35 カーディフの顛末
地下13階から地下14階。ここの間はそれほどの差異は無かったが、更に下へ降りると迷宮の構造にそのものに明確な変化が見られた。
まず今までの石造りの迷宮から、天然洞窟を思わせる土と岩肌に変わり、天井も高くなった。その天井には鍾乳石。壁に自生している苔がぼんやりと光っていて、明かりが無くても視界の確保ができる。
――水の音が聞こえている。空気も湿度を帯びていた。
「上の階とはがらりと変わってしまうんですね」
どこか感心したようなアシュレイの声。
「んん……これぐらいの変化ならまだ納得もいくんだけどね」
道の――低くなっている方を水が流れている。かなり澄んだ水だ。生活魔法で水の浄化をすれば飲用にもなる。
汚水は汚水としてもう少し上の階層で枝分かれしている。迷宮化した下水道から大腐廃湖の方へ流れ込んでいくわけだ。
こちらの水は多分、元々地下水脈か何かが迷宮化したものじゃないかと思うのだが、BFOではシンプルに洞窟エリアと呼ばれていた。
「ちなみにこうやって景色が変わる時は、出てくる魔物もかなり変わる。この階層で石碑を探して切り上げようか。転界石も充分な量、溜まってきてるし」
「解りました」
2人は頷く。アシュレイは初めての迷宮探索なわけだし、無理はしない方が良い。グレイス共々洞窟エリアを少しだけ覗いて雰囲気を掴んだら、一度帰って相応の準備なりを整えて再度攻略というのが良いだろう。
さて、この洞窟エリア。光苔のお陰である程度の距離を見通せるのだが、それが逆に曲者だ。
構造が上の階層より雑然としているので、岩場の影や水の深くなっている場所、天井の暗がりなどに敵が潜んでいる事があり、なまじ視界があるものだから奇襲を受けやすかったりする。
なので光源にあまり頼らないよう、逆に暗視の魔法をかけて進むのが正解である。
「魔物がいるから物陰には気を付けてね」
言っている傍からというか、頭上の暗がりから大きな蝙蝠が襲ってきた。ブラッドバットという、巨大吸血蝙蝠である。
「サイレンスフィールド!」
風魔法で周囲の音を消す。連中、超音波を頼りにエコーロケーションで周囲の状況を掴んでいるのだが、目が退化しているのでこうされると何も見えなくなるのに等しい。
グレイスがバドミントンの羽でも打ち返すようにあっさりと斧の腹で叩き落とし、アシュレイが初級水魔法のウォーターカッターを放って迎撃した。
アシュレイは見ている限り治癒魔法の他に水魔法も得意分野のようだな。元々親和性が高い系統ではあるか。
蝙蝠の翼を剥ぎ取って戦利品に加える。これは調合用の素材になる。魔女が鍋で煮込んでいるイメージがあって、如何にもという感じだ。
洞窟を進んでいると、鍾乳洞の間にスライムがへばりついているのが見えた。暗視の魔法があるからきっちり把握できるが、こういうのは光苔の光量では勿論、松明やカンテラでも見えない事も多い。
あえて直下まで行くと自由落下で攻撃しかけてきた。身を躱しながら火球で迎撃すると、あっという間に全身を沸騰するように泡立たせ、そのまま縮んで固まるようにして魔石になって転がった。
中々呆気ないが……液状のモンスターだけに物理的な攻撃が効きにくく、やや面倒な所がある。
「魔法が使えない者がスライムに張り付かれた場合はどうしたら良いのですか?」
「力任せに振り回してバラバラに散らすと良いらしいですよ。この辺のスライムならですが」
アシュレイの質問にグレイスが答えている。
細かくされると、人間みたいに大きな相手を襲う気が薄れてしまうものらしい。簡単に戦意喪失して離れてくれる。下層にいる上位スライムはもっと厄介だが、この辺のスライムなら大した事はない、という事だ。強いスライムと言っても、カドケウスのが上だけれど。
「そこの水溜りも、敵がいますね」
と、グレイス。
近付くと水溜りからキングフロッグと言われる大きな蛙が飛び出してくる。先端が瘤のようになった舌を、鞭のように振り回して叩き付けてくるが、グレイスが斧を投擲すれば、その舌ごと粉砕されてしまった。
キングフロッグの剥ぎ取り部位は舌だが……まあ食用になるので全身持ち帰っても良い。転界石に余裕が出てきているのでさっさと転送してしまうのが良いだろう。
アシュレイがラウンドガーディアンの魔法を使っているので、そう簡単には奇襲を受けるという事もないけれど、そうでなければ洞窟エリアはやや面倒だろうとは思う。頭上から足元まで万遍なく注意していく必要があるからだ。
役割分担をしてしまえば良いだけの話だけれど。今回は俺が上を警戒し、グレイスが下の警戒を担当している。
小部屋、大部屋があるのは上の階層と同じだ。
