484 海王の眷属達
そして……件の海域の監視と戦闘訓練。陸地との連絡などを行いながら数日が過ぎた。
「エルハーム殿下、あまりご無理をなさらないように」
「ふふ。そうですね。でもちゃんと眠っていますから大丈夫ですよ。眠るべき時に眠っておかないと、しっかり働けませんので」
循環錬気で魔力の補充と体力の補強をしてからそう言うと、エルハーム姫が笑って見せた。
艦橋に顔を出し、暖かい茶を飲みながら一息入れているエルハーム姫だが……ここ数日、起きている間は殆どの時間働き尽くめだ。
鍛冶仕事をしているのはゴーレムだが、エルハーム姫が制御を行っている以上は魔力を消費しているし、作業中は寝るわけにもいかないので体力や集中力だって削っている。製作過程の時間を短縮するために、ゴーレム以外にも魔法を使っているし。
だが、見ている限りエルハーム姫はかなり魔法に関して優れた資質を持っているようだ。ハルバロニスに連なるナハルビアにルーツがあるという部分もそうだが、きっちり修練を積んでいる。
出力は並ぐらいか。攻撃魔法の扱いに習熟しているというわけではないのだろうが、一方で魔力の総量はかなり多い。制御も丁寧なので長時間の作業に向いているようだ。
このあたりは向き不向きというより、エルハーム姫が必要に駆られて魔法を覚えていった結果の成長、といったところか。急造でありながら信頼のおける武器を、というのはエルハーム姫の得意分野なのだろう。
それでもやはり、消耗はする。魔法で体力回復を行ったりはできるし、休憩の合間にマジックポーションや循環錬気で魔力の補充を行ったりといった支援はしているが。
まあ……集中力の低下に応じて休憩や睡眠は取るなど、自制はしているようだ。パフォーマンスの低下を避けるという理由からのようではあるが、眠るべき時に眠っておくというのは、ファリード王と共に戦乱をくぐり抜けたからこそだろうな。
ともあれ……そういったエルハーム姫の奮闘のお陰もあり、前線に立つ武官達の武器の刷新に関しては目途が立ったところがある。こうしてのんびりとした雰囲気で休憩を挟める余裕が出てきたのも、終わりが見えてきたからという部分が大きい。
「しかし……綺麗な海ですね。敵が攻めてくるとは思えないと言いますか」
シオンがモニターを見ながらしみじみと呟くと、シグリッタが頷いてマルセスカが笑みを浮かべる。
「……お陰で監視が苦にならないわ」
「海の生き物、面白いよね」
監視していると勝手に目に入ってくるからな。暗視とライフディテクションで色々と観察できる部分もあるので、本来は地味な仕事になりがちな監視も、適度に肩の力を抜いて行える。
「緩み過ぎは駄目ですが……みんなでこうやって話をしたり、海の生き物を見ながら監視できるというのは、良いことかも知れませんね」
フォルセトが言うと、マールが笑みを浮かべて頷く。
「シリウス号にみんなでいるから、出来ることですね。私は、楽しくて好きですよ」
その言葉にマルレーンも屈託のない笑みを浮かべてこくこく頷いた。マルレーンの反応に、みんなの表情にも笑みが浮かぶ。
「ん。魚は見ていて飽きない」
……シーラなどは別の方向でモチベーションを高めているような気もするが。そんなシーラの言葉に、イルムヒルトがくすくすと笑う。
まあ、そうだな。いずれにしても監視の目も人員の分だけあるので異常があればすぐに気付けるわけだし、疲れたら休憩も出来る。使い魔達も交代で監視を頑張って、負担を和らげてくれているし。
シリウス号での監視だけでなく、公爵領で異常があれば神殿の巫女達の祈りで察知できるし、アイアノスにはカドケウスが控えていて、それらの場所も実質的にこちらの監視下にある。
この海域で監視をするというのは、敵が現れると予想されるどこに対しても駆けつけやすいところはあるので、色々と都合は良い。
いずれにせよ、敵を待つというのは気持ちが焦れる部分もあるけれど、緊張しっぱなしではもたないからな。
「……テオドール」
と、クラウディアが目を閉じて、額のあたりに指を当てて言った。
「ん? どうかした?」
「公爵の本拠地の巫女達から祈りが届いたわ。どうも……海王を名乗る者の遣いが来ているようね。戦闘などは起きていないようだわ」
「……そっちに来たのね」
ローズマリーが僅かに眉根を寄せた。俄かに艦橋の空気が緊張を帯びる。
