392 咎人の町へ
歳の頃は20代半ば、ぐらいだろうか? 長身で痩躯。長い錫杖を手にしている。
「で、でも、フォルセト様……」
マルセスカは悪戯を見つかった時の子供のようなうろたえ方で何か言おうとしたが、フォルセトと呼ばれた女性は首を横に振る。
「相手にこれ以上シオンを傷付ける意志がないことに、甘えて戦おうというのですか?」
「それは……違うわ。シオンも大切だから」
シグリッタはフォルセトの言葉に俯いた。インクの獣達がシグリッタの本の中に戻されていく。ページが独りでに目まぐるしく捲られて、その中に獣達が大挙して飛び込んでいく。
「……ええと、シオンをお返しします」
「ありがとうございます。怪我をしないように加減してくれたようですね。そして、申し訳ありませんでした。私達の監督が至らなかったばかりに」
フォルセトはシオンを受け取ると頭を下げてきた。
「いえ。勝ったら話を聞くという約束でしたし……彼らも傷付ける意図を持って行ったことではなかったようです」
みんなに視線を向けると、彼女達も頷く。怪我はしていないということだろう。
「それに、彼らの不安も分からなくはありません」
咎人達が魔人と繋がりがあるだとか、隠遁している魔人だと仮定すると、事と次第によっては迫害の対象になる可能性はある。シオン達が森の咎人達を尊敬しているというのなら、庇うために動く、というのも理解はできる。
俺の言葉に、フォルセトは目を閉じて少し状況を飲み込むために思案していたようだったが、やがて静かに首を横に振った。
「それでも、間違っています。私達に用の有る方々が事情を聞きたいというのなら、私達が説明をするべきですし……戦ってほしい、守ってほしいと、この子達に望んだこともありません。この子達がしようとしてくれたことは理解しますが……」
フォルセトはそう言ってシオンのフードを取ると、その髪を優しく撫でた。
「ん……。フォルセ、ト様……? あっ!」
シオンは薄く目を開け、それから状況を理解したのかフォルセトから離れる。
「シオン。あなた達の負けです。状況は分かりますね?」
「……はい」
シオン達3人は悪戯を見つかった子供のようにフォルセトの前で肩を小さくしていた。
「では、彼らにきちんと謝罪を。私達のお客に、無礼を働いたのですから」
「はい……」
3人は並ぶと、それぞれフードを取って頭を下げてくる。
シグリッタもマルセスカも、シオン同様、見た目に特殊なところというのはない。顔立ちは整っているが割合普通というか、あどけない子供といった印象だ。
見た目だけでなく中身も子供に近いように思えるし、フォルセトのシオン達への接し方にしてもそうだろう。
少なくとも、フォルセトに関して言うなら3人を大事にしているというのが言葉や態度の端々から伝わってくる。
「その……いきなり攻撃を仕掛けて、申し訳ありませんでした」
「……ごめんなさい」
「ごめん、なさい」
それぞれ謝罪の言葉を口にする。
「分かりました。謝罪をお受けします」
答えると、再びフォルセトが一礼した。それから顔を上げて、シオン達を見やる。
「やり方は間違っていたけど……ありがとう。私達のことを心配してくれた、その気持ちは嬉しいわ」
フォルセトは屈みこむと、シオン達3人を纏めて抱き寄せるようにして言った。
「……ごめんなさい」
シオン達はフォルセトから抱き締められて、顔を埋めるようにして口々に彼女に謝る。
フォルセトからそう言われたことで安堵したのか、それとも気持ちを汲んでもらえたのが嬉しかったのか。3人はフォルセトから髪を撫でられたまま小さく嗚咽を漏らす。
ふと見れば、みんなもその光景に微笑みを浮かべていた。
やがて……3人が落ち着くのを待ってから、エルハーム姫が声を掛けた。
「お初にお目にかかります。私はバハルザード王国第2王女、エルハーム=バハルザードと申します。母はシェリティ。ナハルビア王家の生き残りです」
「ナハルビア王家の……」
フォルセトはエルハーム姫の言葉に少し驚いたような表情を浮かべて、それから目を閉じる。
「僕達は、ヴェルドガルとシルヴァトリアから来ました。30年前の事件を起こした人物が、魔人を率い、ヴェルドガル王都の地下に封印される魔人達の盟主復活を画策して暗躍しているようなのです」
「そう……そうなのですか。あれは……そのようなことを」
フォルセトは眉根を寄せて首を横に振る。やがて目を開くと言った。
「話せば長くなります。私達の町へ案内しましょう。そこで腰を落ち着けて話をしたいのですが、構いませんか?」
「その、他にも仲間がいるのですが」
「空にいる竜に乗った方々ですか?」
「そうです。今は姿を消していますが、船も空に浮かんでいます」
フォルセトは言われて目を丸くしたが、少し思案してから頷く。
