353 温室とノーブルリーフ
「さて……儂からも1つ。現在のヴェルドガルを取り巻く状況やそなたらについては既に詳しく聞いておる。そなたが女神シュアス――クラウディア殿を迷宮から解放しようとしておることもな。そのうえで迷宮の維持も考えていると。この気持ちには今も変わりはないのかの?」
「はい。魔人やラストガーディアンのことが終わった後に、努力をしていく価値があることだと思っています」
イグナシウスの目を真っ直ぐ見て頷く。
努力。それは暮らしの一部であったり生業と言い直してもいい。
クラウディア無しでも迷宮が成り立つよう仕組みを構築する。それは口で言うほど容易いことではないのだろうが……他の誰のためでもない、俺のやりたいことに合致しているからこそやるのだ。
「……そうか。では儂も、そなたに預けるものがある」
「何でしょうか?」
「儀式の方法だけでなく、七賢者の残した書物には迷宮に関するものもあるのだ。きっとそなたの役に立つであろう」
……なるほど。クラウディアとの婚約や契約に関する話を聞いたからなのだろう。迷宮の根幹をどこまで弄れるかは分からないが、何もないところから始めるのとでは雲泥の差があるだろう。一礼すると、イグナシウスは目を細めて頷くのであった。
――さて。王城でのメルヴィン王やイグナシウス達との話から数えて2日後、シルン男爵領にいるミシェルにノーブルリーフの一件で用があるので出かけることとなった。
朝食を済ませ、割合早い時間から準備を進めていた。シルン男爵領に向かうのは俺達のほかに、アルフレッド達とジークムント老達工房関係者のみんなだ。
何故今日なのかと言えば、秋になったので父さんもタームウィルズに来るということになっているからだ。
俺の誕生日が近いということもあり、それに合わせている部分もあるのかも知れないが、シルン男爵領で父さん達と合流してから転移魔法でタームウィルズに戻ってくれば効率的というわけである。
「ええと。資材はこれとこれと……」
温室を作るための資材は昨晩の間に用意してある。向こうに移動する前に、必要な物が揃っているかをみんなで手分けしてチェックしていく。
「はい。みんな整列ー」
「えーと。1、2、3ー」
その横ではフローリアが浮遊するノーブルリーフ達を一列に並ばせ、セラフィナが頭数を数えていた。
ノーブルリーフ達にはレビテーションを組み込んだ植木鉢に植え替えて、シルン男爵領に同行してもらうのだ。
ミシェルに預かってもらうノーブルリーフだけでなく、総出でシルン男爵領に向かうので中々賑やかなことになっている。
ノーブルリーフから預かった種も水魔法で育成してもらう予定だが、親のノーブルリーフ達も里親の顔や子供が育っていく環境を見てみたいだろうと思うので……というわけだ。
「おはよう、テオ君」
「おはようございます」
「ああ、おはよう、2人とも」
セシリアに案内されて、準備を進めていた中庭にアルフレッドとビオラもやってくる。温室を作るにあたり、空調や湿度を調整するための魔道具を設置する予定なのだ。
温室はただガラス張りにしただけでは意味がない。夜間に冷えるのは同じだし、陽の光が強くて温室内が暑くなり過ぎてもよろしくない。なので環境を一定に保つ工夫が必要である。そのへんはローズマリーがアルラウネの栽培のために色々実験をしていたのでノウハウがあったりするのだ。
「資材は全部揃っています」
と、メモを見ながらチェックを終えたグレイスが笑みを浮かべて報告してくる。
「ん。それじゃあ行こうか」
「では、跳ぶわ」
クラウディアが転移魔法を発動させる。行先はシルン男爵家の地下にある石碑だ。光に包まれ、目を開くとそこに立っていた。
資材は運びやすいように木箱に入れてきている。木箱にレビテーションをかけてみんなで外に運んでいく。
地下室から出る場所はアシュレイの部屋だ。通信機でケンネルに到着した旨を連絡を入れると、ノックの音が響いた。
「どうぞ」
アシュレイが答えると、ケンネルが入室してきた。
「これは皆様、お帰りなさいませ」
シルン男爵領には事前に連絡してある。ケンネルは俺達の姿を見ると相好を崩した。
「こんにちは、ケンネルさん」
「はい。ガートナー伯爵も昨日よりご逗留なさっておいでです。ミシェル嬢もお見えですよ」
通信機で打ち合わせ済みなので先方も準備万端、予定を合わせて来ているのだ。
「ということなら、まず2人に挨拶をしてからですね」
「承知いたしました。では……どうぞこちらへ」
「こんにちは、父さん、それにミシェルさんも。ご無沙汰しております」
応接室に通してもらい、アシュレイと共に父さんとミシェルに挨拶をする。
