436 氷雪の森
光が収まれば――そこは魔光水脈の一角であった。目の前には別の区画に通じる大きな扉。
……魔光水脈か。ここからの分岐となると……それなりに難易度の高い場所と見ておくべきだろう。
マルレーンがマジックサークルを展開し、デュラハンとピエトロを召喚する。
ピエトロは召喚されるなり、腰に手を当て一礼して応じた。
「お声を掛けていただき光栄に存じます」
マルレーンは頷く。まずは、昨晩儀式が終わった時点で送還されてしまったので、ピエトロにこちらの面々やらを紹介しておく必要があるだろう。
みんなの名前や肩書きを伝えると、ピエトロは目を丸くして俺に向かって一礼する。
「我が主の婚約者殿でありましたか。どうぞこれからよろしくお願い申し上げます」
ピエトロからの名前が一致したところで、扉に向き直る。
「それじゃあ、行こうか」
「はいっ」
皆と頷き合い、扉を開いてその中に飛び込む。
空気も景色も全てが一変した。白い世界だった。空気はひんやりとしている。冷凍庫に入ったかのようだ。テフラの祝福はかなり有効に働くだろうが、防寒具の類は必須だな。
大腐廃湖のように、壁のないエリアだが。見通しはあまり良くない。遠くは白く霞んでいるし、樹氷のような凍り付いた柱があちこちに立っている。
テフラの性質からするなら、北国の雪山か森林地帯……といった印象か。ラヴィーネは調子が良さそうだ。尻尾を振っている。
まずは――。テフラの祝福から外れてしまう者に防寒の魔法を用いてからだな。今の面子では――ピエトロとフラミアだ。
「かたじけない」
と、ピエトロ。フラミアも礼を言うように小さく鳴いた。こちらも軽く笑い、頷いて応じる。
「雪……? じゃなくて……凍ってる?」
シーラが呟いて、足元の状態を確認する。
「確かに……足元の状態が良くないな」
地面は雪を被っているようにも見えるが、その実は万年雪のように、完全に固まったアイスバーンだ。
一方で、雪が溶けて地面が剥き出しになることで、道のようになっている。樹氷の奥へと道が続いていた。俺達のように空を移動するのでなければ、樹氷の間を縫って、溶けた場所を進めということなのだろう。転界石も、アイスバーンの上ではなく、道に転がっているようだし。
敢えて道を無視することも可能だが、アイスバーンの上で戦うというのは、普通なら結構な苦戦を強いられるはずだ。道の広さは入口付近ではそこそこ……つまりは普通といったところだが……壁がなくて空間を広く使えるから、その点でイグニスやデュラハン、コルリスが自由に立ち回れるだけの余地はあるか。
「大体の危険度を調べなきゃいけない。今回は普通に道を進んでいく形を取ろう」
多分、上空を進むなら進むで、それなりのリスクがあるだろうしな。
隊列を組み、シーラやイルムヒルト、俺を前に置いて樹氷の間を進んでいく。フラミアとピエトロも大きな耳を持っているので、御多分に漏れず物音に敏感らしい。今回は前に出てもらって、戦いぶりを見ながら進んでいくとしよう。
「あれは……気を付けたほうが良いかも。かなり高温みたい」
と、あまり進まないうちに、イルムヒルトが樹氷の間に垣間見えるものを指差しながら言った。
氷が解けて、地面と言うより岩肌が見えている部分がある。そこから蒸気を噴き上げていたりするわけだが……これはやはり、温泉としての性質もあるのだろう。となると……。
「……一旦待ってもらっていいかな。少し確かめてくる」
みんなには後ろに控えてもらい、脇道に逸れて岩肌の見えている箇所へ近付く。
片眼鏡では、蒸気の根本付近に妙な魔力も捉えているのだ。踏み込んだ瞬間、その岩場から猛烈な勢いで湯の柱が噴き上げた。
間欠泉だ。樹氷よりも遥か高く巨大な熱湯の柱が噴き上がって、周囲に降り注ぐ。頭上にシールドを展開して降り注ぐ熱湯を防御しながら、白い柱の中を見据える。
「――そこかっ」
魔力反応。ウロボロスに魔力を込めて前面にもシールドを展開。そのまま突っ込み、湯柱の中に見える魔力反応目掛けて一切合財を無視して薙ぎ払う。
やわらかな泥にでも杖を突っ込んだような手応え。しかし響く音は岩の砕けるような音で、身体を断ち切られた魔物が樹氷にめり込むほどの勢いで吹き飛ばされて、ばらばらに砕け散った。余剰の衝撃波は後方の樹氷まで薙ぎ払い、数本を纏めてへし折り、凍り付いた地面を砕き散らした。
「いやはや。凄まじいものじゃな……」
と、アウリアが目を丸くしている。
……片眼鏡で見える魔物の魔力の大きさから考えると、多少強めに放った一撃ではあったが、これは充分な威力と魔力の増幅速度だ。これぐらいの威力で、というのを正確に汲んでくれる感じがあるかな。
噴き出す湯は少しずつ勢いを弱めて、やがてただの湯だまりとなる。
迷宮の新区画が温泉の性質を備えていた場合……間欠泉が迷宮のトラップとして存在する可能性は考えていた。しかし、噴き出すタイミングが完璧過ぎる。
