359 火の精霊殿にて
封印の扉の解放当日――俺達はイグナシウス、ラザロと共に炎熱城砦奥にある、扉の前へと向かった。
柱の上のガーゴイル達は自分達の主であるイグナシウスの姿を認めると柱から飛び降りて来て跪くように敬礼の姿勢を取った。
そんなガーゴイル達の間を抜けて、扉の前に立つ。
「やはり、ガーゴイル達を使役できるということなんでしょうか」
「うむ。まあ、有事には召喚することも可能じゃがな。他の精霊殿にいたゴーレム達も然りじゃ」
と、イグナシウスは自身の顎髭を撫でつけながら頷いた。
精霊殿防衛のための戦力というのは、そう考えると結構充実しているな。
ガーゴイルと水晶ゴーレム部隊を使役するイグナシウス、それに付き従うラザロ、更に水竜の夫婦……というわけだ。
「ガーゴイルや水晶ゴーレムを戦力として使えるというのは、助かるわね」
「そうだな。色々融通が利くし」
俺の返答にローズマリーが頷く。人形を使うローズマリーだからこそその有用性に実感を抱いているところがあるようだ。
戦闘能力を持っていてそれなりに頭数があることもそうだが……何より様々な面で利便性が目立つ。ガーゴイル自体が空を飛べる戦力であること、時間が経てば再生すること。他にも瘴気による侵食を受けにくく防御能力にも優れるために損耗しにくいだとか、不眠不休で働けて士気の低下もないこと等々を考えていくと、総じて運用に無茶が利くのだ。
「多少は当てにしてもらえるように頑張りたいところではあるな」
と、イグナシウスは苦笑した。
「……そろそろだわ」
と、そこでクラウディアが口を開いた。どうやら封印が解ける頃合いらしい。
今まで封印の扉が開いた時は特に悪いことは起きなかったが――炎熱城砦だからな。何が出てくるのかは分からないが、一応警戒だけはしておこう。
目の前の巨大な扉に刻まれたレリーフに光が走る。扉が軋むような音を立てて開くと――その隙間から膨大な魔力が風のように吹き付けてきた。
炎熱城砦の高温に比べると温いというか、穏やかな暖かさだ。片眼鏡で見る限りでは顕現していない火の精霊――サラマンダーが大挙して出てくる姿を捉えてはいるし、強い魔力を感じてもいるのだが。
ふむ。サラマンダーといっても、サンショウウオのような姿ではなくドラゴンパピーを更に小型にしたような、割合愛嬌のある姿だ。背筋や尻尾の先などに炎が燃え盛っている。
走ってきたサラマンダー達は俺達には目もくれず、近くにある溶岩溜まりなどに思い思いに取り付いていた。
これは……熱を食べているのか。サラマンダー達が身体に纏った炎の輝きが増す代わりに周囲の温度が下がっていくのが解る。溶岩が見る見るうちに熱を失い、冷えて固まっていく。代わりにサラマンダー達の動きが活発化している。次の熱源を求めてちょこちょことした足取りで走り去っていくのが見えた。
「なるほど。火の精霊に力を与えているのか」
となると、副次的にではあるが、封印の解放と同時に炎熱城砦の攻略難易度が割と下がることになるだろうな。宝珠の回収に動かなければならないことを考えると攻略の丁度良い好機となるのかも知れない。
「精霊殿の解放により起こる現象というのは……特に意図して七賢者が作り上げたものというわけではなくてな」
サラマンダーの走り去っていく姿を見送っていると、イグナシウスが言った。
「そうなんですか?」
「うむ。七賢者達は、精霊殿の建造により変化が起こるかも知れないが悪い方向には作用しないだろう、と言っておったよ」
「クラウディア様の望む方向に迷宮が変化をしていく、というわけですね」
アシュレイが笑みを浮かべて頷くが、当人であるクラウディアはやや居心地が悪いのか、頬を赤くしながら静かに目を閉じていた。自覚的にやっていることではないので、殊更感謝されるのも気恥ずかしい、ということかも知れない。そんなクラウディアを見て、マルレーンやイルムヒルトが微笑みを浮かべる。
「ん。まあ、進んでも問題無さそうだな。警戒だけは怠らないように」
「はい。では行きましょう」
皆を見て頷き合い――細い通路を抜けて奥へと進んでいくと、一気に視界が開けた。
細い通路から広大な空間へ。切り立った崖のような一本道が、火の精霊殿へと通じている。燃え盛る炎の谷底――。しかし、ここでも炎熱城砦で感じていたような激しい熱は感じない。寧ろ何というか……ただいるだけで体の内側が温かくなって活力に溢れてくる、というか。
