416 公爵家別邸にて
中央区にあるドリスコル公爵家別邸へと向かう。既にジョサイア王子からの連絡があったらしく、屋敷の周囲を巡回する兵士達の姿が目につく。タームウィルズの兵士達とは若干だが、鎧の意匠が異なるようだ。つまり、公爵領から同行してきた兵士達なのだろう。
「すみません、クラーク様の紹介で参りました」
と、門番に話しかけて紹介状を見せる。
「名前を聞いて構わないかな?」
紹介状を手に取った兵士は便箋に記してあるクラークの名を確認してから、俺の名を尋ねてきた。
「マティウスと申します」
そう名乗ると、兵士は笑みを浮かべて便箋を返してきた。
「うん。クラーク様から君を新しく雇うという話は聞いている。実は街で騒動があって、少し物々しい雰囲気になっていてな。そのことに絡んで、もしかしたら不愉快な思いをする可能性もあるが……まあ、そこは許容してくれ。大貴族のお屋敷で雇ってもらう者の義務みたいなもんだしな」
そう言って門を開けてくれた。
要するに、雇うと決まった話が流れてしまうだとか、身辺調査が厳重になって色々と根堀り葉掘り聞かれるかも知れないが、お前のせいではないから気にするなというわけだ。
「庭園を奥へ進めば正門だ。しかし、使用人は勝手口に回るのが通例でね。石畳の道を進めば右に迂回できるから、そちらに回ってくれ。庭にも警備兵はいるが、話は行ってるはずだ。誰かに見咎められたら、俺の時と同じように、クラーク様の紹介状を見せて説明すればいい」
「色々御親切にありがとうございます」
「ああ。頑張れよ」
礼を言うと向こうも笑って見送ってくれた。
手入れされた庭園を横切り、途中の道を迂回して勝手口へと回り込む。
庭を巡回している兵士達は確かにいたが、堂々と正門から入ってきたお陰だろうか、声をかけられるには至らなかった。会釈をすると向こうも軽く一礼を返してくる。うん。兵士達の規律は良いように思える。
「君――」
と、不意に声を掛けられた。声の方向に振り向くと、身形の良い眼鏡の男がいた。年齢は……20代半ばぐらいだろうか?
「見ない顔だが、この屋敷の使用人だったかな? こんなところで何をしている?」
「これはご無礼を。マティウスと申します。その、クラーク様と面接の約束をしておりまして。使用人は勝手口に回るようにとお聞きしたのです」
「ああ。そうだったのか。見慣れない少年が使用人の格好をしているものだからな。街で騒ぎがあったらしくて、少し神経質になっていたらしい。今も気晴らしに庭を散策していたのさ」
「門番の方も騒動があったので声をかけられることがあるかも知れないと」
「そうか。私はレスリー=ドリスコルだ。雇われることがあればまた顔を合わせることもあるだろう」
「これは、ドリスコル公爵家の方でしたか」
レスリー=ドリスコル。この男が……。
聞いていた通り、静かな口調で話す人物だ。
静かで穏やか。目立たないと言えばそうだし、ヴァネッサが本音を見せてないのではという評をしたことを踏まえれば、そうなのかもと言えるかも知れない。
いずれにせよ初対面である俺には、彼の人となりがこれだけのやり取りで分かろうはずもない。今分かるのは……魔力がかなり高いことだな。魔術師、か?
