384 砂漠の街の一夜
貴賓室と客室にあたる部屋は何部屋か隣接していて、それぞれが広々としているので誰がどの部屋に泊まるかは割と融通が利く。
入浴や就寝する段になれば各々の部屋に行くことにはなるのだろうが……ファティマの館での夕食を済ませてから、何となく1室にみんなで集まって寛ぐような形になっている。
「風のお加減はいかがでしょうか」
と、天蓋付の寝台の端っこに腰かけてアクアゴーレムに大型の羽扇で扇がれるマルレーンはステファニア姫から感想を求められて、にこにこと笑みを浮かべて応じた。
「ふふ。それは何よりです」
アドリアーナ姫はそう言いながらマルレーンの髪を櫛で梳いたり結ったりしている。
あれはアクアゴーレムを従者と見立てているのだろうな。
マルレーンを可愛がるついでにごっこ遊び……と言うのかどうかは知らないが、異国情緒を満喫している感じで何よりである。
アシュレイはシーラ、イルムヒルト、セラフィナと共にファティマを誘ってカードに興じている。
シャルロッテも絨毯に腰かけて膝の上に乗せたカドケウスを撫でていたりと、思い思いに寛いでいる様子だ。
「うむ……。テオドールのところは良いのう。この毛並みに手触り。癒されるわ」
「そうですね……。先生の家は素晴らしい環境です」
アウリアもその横で絨毯の上にうつ伏せに寝転び、足をパタパタとしながらご満悦な様子でラヴィーネを撫でている。……まあ、突っ込むのは止めておくが。
そしてもう1人の姫であるエルハーム姫は……何やらジークムント老とヴァレンティナが点検している武器や魔道具類が気になっている様子であった。
「何か気になる物でもありましたか?」
と、声を掛けるとエルハーム姫は少し慌てたように言った。
「ああいえ。珍しい武器が多いなと思いまして。すみません」
なるほど。確かに俺のパーティーで使っている武器は変わり種が多いからな。
「いえ。ご覧になっていただいても大丈夫ですよ」
「それは――ありがとうございます」
エルハーム姫は表情を明るくするが……そこではっとしたように顔を赤らめた。
「ええと。その……王女としてはあまり褒められたことではないのですが、武器防具全般に興味がありまして……」
「そう、でしょうか?」
エルハーム姫はあまり好ましくない趣味と思っているようだが……まあ、周囲の顔触れが顔触れなので、それぐらいの趣味も普通かなという気もしてしまうのだが。ローズマリーは何やら顔を羽扇で覆ってそっぽを向いているが……俺の考えを読んで笑っているのかも知れない。
まあ、エルハーム姫の場合は趣味として刀剣や鎧の類に美術品としての価値を見出したりするような感じだろうか?
「エルハーム殿下は、ファリード陛下が兵を挙げて教団やカハール達と戦っていた折に、鍛冶師達に混ざって魔法で武器を作っておいでだったのです」
と、ファティマが言った。見るほうじゃなく、作るほうか。それは確かに意外だ。ファティマの言葉にエルハーム姫は気恥ずかしそうに言う。
「武器や防具が不足してしまったことがあったのです。それで魔法で金属を鋳潰してゴーレムに打ち直させたりと、鍛冶師の真似事をして、不足を補っていました。もっと良い武器や防具があれば父上や兵達が怪我をしないで済むのになと、色々文献を漁ったり実験をしているうちに……その、のめり込んでしまいまして。刀剣や鎧などそのものにも魅力を感じるようになってしまいました」
「ああ。そういう背景があったんですね。それは将兵達も喜んでくれたのでは」
「そうですね。殿下は謙遜しておいでですが、将兵達の評判は悪くなかったのですよ。幸運を呼ぶと、兵士達を大変勇気づけていました」
ファティマが言うとエルハーム姫が慌てて首を横に振る。
「そ、それほど大層なものでは。え、ええと。では、拝見させていただきます」
そうして慌てて武器を手に取ったエルハーム姫ではあったが、武器を眺めるとなるとすぐに真剣な眼差しになっていた。
「やはり……この斧などはすごい業物ですね。これを打った鍛冶師はさぞかし名のある方と存じますが……。これは何か……そう、バリュス銀に別の素材を混ぜて強度を上げているのですね」
……見た目から素材と製法を言い当てるあたり、真似事というには本格的な気がするが。兵士達の生死に直結する品だけに、本気で研究したのだろうというのが窺える。実はファリード王の兵達を陰から支えた立役者だったりするのではないだろうか。
褒められたことではないとエルハーム姫は言ったが……。姫らしくはないけれど王族らしくはあるのかも知れない。
「斧を打ってくださったのはドワーフの鍛冶師です。可愛らしい方ですが、とてもしっかりした、良いものを作ってくださいますよ」
