462 港町の領主
ヴェルドガル王国南西部の港町――ウィスネイア。
公爵領にある海岸線沿いの拠点の中でも比較的規模の大きい港町だ。
月神殿もあり、内陸部との商人の行き来も盛んである。街道が整備されていて交通の便が良く、西部の海から船もやって来るしタームウィルズに向かう船も寄港する。
となれば重要な拠点でもあるため、シリウス号を停泊させて転移可能な拠点を増やすということになるだろう。
「ウィスネイアの領主は、異界大使殿に良い印象を持っているようですな」
公爵が言った。
「そうなのですか?」
「ええ。どうも魔人への悪印象がそのまま逆転しているように思えますな」
「ああ……つまり、魔人殺しについても?」
「ええ。知っているはずです」
……ウィスネイアは外国からの船もやって来る場所だしな。偽情報を広める場としては都合がいいので、領主に通達も行っているのだろう。
俺が魔人殺しであることを知るが故の好印象か。まあ、詳しいことは当人に聞けば分かるだろう。まずは俺のするべきことをきっちりとやってしまおう。
「分かりました。その話は追々。どこに停泊するのが良いでしょうか?」
「そうですな。港、というのが良いのではないでしょうか? 神殿も近く、海に向かって出立するにも丁度良いのではないかと」
「分かりました。では……アルファと操船を代わります」
甲板側に居並ぶ要人達の護衛は任せ、一旦艦橋に戻ってアルファと操船を交代させてもらう。操船席にいるアルファのところまで行くと、アルファは小さく吠えて俺に場所を譲ってくれた。
「ありがとう、アルファ」
礼を言うとアルファは静かに頷いた。入れ替わるように甲板へとカドケウスを向かわせ、それからシリウス号を制御してゆっくりとウィスネイアに近付いていく。
飛行船は新しい乗り物ではあるが、同じ空路を行く乗り物である竜籠に準じる扱い、とメルヴィン王からは正式な通達が出されている。
つまり今まで行ってきた通りではあるのだが、陸地側の外壁にある監視塔に立ち寄って不審船ではないことを示し、都市内部に旗で合図をしてもらう。
そのへんに変わりはないが、少なくともヴェルドガルとシルヴァトリアでは正式なルールとなったわけだ。バハルザードでも同様の動きをさせてもらったから、今後南方でも飛行船が建造されれば恐らくは同様の手順になっていくのではないだろうか。
「これは公爵。お帰りなさいませ」
「うむ。任務ご苦労」
甲板に立った公爵が監視塔の兵士に労いの言葉を掛ける。
「同船しているのは私とその家族だけでなく、ステファニア殿下、シルヴァトリア王国のアドリアーナ殿下、バハルザード王国のエルハーム殿下。デボニス大公と異界大使テオドール卿。そしてその婚約者の方々である。くれぐれも失礼のないように」
「はっ。先行した伝令により、聞き及んでおります」
要人中の要人が集まっているのだから兵士は恐縮しきりといった様子であったものの、敬礼を以って応えると機敏に動いて旗で都市内部に合図を送る。
合図の内容としては――公爵の到来の他、最高クラスの賓客が乗っているというものである。領主が出迎える必要がある、というわけだ。
街中の高台にある大きな屋敷からこちらに向かって旗が振られて合図が返されると、兵士は甲板に向き直り言った。
「どうぞ、お通り下さいませ」
その言葉を受けてシリウス号を街中へと進める。海側へと一度回り、港に停泊させるために高度を落としていく。
時間をかけて大きな波を立てないよう慎重に海面に着水。そのまま航行して港に停泊させて錨を降ろす。
「さて……。こんなところかな」
やはり、港側から見ても白い街並みが綺麗だ。
すぐに領主の出迎えが来ると思うが、その前にクラウディアと共に月神殿に行ってきてしまうとしよう。
月神殿での用事を手早く済ませて戻ってくると、ウィスネイア領主の馬車が船着き場に出迎えにやって来ていた。
「ようこそいらっしゃいました、デボニス大公。この港町を公爵より預からせていただいております、ラウル=ウィスネイアと申します」