「ああ、テオ。元気そうで何よりだ。レディ=アシュレイにはご機嫌麗しく」
「はい。ようこそシルン男爵家へ。所用で不在であったため、出迎えが遅れて申し訳ありません」
「こ、こんにちは、大使様、アシュレイ様」
と言った調子で挨拶をかわす。
「これから領内に確保した土地に、温室を作りに行くと聞いたが」
「はい。こちらに来たばかりで、慌ただしくて申し訳ありませんが」
「いや。もし良ければ私達も同行して良いかな。迷惑はかけない」
「私達も、と申しますと……?」
「ダリルも来ているのだ。後学のためにといったところだな」
ダリルか。領地を継ぐとなるとノーブルリーフ農法も他人事ではないだろうしな。
「分かりました。では一緒に参りましょうか」
アシュレイ、父さんやミシェルと連れ立って男爵家の玄関口に向かう。そこにはもう馬車が用意されていて、みんなで手分けして資材を積み込んでいるところだった。
「これで終わりかしら」
「ん。積み込み終わった」
「うむ。いつでも行けるぞ」
イルムヒルトの言葉にシーラが頷き、俺達に気付いたジークムント老が声を掛けてくる。
「うん。ありがとう。みんなご苦労様」
みんなに礼を言ってから、初対面の面々を紹介することにした。
……浮遊するノーブルリーフを見て、父さんやミシェルが目を丸くしているしな。
「こちらの女性がミシェルさん」
「うん。ミシェル、よろしく。ノーブルリーフ達もどんな人なのか気になってたみたい」
フローリアの言葉に反応するように、浮遊するノーブルリーフ達が集まってくる。
「よ、よろしくお願いします……。その、不束者ですが」
ミシェルとフローリアが握手を交わす。それからフローリアはノーブルリーフ達に視線を送った。
2人のやり取りを真似るようにノーブルリーフ達が葉の部分を差し出してくる。戸惑いながらもミシェルはどこか楽しそうにノーブルリーフ達とそっと握手をしていた。
「ミシェルのこと、気に入ったみたい」
「本当ですか?」
フローリアの言葉に、ミシェルが笑顔になる。
そこに使用人に呼ばれたダリルもやってきた。目の前の光景に少し引き攣ったような笑みを浮かべたが、すぐに気を取り直したあたり順調に慣れてきているようだ。
「私の息子のダリルだ」
「ええと……。ダリル=ガートナーと申します。よろしくお願いします」
父さんが紹介すると、ダリルも名乗って頭を下げる。
「ミシェルです。よろしくお願いします」
さて。自己紹介が終わったところで早速皆で馬車に分乗し、温室を作る予定地へと移動することとなった。
シルン男爵家直轄地の隣町が、ミシェルの暮らしている場所だ。隣町といってもほんの少しの距離、すぐ近くである。
平地に畑の広がる、長閑な風景の町であった。水路を兼ねた堀が町を囲っていて、木橋を渡って少し町の中の通りを行くと、そこが目的の場所であった。
「ここです」
ミシェルの住んでいる家の前に到着して、馬車から降りる。こじんまりとしているがしっかりとした作りの煉瓦造りの家である。
門を開けて中庭に入る。玄関横にウッドデッキなどがせり出していて中々雰囲気の良い、温かみのある家だった。
本来なら庭であるはずの場所が畑になっている。そこがミシェルにとっての実験場でもあるのだろう。
「この町で温室に使える場所を探したのですが、ミシェルさんの家の隣に空地があったそうです。丁度いいのでそこを使わせてもらうことにしました」
と、アシュレイが父さん達にも分かりやすく説明する。男爵家が買い上げ、その土地を温室として改造するという話になっているのだ。
どの程度の広さの土地か事前に通信機で連絡をもらって、そのうえで模型などを用意してきている。
「では……早速ではありますが、するべきことを済ませてしまいましょうか」
馬車から資材を降ろし、魔法建築の準備を整えていく。まずは土地の周囲に簡易に塀を作り、多少なりとも作業が目立たないようにする。シルン男爵家から住民に説明はする予定だが、色々と魔道具なども設置する予定だしな。
塀で土地を覆ったら縮小模型に従って、柱を立てるための土台を作り、そこから枠を伸ばして温室の枠組みを作る。
珪砂を土魔法と火魔法で加工。ガラス板を精製。順々に枠に嵌め込んでいく。外と内側。2枚のガラスを僅かな間隔で並べて間に空気の層を作り、断熱効果を高めている。
天井から壁から、ガラス張りだ。構造強化の魔法をかけて、ちょっとやそっとでは割れないように補強してやる。まあ、子供が石を投げ込んでも割れない程度にはしておこうか。
壁はガラスの引き戸でもある。必要な時に開放して空気の入れ替えや温度調整が容易にしてある。