「まあ。ドワーフ! 道理で……」
グレイスの言葉にエルハーム姫は手を合わせて目を輝かせる。
「異なる素材を混ぜ合わせて強度を上げる技法というのは、ナハルビアやバハルザードにも伝わっているのです。そういった技法が北にもあるというのは興味深いですね」
いや……。グレイスの斧に限った話を言うのなら、バリュス銀と別の素材の配合比などはBFOの生産職達の試行錯誤の結果というか。そのあたりからの情報だったりするんだけどな。
「エルハーム殿下のお作りになられる武器というのは気になりますね」
「ん。興味ある」
先程までファティマと共にカードに興じていたアシュレイとシーラが話題に乗ってくる。
「ええとその。荷物の中にありますよ。護身用の短刀ではありますが」
エルハーム姫は自分の荷物の中から鞘に収まった短刀を出してくる。
「拝見します」
短刀を受け取って鞘から引き抜くと、みんな興味津々といった様子で覗き込んでくる。エルハーム姫の短刀は――幾重にも重なった波状の複雑な紋様が刀身全体に広がっているという代物だった。
「かなりの業物」
シーラが言った。これは……俗に言うダマスカス鋼という奴だな。数種類の金属を積層して作ったインゴットを鍛造するとか何とか聞くが……。なかなか、想像以上の物が出てきた。
「まだ試作品なのです。父上には普段から身に着ける刀を打ってほしいと言われましたが、まだ納得のいく仕上がりにはなっていなくて。本物の刀匠には及ばないのです」
そうなのか……。納得いかない部分があるというわけだ。
転移魔法もあるのだし、機会があったらビオラと引き合わせてみるのも面白いかも知れない。互いに技術体系が違うだろうからいい刺激になるだろう。
「もし宜しければ、先程話に出た鍛冶師と面会の機会を設けましょうか?」
「それは……はい。是非お願いしたいです」
短刀を鞘に収め返してから尋ねると、エルハーム姫は相好を崩す。そうしてソーサーやらシーラの真珠剣、イルムヒルトの呪曲弓などを1つ1つ手に取ってつぶさに眺めるのであった。
そして夜も更けていき、みんなは各々の部屋へと戻っていった。
討魔騎士団も館にやってきて、隣の部屋……ステファニア姫達3人のところにはメルセディアが護衛に着いた。
アウリア、ヴァレンティナ、ジークムント老、シャルロッテも逆隣の部屋へ。ラヴィーネとエクレールがそれぞれの部屋に行くことで状況把握をしやすいように環境を整える。
砂漠は夜になると気温がどんどん下がっていくが、部屋には暖炉が付いているので貴賓室は快適な環境と言えよう。
浴室に向かい、桶を使って肩から湯を流し、それから一息つく。
「やはり、持ってきて正解だったわね」
と仕切りの向こうから聞こえてきたのはクラウディアの声だ。
持ってきて正解、というのは水着と湯浴み着のことだ。オアシスで泳ぐのを想定していたかどうかはともかく、湯浴み着は確かに使うからな。当然サボナツリーの洗髪剤も持参している。
そして、仕切りの縁からマルレーンが顔を覗かせた。
今日の入浴はマルレーンとである。小柄で細身の身体でペタペタとやってきて、俺と視線が合うと屈託のない笑顔を向けてくる。
「マルレーン。そこに座ってくれるかな」
こくんと頷くマルレーンの背中にそっと湯をかけ、泡をたてた手拭いでそっと洗って、泡を流していく。次に髪にも湯を馴染ませて、洗髪剤で泡立てていった。髪を傷付けないように丁寧に頭皮をマッサージするように洗い、最後に洗髪剤も洗い流していく。
それからマルレーンはこちらに振り返ると、にこにこと笑いながら自分の胸のあたりに手をやる。今度は自分がというわけだ。
「それじゃ、お願いしようかな」
そう言うと、マルレーンは両手で手拭を握って背中を上から下へ、下から上へと洗ってくれる。強すぎず弱すぎない、中々の力加減だ。
そっとお湯をかけ……続いて髪も洗ってくれた。マルレーンの華奢な手が俺の髪の間をくすぐるように動いている。どうも手の動かし方からして、俺の洗い方を真似しようとしてくれているようだな。
マルレーンの小さな手で一生懸命にマッサージしてくれているので、少々こそばゆいし微笑ましい感じもあった。
「ありがとう」
髪に何度か湯をかけて洗髪剤を流してから、礼を言う。こくこくと頷く。それから各々身体の前側も洗ってから浴槽に浸かる。
隣に座るマルレーンは小柄で華奢だ。洗い髪をそっと指で梳いて撫でると、こちらを見上げてからにこにこと笑って俺の髪にそっと触れてくる。うむ。
