454 月光神殿へ至る道
剥ぎ取りを終えて、迷路を更に奥へ奥へと進む。
戦利品は転送してもらったし、みんなの消耗を考えても探索は進められるだろう。後は遭遇する魔物の規模によって戦うか撤退するかを判断しながら進んでいけば良い。迷宮で戦うこと自体がこちらの強化に繋がるのなら、戦闘そのものも無為ではないからだ。
緑の回廊を曲がったところで――シーラが動きを止めた。
「テオドール。角を曲がった時、あのあたりで何か動いた」
何か、ね。この迷路の木々は魔力を帯びていて判別しにくいが……確かに魔力の波長が違う。シーラが示すあたりを片眼鏡で注意深く探ってみれば……ぼんやりとした魔力を宿した植え込みがある。
「ふむ……」
見た目は何の変哲もないが……試しに指先に火を灯して近付けると、枝が避けた。これは……。
茂みの中を目を凝らして見上げていけば……何やら木の洞が目と口のようにくっついていて、丁度顔のようになっている。というか、視線が合った。
目の空洞は奥がぼんやり光っていてこちらを見ているが……。
「んー……」
警告の意味合いも込めて火魔法のマジックサークルを展開すると、植え込みに一体化していた木の魔物は目を見開き、そこを退いて走って逃げていった。
「えっと……宵闇の森で見た魔物の仲間?」
些か戸惑ったような声で、イルムヒルトが尋ねてくる。
「近いかもね。今のはトレントだ」
そして……トレントがいなくなった壁の先にも通路が続いていた。丁度交差点に位置するような場所を塞いでいたことから判断するに……侵入者の進行状況に合わせて堂々巡りをさせたり、魔物のいる方向や罠のある場所への誘導したりという役を担っていたのだろう。いずれにせよ、トレントが誘導したがっていた方向には進まないのが良さそうだ。
魔力波長の違いも何となく分かった。他の場所にも壁に同化しているトレントがいないか、注意深く見ながら進んでいくとしよう。
こちらと遭遇するなり一切の躊躇無しに笑いながら突っ込んで来るパンプキンヘッド達。その後ろから黒い影のようなものが地面を滑って来る。
シャドーソルジャー。平面上を影のように移動し、接近して不意打ちを仕掛けてくる魔物だ。姿といい能力といい、カドケウス……影水銀に似ているが変身能力というよりは、移動時と攻撃時に形態変化をする程度で、自由自在に姿を変えられるというわけではない。
この場合は空を飛ぶパンプキンヘッドに目を向けさせておいて地面からの奇襲という狙いの編制なのだろう。
「行く」
「足元の影に気を付けて。援護はするけど」
「ん、見えてる」
短く答えたシーラが、抜刀してパンプキンヘッドに突っ込む。同時にイルムヒルトが鏑矢を放ち、パンプキンヘッドの動きが乱れたところに切り込んだ。
真珠剣で薙ぎ払いを見舞うと見せかけて、蜘蛛の糸を浴びせかけ、動きを封じてから斬撃を叩き込む。
と――シーラの背後まで回り込んだ影が中央から盛り上がり、何やら剣を持った兵士のようなシルエットになった。目の部分だけ赤く光っているのが、印象的だ。
だがそこまでだ。シーラの影の中から黒い槍のようなものが飛び出し、斬りかかってきたシャドーソルジャーにカウンターを食らわせるように串刺しにした。
そこにバロールに乗って突っ込む。まだ地面を移動している平面状のシャドーソルジャーにウロボロスを叩き込むと、水面を叩くような感触と共に影が動かなくなる。
そのままバロールを別方向に飛ばしつつ、俺自身もカボチャに向かって飛ぶ。剪定バサミで応戦しようとしたカボチャを諸共に吹き飛ばし、もう一体のシャドーソルジャーはバロールが地面にめり込むように撃ち抜いていた。
敵の出現は散発的。今のところは先ほどのケルベロス率いる魔物の一団が、星球庭園では最大の規模である。
障害物をすり抜けてくるグリムリーパーに、地面を滑って来るシャドーソルジャー、更に壁に擬態しているトレントと、迷路内を歩くにあたって色々注意しなければならない点は多いが……まあ、出現する魔物の種類を把握すればするほど対処しやすくなるのも事実だ。臆せず、しかし慎重に。そしてきっちりと対応しながら進んでいくとしよう。
――延々と続く緑の壁。その終わりは唐突にきた。左手にある緑の壁が突然一ヶ所だけ途切れていて、そこから先を覗き込むと、どうやら迷路の出口らしいことが分かった。
頭上に星空が見えていたり周囲にぼんやりとした光が漂っていたりと……星球庭園の一部なのだろうとは思うが――迷路とは雰囲気が違うな。植物が生えていない。すり硝子のような質感の岩場を細い道が緩やかなカーブを描きながら下へ下へと続いている。
