33 月光神殿
魔人には――まだ息があった。俺の方に向かって指先を翳すが、瘴気を集めようとしたところで、そこから砂になって崩れていく。
魔人はその光景に苦笑すると、諦めたように溜息を吐いて大の字になった。知っている。連中の死というのは――こういうものだ。
マジックサークルを掌の上に浮かべたまま近寄ると、魔人は首を横に振る。
「止めは必要ない。もう、痛みもないからな」
……だが、言葉を交わす事はできる、か。しかし俺には魔人と馴れ合う気がない。
なら、こいつと何を話すべきだろうか。
そもそも、こいつの目的は何だ? 予想されたカーディフ伯爵家の召喚術士が魔人であるというのなら、こいつが黒転界石を作ったと。そう受け取って良いのだろうか?
それは、何のために?
……――。
「――月光神殿」
俺が言うと、魔人は目を丸くした。尋問している時間も方法も無いが、カマをかけて反応を見る事ぐらいはできる。
別に確信めいたものがあるわけではないけれど。
こいつがここにいる理由が誘拐して金儲けをするだとか、被害者の感情を食うためだとか、そんな理由であるよりは納得が行く。
「全く――面白い。実に興味深いガキだ」
魔人はカマかけに引っかかった事を悟ったのか、小さく肩を震わせた。
「お前の、名は?」
「……テオドール」
「そうか。誇れよ、魔人殺し。私の名はリネットだ」
魔人は笑みを浮かべたままで――急速に全身が砂になって、風に散っていった。
……災害みたいな連中だと。そんな風に魔人の事を評した奴がいるが。
俺は少々かぶりを振って思考を切り替える。他に考えるべき事があるからだ。
月光神殿。
タームウィルズの迷宮下層にあるとされる場所だ。
BFOでは未実装のエリアではあったが、ゲーム中ではその存在が示唆されている。
過去、魔人に封印を破られて、秘宝を持ち去られたとか何とか。
時系列が解らないから確信があったわけではないが、魔人の用がタームウィルズにあるのだとしたらそれだろうと思うのだ。
月光神殿への侵入のために転界石を研究していたとするなら、魔人がタームウィルズに紛れ込んできた理由も解らないでもない。
とすると、未だ月光神殿の封印は破られていないという事か。
今からゲーム本編開始――10年後までの間に、その事件が起こるという事になる、という事なのだろうか。
どちらにしてもゲーム中ではタームウィルズ周辺も含めこの国は平和ではあった。
本編開始時に危険なのは北方である。魔物達の大発生が起きるからだ。
それが配信途中だったグランドクエスト絡みの話になるわけだが――そんな話を今の俺が声高に叫んでみても妄想としか思われないのがオチだ。
魔法審問は意味が無い。あれは嘘をついているか否かを見分けるだけで、本気でそう思っている事と真実は決してイコールではないのだし。
それにグランドクエストと銘打ってはいるが、BFOはファンタジー世界で好きなように生きられるゲームだ。
本筋をどうしても進めなくてはならないというわけではないので、俺としては後回しにしていた部分がある。
魔物の大発生がどこまで南方に波及するのかまでは解らないが、力を蓄えておく事になんら損は無いだろう。迷宮なら戦う相手に困る事もない。
……いや、もしかすると持ち出される秘宝が魔物の大発生に関わってるなんて事は……?