そんな調子でゆっくりと湯船に浸かりながらマルレーンとも循環錬気を行い、風呂から上がる。浴槽の近くに置いてあったタオルで髪と体を拭いてから手早く着替える。マルレーンは身体をタオルで拭いてから仕切りの向こうで着替えているようだ。
生活魔法で髪を乾かしたりして、少し時間を置いてから仕切りの向こうへ行くと……みんな湯浴み着に着替えて寛ぎながら順番待ちをしているところであった。
何というかこう……みんな揃って湯浴み着だと色々と目に毒だ。特に今日はシーラとイルムヒルトも同室だしな。セラフィナも特別に作ってもらった湯浴み着で楽しそうに飛んで回っている。……うん。肌色が多くて湯浴み着も薄着なので色々とくらくらするような光景ではあるが。
「次は私達からでいいのかしら?」
「はい、どうぞ」
「私達は今日、テオの隣になりますので最後でいいですよ」
「なら、グレイスとアシュレイがお風呂から出るまでの間に循環錬気を済ませておくわね」
「分かりました」
次に風呂に入るのはクラウディアとローズマリー、そしてその次にシーラ、イルムヒルト、セラフィナ、という順番のようだ。
いつもなら居間で寛ぐような時間が先に作れなかった分、順番が前後しているというわけだ。
「ん……。転移魔法で消耗したから、いつもより暖かく感じるわ」
絨毯の上で寛ぎながら3人で循環錬気を行い、魔力補充をしていると、クラウディアが目を閉じて言った。
「循環錬気は……テオドールも、疲れが抜けるのよね?」
「まあ、そうだね。人数が多いとその分、魔力と生命力を補強できるし」
そう答えると、ローズマリーは目を閉じて頷く。俺の返答を受けて心無しか満足げである。
湯上がりで軽く肌の上気したクラウディアとローズマリーである。
2人とも夜着に着替えてきているので、先程よりは俺も落ち着いた気分でいられるか。鼻孔をくすぐる香りや髪や肌のしっとりとした質感は、何とも独特の風情のあるものであるが。
湯冷めしないように毛布をかけて、のんびりと循環錬気を行う。何とも、身体の内外から温まるような、心地の良い時間であった。
やがてグレイス達も風呂から上がったらしく、髪の水気をタオルで取りながらこちらにやってきた。
「お待たせしました」
グレイスが言うと、両隣の2人が少しの間を置いてそっと離れる。
「ありがとう。お陰で私も十分に魔力補充できたわ」
「はい」
クラウディアが笑みを浮かべて言うとグレイスも微笑んで頷く。
「じゃあ、湯冷めしないうちに布団に入ろうか」
「そうですね。夜はもっと寒くなるのでしょうし」
俺の言葉にアシュレイも頷く。広々とした天蓋付きの寝台へと移動する。貴賓室ということでそれなりの人数が寝泊まりできるよう、寝台はいくつか用意してある。
シーラとイルムヒルトも一緒に眠るようだ。セラフィナも夜間の仕事が無いのでシーラの隣で一緒に横になるらしい。
今日は……グレイスと、アシュレイが両隣になる形だ。グレイスの吸血衝動解消という意味では、中々タイミングが良かったとも言える。
マルレーンはクラウディアとローズマリーに挟まれる形で、中々ご満悦といった様子である。もう眠くなったらしく、小さく欠伸していた。
俺もグレイスとアシュレイの間に横になって――部屋に浮かべてあった魔法の明かりを消せば、暖炉の明かりで照らされて部屋の中の影がゆらゆらと揺らぐ、何とも趣のある空間になった。
「何だか……暖炉の火だけだと素敵な感じですね」
「うん……」
グレイスの言葉に頷く。薪の爆ぜる音が静かに響いている。左手と右手を。右手と左手を。それぞれ合わせるように繋いで、グレイスとアシュレイの2人と、循環錬気を行っていく。
眠りに落ちる前の、心地良い時間。アシュレイがぽつりぽつりと言う。
「こうして……テオドール様とグレイス様と一緒だと……タームウィルズに来たばかりの頃を思い出します」
「そう……ですね。あの頃は、3人でした」
「テオドール様も、グレイス様も、皆さんも……。無事で良かったです。本当に」
「うん……」
グレイスにとっては因縁のある相手。感情的になり過ぎたり気負い過ぎたりしたら、何かの拍子に結果も違っていたかも知れない。だから……アシュレイがそう口にする気持ちも分かる。
重ねた手のひらに少しだけ力を入れると、2人とも応じるように少しだけ握り返してくる。小首を傾げるようにグレイスが肩に頬を寄せてきた。
そう。みんなこうして、ここにいるのだ。眠りに落ちていくまでの穏やかな時間、温かな時間を、みんなと一緒に過ごすことができている。うん……。聖地の探索も頑張らないとな。
手の平に温かさと柔らかさを感じながら目を閉じて……穏やかな時間の中をみんなと共に眠りの中に落ちていくのであった。




