398 古の旋律
「お帰りなさい。採集はどうでしたか?」
採集を終えて町へ戻ると、町の広場で住人達と話をしていたフォルセトがこちらに気付いて声をかけてきた。
「いっぱい採ってきたよ!」
と、マルセスカが元気良く答える。
「お陰様で色々お土産ができました」
パイナップル、ヤシの実にバナナといった果物類の種や苗木。更に各種薬草、キノコ等々、採集した品は多岐に渡る。これに加えて種籾まで貰えるというのだ。帰ってからの食事情が色々と強化されるわけで、至れり尽くせりと言っていいだろう。ローズマリーも表情を隠しているが上機嫌そうである。
「それは何よりです。では、種籾なども忘れないうちにお渡ししてしまいましょうか」
「お話の途中だったのでは?」
「いえ、先程の飛竜達についてのお話をしていたところなのです」
フォルセトから笑みを向けられたハルバロニスの人々が、こちらに向かっておずおずと言ってから頭を下げてきた。
「ええと、その。良いものを見せていただきましたと伝えていただきたく、フォルセト様とお話をしていました。改めて、ありがとうございました」
「お騒がせしました」
と、こちらも頭を下げて応じる。フォルセトは住人に一言二言声を掛けるとこちらに向き直って言った。
「では皆様、どうぞこちらへ」
フォルセトが先導する形で町を行く。フォルセトは道案内をしながらクラウディアに向き直り、言った。
「昨日の夕食の席でのお話の続きとなりますが、ハルバロニスへのクラウディア殿下の転移と、旧都の復興については皆賛成、ということでした」
ふむ。確かに住人達のいるところで大っぴらにする話でもないか。
「そういうことなら、後で術式を施しておくわ」
「よろしくお願いします」
「そういえば……フォルセト様やシオン達がハルバロニスを留守にして、防衛については大丈夫なんですか?」
「そうですね。都市内部であればゴーレム兵もいるので、それなりには安心かなと思います。転移が可能であれば何かあった時に駆けつけられますし、そういう観点からも皆が賛成した形ですね」
確かに。クラウディアへの祈りを介して有事を知らせることもできるわけだしな。
そんな話をしながらもフォルセトの道案内で辿り着いた先は、塔の裏手に当たる場所、つまり水田の近くであった。
地底湖までの斜面を有効利用するように、棚田になっている。天井あたりから降り注ぐ柔らかい光に照らされて、何とも風情のある光景だ。
斜面の下には水車小屋も見えた。水車小屋の他にもいくつか木造の建築物があるな。
フォルセトはどうやら、それらの小屋があるほうに俺達を案内しようとしてくれているらしい。
水車小屋か……。もしかすると精米に使っているのかな?
「ここは水田関係の貯蔵施設です」
フォルセトはそう言って貯蔵施設の扉を開き、その中から袋に入った種籾を持ってきてくれる。
「ありがとうございます」
「麦に似た植物なのですね、稲というのは」
「ふむ。麦に似ている……ということは、米で酒を造るということもできるのかのう」
種籾を見てそんな感想を言ったグレイスに、アウリアがそんな感想を漏らした。
率直な感想だが……うん。俺も色々そのあたりのことは気になっているんだよな。
「ああ。お酒も造っていますよ。米の籾殻を取って発酵させて、ですね」
んんん? もしかして麹があったりするのだろうか?
「これですね。これに水と塩を加えて更に発酵させたものを、昨日お出しした料理の隠し味にも使っていました」
もう少し詳しく見てみたいと言うと、フォルセトは米麹を見せてくれた。
独特の臭いに、黄色みのかかった色合い、質感。
……紛れもなく米麹だ。どうやら、酒の他に塩麹を作って調味料としても使っているらしいな。道理で昨日の食事が口に合ったわけだ。
景久の記憶を参考に考えると……物の本によれば麹の歴史は紀元前まで遡り、相当に古い歴史を持つ、という話だ。
つまり、月に米が伝わっているのなら麹も同時に伝わっていても不思議はないということか。
うーん。下手に俺が知っているだけに、味噌や醤油はないかと突っ込みにくいところはあるが……。
「調味料にもなるんですね」
「そうですね。色々な物を美味しくしてくれるので便利です。種籾を持っていかれるなら、これもいかがでしょうか? 温度と湿度の管理が必要ではありますが」
「それは……有り難いのですが、貴重なものなのでは?」
「確かに大事にしていますよ。月の王様の慈悲ですので、大切にしてくれると嬉しいです。きっと、地上の人に喜んでもらえれば月の王様もお喜びになるかと」
フォルセトはそう言って笑みを浮かべる。
……なるほど。共同体が小さいために、秘伝というよりは集落全体の共同財産という位置付けなわけか。うーむ……。そうでなくても色々貰ってしまったし、炭酸水のサーバー以外にも何か返さないと釣り合わないな、これは。
しかし、味噌や醤油はどうやら無さそうだ。
となると、次に必要になるのは大豆ということになるか。……他の豆科の植物で代用が利かないだろうか。
そこは……要研究ということにしておくか。米、味噌、醤油ばかりに目を向けているわけにもいかないが、中々良い目標ができたと言えよう。
生産可能になったらハルバロニスに製法を逆輸出し、もしそれが何か利益を生みそうな話になってしまったら、その都度ハルバロニスに相談し、ロイヤリティを支払うなりという形にするのが妥当なところかな。
まあ、何も形になっていない今の段階で口にするのは些か気が早すぎるが。
「ええと、これが炭酸水を作る魔道具。こちらはかき氷。そしてこれは綿飴を作る魔道具ですね」
「ほほう」
古老達は塔の議場に持ち込んだ魔道具の数々に目を瞬かせる。
シリウス号に積んであった各種魔道具を塔へ持ち込んで、色々な物を貰ったお礼ということで、こちらからも色々と渡すことにした。
「これ凄いんだよ。口の中でぱちぱちするの」
……マルセスカの感想は知っている側としては理解しやすいが、そうでない者にはさっぱり、という印象だな。ビールを知っていれば分かるかな?