それも想定していた範囲内の話ではある。グランティオスとヴェルドガル――特に公爵領の人々は交易をしているから、海王がこの海域に人魚達がいると見定め、エルドレーネ女王を捜索し、見つけ次第攻撃を仕掛ける、ということを考えた場合、陸地に対してはグランティオスの民を保護しないように要請――というか、圧力をかけにくる可能性は考えられたのだ。
或いは既に保護されている可能性を海王が考えて、探りを入れに来たということも有り得る話か。
陸上に対しては秘密裏に動くか、自分達の正当性を主張するかのどちらかと思っていたが……公爵領の近海にあると見たからか、海王は後者を選んだということなのだろう。
となれば、海王がエルドレーネ女王を捕えるという目的を達成した後、陸上の物資を継続して交易で手に入れるために人魚達を支配下に置いて水蜘蛛の織物を生産させるという方向性になるのかも知れない。
陸上にも益があると説き、海の内乱に過ぎないから手出しをするなと釘を刺す、というわけだ。
交易だけを考えるなら……海王側は相当な好条件を提示してくるだろうな。それはそうだ。海王の眷属が人魚を支配下に置くというのは、実質上奴隷化して働かせるということを意味するのだろうから、搾取した分だけ条件を良くすることができる。
「どうなさいますか?」
グレイスが尋ねてくる。
「予定通りかな。連中が馬鹿をやらかす前に決めておいた通りの面々で転移魔法で向こうに駆けつける。その間、こっちに海王の眷属が現れた場合、まず通信機で連絡して、敵の規模に応じて対応を決める」
しかし、連中は陸上にまず接触し、それから動くという形を選んだわけで。そうなると、交渉と海中での威力偵察を同時進行をする……とは思えないな。
場合によっては陸上と一戦交えることも考えているだろうから、向こうとて陸上での戦闘を想定するなら戦力は分散させまい。仮に、陸上でも歯牙にもかけないと思っているのなら、最初から交渉になど来るはずもないのだから。
「では私達はここでこのまま、監視任務を続けます」
エリオットが言う。
「よろしくお願いします。場合によっては合流するか、追跡するかというところですね。敵がアイアノスに現れるということは無いとは思いますが、場合によってはそちらに急行することも想定していて下さい」
「分かりました」
「お気をつけて、エリオット兄様」
「アシュレイこそ」
兄妹は短く言葉を交わす。エリオットが笑みを返すと、アシュレイも頷いた。
転移先ですぐ戦闘になる可能性も考慮し、グレイスの呪具を解放状態にする。
「では、こちらの監視範囲は広げておくことにしよう」
「よろしくお願いします」
それからアウリアに頭を下げる。
「では、転移を行うわ」
クラウディアが言って――決められていた通り、監視班を残し……ドリスコル公爵と、ジークムント老達。そしてパーティメンバーと共々、転移を行った。
光に包まれ、目を開いた時にはそこは公爵領の本拠地にある月神殿の中庭であった。エルドレーネ女王にも通信機で連絡を入れながら、そこにやって来ていたオスカーとヴァネッサに話しかける。
「海王の眷属が現れたようですね」
「はい。船着き場に通す予定ではありますが、少し連絡がもたついているように見せかけ、水門の前で引き延ばしています。使節団は総員17名と言っています」
「うむ。充分だ」
オスカーの言葉に公爵が頷く。総勢17名。これは……偵察隊も兼ねるだろうな。
連れてきたバロールを空中に飛ばして、上空からライフディテクションで真偽を確かめておくとしよう。別動隊がいると面倒だし。
とは言え……まず交渉をしてくるというのなら、こちらも話を聞くだけは聞かねばなるまい。
「これはこれは。この近辺の陸上を治める貴族殿に、直接御足労願うことになるとは恐縮ですな」
と、顔を合わせるなりまるで蛸の足か、イソギンチャクのような髭を持つ男が言った。目を細めて……愛想笑いをしているのだろうか。
公爵と共に船着き場へと移動し、水門を解放して海王の使節団を迎え入れたのだが。
その連中は――確かに海王の眷属達に他ならない。鮫男に似たような者達がいるが、こいつらは戦士階級といったところか。
内1人はこちらに挨拶をしてきた水蜘蛛の長衣に装飾を身に着けた魔術師風の蛸男。恐らくはこいつが使節団のリーダー格といったところか。
もう1人、他より上等な装備を身に纏った海王の眷属もいる。こちらは分類するなら騎士階級といったところだろうか?