「何だか……不思議な場所ですね」
グレイスが目を瞬かせる。確かに。
「分かった……。あれだ」
視線を巡らせ、谷底の炎に目を凝らして――正体が分かった。顕現した炎の精霊がいるのだ。丸くなって眠っている炎の鳥――。
更にサラマンダー達は精霊殿の奥からもちょこちょこと走って出てくるので……片眼鏡を通してだと随分視界が賑やかなことになっている。まあ、他の精霊殿も片眼鏡装着で見に行けば似たようなものなのだろうが。
「あれ自体も高位の火精霊じゃな。精霊殿が作られてから顕現したようじゃが……まあ、大人しいもんじゃよ。儂もラザロもそれなりに仲良くやっとる」
「フェニックスか……」
「炎熱城砦は元々、地熱や溶岩を引き受け、余剰な熱を魔力や資源に変換するための場所だわ。そこに火の精霊を呼び込む場所を作ったことで、あの不死鳥も住み着いたのでしょうね」
クラウディアが炎熱城砦の元々の役割についても教えてくれた。ふむ……。確かにあのフェニックスに関しては特に敵でも味方でもない、という感じだな。今は寝ているだけで動かないし。そっとしておくのがいいだろう。
「ここは精霊殿があるだけでなく、儂の寝所でもあってな。宝珠と共に、そなたに渡さねばならぬものがある」
「分かりました。では――まずは宝珠の回収から済ませてしまいましょうか」
全員でまずは精霊殿の奥へ。精霊殿の通路を奥へと進み、あっさりと宝珠のある場所まで辿り着いてしまった。サラマンダー達はますます賑やかなことになっているが……まあ邪魔する様子は無いのであっさりと宝珠を回収できた。
「クラウディア、異常は?」
「今のところは感じないわね」
と、首を横に振る。通信機にも目を通しているが、外も異常無しとの報告が来ている。内部への特殊な転移を行うつもりならクラウディアが感知できるようだし、やはり魔人は戦力を温存するつもりか。
そうなると……最後の瘴珠は魔人が手元で保管するということだろうか。それとも時期をずらしてタームウィルズに持ち込む作戦なのか。このあたりは今後注意を払っておく必要があるな。
「宝珠に関しては、僕が責任を持ってメルヴィン王に届けます」
「うむ。では続いて、儂の家へ向かうとしようか」
精霊殿を出て、イグナシウスの寝所へと向かう。
向かうと言っても精霊殿を出てすぐ隣であるのだが。精霊殿の脇に回ると、そこが彼らの寝所だ。
建築様式は精霊殿に似ている。規模はずっと小さいが、精霊殿の一部と言われても納得してしまえるほどだ。二軒並んでいるのは、イグナシウスの家とラザロの家というわけだ。
王の家や伝説の騎士の家というにはこじんまりしているが、イグナシウスに通されて中に入ってみれば寝所に居間に厨房といった、必要な設備は一通り揃っていて、炎熱城砦の中とは思えないほどには割と快適なようだ。まあ、普段イグナシウスは眠っているだけなためか、生活感は全くないけれど。
「こっちじゃな」
と言ってイグナシウスが階段を下りていく。地下室か。
階段を降りると小部屋だった。イグナシウスが壁に埋め込んであった球体に触れると、奥の扉が開く。……シルヴァトリアにある賢者の学連で見た装置にそっくりだな。やはり、使われている技術が同じということか。
イグナシウスに続いて扉の奥へと進むと――そこは書斎だった。
所狭しと四方を書物に囲まれ、本を読んだり物を書いたりするための机と椅子、照明の魔道具があるだけというシンプルな作りだが……湿度と温度が外と違う。乾いた、冷たい空気だ。本を長期保存するために書斎の空気を一定の環境に保っているというところか。
それにしても良い雰囲気の書斎だな。蔵書は多いが適度に狭くて落ち着ける環境というか。
イグナシウスは梯子を登ると本棚の上のあたりから古い書物を何冊か抜くと、下に降りて俺にそれを手渡してきた。
「これが前に言っておった書物じゃな」
宝珠の封印を維持するための儀式の手順を記した書物と、迷宮制御のための術式を示した書物だ。
「では確かに、お預かりします」
「うむ。そなたが上手く活用してくれることを祈っておるぞ」
イグナシウスから書物を受け取り、一礼する。では儀式についての書物と宝珠に関しては迷宮を出たらその足で直接王城へ届けるとしよう。