まあ……今警戒されてしまうのはよろしくないな。あまりまじまじと観察もしてもいられない。一礼して勝手口に向かうことにした。レスリーも何も言わずに静かに頷いて俺を見送る。
屋敷を回り込み、勝手口の前まで辿り着き……ノックすると中から使用人が姿を見せた。
「あら。この屋敷の使用人……ではありませんよね? どういった御用件でしょうか?」
「マティウスと申します。クラーク様の紹介で参りました」
そう答えると使用人は「ああ」と納得したように頷き、応接室へと通してくれた。
「少しお待ちください。街で騒動がありまして、旦那様も面接に同席するとのことです」
……なるほど。騒動が起きたことを逆手に取って俺との打ち合わせなどを済ませてしまおうというわけだ。
「はい。よろしくお願いします」
答えると、使用人はお茶を淹れて部屋を出ていった。
部屋の中に魔法的な仕掛けが施されていないか、片眼鏡で隅々まで見渡して、先に盗聴などがされていないかチェックを済ませておく……が、何やら迷宮商会で売っている魔道具が置かれているのを発見してしまった。
……タームウィルズに来て、早速迷宮商会で購入したということだろうか。魔石を組み込んでいることによる魔力反応はあるものの、不自然なところはないようなので……これについては大丈夫だろう。
そうやってしばらく待っていると部屋に年齢30代半ばといった年頃の男が、クラークを伴ってやってきた。
長身痩躯。垂れ目がちな目と、自信のありそうな顔つき。整えられた口髭。
衣服はまあ……フォーマルだが色使いで派手な印象があった。ワインレッドの光沢のある生地に刺繍が入った貴族服である。
「や、待たせてしまったようで申し訳ない。少しばかり立て込んでいてね。初めまして、オーウェン=ドリスコルだ」
ドリスコル公爵はそう言って愛想の良い笑みを浮かべ、右手を差し出してくる。
表情の作り方や話し方など、ともすれば軽薄な雰囲気が漂いそうなものだが、さすがに大貴族らしく洗練されている印象があるな。
軽薄と愛嬌の中間ぐらいと言えばいいのか。派手な色使いも板についているように思える。重厚さと堅実、堅牢という印象のあるデボニス大公とは、色々な意味で対極にある人物だろう。
受け答えの前に、まず防音の魔法で部屋の外に話し声が漏れないようにする。
「いえ。お初にお目にかかります、ドリスコル公爵。テオドール=ガートナーです。今は、マティウスとお呼びください」
手袋を外し、変装用の指輪を露わにしてから公爵の握手に応じた。
握手を交わすと、公爵は人懐っこい笑みを真剣なものに戻して頭を下げてくる。
「此度は、こちらの不手際で大使殿のお手を煩わせるような事態を引き起こして申し訳ない。そして……息子と娘、クラーク達の窮地を助けていただいたことに礼を言わせてほしい」
「――確かに。その言葉は受け取りました」
俺が頷くと公爵は顔を上げ、神妙な面持ちで椅子に腰かける。クラークは炭酸飲料を注いで運んでくると、カップを公爵の前に置く。……珍しい物、新しい物が好きという情報は間違いないようだ。
「すまないね。君と会うならばもっと明るい話題で盛り上がりたいと思っていたのだが」
と、真剣な表情を浮かべていた公爵だが、肩の力を抜くように冗談めかした口調で言った。
「まあ……そういったお話も諸々が解決してからということで」
そう答えると公爵は頷いて、人懐っこい笑みをまた真剣なものに戻す。
明るい話題というのは、前にジョサイア王子から聞かされたあれだな。俺との人脈を作りたがっているという。
ドリスコル公爵としては……本当なら俺とは貴族というよりも商人的な話がしたかったのかも知れないが、この状況でそういった話をするわけにもいかないだろう。
大公家との和解にも真剣だから色々と自粛もしているようだし。だからこそ、俺がここに潜入するという案に対しても反対意見が出なかったというわけだ。
「今回のことについては、色々とオスカーとヴァネッサ、クラークからも話を聞いている。そのうえで状況を踏まえるに……やはりこちらの陣営の誰かだろうな」
と、公爵は目を閉じて首を横に振る。
「心当たりがおありなのですか? ヴァネッサ様には引っかかっていることがおありのようでしたが……」
「……いいや、恥ずかしながら。だが……分かってやれないような兄だからこそ、恨まれているのかも知れないな」
ヴァネッサの話が事実ならレスリーが公爵に暗い感情を持っているということでもある。レスリーが事件に関わっているいないに関わらずだ。一時のものだったのかそうでないのかの違いはあるだろうが。
レスリー=ドリスコル。気になるのは、魔法に精通しているかどうかだな。
「彼は魔法を扱えるのですか?」
「魔力は高いと言われていたな。とは言え、公爵家と大公家では珍しくはない。私も似たようなものだし、オスカーやヴァネッサもそうだろう。私生活で学んでいたかと言われると、答えようがない。互いに領主になってからはどうしても把握できない部分が出てくるからね」
ヴェルドガル王家の親戚だからな……。御多分に漏れずというか。確かに、片眼鏡で見る限りドリスコル公爵の魔力も高い。
「だが、レスリーが出かけていた場所は知っているよ。公爵家は西の海にある島に、高名な御先祖の建てた別荘――というより古城を持っていてね。その古城が昔からのお気に入りのようなのだな」
その言葉に、浮かせたティーカップを停止させてしまった。
ヴェルドガルの――しかも、古い時代の城ときた。
それは……何があるか分からない。王城セオレムに保管されていた魔道書の性質の悪さを考えると、同等の物があってもおかしくはない。
もしかして、それ、か? 魔法の研究に足繁く通い、研究成果が形になったから動き出したとか、何か危険なものを見つけてしまって、その影響を受けたとか、触発されただとか。
実際、先程庭で見かけたレスリーの魔力はかなりのものだった。平常な状態での魔力の多寡だけで魔術師としての実力を計るのは早計ではあるが……間違いなく公爵よりも上だろう。隠し玉を持っているかも知れず、その性質も不明。現時点では何とも言えないが、警戒だけはしておいて然るべきだな。




