386 ナハルビア旧都へ
マスマドルの冒険者ギルドでの話を終えて、聞いた話を駱駝車の中でステファニア姫達に伝えながらシリウス号へと向かう。
到着すると……使用人の姿をしているアンブラムに面倒を見てもらっていたリンドブルム達が、こちらに気付いたようだった。
他の飛竜達に向かって一声上げると一斉に水面から飛び立ち、身体に付いた水を切るようにオアシスの上をぐるりと編隊飛行で回ってから、シリウス号の甲板まで移動する。
こちらまで来ないのは、駱駝を驚かせないようにという彼らなりの配慮かも知れない。
水浴びをしていたサフィールもそれに倣うように水面すれすれを滑空してから舞い上がると甲板へ移動する。
オアシスの深いところで顔と背中だけを出して悠々と泳いでいたコルリスもだ。ステファニア姫が来たことを察知すると水面に浮かんでぶるぶると身体を震わせて水を切り、空を飛んでシリウス号まで移動していた。
アルファだけは最初から甲板に鎮座していたようだが。
「おはよう」
声を掛けると、リンドブルムとアルファが首を縦に動かす。
「ああ、コルリス。留守番ご苦労様」
ステファニア姫が片手を小さく振って挨拶するとコルリスも手を上げてそれに応えていた。
「おはようございます」
シリウス号の前まで到着したところで声を掛けてきたのは討魔騎士団のエルマーだ。
「おはようございます、エルマー卿」
「エリオット団長の他、数名が市場に物資を買い出しに行っております。そろそろ戻ってくるのではないかと」
「分かりました」
と、言っている傍からエリオット達も戻ってきた。何台かの荷車に物資を満載して坂道を降りてくる。
「おはようございます。買い出しお疲れ様です」
「ああ、おはようございます、テオドール卿。ありがとうございます」
エリオットが笑みを浮かべると、他の騎士達も挨拶を返してくる。
荷車がシリウス号の前まで到着すると早速荷物の搬入が始まった。全員がレビテーションを使えたり魔道具を持っていたりという面々なので、重い水樽を浮かべて一気に甲板の上に運んでいたりと、かなり効率が良さそうだ。
「先程朝の市場や店へ行って色々買ってきたところだったのです。食材や物資の品揃えが、中々豊富でしたよ」
「例の森で冒険者が見つけてきた物資がマスマドルに流れてきているのかも知れませんね。僕達も月神殿と冒険者ギルドに足を運んできました。そこで聞けたお話はシリウス号で移動しながらお話しします」
「分かりました」
エリオットと会話しながら燻製肉の塊やら果物の詰まった樽を持ち上げる。積み込みを手伝って、手早く出発の準備を終わらせてしまうことにしよう。
そして……。出立の準備も終わり、いよいよ旧都と森に向けて出発である。
「ではエルハーム殿下。お気を付けて」
「はい。ファティマもお元気で」
と、エルハーム姫とファティマが言葉を交わす。エルハーム姫と別れの挨拶を済ませたファティマは俺に向き直り深々と頭を下げてきた。
「改めて……マスマドルを預かる者として礼を言わせてください。きっとテオドール卿がいらっしゃらなければ、事態はマスマドル近辺の混乱だけには留まらなかったでしょう。テオドール卿の御武運と任務の成功を、お祈りしています」
「ありがとうございます。ナハルビア王家に関することも……何か分かりましたら、またお話に来ます」
「はい。お待ちしています」
そう言ってもう一度ファティマは一礼する。みんなでタラップを登ってシリウス号に乗り込み、人員の点呼をしたところで、シリウス号が浮上した。
どうやら件の森は魔物関係の素材も豊富なようで。飛竜達の食料もしっかりと補給できてしまっている。コルリスの鉱石に関しては、最初から安定した補給が望めないだろうということで十分な量を船倉に積んでタームウィルズを出発したから問題がないが。まあ……鉱石はともかく、食料や水は旧都でも補給は可能なようだし、調査はしやすくなったか。
「――というわけで、森の中で小さな人影……それも言葉を発する何かと戦って気絶させられ、森を追い出されたという確度の低い情報を得ました。意思疎通が可能ということを踏まえて、仮にそれと思われる者に遭遇した場合は交渉を試みるつもりでいます。しかし、身の危険を感じるような行動を向こうが取った場合は、各自の判断で迎撃を行ってください」
但しその際、自身の身の安全は優先しつつも、過剰な攻撃や深追いは控えて一応の交渉の余地を残すことなどを伝声管を通して討魔騎士団全員に通達する。