「この坂道の下は?」
「封印の扉があるわ。けれど、それは迷宮側が作った物ではないの」
クラウディアに尋ねると、そんな返答があった。ということは……。
「……月光神殿か」
俺の言葉にクラウディアが頷く。
七賢者が魔人の盟主を封じた場所だ。現時点では精霊王達の封印はされたままのはずだから、恐らくはクラウディアの転移魔法ぐらいでしか立ち入ることはできないだろう。それに……封じられている盟主に対しても、その能力を考えるとまだ手を出しにくいところはある。
だが今回の到達目標地点ではある。月光神殿前までの到達が無理なら、その先の深層攻略も厳しいからだ。
だから、場合によっては大回廊や星球庭園で魔物相手に修行という選択肢も有り得た。
「行こう」
そう言うと、みんなが緊張感のある面持ちで頷いた。
他の精霊殿と同様――月光神殿はその成り立ちが迷宮側とは違うという、深層にありながら異質な場所である。
従って、そこはガーディアン達が守っている場所ではない。かと言って……防御が薄いとも考えにくい。
仮に俺が七賢者であるなら、そこに対魔人用の防衛戦力を配置するからだ。
それはつまり、対魔人用の備えに他ならない。迂闊に月光神殿に踏み込んで、七賢者の仕掛けた防衛戦力や罠の類を削ってしまうというのは悪手である。
いずれにせよ封印の前までとは言え、油断していいわけではない。当然、戦わずに撤退という選択肢も考えておくべきだ。
更に進んでいくと……セラフィナが言った。
「テオドール」
「ん? どうかした?」
「えっと。悪いことじゃないんだけど……何だか、すごく調子がいいの。儀式場の周りみたいで、力が湧いてくる」
セラフィナの言葉を肯定するように、マルレーンもこくこくと頷く。
「……ああ。精霊王達の結界があるからかな? 月女神の力もあるか」
「正確には、私に向けられた信仰の力と言うべきかしら」
クラウディアが目を閉じて言う。
片眼鏡にも顕現していない精霊達が活発に活動しているのが見えている。走り回るサラマンダーに空を漂うシルフ。岩壁から流れ落ちる小さな滝に佇むウンディーネ。あちこちの岩陰からこちらを覗いたりしている、とんがり帽子の小人達のような連中は、ノームである。
ノームについては老人の姿をしているなどと聞くが……実際見てみると案外バリエーションが豊かだ。ただ、帽子と小さな体は共通のトレードマークのようだけれど。
どれもこれも透き通って見えるので片眼鏡でもやや視認しにくいが……まあ、見えなくても坂道を降りるに従って精霊の力が増しているのは感じる。
そして、月女神の力も。マルレーンが強く感じ取っているのは月女神の巫女故だろう。月光神殿は盟主の封印を目的とし、クラウディアへの祈りや信仰を迷宮内部に集めるために組み込まれた場所だから。
そして……坂道の終わりは広場になっていた。広場の一角に大きな扉が見える。扉に刻まれた星々の位置を現す装飾。四大精霊殿と同じ封印の扉だ――。
「月光神殿の……封印の扉ね」
ローズマリーが呟くように言うと、クラウディアが頷く。
「ここまでで、帰るべきかな」
広場までは踏み込まないほうが良いだろう。神殿内部に進まれる前に迎撃を選択するならあの場所だ。クラウディアが頷いて、転移魔法を使おうとした、その時だ。
「中に案内はできないけれど――そう急ぐこともないでしょう」
と、誰か知らない者の声があたりに響き渡った。女の声だ。
途端、あたりにいる精霊達の動きが活発になった。嬉しそうに広場の中央を見ている。特に、水の精霊達のテンションが高いようだが――これは――。
「テオ、あれを……!」
グレイスが広場の一角を指差す。空中で渦を巻くように水が集まっていく。
魔法の罠が配置されていた形跡はない。つまりは――坂道にいた精霊達が呼んだということか? これが七賢者の防衛機構だとするなら、あの場に顕現するのは――。
渦巻く水が人の形を取る。いや、人によく似た何かだ。
……そう。印象としては、テフラに似ているかも知れない。白い薄絹のような質感のドレスと、貝殻や珊瑚をモチーフにしたティアラを身に着けている。
長いマリンブルーの髪の毛は途中から水に変化している。……そういう点から見てもテフラに似ているな。高位精霊。しかしこれは……。
「水の……精霊王」
アシュレイが、呟く。その声が聞こえたのか、水の精霊王は閉じていた目を薄っすらと開いて、穏やかに微笑んだ。




