色の子も、最近になってようやく慣れてくれたというところですね。成長速度に関しては水色よりも黄色、黄色よりも赤色の子のほうが早いようです」
「野生種は通常、共生関係にないから庇護を得られないし、早熟になるというのもわかるわね」
クラウディアが言う。
ふむ。黄色はノーブルリーフ第2世代ではあるが、与える水に関しては普通のものだ。その分、野生種であるイビルウィードに近付いた部分もあるのだろう。しかし、青色と水色の様子を見て、人間とは協力関係にあると学習した部分があるわけだ。
「ん、赤も割合大人しい」
「本当。噛んだりしないのね」
シーラとイルムヒルトも、それぞれのグループを興味深そうに眺めている。
「元々の魔力環境が別に悪いわけじゃないしな。魔に堕ちてるわけじゃないから、野生種であっても小さな内から育てれば学習によって大人しくなる可能性は十分にあるんじゃないかな」
だが、アシュレイが種から育てたものは最初から大人しかった。
これに関しては種の時点で既に学習を始めており、人間の魔力に馴染みがあるかどうかで親近感のようなものを感じている可能性がまず考えられる。
可能性としてはもう一点。水魔法で育てることで変化が生じているということも考えられるだろう。
黄色グループと赤色グループの間に差が出ていることに注目するなら、魔力による変化が生じている部分というのはありそうだ。これはミシェルも資料の中では同様の見解を示しているが、まだまだ観察の絶対数が足りない、と結んでいる。
採取した野生種がたまたま物わかりの良い性格の個体だったという可能性も捨てきれない、というわけだ。ミシェルは色々と着眼点が良いな。自分の立てた仮説への疑問点などもちゃんと検証してくれるようである。
「この調子で第3世代、第4世代と水魔法で育てていけば、違いが顕著になっていく可能性はありますね。変化の度合いが頭打ちになる可能性もありますが」
「かも知れませんね。今後に期待したいところです」
ノーブルリーフ達の変化に関してはこんなところか。原種であるイビルウィードに関しても、環境が極端でなければ案外中立的な種族、というのは分かった。
続いて、作物を見て行く。
「レタスを作っているのですね」
「そうですね。比較的育てやすいものからと考えまして」
グレイスの言葉に、ミシェルは笑みを浮かべた。難易度の低い作物を育てて観察というのは、確かに出だしとしては正しいやり方だろう。レタスは育った分だけ外側の葉を間引きして食べられるしな。
ノーブルリーフを近くに植えて手伝いをさせている区画と、そうでない区画に分けての育成ということで、実験内容としても分かりやすく、結果も見たまま作物の育成具合の違いが顕著だ。最早ノーブルリーフが周囲の植物の育成を促進することは疑いようもないだろう。
「家の中でも、もやしをノーブルリーフ達に育てさせています。成長速度が速くて、味も良く、観察もできるし食費も抑えられるしで、とても助かっています」
「役得ですね」
そのあたりの成長の早い作物で何度も収穫をする、というのにも向いているか。
資料によれば、今育てているノーブルリーフ第2世代が成体になったらもやしの育成速度も比べてみる、とのことである。
作物の栄養価が高くなっているかどうかは調べないと分からないが、味が良くなるのは実体験からすると間違いなさそうだ。
「ふふ、近隣の皆さんも実験には期待してくれているんですよ」
と、ミシェルが笑う。まあ、ノーブルリーフ農法も順調なら広めていきたいところはあるからな。周囲への情報周知等々はのんびりと進めていこうという方針なのだが、割合期待もされているようだ。
ともあれ実験途中ではあるが、現時点でも色々面白い結果が出ているようだな。
さて。では、温室の硝子や魔道具の点検などを済ませてしまうか。俺達としても、稲作の話など、色々とミシェルに伝えたいことがあるしな。