「分かりました。その方々も、あなた方の姿が見えなくなれば心配をするでしょうし、連絡や同行についてはそちらにお任せします。そのほうがあなた方も安心でしょう」
「ありがとうございます」
フォルセトは……そういったことを決められるだけの、権限がある人物ということか。
口振りから言うとフォルセト達とシオン達の素性は少し違うようだが……。まあそれについてもこれから話を聞けるかな。
通信機でエリオット達にも顛末を伝えておくことにしよう。
「ああ、それと」
そう言ってフォルセトは俺に向かって微笑む。
「先程、あなたは彼らと仰いましたが、彼女達ですね。3人とも女の子ですよ」
……なるほど。視線を送ってシオン達の様子を見やる。
「2人とも、ごめん。僕に付き合わせて……」
まだシオンは立ち直っていない様子だが、マルセスカは明るい笑みを浮かべ、シグリッタは首を横に振る。
「私達1人1人で決めてやったことだもの……」
「うん。だからシオンは、私達に謝る必要ないよ」
「……ありがとう」
と、シオンがぎこちなく笑みを浮かべた。
「まあ……こんなにたくさん使うことになるとは思ってなかったけど。それはこれから面倒かしら」
そう言いながらシグリッタは手にしていた本を開く。
「……あー。大分使っちゃったね」
マルセスカが、シグリッタの持っている本を覗き込んで言った。白紙、動物の絵、白紙、白紙……と、乱丁本のような有様になっている。
「また描かないと駄目ね……」
シグリッタは白紙になっているページを確認すると両手で挟むように本を閉じる。
……自分で描いた絵を具現化して操るような術か能力……ということになるのかな? 最後に翼の生えた馬を出してきたあたり、他にも隠し玉があるのかも知れないが。
まあ、3人に関しては割と大丈夫そうに見えるか。
そして……連絡を受けて船から降りてきたステファニア姫とアドリアーナ姫、ジークムント老達、討魔騎士団と合流し、自己紹介を終えたところで移動することになった。
先導するフォルセト達に付いていくと、程無くして大きな木の前に到着した。先程の泉から、それほど距離も離れていない。
……他より太い幹を持つ木だが……一見した感じではまだ普通の範疇ではあるだろう。
但し、片眼鏡で注意深く見ると妙な魔力を纏っている。ナハルビアの王城にあったような隠蔽の魔法が施されているのかな、これは。
フォルセトが錫杖で地面を突くと、幹の一部が歪んで大きな洞が口を開けた。
「では参りましょう」
洞の中へとフォルセト達が進んでいく。俺達も後に続いて洞に入り、螺旋階段を降りるように下へ下へと向かう。
下り切ると細い通路に出た。脇に見張りが待機するための小部屋があって、そこにいた男は俺達の姿を見かけると驚いた顔で腰を浮かせたが、フォルセトが手で押し止める。
「私の客です。くれぐれも無礼のなきよう」
「は、はい、フォルセト様」
フォルセトは頷くと、そのまま前に進む。そして通路をかなり下ったところで――突然、視界が開けた。
「地底の町……」
「また……凄い場所に出ましたね……」
クラウディアとグレイスが言うと、マルレーンも目を丸くしてこくこくと頷いた。ローズマリーやシーラ達、そしてステファニア姫やジークムント老達は言うに及ばず、色々なものを見慣れているはずのアウリアも同様の反応だ。
みんなが驚くのも分かる。木の洞を抜けたと思ったら、地下に広大な空間が広がっていたのだ。
それは地底の町とでも呼ぶべき場所であった。広大な空間を掘り抜いて、きちんと平地を確保したうえで、そこに町を作っているのだ。
今俺達がいるのは、町の外周部の隅――つまり、壁際の天井付近ということになるか。高所から細い道が町へと続いている。
……見晴らしのいい場所だな。建造物も大きな神殿とも城ともつかない建物から民家のような小さな家々まであるようだ。外の町と比べると都市と呼べるほどの規模ではないが……暮らしていくには十分な広さがあるだろう。あちこちに天井を支えるような、巨大な柱も立っている。
天井に生えた水晶から柔らかい光が町に降り注ぎ……町の周囲には地底湖のようなものまで広がっていた。
そして地底湖から水柱が立って下から上へと逆流して……天井へと注がれていくという常軌を逸した光景まで見える。外周の壁から噴き出して地底湖へと注ぐ真っ当な滝も見えるから、これは地下水脈を水源として利用しているわけか。
……少なくともこの町全体が真っ当な構造物ではないな。外に結界が張られていたこともそうだが、高度な魔法があちこちに使われていると見える。
ともかく、ああやって地上の森へ地下水を供給して植物を育てることで、人払いの結界を視覚的に補強しているというわけだ。
「ようこそ、ハルバロニスへ」
と、フォルセトが言った。それが町の名前か。
大通りを真っ直ぐ進み――俺達はハルバロニスの中心部に聳える、青い塔のような建物に向かって進んでいくのであった。