ともあれ、間欠泉を堰き止める役割をしている魔物とセットで機能する罠というわけだ。それがこいつである。石のような質感の身体を持つ蛇……というかミミズというか。
アイスバーンを嫌って空をレビテーションで移動した場合、こいつから熱湯を浴びせられる可能性があるな。
周囲に魔物がいないことを確認して、みんなにも見てもらう。
「知らない魔物ね。何かしら……」
ローズマリーが首を傾げる。
「俺も名前は知らないな……これは」
間欠泉を堰き止める魔物などというと……やや特殊というか限定的過ぎる存在ではある。
炎熱城砦などでは鎧兵などが多いがあれは魔法生物の手合いだ。もしかするとこの石の魔物も、この場に合わせて生成された魔法生物の可能性もあるかな。
と、コルリスがしきりに魔物の臭いを嗅いでいた。
「食べられそう?」
尋ねると、こくんと頷く。毒の類は無さそうだが……。五感リンクで状況を見ているはずのステファニア姫に向かって頷くと、彼女からも許可が下りたのか、コルリスは石の魔物をぼりぼりと音を立てて試食していた。
「美味しいですか?」
アシュレイの問いに、こくこくとコルリスが頷く。どうやら気に入ったようだ。
ということは、魔石などを抽出してもそれなりに質の良いものが取れるのではないだろうか。
「……正式名称があるのかないのか分からないけど、スプリングワームとでも名付けようかな」
コルリスに食べられるその姿を見て、蛇ではなくミミズに見えたというか。
しかしモグラがミミズを食べるという、字にすれば当たり前なはずの光景なのだが、どうしても非常識なものに見えてしまう。
「中々、厄介ね。この罠は」
「そうだな。防寒具次第だけど、まともに浴びれば火傷させられる可能性もあるし、服が濡れた場合はこの区画で探索するには体温も奪われる」
反面、ワームを処理できれば冷えた手足を温めることもできるし……場合によっては飲み水も確保できるかな。迷宮内で入浴というのは魔物が攻めてくる限り難しいだろうが……まあ、不可能とまでは言わない。
間欠泉の所在を見つけるのは難しくないので、どちらかというと初見殺しの類だ。要注意ということで連絡をしておこう。
と――。シーラとピエトロ、ラヴィーネ、コルリス、フラミアが一斉に顔を上げて一方向を見やった。
「まだ離れているけど……何かいる」
「これは……結構数がいるようですぞ」
この階層の、他の魔物か。シーラ達の探知に引っかかってイルムヒルトの探知に引っかからないとなると……恐らく臭いか音を感じたのだろうと思うが……シーラ達の耳が動いているところを見ると魔物の放つ音を感じ取ったわけだ。
「方向は?」
「あっち」
そう言って、シーラは道の先を指差した。
調査であるため、出てくる魔物についても調べなければなるまい。数がいるとなると厄介だが。再び隊列を組んでそちらへ向かう。
と緩やかにカーブした道の先――樹氷の陰からピョンピョンと飛び跳ねながら、何か白い物がこちらへ向かってくる。
「……スノーゴーレム」
俺も以前に作ったことがあるが……要するに動く雪だるまだ。
大人ほどの背丈のスノーゴーレムが、大挙して道の向こうからやってくる。スノーゴーレムは俺達の姿を認めると口元に笑みを形作った。落書きのような、ギザギザの牙が生えたデザイン。冗談のような光景だが、なかなか凶悪そうな面構えだな。
更に道の奥――樹氷に遮られた部分から、ぬうっと大きな影が現れる。白い毛皮の上からでも分かるほどの筋肉質な身体に、巨大な棍棒。長い毛の隙間から覗く赤い瞳。……イエティだ。しかも番――2匹もいる。俺達の姿を認めると、嬉しそうに雄叫びを上げた。ビリビリと空気が振動する。それに呼応するように樹氷の森が騒がしくなった。あちこちにいる魔物が呼応しているようだ。
「いやはや。数が多い」
ピエトロはその光景に臆した様子もなくかぶりを振ると、自分の肩のあたりに生えていた毛を一房毟って息を吹きかける。すると、それは見る見るうちに膨らんで、ピエトロと全く同じ姿、全く同じ装備のピエトロの分身が生まれる。いや、帽子の飾りが無いほうが分身か。ピエトロが腰の剣を抜くと分身達も一斉に抜刀して隊列を組む。
これは中々。まだ他にも魔物が来るようだが、数的な不利はないと見て良いだろうか。周囲に無数の狐火を浮かせたフラミアも、好戦的な唸り声を上げながらスノーゴーレムとイエティ達を睨んでいる。
コルリスもやる気十分なようだ。身体の周りにぎしぎしと軋むような音を立てながら結晶の鎧を身に纏っていく。
「片方は私が――」
と、グレイス。既にイエティの雌――大きいほうに視線を合わせて目標を定めているようだ。
ならば――俺は新しい面々の戦いぶりを見ながらもフォローできる形で立ち回るとするか。では、戦闘開始と行こう。