「まずは実演してみましょう」
「それでは、私がかき氷を」
アシュレイがかき氷、マルレーンが綿あめの魔道具を担当する。それぞれ動かして炭酸水にかき氷、綿あめを作り出して、古老達に手渡していた。
古老達は基本的に子供には甘いのかも知れないな。アシュレイやマルレーンからかき氷や綿あめを手渡され、相好を崩している古老達。子煩悩な祖父母と孫、といっても差し支えないような光景である。
「水魔法で雪を降らせるとこうなりますな。ふむ。これに果汁から作った薄い水あめをかけて食べると」
「ほう。何やら雲のような……」
「かき氷は急いで食べるとこめかみあたりに痛みが来ますので、ゆっくりどうぞ」
ということで、注意を促しつつ古老達だけでなく、俺達にも行き渡ったところで皆に試飲、試食と相成った。
「砂糖がこうなるんですか? 不思議ですね」
「甘くて、冷たくて……美味しい」
「うん。私、これ好き」
「うむうむ。そうじゃろうそうじゃろう」
と、シオンは目を丸くし、シグリッタは淡々とした反応ながらも黙々とスプーンを口に運んで、マルセスカが表情を明るくする。シオン達のところに若干1名ほど、混ざっていても違和感がない人物がいるが気にしないことにしよう。
シグリッタは絵を描く作業も一段落したようだ。色々魔道具を見せるから来てほしいと議場に来てもらったので、まだ作業もあるのかも知れないが。
「パイナップル……だったかしら。私これ好きかも知れないわ」
「甘くて美味しいわね」
かき氷の果汁はパイナップルなのでステファニア姫達も新しい味に舌鼓を打っている様子である。
「おお。これは何というか、斬新じゃな」
「ふうむ。面白いものですな」
フォルセトや古老達の反応も、悪くないかな。
「それから、これは遊具になります。紙に書いてある絵や数字を合わせたり並べたりして色々な遊戯を楽しめるというわけですね」
カードを取り出して机に並べると、みんなの視線が集まった。
ダーツやビリヤードに関してはまた次の機会にということにしておこう。クラウディアの術式も起動して、また必要な時にハルバロニスに戻ってこられるしな。
「遊具とな。それは興味深いのう」
「うむ。ハルバロニスには娯楽になる物が少ないですからな」
「魔道具の数々も、どちらかというと嗜好品を作り出す類の物の様子。目新しいものがこれだけあれば、住人の皆もさぞや喜ぶでしょうな」
「原材料の調達がしやすいというのも良いですね」
どうやら供給と需要が合致したようだ。思いの外好評な様子である。
「では、遊具のほうも早速試してみましょうか」
ルールを書いた紙とカードを何セットか用意してきてある。
フォルセトはシオン達と。古老達は古老達同士で分かれて、それぞれカードに興じる形になった。
「それじゃあ、私は楽士代わりということで」
場を盛り上げようとイルムヒルトがリュートを奏でる。楽しげな旋律が議場に流れ出すと、古老達が目を丸くした。
「おや? その曲は……?」
「ふうむ。細部は違うような気がしますが……。子供の頃にはよく聞きましたな。しかし……外の方が似たような曲をご存じとは」
古老達は僅かに怪訝そうな表情で手を止める。彼らの疑問に答えたのは、クラウディアであった。
「……これは私がイルムヒルトに教えた曲だわ。月でも……ずっと伝わっていたのね」
そう言って、静かに微笑む。
ああ。前に音楽からルーツが見える場合があるかも知れない、という話をした気がする。そうか。イルムヒルトの知っている曲の中には、月由来のものもあるわけだ。
「なるほど……。そういうことでしたか」
「となると、この曲が我等の知っている曲の元となったものということになりますかな」
古老達は感慨深そうに目を閉じる。そうして嬉しそうな表情を浮かべるイルムヒルトの奏でる旋律に、穏やかな表情で耳を傾けるのであった。