「お初にお目にかかります。オーウェン=ドリスコルと申します。お待たせしてしまって申し訳ありませんな。領内の視察をしていたものですから」
礼を失しないように、公爵が頭を下げる。
「こちらこそ突然の訪問をお許し頂きたい。偉大なる海王、ウォルドム陛下に仕えております、ハイブラと申します。以後、お見知りおきを」
ハイブラは見た目を除けばいっそ紳士的な振る舞いを見せる。あの鮫男のように、無駄に挑発してくるというわけではないが……陸上でありながらも自信がありげに見えるな。
「早速ではありますが、城まで案内致しましょう」
「それには及びません。我等は海の民。あまり海水からは離れられませんので。歓待を受けられないのは残念ではありますが、この場所でお話をするというわけには?」
……などと言っているが、実際はどうだか分かったものではないな。人魚や半魚人とて、陸上に上がっても活動可能なのだし。潜在的には敵地だと認識しているから奥に誘い入れられるのは警戒して回避したと考えるのが正解だろう。
「なるほど。そうでしたか。では、このままお話をすることに致しましょう」
「ご理解頂けて助かります」
ハイブラは静かに言う。
「して、どのような御用件でしょうか。お恥ずかしい話ではありますが、海との交易を行ってはいても、海の国の事情には詳しくないので、ご用件に想像が付きかねるところがあるのです」
公爵が言う。交渉の行方がどうなるにせよ、相手との会話の中からどの程度の情報を握っているのかなど探りを入れたいところではあるからな。
「ふむ。では単刀直入に。我等は海王陛下に逆らった大逆人の一味を追っているのです。或いはこの近海に潜伏しているのではないかと見当をつけておりましてな」
「大逆人とは……穏やかではありませんな」
「ええ。全く度し難い連中でして。つきましては、この近海を捜索することになるかと。或いは逆賊一味との間で戦闘が起こるかも知れませんが……そちらにはご迷惑をおかけしたくないのです。その連中がもし陸上に庇護を求めてきても、応じることのないようにとお願いをしたいと思った次第でして」
やはり、というところか。
「仮に……こちらの希望に沿っていただけるのならば、今後の交易に際してもより一層の好条件をご提示できるかと」
「ほう。興味深い話ですな」
「互いにとって悪い話ではありますまい。今まで交渉が無かったところで突然のお話、戸惑われるのも当然かと存じますが、それにも理由があるのです。我等は陸上の方々から見ると些か剣呑な姿に見えるでしょう? 故に、交易や交渉は今まで人魚達に一任してきましたが、事が事ですので。信用して頂くために、こうしてお見苦しい姿を見せた次第なのです」
……いやはや、全く。よく口の回る男だ。
こちらがエルドレーネ女王と繋がっている可能性も考えているだろうに。
公爵がそれらの汚い持ちかけを利用して、私腹を肥やす類の貴族だとたかを括っているのか。それとも剣呑な姿を見せれば怯えて条件を呑むと思っているのか。
部下をぞろぞろと引き連れて船着き場に上がってきたのは、示威の意味合いもあるだろう。こちらが既にエルドレーネ女王と接触している可能性とて、視野に入れているのだろうし。好条件と武力をちらつかせて黙認させる。
それは交渉のやり方ではあるのだろうが……そもそも、より一層の好条件などと言っているが、こいつには誠実さの欠片もない。
何故かと言えばこいつらは人魚達の身柄を押さえていないのだから。どんな好条件を提示しようが、それは現時点では用意さえできていない。必ず儲かるからと言って出資させる類の詐欺にも等しい。しかも人魚達の扱いがまともなものになるとも思えない。
「つまり……この先、海洋で起こることに不干渉を貫けば、今後の交易に便宜を図って下さる、ということでしょうか?」
「そう理解して頂いて結構です」
「――お話の、裏付けのようなものが欲しいところではありますな」
