395 移り変わりの時
「……クラウディア。大丈夫?」
少し思案しているような様子のクラウディアに声をかける。
「ええ。平気よ」
クラウディアは俺を見ると静かに頷いた。
「魔人達が元は月の民であったとしてもね……。きっと私のするべきことは変わらないわ。テオドールと会ってから……迷宮を出ると決心した時にね。私は私が守りたいもののために戦うって決めたの。グレイスだって、そうだったものね」
「クラウディア様……」
クラウディアに穏やかな笑みを向けられて、グレイスも微笑む。
マルレーンが心配そうにクラウディアの手を取ると、彼女もまたマルレーンの髪を撫でて答えた。
「……外の世界で生きていくだけなら、魔人となる必要はなかったはずだわ」
「確かに。戦いと支配を選んだのは、盟主達の選択によるものですね」
ローズマリーの言葉に、アシュレイが頷く。
……そうだな。かつてこの町を出ていった盟主であれヴァルロスであれ、月の結界が解かれていたのなら、そのままの姿で出ていくことは可能だったはずだ。
だというのに魔人となって、連中は戦うことを選んだ。魔人と化したことで負の感情を食らう存在になってしまったからという部分もあるだろう。
捕食する側とされる側に分かれてしまって……大きな力も持ってしまったから戦いを選んだわけだ。
「……ヴァルロスも。間違っているわ。不老不死の統治なんて上手くいくわけがない。心の変容を防ぐ措置を施されていた私だって、閉じ込められてしまったことに随分と悩みもしたし外を見たくないとさえ思った。そして今は……みんなと一緒にここにいる。変わらないものなんて、有り得ないわ」
「そうだな……」
俺が戦った魔人達だってそうだ。生きることに飽きていたような節さえあった。
クラウディアの言葉に、フォルセトや古老達は自分達の身に置き換えて思うところがあるのか、静かに聞き入っていた。
「問題は……これからどうするかじゃな」
古老の1人が、ぽつりと言う。
「まず、今の状況を説明させてください」
これから。つまり外の世界に関わるのか、それとも再び彼ら自身を結界に閉ざして生きていくのかということか。
ナハルビア旧都の地下にある魔法陣は、恐らくこの街を再び結界に閉ざすためのものだろう。であるなら、何か判断を下すにしても、現在の外の状況などを説明したほうが良いだろう。
「シオン達にも同席してもらいましょうか」
「そうですな。彼女ら自身の話は終わっておりますので」
「うむ。我等のシオン達への本音を聞かれては、反省させられませんからな」
「客人方に頭を下げるべきは我々でしょうからのう」
……なるほど。孫のように可愛がっているわけだな。
古老達が腕組みしながら頷き合うと、苦笑したフォルセトが立ち上がり、シオン達を呼びに行くのであった。
「……というわけで、城砦跡でバハルザードのカハール達と戦い、これを捕えてからナハルビアの旧都を調査し、森へ来たというわけです」
シオン達が議場に戻ってきてから――リネットから始まった魔人絡みの事件を話して聞かせた。宝珠と瘴珠、迷宮でのクラウディアとの出会い、教団とガルディニスの話。シルヴァトリアと七賢者のこと……まあ、大体全部だ。長い話になってしまったが、全員が聞き入っていたようである。
「……ナハルビア旧都の地下にあった魔法陣の役割ですが……結界でこの町を閉ざしてしまうというものであったなら……私の心情としてはその役目を行使したくはありません」
と、エルハーム姫が言う。
「そうですね。きっと、私達が負うべき責務をナハルビア王家に押し付けて、歪みを生み出したからヴァルロスもあのような行動に出たのだと思います」
クラウディアはその言葉を受けて立ち上がると、凛とした声で言った。
「あなた達の祖先は、私を閉じ込めたのかも知れない。魔人を生み出したのかも知れない。けれど、その子孫であるあなた達に罪はないわ。あなた達の祖先を地上に追放したのが月の王家であるなら……私が今ここで、はっきりと宣言をしましょう。あなた達は既に、咎人などではない」
クラウディアの言葉を受けて、フォルセト達は目を見開き、そして平伏する。
やがて顔を上げて、口を開いた。
「……クラウディア殿下が迷宮の外に出て戦われておられるように、我等も変わるべき時が来ているのかも知れませんな」
「差し当たっては……事態の解決のための協力でしょうかの」
その古老の言葉に、反対する者はいなかった。