「さて……。ミシェルさん。作業の片手間で申し訳ないのですが、魔道具についての説明をさせてください」
「は、はいっ!」
ミシェルは緊張した面持ちで頷く。
「ではまず、用水路から水を引っ張ってくる魔道具ですね」
近くにある用水路から水を引いてきてパイプに水を通していく。
温泉設備で使った水流操作の管だ。魔道具を作動させると水道のように水を使える、という仕組みである。
「小規模な範囲で雨を降らせる魔法は使えますか?」
「はい。農作業には必要ですので。水源無しでは難しいのですが」
んー。なら問題ないな。一旦樽などに溜め込んでから、後は水魔法で温室内に雨を降らせたりといったことができるだろう。
並行して温室内の土を魔法で掘り返し、石を取り除く。畑を作り、ここで作物を育てたりしていくわけだ。
「あちらの魔道具は?」
「ああ。あれは温室内の温度調整を行う魔道具です。使い方は感覚的にできるようにしてあります」
アルフレッド達工房組とローズマリーやアシュレイ、マルレーンといった魔術師の面々が手分けして陽の光を遮らない場所に魔道具を設置している。何というか、魔道具の見た目としては百葉箱に似ているな。
火魔法、水魔法、風魔法の3種が組み込まれた魔道具だ。温度を調整する役割を担っている送風機のようなものである。
天井目掛けて空気の流れを起こし、温室内全体で対流させる。寒ければ火魔法の魔石で温風を送り、暑ければ水魔法の魔石で冷やすといった具合である。刻まれた契約魔法に従って連動しており、定められた温度を保つことができる。
魔道具の出力操作により温度調整も可能となっている。百葉箱内部の中央に据えられた魔石に触れて、もう少し部屋を暖かく、或いは涼しくなどと念じることで火の魔石や水の魔石が連動して出力調整をしてくれる仕組みだ。
自力で移動可能なノーブルリーフが番人として温室に常駐する予定なので、暑い寒いに関してはノーブルリーフの反応を見ながら相談すれば良いだろう。
嵌められた魔石に魔力を供給してやる必要はあるが……そのへんはミシェル自身が魔術師なので問題はあるまい。
今回用意した魔道具は後3つ。1つは湿度を調整する代物だ。風魔法と水魔法で、大気中の水分を集めたり、または放出したりするというもの。
もう1つは、闇魔法で陽光を弱めるフィールドを作るというもの。こちらは日差しが強すぎる場合に用いる。温室全体を覆って日差しを弱めてくれる。
そして最後の1つはミシェル自身が身に着けるものだ。
「温室内で作業する場合、暑さにやられないようにしてください。一応、作業時用に弱い冷気を纏う魔道具も用意してきました」
「ありがとうございます」
と、そんな調子で1つ1つミシェルに説明しながら温室の作成や魔道具の設置といった作業を続けていき――最後に土地の周りを囲っている塀を仕上げてしまう。
ミシェルの家との間にある塀と繋げて扉を作る予定だったのだが、ミシェルによると家から見渡しが利くほうが安心だということなので、ミシェル宅と温室との間にある壁は取っ払わせてもらった。更に警報装置の設置も行えば出来上がりである。
「こんなところかな?」
「かな。うん。それでは一先ず完成ということで」
アルフレッドと頷き合い、みんなに完成を知らせると、見物していたケンネルや父さん、ダリル達から拍手が起こった。パーティーメンバーのみんなも工房のみんなも楽しそうに拍手する。
「魔法建築か……。いつぞやにも見せてもらったが、今回はまた違うな。いや、楽しませてもらった」
「……温室とは聞いていましたが……ここまでのものになるとは」
父さんが静かに頷き、ミシェルが出来上がった温室をしげしげと眺めて呟くように言う。
「んー……。暖かくて嬉しいって」
と、フローリアがノーブルリーフの感情を代弁してくれた。
「警備が必要な場合は、手を貸すわよ」
ローズマリーが羽扇で口元を隠して肩を小さく震わせた。ローズマリーの人形を持ってくるつもりなのだろう。うん。確かに配置したほうが安心ではあるかな? ミシェルさえよければ後で連れてくるとしよう。
「後は実際に魔道具を動かし、ノーブルリーフに快適かどうかを尋ねてみて……問題が無さそうなら中で作物を育ててみてください。不都合がある場合はケンネルさんに知らせていただければ、その都度調整に参ります」
「ありがとうございます!」
ミシェルが深々と頭を下げる。後はノーブルリーフの鉢と種を引き渡せば今回のシルン男爵領での作業も完了といったところか。少しシルン男爵領でのんびりしてから父さん達と共にタームウィルズへ戻るとしよう。