馬車から降りて来た貴族が、大公に恭しく挨拶をしているところだった。ラウル=ウィスネイア伯爵。ドリスコル公爵家傘下の貴族であるが……かなり大柄だな。
服の上からでも分かる程の筋肉質な体格で、貴族服が窮屈に見える。一見して鍛えているのが分かるというか……。
「うむ。良くやってくれていると公爵からは聞いておるよ」
「ありがとうございます。まだまだ若輩故に学ぶことが多く、未だに精一杯というところではありますが」
大貴族の領地は他の貴族に比べると比較的というか、かなり広い。
ヴェルドガルに関して言うなら迷宮の性質上、中央の統治範囲も広く王権も強いのだが、他国に関して言うなら大貴族の領地は中央部とは別の国と呼んで差し支えないほどに王家に並ぶほどの権力を備えている事例もある。
まあ、領地の広さという点について言うならデボニス大公やドリスコル公爵も同じではあるな。だから統治を円滑に行うために、重要な拠点には公爵家から爵位を与えられた傘下の領主を置いている。例の内陸部鉱山の領主達もそうだ。
海岸沿いの領主は大公家と直接利害がぶつかるということもないので、デボニス大公に対して殊更悪印象を持つということも少ないだろうというのが公爵の見解だ。
夢魔グラズヘイムの工作活動に関しても限定的だしな。王家と大公、公爵の意向が一致しているのは先日大々的に周知されたし、ここに来て大公家と摩擦を起こす領主もいないだろう。
念のためにカドケウスを護衛として付けてあるが……ウィスネイア伯爵は質実剛健で誠実な人柄と聞いている。滅多なことは起こるまい。
「おお、テオドール卿。お戻りになりましたか」
そのままみんなと一緒に近付いていくと、こちらに気付いた公爵が船着き場からこちらに声をかけて来る。
「はい。用件を済ませてきました」
そう言って頷くと、伯爵が振り返り、目を丸くする。
「おお……」
と、こちらに近付いてきて、俺の前まで来ると恭しく膝をついた。
「お初にお目にかかります、異界大使殿。お噂はかねがね耳にしておりました。ラウル=ウィスネイアと申します」
「初めまして、ウィスネイア伯爵。テオドール=ガートナーです。……ええと。顔を上げて、立ち上がってはいただけませんか?」
伯爵は大きな身体を小さく折り畳むようにしていたが、俺の言葉を受けて顔を上げた。そしてゆっくりと立ち上がる。
彫りの深い厳つい顔。逆光になるので陰影が深くなって、表情が些か読めない。見上げるような巨躯ではある。立ち上がるとこちらが丸っきり日陰になった。眉毛がハの字になって困っているような様子が見て取れた。
威圧感を与えないようにと跪いたのは何となく分かるが……。とりあえずということでそのまま握手を求めると、両手でしかと握ってきた。妙に買われているのは、やはり俺が魔人殺しだからと知っているからだろうか。
「いや、ご無礼を。恩師を死睡の王の襲撃の時に亡くしております故」
俺が少し怪訝な表情をしていたのが伝わったのか、伯爵は静かに言った。
ああ……。死睡の王の関係での話か。そうなると、母さんが恩人の仇を討ったということになるのだろう。だが、伯爵の立場を鑑みるとそれだけではないはずだ。
「……やはり、今の状況についても?」
「誠に勝手ながら……。タームウィルズの魔人殺しについては、役職故に多少のことは存じております。母子二代に渡り魔人との矢面に立たれる大使殿を、心より敬服しております」
そう言って伯爵は申し訳なさそうに頭を下げる。
「恩師、か。魔人に対して思うところがあるのは知っていたが……」
「若い頃に家内共々魔物に襲われたところを助けていただいた方なのです。私と家内にとっては命の恩人であり、一時武術を教わった師でもありますな」
公爵の言葉に伯爵は目を閉じて頷く。それから目を開くと、一礼してから気を取り直すように笑みを浮かべて言うのであった。
「話が逸れてしまいましたな。ようこそウィスネイアへ。歓迎致しますぞ」