岩肌に時々ある木でできた扉を開けて部屋の中をチェックしていく。
見た目が天然の洞窟っぽくても、やはり大迷宮の一部という事である。ちゃんと月齢で通路の構造や地形が変化するのだ。
宝箱からは装飾の細かい手甲一式が出てきた。手を翳してみると何やら魔力を感じるが、詳細は不明。後でギルドに戻って鑑定してもらうのが良いだろう。
使うか売るかは性能次第であるが、この辺りの階層でこういう装備が出てくるっていうのは結構運が良い方だ。
「こういう物って誰が用意しているんですか? 魔物でしょうか?」
「不思議ですよね、大迷宮は」
グレイスとアシュレイの疑問は尤もだが。俺もその正しい答えは持ち合わせていない。
「迷宮下層や異界側から流れてくるって言われているけどね。迷宮の深層に、そういう物を合成して送り込んだり、別の世界から引っ張ってくるような何かがあるんじゃないのかな」
イメージとしては境界迷宮の管制システム的な何かだな。
地下15階の石碑から転界石を使って神殿に戻ってくる。
早速冒険者ギルドに向かい、戦利品を引き渡して換金してもらう。ガントレットは鑑定に回してその結果次第だ。
やや注目されている気がするが、周囲の視線は無視する。
「またかなり稼いできたみたいですね。魔物部屋に突っ込みました?」
受付嬢のヘザーにそう聞かれたので頷く。
「浅い階層で魔物部屋の面倒さとか体験しておきたかったんですよ」
「……テオドールさん達ならあんまり驚く事でも無いんでしょうけどね」
少し眉を顰めたものの、ヘザーはあまり突っ込んでこなかった。呆れているようにも見えるが。
「それより、ヘザーさんはカーディフ伯爵家の事って聞いています?」
雑談がてらに情報収集をしていこう。状況把握をしておくのは重要だからな。
「カーディフ伯爵は遺体で見つかったそうですよ。その……詳しい事を話すのは止めておきますが」
「ああ、伯爵の事は知っています」
ロゼッタから聞いたので、モーリスが魔人に殺害されたという話は聞いている。
カーディフ伯爵邸で魔人と戦った連中は随分酷い有様だったようだ。モーリスも敢えて即死しないように、しかし助かる見込みはないようにと瘴気弾を撃ち込まれたらしく……絶命まではかなり苦しんだと思われる。
あいつは恐らく協力者だっただろうに何か魔人の怒りでも買ったのか、魔人はそういう連中だと納得するべきなのか。
「当主でなくて、長男と次男の関与が取り沙汰されているでしょう?」
「ああ……」
ヘザーは表情を曇らせた。
「次男の方は魔法審問に引っかかりませんでしたが、長男はどうやら知っていたみたいですよ」
昨日の今日でどこまで伝わっているかと思っていたが。
黒転界石絡みの話であるため、冒険者ギルド側にも色々情報は伝わっているらしい。
「そう――ですか。そうなると伯爵家は」
「爵位の没収と領地の接収が妥当な線じゃないですかね」
だろうな。後嗣が知っていて黙っていたのでは王国への裏切りに等しい。
そうなれば長男の方は捕縛されるし……次男は誘拐事件と魔人絡みでは潔白とはいえ、順番として勘当された後だし、今は名誉回復の途上である。カーディフ伯爵家は没落、断絶したようなものだ。
王家はカーディフの領地を接収して一人勝ち……だろうか? モーリスが領地経営に失敗していたわけだし、リカバリーは面倒だろうなぁ。これを負債を抱えたと見るか、権勢を増したと見るかは難しいところだ。
「次男は、どうなんでしょうね」
「家からは勘当されているそうですからね。彼の身柄は今は王族の預かりらしくて、その方が次男の面倒を見ると言った以上は潔白を信じると、周囲に言っていたそうですよ。その話のお陰で奥方の首も温情で繋がり、次男共々その方が面倒を見るそうです」
アルバート王子は――そうやって美談にする事でそれ以上の追及を躱しやすくしたわけか。タルコットが白ならそれ以上の処罰しにくくなるだろうし。
手札を手放さずに済むという実利もあるのだろうけれど。
王家としてもタルコット自身が潔白なのであれば寛大な所を内外や諸侯に見せたいわけで。恐らく両者の利害は一致している。
しかし、それならタルコットの立場が今以上に悪くなる、という事は無いだろう。陰で色々言われる事はあるかも知れないけれど、少なくとも面と向かって批判するのはアルバート王子がそういう戦略を取った以上は難しくなる。権力基盤の弱い第4王子とは言え、王族は王族なのだから。
アルバート王子がタルコットを取り込む方針を変えていない以上は……一先ず問題は無いだろう。
タルコット自身は相応に苦労はするだろうが、俺からタルコットの境遇や心情について何か言うのも違う気がするしな。
 




