390 森の奇襲
「変わった植物が多いわね……」
あたりを見回しながらローズマリーが言う。探索しながらも植生が気になっているようである。気にはなっているようだが調査優先ということで採取などはしていないようだ。
「解決したら珍しい植物を集めていくのも良いかもね。温室なら育てられるだろうし」
「それは良いわね。終わった後の楽しみが増えるわ」
ローズマリーは楽しげに笑う。
とは言え食用や薬の原料であるとか……或いは鑑賞が目的であっても、知識がなければ集めるのは慎重に行いたいところだ。有用な植物は冒険者達も採取しているだろうから、旧都の市場で情報を得てからというのが良さそうだ。
「ヤシの実を持ち帰るのは楽しみ」
「うむ。あれは良いものじゃな」
と、テンションを上げているシーラとアウリアである。
……まあ、ヤシの実やらバナナのような分かりやすいものなら良いんだがな。
カドケウスを平面的に広げるように放って、広域を調査していく。ラヴィーネやエクレール達も横に広がるように展開して、何か怪しい物が無いかを探っている。
茂みの深いところはアウリアが干渉してくれているようで、独りでに枝葉が掻き分けられて見通しが利くようになっていった。
アウリアの干渉に驚いたヤマネコのような動物が茂みの奥に逃げていく。
粘着性の触手を操って虫を直接捕えて食べる大きなウツボカズラであるとか、背中に花を咲かせているヤシガニのような生物、ターコイズブルーの巨大キノコ、きらきらと輝く鱗粉を撒きながら飛んでいく蝶々等々……奇妙な動植物が多いな。魔物なのかそうでないのかも定かではない。
「ん……何かこっちに向かってくる」
「上ね」
と、そこでシーラとイルムヒルトが同時に足を止めて上を見上げた。
「どうやら……猿の魔物のようじゃな」
どうやらアウリアには精霊が警告してくれるようだ。注意を促してくるが、アウリアの索敵能力はかなり高いと言えよう。
枝から枝に渡ってくるそれは――ああ。知っている魔物だ。グライドエイプと言われる猿の魔物。合計4匹。どうやら小規模な群れのようだが……。
「グライドエイプ。空を滑空できる猿だ。牙と足の鉤爪に注意」
と、簡潔に注意を促す。
脇にムササビのような被膜を持っていて滑空が可能なのが最大の特徴である。
だが、冒険者が遭遇したという人影ではあるまい。名前を呼び合って連携するような習性はないはずだ。
その荒れ狂ったような顔は、凶暴な魔物特有の気配がある。滑空しながら牙を剥いて、こちら目掛けて迫ってきた。
「邪魔です」
シールドを蹴って突っ込んだのはグレイスだ。闘気を纏った斧が一閃されるとグライドエイプが2つになって落ちていく。そのグレイスの速度と破壊力に、他のグライドエイプ達の統率が乱れた。
「ラムリヤ!」
そこにエルハーム姫の肩に乗ったラムリヤが、飛んでくる猿の顔面に砂を浴びせかけていた。
目潰しなどという生易しい代物ではない。鼻や口から入り込んで喉を塞ぎ、窒息させようというわけだ。顔面に纏わりついた砂は引っ掻こうが引き剥がしようがない。砂で顔面を塞がれた猿が、もがきながら木立にぶつかって墜落していく。
続いて3匹目、4匹目。砂を避けて舞い上がろうとしたところをエクレールの雷撃に打たれ、最後の1匹はイルムヒルトの矢で額を貫かれて地面へと落ちていった。
「あっという間じゃな」
アウリアが感心したように頷く。
「このぐらいの魔物ならば。ラムリヤもかなり強いようですし」
エルハーム姫が肩に乗せたラムリヤの頭を軽く撫でる。
「迷宮に慣れてると魔物の襲撃が少なく感じますね」
と、アシュレイ。
「普通の魔物は大挙して攻めてこぬし、別の種族との協力や連携も普通はしないからのう。迷宮が特殊なのじゃ」
確かに。頻度にしろ数にしろ、迷宮のほうが多いのは確かだ。これが迷宮なら更に2,3波は魔物の攻撃があるだろう。まあ……冒険者達が森に入っていることから考えても、それほど強力な魔物はいないのだろうが。この調子で探索を進めていくとしよう。
1つのブロックを探索し終えたら、次のブロックへ。探索範囲を隣へ隣へと広げていく。
森の中には水が流れているところもあった。これは川なのだろうが……流れが緩やかでマングローブが自生していて緑に覆われているので上からでは川の位置が分からなかったというわけだ。というか……何やら自力で歩いているマングローブもいるな。
木の魔物の類なのだろうが、こっちを襲ってくる様子は見られない。ただ、ああいう魔物までいるとなると、ますます森の中の風景は信用がおけない。ここでは目に見えるものを目印にすべきではないな。
「む……」
アウリアが風の精霊の声に耳を傾けて頷いている。アウリアに伝言した風の精霊は再び飛び去っていった。こうやって斥候を行えるわけだ。
「この少し先に、大きな水場があるようじゃな」
「水辺はもっと詳しく調べてみましょうか。森に誰かが住んでいるなら、水源の確保は重要ですから」
「足跡が見つけられるかも知れませんね」
「ん。頑張る」
みんなと共に精霊の知らせてくれた水場へと向かう。
そこもマングローブが生い茂る場所であった。
……泉か。地下から水が湧いているようだな。澄んだ水を湛えている。どうやら森を流れる川の水源となっているようだな。早速シーラが水辺を調べて回る。
「動物の足跡はたくさんある」
そう言いながらシーラは水辺をぐるりと一周して見て回るつもりのようだ。ならば俺は、水辺の中心付近を調べるとしようか。
水面を移動しながらあちこち見ていると、なにやら水中の深いところにぽっかりと開いた穴を見つける。人が余裕で入っていけそうなぐらいの穴だ。
……なんだこれは。水中洞窟、か?