「と仰いますと?」
「ですから。我等は人魚の女王の国の噂は耳にしたことがあっても、海王陛下に関しては寡聞にして存じ上げませんでした。私も国王陛下から領地を預かる身ゆえに、軽々な返事はできないということです」
「ほう――」
公爵の返事に、ハイブラは目を細める。どこか冷たい、緊張した空気が漂う。
戸惑いのようなものが感じられないのは、やはり、こちらが女王との交渉を持っていることも予想しているからだろう。
「海王陛下の御威光をお疑いになるという意味でしょうか。確かに……陛下は先日王位を継承したばかりであります故、今の言葉は聞かなかったことにしましょう」
「この場に……例えばマーメイドの交渉人でもお連れしていただければとも思うのですが」
ハイブラの言動が事実ならそれは容易い。実際は人魚達と反目しているのではないかと暗に公爵が言うと、ハイブラは肩を震わせた。
「ほう。では、もう一点」
「何でしょうか」
「陛下の怒りは海の怒りに他ならない。陛下を軽んじるようなことをなさいますれば、町や船が波や大渦に飲まれることも考えられますぞ」
公爵の求める証明は、できないと認めたに等しい。
「それは……脅しですかな?」
「いやいや。我らが何もせずとも陛下の怒りが海に影響を及ぼし、自然に災いが起こることも有り得るのですよ。それだけ偉大なお方ということです」
ハイブラの言葉を受けて、他の眷属達も口の端を吊り上げる。
いや……。違うな。片眼鏡で見る限り、そう言っているハイブラ自身が魔力を高めているのが窺える。こいつは……交渉を有利に、かつ迅速に運ぶために、海に戻ってからどこかの港に津波を浴びせたりする可能性が高い。
女王と海王、どちらに正当性があるか、陸上の者は知り得ないのだろうから、余計なことに首を突っ込むなと。そう言っているわけだ。黙って見てさえいればお前らも得をするのだからと。
だが……マールの証言を聞いている以上、海王に正当性を認めるつもりはヴェルドガルにはないのだ。
「公爵。もう十分かと」
「そうですな」
俺の言葉に、公爵が頷く。連中がどれだけのことを掴んでいるかだとか、別動隊はいないのかだとか。情報は得られた。もう十分だ。
「ここからは僕が交渉をしましょう」
一歩前に出て、ハイブラと向かい合う。ハイブラは俺に視線を向けたが、そこに嘲りの色が宿った。
「ヴェルドガル王国の異界大使、テオドール=ガートナーと申します。他種族との交渉なども陛下より任されております」
「ほう。国王陛下に?」
話をしている間にも、公爵は引き上げていく。それを見送ってから、ハイブラに言った。
「遥か昔に乱を起こし地上まで攻め入った連中に、ヴェルドガルが王権を認めるとお思いか」
「ほう。人魚達から入れ知恵されたようですな。それで、どうすると?」
あくまでも人魚達が虚言を吐いているという立場を貫くつもりか。
ああ。分かった。そういう建前を崩さないのなら、こちらも合わせてやる。
こいつは仮に敵対しても拠点が海底ならば、大したこともできないと踏んでいるわけだ。
だが、こちらの対応は既に決まっている。ヴェルドガルの領民や国交のあるグランティオスの民に危害を加えることを示唆した以上、それ相応の扱いをするまでだ。
何せ、ここはヴェルドガルの国内であるし。使者かどうかも怪しい不審者が犯罪行為の予告をしたからには、身柄を押さえて言動の真偽を確かめるのが筋というものだろう。
「先程の言動を聞かされた以上は、これから魔法審問を受けてもらう必要がある。大波も大渦も、海王ではなくお前達が魔法を用いる可能性がある以上、逃がすわけにはいかない」
「……笑わせる」
ハイブラは肩を竦めて錫杖を構えた。その全身から邪気を帯びた魔力が立ち昇る。他の眷属達も戦う気満々といった様子で笑いながら闘気を漲らせている。
上等だ。1人残らず――海王の下へは帰さない。




