350 秋の日の臨時休業
さて。炎熱城砦の攻略は中断という形になってしまったが、イグナシウスが迷宮から出てきたことにより、攻略目的の半分は達成したとも言える。
探索を早めに切り上げたこともあり、儀式場での話が終わってもまだ日が高く、時間が余ってしまっていた。だが、こういうのは半日分の予定が空いたと考えれば良いのかも知れない。
「せっかくだし、今日はこのまま家に戻って何もせずに過ごそうか」
と、帰りの馬車で持ち掛けると、グレイスは微笑んで頷いた。
「はい。では帰りましたら、何かおやつでも作ることにします。みんなでのんびりしましょう」
「グレイスの手作りは楽しみ」
シーラが頷く。
「今日の順番は――クラウディア様がお風呂の日でしたか」
「確か……そうだったわね」
アシュレイが思い出しながら言う。クラウディアはその言葉に平静を装ったが、少し頬を赤らめているようである。
マルレーンはアシュレイの手を取ってにこにこと俺を見てくる。今日の夜、隣になるのは自分とアシュレイである、というわけだ。となると、居間の担当はグレイスとローズマリーということになるだろう。
「ああ、そうでした。では……私がお菓子を焼いている間に、先にお風呂に入られてしまうというのはどうでしょうか?」
「確かに、そっちのほうが全体的にのんびりできそうだな」
「そういうことなら、私もグレイスを手伝うわ」
「ありがとうございます、マリー様」
風呂の時間もゆっくり取れるし……そのままのんびり過ごして後は眠くなったら眠るだけ、というような、ゆるい計画を即興で立てながら家に到着した。家に着いたら早速風呂を沸かし、入浴の準備を進める。
浴室に入ってきたクラウディアはやはり少し恥ずかしがっていた様子だが、髪を洗うということでこちらに背中を向けると、多少の落ち着きを取り戻したらしい。それでも頬を少し赤く染めていたが。
胸元を隠すように手をやるクラウディアの髪を手に取って、サボナツリーの洗髪剤をぬるめの湯に溶いて髪に馴染ませ、泡立てていく。
「自分で洗う時は生活魔法で済ませてしまうのだけれど……テオドールは丁寧ね」
「そうかな。まあ、髪を傷めないように気を付けてるけど」
クラウディアの髪は膝まで届くほどの、艶やかで長い黒髪だ。光沢が何とも美しい。
細身の身体と透けるような白い肌。清潔な白い湯浴み着という出で立ちなので、余計に黒髪のコントラストが映える。クラウディアのいる場所だけをモノクロームに落とし込んだような、独特の美しさがあった。満月のような金色の瞳も、そこに神秘性も付加しているような気がする。
静かに水をかけて洗髪剤をできるだけ丁寧に洗い流してからクラウディアに言う。
「できたよ」
「それじゃあ、今度は私が」
「ああ」
交代して背中を流したり身体を洗ったりしてから湯船に浸かる。
濡れた髪を肩口から二つに分け、おさげのように束ねたクラウディアが、隣に寄り添うように腰かけてきた。
明るい浴室内。開け放たれた窓から光と風が入ってくる。秋の過ごしやすい陽気も手伝い、何とも居心地のいい空間だった。足を投げ出し、浴槽に身体を預け、ゆっくりと身体を温めて息をつく。循環錬気でクラウディアの魔力を補強しながら脱力する。
しばらくそうやってのんびりしていると、クラウディアがぽつりとこぼすように言った。
「……テオドール」
「ん。何?」
「いつもありがとう。私は……みんなの戦いを見ているばかりで、それが心苦しいのだけれど」
「いいよ。クラウディアが転移魔法を準備していてくれれば、戦いに集中できる。俺だけじゃなく、みんなも安心して戦えると思う」
「そうだと良いけれど。アシュレイも少し前に、似たようなことを気にしてたみたい」
と、クラウディアが言う。アシュレイのことを気に掛けてくれているらしい。
「ああ……確かに言ってたな。その時、アシュレイにも伝えたけれど、役割分担っていうことでさ。突っ込むのは俺の役だ。誰かを矢面に立たせるより気が楽だって考えてる」
「ん……」
クラウディアは口元に笑みを浮かべて目を閉じると、小首を傾げるようにして身体を預けてくるのであった。
のんびり時間を使って風呂から出る。次は交代でシーラとイルムヒルト、それからセラフィナが風呂に入るようだ。
「イルムヒルトが尻尾で滑らせてくれるの」
「今日は時間もたっぷりあるものね」