「テオドール! 何か来る!」
その時、シーラの警戒するような声が聞こえた。木から木へと。幹を蹴って反射を繰り返しながら何か小さな人影のようなものが高速で迫ってくる。
金属の煌めき。一旦右に飛んでから反射して――こちらに向かって突っ込んでくる。風切り音。その一撃を背中側に回した竜杖で受け止めた。
果たしてそいつは――片刃の剣を携えていた。
峰打ちで俺の意識を刈り取るつもりだったらしい。視線と視線が一瞬交差する。フードの下から一瞬垣間見えたその顔は、確かに子供の顔をしていた。
身体の向きを入れ替えながら振り払うよう杖を振るうと、その勢いに乗るように後ろに飛んだ。空中で一回転しながら枝の上に留まるようにして、俺から距離を取る。
相当身が軽い。しかもこの身のこなしと、今の打ち込みの重さ。普通の子供とは思えない。……妙な波長の魔力を持っているな。魔人……ではないようだが。
「魔術師が今の一撃を杖で止めるなんて……」
初撃を止められたことが予想外だったというわけだ。だが動揺も一瞬。剣を構え直した。フードから覗いているのは僅かだけだが、口をへの字に曲げて、決然とした表情を浮かべているのかも知れない。
噂の出所の冒険者達も奇襲を食らったようだが……となると最低でも後2人はいるはずだが――。
「後2人! 近付いてきてる!」
イルムヒルトが言う。カドケウスの視界にも木立の間に見え隠れする2人の小さな人影を捉えている。1人はマントを纏った黒色の影。もう1人もマントを羽織っているが、その隙間からリボンとスカートが見えた。それぞれが揃いの外套を羽織っている。
こちらを包囲したということなのか、一定の距離を取りながら円軌道を描きつつ、右に左に、幹から幹を蹴って飛び回っている。
「戦いに来たわけではないのです! 話を聞いてくれませんか!? 私は、ナハルビア王家縁のものです!」
エルハーム姫が言った。剣を持った子供はそれには答えずに仲間に呼びかける。
「シグリッタ、マルセスカ。気を付けて。多分この人達、強いと思う」
「……分かったわ」
「シオンも気を付けてね」
風に乗って、そんな声が聞こえた。……問答無用でこちらの排除優先か。
黒マントは魔道書のようなものを手の平の上に浮かべている。独りでに開いたページから、インクが溢れ出すように黒い液体が空中に浮かんで――大きな鳥や犬、蜂などに姿を変えていく。
もう1人は杖の両端に刃が付いたような、特異な形状の武器を手にしている……刃は両方とも鞘に収まっているようだ。
そしてシオンも。殺すつもりはないのだろう。剣の刃を返すことをしない。峰打ちに拘っているように見えるな。
1つだけ確認しておきたいことがある。
「森の咎人達」
そう言うと、シオンがぴくりと反応する。
あまり腹芸は得意じゃないようだな。だが構えは解かない。ますます戦意を漲らせているように見えた。
「無理矢理戦わさせられている……なんてことは、ないよな?」
「侮辱する気ですか? これは、僕達の意志でやっていることだ」
と、若干、怒気を含んだ声が返ってきた。
侮辱。それは森のどこかにいる主達を尊敬しているからか、それとも自分達の行動に矜持を持っているからか。
注意深く見ていたが、片眼鏡にも不自然な魔力の反応は見えなかった。揺さぶりをかけてやれば、精神操作系の術が施されていたなら妙な反応もあるだろうと思っていたが。
感情的になっても魔力の流れ自体は自然ということは、言葉に嘘は無いと見ていいだろうか?
「違う。勘違いなら済まなかった。彼らに聞きたいことがあるだけなんだ。彼らに危害を加えるつもりはない」
「信用する材料がありませんし、理由も聞きたくありません。知っていて奥まで来たのなら、気絶させてお引き取り願うだけでは駄目になりました。ここでの記憶は奪わせてもらいます」
などと言っているが……。交渉の余地はあると見た。
要するにこちらを排除することが不可能だと明確にしてやれば、後は向こうの主張を通すためには否が応にも俺達と話をするしかないのだから。
案内は頼めなくとも、何故邪魔をするのかだとか、理由ぐらいは聞くことができるだろう。