「そのための方法を考えねばなりませんね。いきなり結界を解いて外に出るというのは、ハルバロニスの民達の心情を考えても難しいところはありますが……」
「私は父、メルヴィン王の名代としてここにいます。外の世界との軋轢が予想されるなら、ヴェルドガルはその解消のための協力をお約束しましょう」
「同じく、私もシルヴァトリア国王エベルバートの名代として参りました。シルヴァトリア王家もヴェルドガル王家と意見を同じにするものです」
ステファニア姫とアドリアーナ姫が言う。
「父――ファリード王も森の民との親善を望んでいるからこそ、私はここにいます」
と、エルハーム姫。
つまりヴェルドガル、シルヴァトリア、バハルザード3国からの協力と庇護、ということになるか。
「……これは心強い」
「ハルバロニスの皆への説明は徐々に行っていきましょう。こちらは急務というわけではありません。しかし、クラウディア殿下とテオドール様に協力し、戦力を派遣するのは早急に行わなければならないと私は考えます。当事者でありながら矢面に立たないのであれば、我等は咎人ですらない。卑怯者としての謗りを受けましょう」
フォルセトの言葉を受けて、古老達が頷く。
「左様ですな。我等にはヴァルロスを止められなかった。責任がある」
「しかし誰を? 儂達の中で戦力として最も強いとなれば……」
皆の視線がフォルセトに集まる。
「この場を離れても契約の儀式で維持される結界には問題がありません。それが役目であるというのなら喜んでお受けしましょう」
「うむ……では――」
「そ、その!」
と、その話を横から聞いていたシオンが声を上げた。フォルセトへの視線が、今度はシオンに集まる。いや、シオンだけではない。シグリッタとマルセスカも一緒に古老達を真っ直ぐ見つめている。
「フォ、フォルセト様が外に出ていかれるなら、僕も連れていってくれませんか?」
「何を言うのか。我等に責はあるが、シオン達には何の関係もないことではないか」
「そういうのじゃ、ないんです」
古老の言葉に、シオンは首を横に振った。
「僕達が作られた理由も実験が失敗したことも、知っています。だから、本当ならそこで用が無くなっていたはずの僕達を……こうやって育ててくださったことに感謝してるんです。その恩を返したいって、ずっと思っていて。だけど、僕達は間違って……勝手なことをして、迷惑をかけてしまった」
「今度こそ……ちゃんと恩返しをしたい、わ」
「うん。戦えるって言うなら、ここでは私達が一番強いもんね」
「ですから、フォルセト様のことを守らせてください」
シオン達の言葉に、フォルセトは目を閉じて思案するように俯く。
「あなた達……」
「むう……」
古老達としては……シオン達が心配でもあるのだろうし、その気持ちを汲んでやりたくもあるのだろう。
「……少し、考えさせてくれるかしら。みんなで話し合って決めたいわ」
「はい」
フォルセトが言うと、シオンは真っ直ぐ彼女を見たまま頷いた。……決心は固いように思えるな。
「お客人方、今日はこの町に泊まっていかれてはいかがでしょうか。部屋を用意させましょう」
「船にいる方々も、交代で休んでもらえたらと思います」
「ありがとうございます」
「シオン達には、結果が出るまで部屋や町の案内を頼めるかな」
「分かりました」
ということで、議場での話はお開きとなった。
「あ。テオドール様。少しいいでしょうか?」
出ていこうとしたその時にフォルセトに呼び留められる。
「何でしょうか?」
「シオン達と戦っての感想というか、意見をお聞かせ願えませんか?」
ん……。外界を知らないだけに相対的な評価というのは難しいだろうからな。
「……そうですね。お互い必要以上の怪我をさせないという約束の上での戦いではありましたが……。さっきの話にあった空中移動の方法を、戦いの中で真似された時は、割と驚きましたよ」
センスについては相当なものだろうとは思う。
「マルセスカも、強かった」
と、直接マルセスカと剣を交えたシーラが言う。シーラについていった動きもそうだし、シグリッタの術もかなり強力であることは間違いない。
諸々思うところをフォルセトに伝えると、彼女と古老達はなるほど、と頷いていた。
議場を出て、シオン達に塔の上階にある部屋に案内してもらう。
「……ありがとうございます」
と、少し歩いたところで、シオンはおずおずと言ってくる。
「まあ、正直なところを言っただけだけど」
「それでも、嬉しかったです」
シオンは笑うと、やや歩調を速めて、俺達を塔の上へと案内してくれるのであった。