と、セラフィナは嬉しそうにイルムヒルトと共に浴室へと向かっていった。
俺以外の面々が風呂に入る時は1人1人順番の時もあれば、ああやって誰かと一緒に入る場合もあったりする。だが今日は俺達の臨時休業ということで時間が余っているので、ゆっくりと浴室で遊んだりする余裕もあるというわけだ。
アシュレイとマルレーンも、シーラ達と同じように……今日は一緒に風呂に入るようであるが、その際ラヴィーネも洗ってやることにしたようだ。風呂に入る前に2人で一緒にラヴィーネのブラッシングをしているようである。
ラヴィーネはれっきとした狼だが、種族的に犬に近い……と考えた場合、あまり頻繁に風呂に入れるのも良くないと景久の記憶にあったりする。なので適度な間隔を置きながら定期的に風呂に入れてやるという決まりになっているが……まあ、そのお陰でいつも毛並みがツヤツヤと綺麗に保たれていたりするわけだ。
「良いお湯でした」
グレイスとローズマリーが焼き菓子をオーブンに入れたところでアシュレイとマルレーンも風呂から出てきた。
「今度は2人が入ってくるといいよ。みんなでオーブンを見てるから」
「ありがとうございます。ではお願いします」
と、グレイスとローズマリーが厨房を出ていく。
ティーカップを傾けながら厨房で焼き菓子の様子を見ていると、香ばしい甘い香りがあたりに立ち込め始める。
「そろそろ良さそうね」
と、クラウディアが立ち上がる。オーブンから焼き菓子を取り出して皿に盛り付けたところでグレイス達も風呂から出てきた。
和室に移動し、しっとりとした濡れ髪のグレイスとローズマリーに両脇を挟まれるような形で寛ぐ。
「んー……」
ローズマリーは羽扇を閉じて先端を自分の顎に付けるようにして思案する。
「ん。どうかした?」
「テオドールは肩はこったりしないのかしら?」
「ん、何で?」
「いえ……父上の肩を、母が揉んだりしていることがあったのを思い出したから……。そういうこともするのかなと思っただけよ」
ふむ……。まあ夫婦間なら、そういうこともある……のかな? 王族の間でもというのは、中々意外なのかも知れないが。
あまり肩は凝っていないが……それでもマッサージは心地良かったりすると思うので、せっかくだしお願いすることにした。
「では、私はふくらはぎを」
「ええ」
ローズマリーに肩を、グレイスにふくらはぎをマッサージしてもらう。背中側のローズマリーの表情は窺えないが、グレイスは楽しそうだ。風呂上がりにマッサージとか、中々贅沢な気がして仕方が無い。
「どうかしらね」
「んー。中々良いね。これが終わったら交代しようか」
「……わたくしは別に良いのだけれど」
「されっ放しっていうのもなんだしね」
「では……お願いします」
グレイスが笑みを浮かべて頷いたことで、ローズマリーもということが決定した瞬間であった。
ということで攻守交代。2人の肩を揉みながら循環錬気を行ったりして過ごした。
居間で焼き菓子と茶を堪能したら早めに寝る準備を整え、皆で寝室に移動する。寝室で寝間着に着替えたみんなと遊ぶことにした。
「ああ……これ、楽しいね」
と、フローリアは笑みを浮かべる。カード初心者のためになかなか勝てないが、それでも楽しんでいるらしい。
今回はフローリアを呼んだり、セシリアやミハエラ、クレア、シリル達使用人にも交代で休憩を取ってカードの相手をしてもらったりして、のんびりとした時間を過ごさせてもらった。
やがてマルレーンが小さな欠伸をしながら眠そうに目を擦ったりし始めたところでお開きということになり、みんなで寝台に横たわる。
隣はアシュレイとマルレーン。マルレーンは猫がじゃれるように胸のあたりに頬を寄せると、嬉しそうに笑みを浮かべながら目を閉じる。
それを見たアシュレイもマルレーンと同じように頬を寄せる。視線が合うと、アシュレイは悪戯が見つかってしまった、というような笑みを浮かべる。
「……おやすみなさい、テオドール様」
「ん。おやすみ」
「おやすみなさい」
寝室の明かりを消して、アシュレイとマルレーンの髪を軽く撫でて――循環錬気を行いながら目を閉じた。
うん……。今日は予定が無くなってしまったが、その分のんびりできたな。明日からも気合を入れて頑張れそうである。循環錬気とみんなの体温と。温もりと心地良さに包まれながら、ゆっくりと眠りに落ちていくのであった。




