341 木精霊の芳香
コルリスを預けるために厩舎に向かうと、臭いを嗅ぎつけたのかリンドブルムとサフィールが揃って出てきて、俺とエリオットのところに真っ直ぐ向かってくる。リンドブルムは比較的落ち着いた様子だが、サフィールはかなり嬉しそうだ。
「ただいま」
と言ってリンドブルムの鼻筋を撫でると、低い音で喉を鳴らす。
「っと。ただいま、サフィール」
エリオットは頭を擦りつけてくるサフィールの首を抱えるように迎える。サフィールに顔を舐められて苦笑いを浮かべている。
「これは皆様」
そこに厩務員のマシューが出てきて、敬礼してきた。コルリスに目を留めて驚いたような表情を浮かべたが、すぐに表情を平静なものに戻すあたり、そこはさすが王城勤めと言えよう。
「こんにちは、マシューさん」
と、挨拶する。
「お帰りなさいませ、テオドール卿。突然リンドブルムとサフィールが反応して厩舎を出ていったので何事かと思ったのですが……道理で。そいつが嬉しそうに出ていくわけです」
マシューが笑みを浮かべる。「嬉しそうに出ていく」と口にしたあたりで、リンドブルムがそっぽを向いた。ふむ。まあ、リンドブルムの性格ゆえにというところはあるので深くは突っ込むまい。
「マシュー。コルリスを厩舎で預かってほしいのだけれど、お願いできるかしら?」
「はっ。仰せのままに」
「空腹な素振りを見せたら、この木箱の中身を食べさせてあげて」
アドリアーナ姫がレビテーションで運んできた木箱を引き渡す。
「これは……石、ですか?」
「ベリルモールは鉱石を主食にしているようなんです。鉱石が含む魔力を自分の活動のための力にしているといったところでしょうか」
「なるほど……。驚きですね」
俺から補足説明を入れると、マシューは目を丸くしながらも頷く。
「それじゃあコルリス。色々と動くのは明日からだから、今日はマシューの言うことをよく聞いて、他のみんなとも仲良く大人しくしているのよ」
ステファニア姫がコルリスに言って聞かせると、コルリスはこくんと頷く。
マシューが厩舎に向かうと、コルリスはのっそりとした動きでその後ろに続いた。
「さて。色々動くのは明日からかしらね。2人とも、長旅お疲れさまでした」
ステファニア姫が満足そうに頷く。
「はっ。私も今日のところは失礼します」
エリオットはサフィールに乗って帰るつもりのようだ。俺もリンドブルムに乗って空から帰るか。
「では、僕も家に戻ろうかと思います」
「また明日。工房で会いましょう」
「またね、テオ君」
「では、大使様」
「はい」
ステファニア姫、アドリアーナ姫、アルフレッドとメルセディアに見送られる形で、エリオットと共に空へ舞い上がる。
「新居の中庭にサフィールの小屋を作ったという話でしたが」
「ええ。このまま連れて帰ります。まずはカミラを迎えに行かなければなりませんが」
カミラはエリオットが戻るまでの間、皆と俺の家に行っているはずだ。エリオットはまず俺の家に同行し、それからカミラ、サフィールと共に帰る形になるか。
風を切りながら、リンドブルムとサフィールは俺の家へと向かった。
「――では、テオドール卿、これで失礼します」
「はい。それではゆっくりお休みください」
「おやすみなさい、エリオット兄様。カミラ義姉様」
アシュレイと共に、サフィールに跨って飛んでいくエリオットとカミラを見送る。といってもエリオットの家は目と鼻の先なので、中庭から飛び上がってすぐに降下していくのが見えた。2人の姿が見えなくなったところで頷く。
「じゃあ、やることをやっておくか」
まずは無花果の苗木を植える場所の選定ということで中庭を見て回る。
訓練の邪魔にならず、日当たりも良さそうな場所。そんな条件を備えた場所となると割合限られてくる。以前中庭にハンモックを設置したが……その隣あたりが良さそうだ。
「このあたりはどうだろう?」
「そんな暖かそうな場所、もらっちゃっていいの?」
場所を提示するとフローリアは屈託のない、嬉しそうな表情を浮かべて首を傾げた。セラフィナやテフラ、前に見かけた風の精霊もそうだが……精霊は明るい性格が多い印象があるな。
「いいよ。訓練は中庭のあっち側で行えばいいし、普段使う場合も十分な広さがあるから。一応苗木の保護のために、周りを柵で囲っておこうかな」
「ん。ありがとう」
と、フローリアは礼を言ってくる。では、早速植木鉢から植え替えてしまおう。まずハーベスタを別の鉢に植え替える。
それから無花果の苗木を植える予定の場所から土を除けて、そこに移し替えてから根元に再び土を被せていく。
地面にしっかりと固定できたことを確認して、フローリアに向き直る。
「これでどうかな?」
「いいと思う。根が伸びればもっとしっかり固定されるから」