有り得る、かも知れないな。魔物を暴れさせているのが魔人というのは、ゲームの筋立て的には解りやすい構図ではあるし、ゲーム中に出てくる野良の魔人もはぐれ魔人と言われていた。
何からはぐれた魔人なのかと考えれば、何かしら目的があって、組織立って動いている魔人達がいるのかも知れないし。
現実である今ならその辺を結びつけるのは短絡かも知れないから何とも言えないが。現実にもアルバート王子や剣聖オズワルドは存在しているわけで。
いずれにしても月光神殿については……どうせ魔人の事で話を聞かれるだろうから、話の俎上には載せてみるか。
魔人がうわ言で言っていたとでも伝えれば、嫌でも月光神殿が注目されるだろう。後は俺が閲覧できない資料だのなんだの、勝手に偉いさんが調べてくれると思うし。
「テオドール様!」
一度は広場から逃げていた連中が集まってきている。騒ぎを聞きつけて来たのか、人混みをかき分けてグレイスとアシュレイが顔を覗かせた。
「ああ、2人とも」
「ま、魔人が現れたと……!」
「まさか――お1人で魔人を倒されたのですか?」
2人とも心配そうな表情だ。まあ、俺としては2人と一緒にいる時に魔人に遭わなくて良かったと思うけれど。
モーリスの事が片付いていなかったから、昨日に引き続いて警戒態勢を取っていた。
拠点から被害者を解放して――明けて今日になり。俺は打ち合わせと説明という事で冒険者ギルドを1人で訪れていたわけだが。
どうも官憲側が段取りと違った事をしたようで、藪を突いて蛇を出してしまったらしい。
そこからは伯爵邸を突き破ってヒュドラが現れるわ魔人が現れるわ。
冒険者ギルドの連中は広場の市民の避難誘導をしていたのだが、手の空いている俺は足止めついでにオフェンスに回ったと。状況を掻い摘んで説明するなら、そんな感じである。
「うん。俺は大丈夫」
「テオドール様、血が――」
ああ、上級魔法の反動の時のか。左手からの出血は止まっているが、思い出したら鈍い痛みを伝えてきた。
アシュレイは俺の手を取って治癒魔法をかけてくれた。
「ありがとう、アシュレイ。グレイス、こっちに」
アシュレイに礼を言って、グレイスに封印を施す。
グレイスは頬を赤く上気させて、ぼんやりしたような表情だ。
俺の血の臭いで吸血衝動が来てしまっているのかな。悪い事をしてしまったかも知れない。
「――テオドール。あなたには、借りができた。またいずれ、必ず礼を言いに行く」
その声に振り返るとシーラが一瞬だけ群衆の中に姿を見せて、消えていく場面であった。
小さく微笑んでいたところから判断するに……友人は無事だったのだろうが。
誘拐事件の被害者達はそれでいいとして。割と問題は山積している。
捕まっていた女型の魔物の処遇は決まっていないし、モーリスがどうなったかだとか、王子が面倒を見ているタルコットの立場がどうなるのか、とか、気になる事は多い。
俺自身も衆人環視で割と遠慮なく暴れたから、暫く周囲が騒がしくなりそうだし。
うーん……。魔人をぶっ潰すのは良いけど周囲で騒がれるのは面倒だ。
明日からしばらくの間、朝一で迷宮にでも潜るかな。アシュレイの迷宮行きはどうなのか、ロゼッタにも聞いてみよう。
この国は基本的には平和が続くはずだけれど……アシュレイだって早めに強くなっておいて損は無いだろうし。
魔人とのやり取りを少々脚色して伝える事で月光神殿に注目させてから、今日は疲れているなどと適当な事を言って切り上げ、家に帰ってきたわけだが。
「……ご迷惑をおかけします。お2人とも」
と、主寝室で申し訳無さそうに肩を小さくしている、寝間着姿のグレイスである。
「だ、大丈夫です、グレイス様」
アシュレイもやや気恥ずかしそうだ。
……どうしようかね、この状況は。
「俺も迷惑だとは思わないけど。俺の血って、あれだけでそんなに酔っちゃうの?」
「はい……。とても――良い匂いに感じてしまって」
……この辺は精神的なものなんだろうが。
夜になっても俺の血の臭いに酔ってしまったグレイスの反動が解消できなかったのである。色々と努力はしたんだけど、ねえ。
それで、今日は眠る時も一緒が良いとグレイスは訴えてきたわけだ。グレイスとアシュレイはできる限り対等に、という事らしいので……アシュレイも一緒である。それで2人の仲が良好であるのなら良いけどさ。
魔人なんかと戦ったから、心配もかけてしまったみたいだしな。
しかし……えーっと。それはつまり、二人に挟まれて川の字で眠れという事だろうか。そうなんだろうな。
いつまでもお見合いしていても仕方が無いので、無心で寝台の真ん中に横たわると2人が隣にやってきた。
「テオ……」
小さく呟いたグレイスの、ほっそりとした手が俺の頬に触れ、グレイスは満足そうに目を細めた。少々くすぐったい。
「えっと、テオドール様……」
「ん。いいよ」
「――はい」
アシュレイも遠慮がちに俺の肩の辺りに手を添えてくる。
右を見ても左を見ても目の覚めるような美少女である。
2人はやがて、静かに寝息を立て始めたが……。
……眠れん。そして耐えろ俺。