「……何者なのかしらね。森の咎人と同じ者なのか、それとも別口なのか」
伝声管から離れて艦橋のテーブルに戻ると、ローズマリーが羽扇を閉じたり開いたりと、手の中で弄びながら言った。
「咎人達以外の可能性があるとすれば、小人族やエルフ、でしょうか?」
グレイスが首を傾げる。なるほど。行動だけ見ればエルフっぽいところはあるが。
「エルフであるなら大人が出てこないというのもおかしな話じゃな。侵入者が現れた場合、まず大人の戦士がこれの対応に当たるものじゃ。まあ……儂の容姿については捨て置くがよい。殊更魔力が高いと見かけ上も歳を取りにくいという場合もあってな」
と、アウリア。俺達と比較した場合、エルフは細身で華奢な傾向にあるが、それでも大人と子供の見分けぐらいは付くだろう。アウリアに関してはまあ……エルフの中でも小柄で童顔、というだけなのだ。
「小人族は……草原で暮らしていると聞きました」
「うむ。連中は森では暮らさんのう。基本的に客人も歓迎する連中じゃし……そもそも楽をしたがる連中じゃから砂漠地帯なぞにはあまり姿を見せん」
ふむ。やはり情報が少なすぎるか。変に先入観を持たないほうが良いかも知れないな。
森での探索の方法などを話しながら進んでいると、やがて無味乾燥な砂漠の景色の向こうに何か――緑色の光景が見えてきた。色の正体は植物なのだが……川やオアシスを中心に緑が生い茂っているマスマドルとは、生育の仕方が明らかに違う。
「あれが聖地……」
砂漠の一角に突然草地が現れ、すぐに鬱蒼と茂った森が広がっているという印象だ。中々に異常な光景である。
樹冠の……密度が高いな。あれでは、空から見ただけでは森の中の様子は分からないだろう。実際に森の中に踏み入って捜索する必要があるが、森の範囲もかなり広そうだ。人の手が入っているわけではないだろうし、虱潰しでは時間がかかり過ぎてしまう。
まずは空から見て、探索するエリアの候補を絞って調べていくべきだ。となると、基準を定めなければとっかかりがない。
どの方角から見て、どこが森の奥になるのかと考えていった場合……やはり旧都側を基準として、砂漠に面する側を森の「入口」と見立てるべきなんだろう。冒険者達もそちらを出発点としているのだろうし。
「聖地の探索は旧都側から進んで、一旦空から森を見てみましょう。何か分かることがあるかも知れません。その前に一度旧都の王城跡を見ておきたいところですが」
「うむ。承知した。いずれにしてもまずは旧都からじゃな」
ジークムント老が船を進ませる。シリウス号は光魔法のフィールドで地上から見えないように偽装してある。旧都で騒ぎになることもないだろう。
そして、その旧都も段々と近付いてきた。放棄された都とは言え、外壁などは無傷。何やら……市場のようなものまで見えるな。住人と呼んでいいのかどうかは分からないが、ここを拠点にしている者達は冒険者と商人というのが主なようだ。行商と、旧都を利用する者達を相手に商売する者と。……兵士もいるな。
あれはファティマが派遣している兵達だそうである。ナハルビア旧都にバハルザードの管理が完全に及んでいるとは言いにくいが……こうやって冒険者と商人が集まっている以上は治安維持の役割を担う必要もあるのだろう。
必要があれば自分の名を出していいとファティマからは書状を預かっている。エルハーム姫もいるから兵士達への説明はそう難しくはないだろうが。
街の中心部にオアシス。そして――その近くに壁に囲まれた建物が見えた。
「あれが……ナハルビアの王城です」
エルハーム姫が心無しか沈んだ口調で言う。敷地の中心部にある大きな建築物は、建物の中の間取りが、上空から丸見えになってしまっている。家財道具や調度品などは持ち出されて何も残ってはいないようだ。略奪にあったか、生き残ったシェリティ王妃達が処分して金に換えたのかは分からないが。
上階が闇に呑まれて消し飛ばされたという話だが……さて。
「王城跡の中庭に、シリウス号を降ろせそうね」
「そうですな。差し支えなければ、そうしますぞ」
クラウディアの言葉に、ジークムント老が答える。
「勿論です。私達は王城が消失した理由を調べるために来たのですから」
エルハーム姫が真剣な面持ちで頷いた。
王城跡は立ち入り禁止になっているという話だから、シリウス号を停泊させておく場所としては適しているだろう。