と、そこにハーベスタの植木鉢がふわふわと漂うように飛んできて、苗木に寄り添うように着地する。それを見たフローリアがまた、嬉しそうに微笑んだ。
ハーベスタの植木鉢については、シリウス号での移動中にアルフレッドが作った特別製だ。
ノーブルリーフがある程度自由意志で移動可能なようにしてみたらどうなるだろうということで、植木鉢にレビテーションの魔道具を組み込んでみたのだが……。ふむ。どうやら苗木の横を自分の定位置と定めたように思える。
「今の時期はまだいいけど……寒くなったらちゃんと家の中に入るんだぞ」
と、声をかけておく。
「分かったって。ハーベスタも自分で動けるのは楽しいみたい」
フローリアがハーベスタの気持ちを翻訳してくれる。
「その木が育った後で、樹上に儂らの家を作ってくれると聞いたが」
カーバンクルの長であるフォルトックが尋ねてくる。他のカーバンクル達も興味津々といった様子で、少し離れた場所から並んでこちらの作業を見守っていたようだ。
「そのつもりでいるよ。要望があるなら多少は対応できると思うから、今からどんな家が良いとか、意見を集約しておいてもらえると助かる」
「あい分かった。皆にも聞いておこう。屋敷の中も悪くないが、やはり儂らは木の上というのが落ち着くからのう」
なるほど。フローリアの話は渡りに船というところらしい。カーバンクル達もフローリアの頭や肩などに登り、フローリアもそれが楽しいのか、にこにこと笑みを浮かべていた。
さて。今日やっておくべきことも済ませたところで少しのんびりとするか。
軽く伸びをしながら中庭から遊戯室に移動し、腰を落ち着けるとセシリアがお茶を運んできてくれた。
「ありがとう。留守の間に変わったことは?」
「こちらは何時も通り、静かなものでした」
「迷宮村の方々も訓練も順調です」
「ん。2人とも、ありがとう。助かるよ」
「勿体ないお言葉です」
セシリアとミハエラが一礼する。
イルムヒルトが静かな音楽を奏でる中で、腰を落ち着けて茶を飲みながらペレスフォード学舎から借りている本に目を通す。
窓際にリンドブルムもやってきて、静かに寝そべっていた。相変わらず尻尾でカーバンクル達の相手をしてやっているようであるが。バロールやカドケウスもカーバンクルと遊んでやっているようで、足にカーバンクルを掴ませて遊戯室をパタパタと飛行したり、背中に乗せたりしてやっているようである。ふむ。なかなかに穏やかで落ち着く時間だ。帰ってきたという実感が湧くというか。
片手を上げると、リンドブルムが窓枠に顎を乗せてくる。リンドブルムの頭を軽く撫でながら本のページを捲っていると、茶の匂いに混ざって微かに感じるほどの甘い香りが遊戯室に漂う。
「……何か、良い匂いがしますね」
「落ち着く感じがします」
それに気付いたアシュレイが顔を上げ、グレイスが微笑みを浮かべた。
「これは無花果の香りかしら。ドライアド由来だと何か魔法的な効果がありそうね。調合して、魔法薬や香水にできたら面白そうなのだけれど」
「それはあるかも知れないわね。ドライアドは幻惑や魅了の魔法が得意だったはずよ」
ローズマリーの言葉に、クラウディアが目を閉じて答える。
確かに、植物系で香りを放散するタイプの魔物というのはそこに眠りやら魅了やらの効果を持っている者が多かったしな。
「必要ならあげるよ?」
「そう? では、これに頼むわ」
フラスコを魔法の鞄から取り出すローズマリー。フローリアはそこに握った手を差し出す。と、指の隙間からぽたぽたと雫が零れてフラスコの中に落ちていく。
「ありがとう。これで充分足りると思うわ」
「どういたしまして」
ローズマリーは楽しそうに笑う。……とかく、こういう研究になるとやる気になるタイプだからな。
「抽出したのと同じようなものね。中々濃密な成分のようだわ」
フラスコの口を手で扇ぎ、匂いを調べている。マルレーンが興味深そうに見ているのに気付いて、マルレーンにもフラスコを差し出す。
「こういう場合は、手で扇いで匂いを嗅ぐのよ。直接だと強すぎる場合があるから」
マルレーンはこくんと頷いてローズマリーのやり方に倣っている。
「とりあえず、ドライアドに関連した書籍を調べて調合の参考にしてみるわ。運が良ければ何か、面白い物が作れるかもね」
「鏃に塗ったりしたら面白そう」
「良いわね。直接叩き込めれば確かに効きそうだわ」
シーラの出したアイデアに、ローズマリーは羽扇で口元を隠して肩を震わせた。
……魅了の矢などになるのだろうか。
その場合は小瓶などに入れておき、イルムヒルトの光の矢の先端に付着させてから放つといった具合の運用方法になるだろう。フローリアがいれば原材料は手に入るようだし、ローズマリーの調合が上手くいけば戦力強化が見込めるな。




